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シェリーの玩具

 次の日の朝――。


「一度、着てみたかったのよね」


 シェリーは丈の短いスカートの裾を掴みながら言った。

 彼女が着ているのは、膝丈スカートの紺色メイド服であった。


 そしてアップスタイルにした金髪にはちゃっかりとホワイトブリムも乗せている。


「……なんで、私まで……」


 シェリーの隣には、憮然とした表情ながらも、しっかりとメイド服を着込んだトリシアが立っている。


「あら、私だけに働かせるつもり?」


 シェリーとトリシアは市長の邸宅にてメイドの格好をしていた。

 それはただ単にメイド服を来てみたという訳では無く、リリアが休めるようにと手伝いを申し入れたのだった。


「そ、そうではありませんが。何もこんな格好をしなくても……」


「だめよ、トリシア。こういうのはしっかりと形から入らないと」


 トリシアはメイド服のフリルをつまむ。


 こんなフリルの服を自分が着たところで、誰が得をするのだろうかと、そう思って余計に憮然とした表情になってしまう。


「ほらほら、だめよ、そんな顔をしていちゃ、お客様が怖がってしまうわよ。足を揃えて立って、お辞儀して、笑ってみせて、ああ、いいわよ。その調子よ…………ぷぷっ」


「……なぜ、笑うのですか」


 トリシアは憮然を通り越した少し怖い顔で、シェリーに問う。


「全然、笑っていないわよ。すっごい新鮮だから、驚いているだけよ…………んふっ」


 いかにも笑いをこらえています、といった表情でシェリーは告げる。


 いつも男装の麗人といった服装のトリシアが、可愛いメイド服を着ている時点で、その違和感に吹き出しそうになっていたシェリーだったが、彼女のぎこちない笑顔を見ると、もう我慢の限界であった。


 自らがオモチャにされていることに気付いたトリシア。


 だが、主に怒りを向けるわけにはいかず、近くにあった箒を持ってその場を立ち去ろうとする。


「あれ、どこいくの?」


「お掃除です。メイドらしく働いてきます」


「ふーん。じゃ、いってらっしゃーい」

 メイドらしからぬ憮然とした表情のトリシアを、シェリーは手を振って見送った。


**********


 トリシアが玄関前の掃き掃除をしていると、そこに二人組の男女が現れた。

「やあ、こんにちは」


 どこかで見かけたような、丸眼鏡をかけた男が挨拶をしてきた。


「……こんにちは」

 突然挨拶をしてきた男に警戒心をあらわにしながらトリシアは挨拶を返した。


 男はそのトリシアの反応に少し驚いた素振りを見せる。


「……あの、市長さんは、お屋敷にいらっしゃいますか?」

 男が質問をしてきた。


 そこでようやくトリシアは、今自分がこの屋敷のメイドであることを思い出した。

 そして、屋敷を訪ねてきた客が玄関先のメイドに挨拶をするのは、ごく自然なことであることに気づいた。


「……さぁ、わかりません」

 市長は在宅かと問われたが、そんなことを気にしていなかったトリシアは素直に答えた。


 ちなみにシェリーから指導を受けたお辞儀や笑顔は、最初からやるつもりは無かったので、ひどくぶっきらぼうなメイドに見えたに違いない。


「……あ、ああ、そうですか……」

 わからない、という返答は予想していなかったのか、男は動揺している。


 しかし、トリシアとしては一応返答をしたので、掃き掃除の続きに戻った。


「中へ入っても良いですか?」

 後ろの女が声を掛けてきた。


 小柄なその女は、トリシアのような体温を感じさせない声音だった。


 普通のメイドであれば、どちら様なのかとか、約束はしているのかとか、聞くべきなのだろうが、正直聞いたところでその後の対処が分からないトリシアは、とりあえず通すことにした。


