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第三話 試練

白雲斎は、宗則に向き合い、静かに口を開いた。


「宗則、お前に試練を与えよう」


その声は、静かだが、どこか厳粛な響きがあった。


宗則は、驚きと不安を隠せない。

陰陽道の書に触れて以来、奇妙な夢に悩まされ、背中のあざは疼き、心は乱れていた。

まだ、陰陽道の基礎を学び始めたばかりの自分に、試練という言葉は、あまりにも重すぎた。


白雲斎は、静かに頷くと、書院の奥にある、あの禁断の書棚へと歩み寄った。

重厚な扉を開け、中から一冊の古びた巻物を取り出した。

黒ずんだ表紙には、一対の八咫烏が描かれ、その鋭い眼光が、宗則を射抜くかのようだった。


「これは…『試練の巻物』…古より陰陽師に受け継がれてきた…秘伝の書じゃ…」


白雲斎は、巻物を宗則に手渡した。

宗則は、震える手で巻物を受け取ると、ゆっくりと表紙を開いた。


巻物には、古い文字で、三つの試練について記されていた。


「一つ、鏡の試練。己の心の闇を見つめよ」


「二つ、剣の試練。己の力を制御せよ」


「三つ、火の試練。己の運命を受け入れよ」


宗則は、それぞれの言葉をつぶやきながら、その意味を理解しようと努めた。

しかし、具体的なイメージは掴めず、ただ、得体の知れない不安だけが募っていく。


「宗則…お前には…この乱世を生き抜き…人々を救う…力がある…」


白雲斎は、宗則の目をじっと見つめ、静かに言った。


「その力を目覚めさせるために…わしはお前に…試練を与える…」


白雲斎の言葉には、期待と同時に、深い悲しみが滲んでいた。

それは、かつて、白雲斎自身も、禁断の陰陽術に手を染め、愛する妻を、自らの手で失うという、大きな代償を払った過去を持つからだった。


「…ですが…私は…まだ…」


宗則は、言葉に詰まった。

試練という言葉の重圧に、押しつぶされそうだった。


「恐れることはない、宗則」


白雲斎は、宗則の肩に手を置き、優しく言った。


「わしが、お前に、八咫烏を遣わす。烏の導きに従い、試練に立ち向かうのじゃ」


白雲斎は、そう言うと、宗則に背を向け、静かに部屋を出て行った。

白雲斎は、宗則の姿が見えなくなるまで、じっとその場で見送っていた。


(…宗則…お前は…わしと同じ過ちを…繰り返してはならぬ…)


白雲斎は、心の中で、そう呟いた。

彼の表情は、厳しく、そして、どこか悲しげだった。


宗則は、一人、書斎に残された。

彼の心は、不安と期待で、激しく揺れ動いていた。


(…試練…一体…どんな試練が…?)


