永禄十一年(1568年)10月の朝。
京の都。
冷たい雨が降りしきり、どんよりとした雲が、空を覆っていた。
足利義昭は、征夷大将軍として、その人生の新たな章を、今日から始めることになっていた。
数日前、信長公の軍勢が、京の都に堂々と入城した。
そして、本日、義昭は、信長公の力によって、将軍宣下を受ける。
「兄上、私は本当にこの重責を果たせるのだろうか…」
義昭は、鏡に映る自らの姿を見つめながら、不安げに呟いた。
彼は、僧として育てられ、京の都の権力争いとは無縁の生活を送ってきた。
それが、突然、還俗させられ、将軍に就任することになったのだ。
「…信長殿がいらっしゃるなら、きっと大丈夫だ」
義昭は、心の中で、信長に言い聞かせた。
信長は、義昭にとって、父のような、そして、神のような存在だった。
彼は、信長の力があれば、どんな困難も乗り越えられると信じていた。
京の街は、慌ただしい活気に包まれていた。
人々は、新たな将軍の誕生を、期待と不安が入り混じった複雑な表情で見つめていた。
信長の上洛は、都に、新たな時代をもたらすだろう。
しかし、その時代が、平和で安定したものになるのか、それとも、新たな戦乱の始まりとなるのか、誰にも分からなかった。
朝廷内は、華やかな儀式と荘厳な装いに包まれていた。
高貴な公家たちが、色鮮やかな衣装を身につけ、厳かな儀式が執り行われる。
その中心に立つ義昭は、緊張した面持ちで、儀式を見守っていた。
「これより新たな時代を築くという大望を持ち、衆心を一つにするよう命ずる」
義昭の声は、力強かった。
しかし、その声は、少し震えていた。
彼は、自らの言葉の重さを、まだ、理解することができなかった。
儀式の後、義昭は、信長と二人きりになった。
「義昭様、今日の儀式は見事でした。これからの新たな時代に向けて共に歩み、我々の力を結集し、幕府を再興させましょう」
信長は、静かに口を開いた。
彼の言葉は、力強く、そして、どこか冷徹だった。
「信長殿のお力添えがあれば、きっとこの幕府を再興できると信じております。信長殿の、いえ、御父殿が、私にとって何よりの支えです」
義昭は、信長に、心からの信頼を伝えた。
信長は軽く頷き、無言で義昭の瞳を見つめていた。
その内心には、自らの野心を達成するための計画が渦巻いていたが、義昭はそれに気づくどころか、信長の言葉をそのまま受け入れていた。
広間の隅で、宗則は、二人のやり取りを静かに見守っていた。
彼は、信長の言葉の裏に隠された真意を感じ取り、義昭の純粋さに、不安を覚えた。
(信長様は…義昭様を…利用するつもりだ…)
宗則は、心の中で、そう呟いた。
(私は…どうすれば…?)
宗則は、自らの立場と、都の未来に、迷いを感じていた。
その夜、宗則は、春蘭からの手紙を受け取った。
「宗則様、お元気でお過ごしでしょうか?
都は、信長様の上洛によって、大きく変わろうとしています。
しかし、私は、信長の真意が分からず、不安を感じています。
蓮様は、信長様を利用しようと、暗躍を始めています。
どうか、お気をつけください…」
春蘭の言葉は、宗則の心に、重くのしかかった。
(春蘭様…)
宗則は、春蘭の不安を、感じ取ることができた。
彼は、都へ戻りたいという衝動に駆られた。
しかし、信長様の上洛を、成功させなければならないという使命感も、また、彼を強く縛り付けていた。
(私は…一体…どうすれば…?)
宗則は、再び、自らの運命に、迷いを感じていた。
(続く)