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願人の聖水晶②

「あー、くそっ、また、駄目だ!」


 ヨハンは目の前の水晶をハンマーで叩いた。鉱石と金属の綺麗な音が響いた。


 うとうとしていたライアンはその音で目を覚ました。


 あくびをしながら一つのびをしたライアンは、隣で本を読んでいるリリアに尋ねる。


「リリア。オッサンの調子はどうだ?」


 本から顔を上げたリリアは首を振る。

「見ていないので詳しくは判りませんが、どうやら失敗し続けているみたいです……」


「ふーん、そうか」

 ライアンは立ち上がり、机の方へ向かう。


「オッサン、調子は――」

 近づいてきたライアンをヨハンは不機嫌そうに睨む。


「――良くねえみたいだな……」


「ああ、手がまともに動いてくれねえ。まぁ、自業自得だがな」

 ヨハンは自嘲気味に笑いながら言った。


「じゃ、そろそろリリアの出番かい?」


「……そうだな、このまま続けても時間の無駄だ。材料の水晶も減ってきたし、そろそろ頼む」


 ライアンは首肯して、リリアの方を向く。

 呼ばれることを予期していたリリアはすでに机の近くまで来ていた。


「私は何をしましょう?」

 リリアが尋ねるとヨハンは両手を開いて見せる。


「まずは、この震えを止めてくれるか?」

 よく見るとヨハンの指は微かに震えている。


 リリアは黙って手を差し出した。

 その手はそっとヨハンの腕に触れる。そして指先が微かに光を放った。


 しかし、ヨハンの指先は震えたままだ。


 それを見て、リリアは少し考え込んだ。


 その様子を見てヨハンは訝る。

「どうした? うまくいかないのか?」


「……ヨハンさん、この道具を持って、水晶に触れてみてください」

 リリアは机の上の大きな柄つきの釘のような工具とハンマーを指差して言った。


「あぁ、わかった」

 ヨハンが言われるがままに道具を持って、水晶に大きな釘の工具をあてがう。ヨハンの震えが伝わって釘の先端が震えている。


「そのままじっとしていて下さいね」

 リリアは再びヨハンの腕に触れた。

 そして指先が微かに光を帯びる。


 すると釘の工具の震えがピタリと止まった。


「お、止まった。……どういうことだ?」


「私の力はヨハンさんが作業をしている時にしか効かないようですね」


「作業をしている時……」


「はい、ヨハンさんの願いは、「錬金術で造らせて欲しい」でしたから、錬金術の作業の時にしか効かないようです」


「なるほどな。じゃあ、作業しているときは、身体に触れていてもらわないといけないってことか」


「そうなります」

 リリアは首肯しながら答えた。


「わかった。それでいい。じゃ、始めよう」

 リリアは作業の邪魔にならないように、ヨハンの隣に回り込んで、彼の肩に手を当てた。


 ヨハンは手元の工具を動かして、震えが止まっていることを確認する。


 そして水晶にあてがった大きな釘の工具の柄の部分を、ハンマーで小さく叩く。


 静かな作業部屋に水晶を細かく削るコツコツという音だけが響き始めた。


************



 しばらくの間、水晶と向き合っていたヨハンだったが、やがておもむろに額の汗を拭いながら顔を上げた。


「――よし、いい感じだ」

 ヨハンが水晶の削り粉を手で払いながら言った。


「できたのか?」

 ライアンが水晶を覗き込みながら言った。水晶の表面には何かの文字がびっしりと刻みこまれていた。


「ああ、とりあえず、第一段階はできた」


「第一段階? まだあるのか?」


「ああ、工程はあと三つだ。だが、この調子なら思ったより早く出来そうだ。嬢ちゃん、このまま続けるぜ、いいか?」


「は、はい」


 その後のヨハンの手際は見事の一言だった。


 もちろんライアンとリリアには、目の前の工程が何をしているのかは分からない。


 その工程が成功しているかも判るはずがない。


 しかし、素人目から見ても、その手際の良さを感じ取れるほど、彼の動きは洗練された美しさをたたえていたのだ。