「どうぞ」


 あっさりと通されたことに男は苦笑しつつ、女の方は無表情で二人は屋敷の中へと消えていった。


**********


「――なんだか、怖そうなメイドさんだったね」


 屋敷の中に入るなり、フランツは言った。


 ここで言う怖そうなメイドとは玄関前のトリシアのことである。


「そうですね。箒よりも剣の方が似合いそうですね」

 エマも表情を変えずにトリシアの感想を述べた。


「ああ、事実、あの佇まいは、間違いなく武術の類をやっているだろうね」

 そのフランツの言葉に、エマの瞳が興味深そうに輝く。


「私もそう思っていました。どうですか? 私よりも強いですか?」


「ははっ、買いかぶらないでくれよ。さすがに立ち姿を見ただけじゃ、どちらが強いかわからないよ」


「そうですか。やはり戦ってみないとわからないですね」


「……うーん。お願いだから、物騒なことは止めてね、エマちゃん」

 フランツは部下の物騒な発言を柔らかくたしなめる。


 しかし、部下であるエマからの返事は無く、そっと視線を逸らされた。


 はぁ、と息を吐きながら、フランツは廊下の奥からやってきた執事を見つけた。


 そこでようやくフランツは、屋敷に来た目的を告げることができたのだった。


**********


「――悪魔教団、ですか……」

 市長のクレメンスは顔をしかめて、フランツの言葉を復唱した。


「はい、悪魔教団というのは、私たちが呼ぶ通称でして、彼らは自らを聖サタナーク教団と名乗っています」


 フランツは補足の説明を付け加えた。


 そこにクレメンスは質問を被せてくる。

「悪魔教団と呼ばれるということは、やはり、アレを信仰しているのですか?」


「ええ、察しの通り、彼らが信仰するのは、悪魔とその神である悪魔神。つまりは悪魔崇拝です」


「そ、そいつらは、悪魔を呼び出したりするのですか……?」

 深刻そうに眉を寄せてクレメンスは問うた。


 しかしフランツは眼鏡の位置を整えながら微笑む。

「いいえ、彼らにはそんな力はありません。しかし、魔術や錬金術に近い不思議な力は使うことができると聞いています。それを悪い方向にですけど」


「その悪魔教団が、この街に居ると?」


「まだ可能性の話です。高度な錬金術の技術は、彼らにとっても垂涎の的ですから、それを狙っても不思議ではないとのことです。ラクロワ補佐官、例の書状を見せて頂戴」


 そう言われて、隣に座るエマは一枚の紙を取り出した。


 それを受け取ったフランツはクレメンスに差し出す。


 クレメンスは差し出された紙を食い入るように読み始めた。


「ふむ、監視対象の……消失ですか……」


「はい、我々教会は、悪魔教団の動向を常に探っています。そして、とある街でその悪魔教団の幹部と目されていた男を監視していたのですが、それが消失。つまりは見失ったという報告が入ったのです。

 その後、その男の行方はわかっていないのですが、この街の錬金術競技会に近い時期に消えたことから、ここに来ている可能性が高いということです」


 クレメンスは紙をフランツへ返した。

「……なるほど、それで、我々は何をすれば、よいのですかな?」


「情報提供をお願いしたいのです」


「情報提供? それだけですか?」


「はい、今この街では、自警団及び、常駐する国軍兵士の増員をしていると聞いています。その彼らが見つけた怪しげな人物の情報を、我々に提供いただきたいのです」


 クレメンスは少し安堵した表情を見せる。


「まぁ、その程度のことでしたら、協力を致しましょう。聖道教会の頼みとあれば、できる限りのことはしましょう」


「有難う御座います」


 深々と頭を下げるフランツ。隣のエマも礼儀正しく頭を下げている。


「しかし、貴方がたも大変ですな。奇跡監査官という肩書を聞いた時には、ただ競技会を見に来ただけだと思っていましたが、悪魔教団などという物騒な連中も相手にしなくてはならないとは」


「教会も人手不足でして、こういった事も仕事のうちなんですよ」


 後ろ頭を掻きながらフランツは苦笑する。

 それに対してエマは、無表情でお茶を飲んでいた。


 フランツ・クロード、聖道教会、奇跡監査官。


 エマ・ラクロワ、聖道教会、奇跡監査補佐官。


 これが彼らの肩書であった。

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