その時、宗則は、窓の外から、一羽の八咫烏が、静かに舞い降りてくるのを見た。

烏は、漆黒の羽根を持ち、鋭い眼光で、宗則を見つめていた。


宗則は、白雲斎の言葉を思い出し、意を決して、烏の後を追った。


烏は、宗則を、寺の奥にある洞窟へと導いた。

洞窟の入り口は、鬱蒼とした木々に覆われ、昼なお暗い。

宗則は、洞窟から漂う、冷たく湿った空気に、身震いした。


「ここが、最初の試練、『鏡の試練』の地じゃ」


烏は、洞窟の奥を指さしながら、言った。

その声は、厳かでありながら、どこか温かさを感じさせた。


宗則は、洞窟の奥へと足を踏み入れた。

洞窟の中は、さらに暗く、ひんやりとした空気が、宗則の肌を撫でる。

壁からは、水が滴り落ち、足元は、ぬかるんでいた。

遠くから、水の滴る音が、静寂の中に響き渡り、宗則の心を、さらに不安にさせた。


奥に進むにつれて、宗則は、奇妙な圧迫感を感じ始めた。

それは、まるで、彼の心の奥底にある、何かが、呼び覚まされようとしているかのような、不気味な感覚だった。


やがて、宗則は、洞窟の最奥に辿り着いた。

そこには、巨大な鏡が、壁一面に埋め込まれていた。

鏡の表面は、曇っており、宗則の姿を、ぼんやりと映し出す。


「鏡の試練…それは、鏡に映る自らの姿を通して、心の奥底に潜む闇と向き合う試練じゃ」


烏は、宗則に、そう告げた。


「己の弱さ、恐怖、憎しみ…それらと対峙し、乗り越えることで、真の強さを得ることができる。覚悟は良いか、宗則?」


宗則は、鏡の前に立ち、深呼吸をした。

彼の心臓は、激しく鼓動し、手足は、冷たくなっていた。


(…私は…何を恐れているのだろう…?)


宗則は、自問自答を繰り返した。

父上の死? 自分の無力さ? それとも…この力への恐怖…?


宗則は、まだ、自らの心の闇を、理解することができなかった。


恐る恐る、鏡に映る自分の姿を見つめた。


その時、鏡の表面が、波紋のように揺らぎ始めた。

宗則は、息を呑んだ。


鏡に映し出されたのは、見慣れた自分の姿ではなく、見知らぬ部屋だった。

豪華な調度品が置かれた部屋の中央には、一人の男が、苦しげに床に伏せている。

男の顔色は悪く、呼吸は浅い。

彼の傍らには、美しい女性が、涙を流しながら、男の手を握りしめていた。


「…これは…?」


宗則は、戸惑いながら、烏に尋ねた。


「…それは…お前の…未来の姿…じゃ…」


烏は、静かに答えた。


宗則は、鏡の中の男の顔を見て、驚愕した。

それは、やつれた顔、虚ろな目、そして、血に染まった手をした…自分自身の姿だった。


「…なぜ…私は…こんな姿に…?」


宗則は、言葉を失った。


「…お前は…都で…陰陽師として…権力に溺れ…多くの人々を…不幸に陥れた…その結果…大切な者を…失い…自らの心も…壊してしまった…」


烏は、冷酷なまでに、宗則の未来を告げた。


宗則は、絶望に打ちひしがれた。

彼が、陰陽師として、目指していた未来は、こんなにも悲惨なものだったのか。


「…まだ…諦めるな…宗則…お前には…未来を変える…力がある…!」


烏は、宗則の肩を掴み、力強く言った。


「…お前の力…それは…人々を…救うためにある…決して…自らの…私利私欲のために…使ってはならぬ…!」


烏の言葉は、宗則の心に、深く突き刺さった。


その時、彼の背中のあざが、激しく光り輝き始めた。

鏡に、大きなヒビが入り、粉々に砕け散った。

宗則は、自らの力に恐怖を感じ、制御できなくなっていた。


「…落ち着け…宗則…!」


烏は、宗則に、鋭い視線を向けた。


「…お前の…心の闇…それが…お前の力…を…暴走させている…!」


宗則は、必死に、心を落ち着かせようとした。

深呼吸を繰り返し、心を無にする。


やがて、あざの光は収まり、彼の心は、静けさを取り戻した。

鏡の破片から放たれた光は、宗則の背中のあざに吸収され、新たな力を与えた。

彼は、鏡の試練を通して、自らの弱さと向き合い、それを克服する第一歩を踏み出したのだ。


「…よくぞ…心の闇…と…向き合った…宗則…」


烏は、静かに言った。


「…お前は…鏡の試練を…乗り越えた…次の試練へと…進むがよい…」


烏は、そう言うと、羽ばたき、洞窟の出口へと向かった。

宗則は、深呼吸をして、心を落ち着かせた。

彼は、まだ、自らの心の闇を、完全に克服できたわけではない。

しかし、彼は、その闇と向き合い、戦う決意を固めた。


宗則は、烏の後を追い、洞窟を出て、次の試練へと向かった。


(続く)

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