白雲斎の留守中、宗則は、禁断の書棚の前に立っていた。
重厚な扉の奥から、かすかに漂う墨の香りと、古い紙の匂い。
それは、彼を強く惹きつける、抗いがたい魅力だった。
(…師匠は…決して…この書棚に…触れるなと…)
白雲斎の言葉が、宗則の脳裏に響く。
しかし、好奇心と、自らの運命を知りたいという強い衝動が、彼を突き動かす。
安倍晴明の霊が現れたあの日から、宗則の心は、静かに燃える炎のように、この書棚へと引き寄せられていた。
宗則は、震える手で、ゆっくりと扉を開けた。
書棚の中には、古びた巻物が、幾重にも積み重ねられていた。
その奥に、一際異彩を放つ巻物があった。
黒ずんだ表紙には、一対の八咫烏が描かれ、その鋭い眼光が、宗則を射抜くかのようだった。
(…この巻物…あの時…安倍晴明様が…)
宗則は、巻物に手を伸ばした。
その瞬間、彼の背中のあざが、焼けるように熱くなった。
同時に、激しい頭痛と吐き気に襲われ、宗則は、書棚に手を突いて、よろめいた。
彼の脳裏に、鮮烈な映像が流れ込んできた。
燃え盛る炎に包まれた村。
家々は赤々と燃え上がり、轟轟と音を立てて崩れ落ちていく。
逃げ惑う人々の悲鳴が、耳をつんざくように響き渡る。
逃げ惑う人々の顔には、恐怖と絶望が刻まれ、泣き叫ぶ子供を抱きしめる母親の姿が、宗則の胸を締め付けた。
そして、幼い宗則自身の姿。
宗則は、炎に追われ、必死に逃げ惑っていた。
恐怖で、足が竦み、泣き叫ぶことしかできない。
その時、彼の背中に、激痛が走った。
振り返ると、背中のあざが、眩い光を放っていた。
そして、次の瞬間、炎が彼を避け、道が開けた。
宗則は、奇跡的に、炎の中から逃げ出すことができたのだ。
(…あれは…一体…?)
宗則は、自らが見たものが、過去の記憶なのか、未来の予兆なのか、分からずに混乱する。
しかし、一つだけ確かなことがあった。
(…あの時…私を…救ったのは…このあざ…?)
宗則は、自らの背中に手をやり、あざに触れた。
ざらついた感触、生々しい痛みが、彼の心を、現実へと引き戻す。
(…このあざ…そして…あの巻物…私の…出生の秘密…?)
宗則は、自らの運命に、言い知れぬ不安と、同時に、かすかな期待を感じた。
彼は、巻物を元の場所に戻すと、その巻物から、かすかな温かさを感じた。
まるで、生きているかのように、微かに脈打っている。
(…この巻物…何か…語りかけてくる…?)
宗則は、恐怖と好奇心が入り混じり、混乱した頭で、書斎を飛び出した。
「…はぁ…はぁ…」
宗則は、胸を押さえながら、荒い息を繰り返した。
冷や汗が、滝のように流れ落ち、足元は、まるで千斤の重りがついたかのように、動かなくなっていた。
(…誰かに…話さなければ…)
宗則は、混乱した頭で、そう思った。
彼は、白雲斎に、この体験を打ち明けようとした。
「師匠…私は…不思議な体験を…」
しかし、白雲斎は、宗則の言葉を遮り、意味深な表情で言った。
「…宗則…お前は…まだ…何も…知らぬ方が…良い…」
白雲斎の言葉は、宗則の不安を、さらに掻き立てた。
(…師匠は…何かを…隠している…?)
宗則は、白雲斎の真意を、見抜くことができなかった。
白雲斎は、静かに立ち上がり、窓の外に広がる、夕暮れの山々を見つめた。
「…わしも…かつて…お前のようだった…」
白雲斎は、遠い目をしながら、呟いた。
「…力に…翻弄され…愛する者を…失った…」
彼の言葉は、風に消えるように、小さく、しかし、重く、宗則の心に響いた。
「…宗則…お前は…これから…多くの試練に…立ち向かうことになるだろう…」
白雲斎は、宗則の目をじっと見つめ、静かに言った。
「…その力…は…やがて…お前を…導くであろう…だが…その力…は…大きな…代償を…伴う…ということを…決して…忘れてはならぬ…」
白雲斎の言葉は、重く、宗則の心に響いた。
(…力…代償…?)
宗則は、自らの運命に、言い知れぬ不安と、同時に、かすかな期待を感じた。
そして、彼は、決意した。
「師匠…私は…陰陽師になりたい…!」
宗則は、白雲斎の目をまっすぐに見つめ、力強く言った。
白雲斎は、静かに微笑んだ。
「…そうか…宗則…ならば…わしが…お前に…陰陽道の全てを…教えよう…」
白雲斎の言葉は、宗則の心に、希望の光を灯した。
(続く)