 ヨハンが布で水晶の表面を拭った。


 水晶の表面に刻まれた文字の溝には、溶かした金属が塗布されていて、透明な水晶の上に銀色の文字を浮かび上がらせている。


 ヨハンが大きく息を吐く。


「さて、最後の仕上げだ。ここからがやっと本番だな」


「ここからが本番? どういう意味だ?」

 ライアンが眉間にシワを寄せて聞く。


「ここまでの工程なら、何回かたどり着いたことはあるんだ。だが次の工程――最後の工程だけは何度やっても失敗している」


「そういうことか、それでここからが本番ってことか」


「ああ、そうだ」

 ヨハンは頷きながら、リリアの方を向く。


「なぁ、嬢ちゃん。錬金術の作業に関することなら、悪魔の力が使えるんだよな?」


「あ、はい、そのはずです」


「じゃあ、手の震えを抑えるのと他に、もう一つ手伝って欲しい」


「はい、何を手伝えばよろしいのでしょうか?」


「――魔力の制御だ」

 リリアは目を見開いた。


「ま、魔力ですか……」


「オッサン、魔法が使えるのか?」

 横合いからライアンが問いかけてきた。


「魔法? あんな大層なもんじゃねえよ。魔力をちょっとばかり扱えるだけだ。まぁ、錬金術だから、ちょっとだけでいいんだがな」


「充分すげえじゃねえか」


「全然、凄いことなんかじゃねえよ。この街じゃ普通だ。そもそも魔力ってのは、誰でも持っているっていう話だ」


「お、俺も持っているのか?」

 誰でもという話に驚いたらしく、ライアンが興奮している。


「まぁ、そういう説もあるってことだ。誰でも魔力は持っている。けれど、ほとんどの人はその使い方を知らないって話だ。俺は訓練してその魔力の使い方を習得しているんだ。

 この街で正規登録されている錬金術師は全員魔力を使える。というか、魔力の使えないやつは、一生見習いだがな」


 へぇと感心するライアンの横で、リリアは難しい顔をしている。


「ん? どうした、嬢ちゃん。難しい顔して」


「い、いえ、私に錬金術の魔力の制御ができるのかなって、思いまして……」


「ああ、そういうことか。ちょっと言い方が難しいが、魔力の制御自体は俺がやる。

 嬢ちゃんは悪魔の力を使って、その魔力制御が俺の思い通りに行くように補助をして欲しい。これならできるかい?」


「……思い通りに行くようにですか……」


「まぁ、試しにやってみるか」


 ヨハンがそう言って、砕けて使い物にならない水晶を取り出した。そしてそれの表面に銀色の液体で文字を書いた。


「この文字に今から俺が魔力を込めていく。魔力の制御が成功ならば、この文字は輝く。失敗なら、黒く変色してしまう。ここまではいいな?」

 こくこくとリリアは頷く。

 つられて隣のライアンも頷いている。


「じゃあ、最初はこんな感じで雑にやってみるぞ」


 そう言ってヨハンは、指の腹で文字を素早くなぞった。すると銀色の文字は黒く変色してしまった。


「失敗したらこうなる」


 ヨハンがもう一度、水晶の表面に銀色の文字を書いた。そして今度はゆっくりと文字をなぞった。


 すると文字は発光するように輝いた。文字はしばらく光を発した後、もとの銀色に戻った。


「……これが成功か?」

 ライアンは銀色の文字を見つめながら呟いた。


「端っこの方をよく見てみな。少しだけ黒いだろ」

 ヨハンは銀色の文字の端を指差した。


 その差された箇所をライアンとリリアは顔を近づけて覗き込んだ。


「……そう言われれば、確かに少し黒いかな」


「そうだ。これは九割程度成功しているが、残りの一割の部分は失敗している。俺の魔力制御じゃこれぐらいが精一杯なんだ。だが、『願人の聖水晶』を造るためには、この程度の失敗も許されない。全てを完璧に成功させないと、完成できないんだ」


「それで、リリアの力がいるってことか」


「ああ、そうだ。じゃあ、嬢ちゃん、早速、やってみよう」

 ヨハンの言葉にリリアは力強く頷くのだった。

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