朝の日差しが差し込む森の中、すぐ隣を流れる川のせせらぎが、朝の爽やかな空気にいっそうの透明感を与えている。
閑寂な森に流れる小川のほとり。
大小さまざまな石がごろごろと転がる川原をヨハンたちは歩いていた。
大きな石を跨いで越えたところで、ヨハンは膝に手をついて大きく息を吐いた。
それから身体を起こして上体を逸らして腰を伸ばす。
そして、関節が鳴る音とともに襲ってきた腰の鈍痛に思わず顔をしかめた。
「大丈夫か? オッサン」
後ろを歩くライアンが顔を覗き込んで言ってきた。
「ああ、少し、休憩をしよう」
「何回目の休憩だよ」
ライアンは苦笑いしながら答えた。
そしてさらに後ろを歩くリリアに視線を向ける。
「リリア、休憩だ」
リリアは「はい」と言って頷いて、近くに荷物を降ろした。
ヨハンは近くの石の上に腰を降ろして、荷物袋の中から瓶を取り出した。
手早くコルク栓を抜いて瓶をあおる。そして満足気に「ぷはっ」と息を吐いた。
「オッサン、それ酒だろ? そんなのを飲んでいるから、歩けねえんだろ」
「違えよ。これは、あれだ、命の水だ」
答えながら、ヨハンは再び命の水とやらを一口飲む。
「ライアン、お前も一杯やるか? 外で飲む酒もうまいぞ」
「要らねえよ。やっぱり、酒じゃねえか」
にやりと笑うヨハンに、ライアンは呆れ顔だ。
ヨハンたち三人は、朝早くからアイゼンフェルの北にある森に入っていた。
前日に示し合わせていた通り、錬金術の生成に必要な材料採取に来たのだった。
朝の森は清新な空気が満ちていて、普通の人ならば、呼吸をするたびに清々しい気持ちになるはずなのだが、酒飲みのヨハンにとっては違うらしかった。
ただでさえ日頃は歩いていない上、慣れない早起きに身体は悲鳴を上げていた。
疲労困憊のヨハンをよそに、ライアンは呑気にあくびをしていて、リリアはさえずりを奏でる小鳥を見つめている。
「とても、素敵な森ですね」
朝のやわらかな日差しの下、天使のような微笑みでリリアが言う。
その笑顔で心が少しばかり軽くなったヨハンは、周りを見渡しながら口を開く。
「まあな、この豊かな森、豊富な鉱脈、そして綺麗な水。これらがアイゼンフェルを錬金術の街たらしめている理由だな。まぁ、あとは酒がうまいってもあるが」
「最後のは錬金術に関係ないけどな」
ライアンの指摘にヨハンは軽やかに笑った。
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「――あぁぁ、足が痛え」
苦悶の表情でヨハンが呟く。
彼は杖代わりにしている木の枝にもたれかかり、荒い呼吸をしている。
「腰の次は足かよ」
冷めた目つきでライアンは呟く。
「仕方ねえだろ。いつもはこんなに歩くことなんかねえからよ」
「しょうがねえな。今日は諦めて帰るか? しっかり休んで、明日また来るか?」
ライアンの提案にヨハンは鋭い目つきになる。
「帰るわけねえだろ。そもそもそんな悠長なことしていたら、競技会に間に合わねえ」
ここまでの道中で、あそこが痛い、ここが痛いだのと、弱音を吐いていたヨハンだったが、決して「帰りたい」とは言わないことに、ライアンは微かに感心した。
「とは言え、歩くのがしんどいとなるとなぁ。……そうだ、リリア、オッサンの足の痛みとか取り除くことできないか?」
「……足の痛みをですか?」
リリアは小首を傾げる。
「ああ、オッサンが材料を取りに行くのも、一応は願いの一部だろ? だからオッサンの身体を治すこともできるんじゃないかと思ってな」
「そ、そうですね、それなら、やってみま――」
「――要らねえよ。痛くても歩くから問題ねえ」
ライアンの提案を再度否定するヨハン。
「しかし、だな……」
「これはよ、最期なんだよ――」
ヨハンの言葉にライアンは黙る。
「ここを通るのはもう最期になるんだ。若い時に散々通って、半分嫌になっていた場所なんだが、最期だと思うと、帰る気にはなれないんだ。腰も足もどこもかしこも痛えが、それすらも全部味わっておきたい。アンタらには迷惑かけるが、頼むよ」
それを聞いたライアンが無言でヨハンの荷物を剥ぎ取った。
そしてそれを肩に掛けて歩き始めた。
「しょうがねえから、付き合ってやるよ。その代わり、もう酒は飲ませねえけどな」
ライアンはニヤリと笑う。それに応えるように同じような笑顔をヨハンも浮かべた。
「ありがとよ。ライアン。…………でも、最後に一口だけ飲ましてくれねえか?」
感心するんじゃなかった、そう思いながら振り返らずに歩き出すライアンだった。
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その中はひんやりと空気が冷たかった。
暗い洞窟の中ではどこかで水の滴る音がしている。
手に持ったランプで足元を照らしながら、滑りやすい岩の上をリリアは慎重に歩く。
前を行くライアンは、時々リリアの方を振り返りながら、ゆっくりと歩いてくれている。
しばらくそうやって歩いていくと、天井が高いところに出た。
薄暗くてよく様子が分からなかったが、ヨハンが幾つものランプに灯りをともしてくれたことで、そこの光景があらわとなった。
そこの広間の壁から天井は、水晶の結晶体でびっしりと覆い尽くされていた。
ランプのゆらぎに反応して輝くそれらは、どんな豪華なシャンデリアにも再現することのできない、幻想的な空間を造り出していた。
この異様なまでに美しい光景は、見つめる者に荘厳さと畏怖の念を抱かせ、ここがただの洞窟ではなく、何か神聖な秘密を秘めた空間であるように思われた。
リリアはしゃがみこんで、壁の水晶を触ってみた。ひんやりとした感触がとても気持ちよかった。
「とても、綺麗ですね」
リリアの口から無意識に感想が出てきた。
普段、風景を愛でる感覚の無いライアンでさえも、目の間の光景には目を見張っていた。
「そうだろ。俺のとっておきの場所だからな」
穏やかな顔で水晶を眺めながらヨハンは言った。
ヨハンは荷物袋の中からノミとハンマーを取り出した。
手の中のその道具をしげしげと眺める。そして懐かしむように何度か握り直した。
「……さてと、じゃあ最期の水晶切り出しをやるかな」
暗くて静かな洞窟に、甲高いハンマーの音が響き始めた。