ウェイターに開けてもらった扉をくぐると、微かに甘い花の香りが鼻をかすめた。
扉の両脇に置かれた大きな花瓶に色鮮やかな花がいけてある。
柔らかなベージュ色の壁には、精緻な装飾が施された燭台が等間隔で並び、温かみのある灯りが部屋を照らしていた。
美しいシャンデリアの下、純白のクロスが敷かれたテーブルがいくつも並んでいて、その間をウェイターが軽やかに歩いている。
そして、そこかしこから上品そうな談笑の声が聞こえている。
リリアはいつもの癖で給仕をしなければと、厨房に繋がる通路を探すが、今日は客として招かれていることを思い出して、何故か少し緊張した。
隣のライアンは普段通りの表情で店内を眺めている。
やはり元騎士なだけあって、こういった場にも多少の慣れはあるのだろうか。
ウェイターがやって来た。どうやら案内してくれるらしい。
ついていくと、窓際の席へと案内された。
そこには既に先客がおり、リリアたちを見つけると微笑んだ。
「遅かったわね。道に迷ったの?」
ワイングラスを片手にシェリーが言う。
その言葉にライアンがちらりとリリアを見てきた。
「いや、迷ってはいないんだが、店の前に来たらリリアが怖気づいてな、説得に苦労した」
ライアンは端的に説明をした。
リリアは緊張に加えて気恥ずかしさもあって、顔を赤らめて俯いた。
「ふふっ、大丈夫よ、リリアちゃん。緊張しなくてもいいわ。この店は、ちょっと小洒落ているだけで、そんなにかしこまるほど格式は高く無いみたいよ」
そう言われてリリアは少しだけ表情を緩めた。
そして、ウェイターが引いてくれた椅子におずおずと腰を降ろした。
その様子を見ていたトリシアは、視線をライアンに移してため息をつく。
「それに比べて、お前は緊張感の欠片もないな。その辺の安酒場とは違うんだぞ。制服なのは構わないが、もう少し綺麗なのを着てこい」
「仕方ないだろ。ギリギリまで訓練に付き合わされていたんだから。時間に遅れるなって言ったのはそっちだろ」
そのやり取りを笑顔で見ながら、シェリーはウェイターに向かって手を挙げた。
そして、やって来たウェイターへ会食の開始を伝えた。
しばらく待つと、テーブルの上に次々と料理がやってきた。
テーブルの中央にはローストした仔羊のランプ肉が置かれ、その周りを囲むのは新鮮な野菜のグリル。
ローストの香ばしい匂いが鼻腔をくすぐってくる。
横に並ぶ薄く切り分けられたスモークサーモンは美しく巻かれて、レモンのスライスが添えられている。
スープ皿にはクリーミーなカリフラワーのポタージュが注がれており、かすかに香るナツメグが食欲をそそる。
「さて、じゃあ頂きましょう」
豪華な料理を前にして、シェリーが優雅に微笑んだ。
*******
「――って訳で、あのキザ野郎が、もう何回も何回も同じ話を――」
というシェリーの話にライアンは曖昧な相槌を返す。
シェリーが言うには、どこかで聞いた名のイグナシオとかいう錬金術師が、面倒くさい自慢話を何度も繰り返ししてきたとのことだが、ライアンはその話をさっきから何回も聞いている。
いつもよりワインの進みが早いシェリーは、自身が昨日の錬金術師と同じことをしている自覚は無いのだろう。
ライアンは、ふと隣のリリアを見た。
彼女はなんとなく落ち着かない様子で、シェリーやトリシアの視線を気にしている。
その理由に察しがつくライアンは、シェリーたちの意識が極力彼女へ向かないように、シェリーの話に積極的に相槌を打っていた。
しかしその努力虚しく――。
「リリア、どうかしたのか? 今日は食が進んでいないぞ」
トリシアが目ざとくリリアの様子を見て取った。
シェリーも反応して、リリアの皿を見て首をかしげる。
「あら、本当ね。どうしたの? リリアちゃん。口に合わなかった? この間、食べたお肉がとっても美味しかったから、リリアちゃんにもご馳走したいと思ったのだけど」
ぴくりと反応するリリア。問いかける二人とは視線を合わせずに俯く。
「い、いえ、なんでもないです。とっても美味しいです……」
リリアの言葉と表情が合っていない様子に、シェリーたちはいっそう訝る。
しかし二人共あれやこれやと問い質すことはせずに、じっと様子を見守っている。
そのやり取りを見ていたライアンは、口元のワイングラスをテーブルに置く。
「……リリアだって、いつもいつも、食いしん坊って訳じゃないってことだ。こんな日もあるんだよ」
そう言いながらライアンはサーモンを頬張る。まるで自分がリリアの代わりに食べるといわんばかりに。
そのライアンを見て、シェリーはワインを一口飲んだ。
「アンタたち。隠し事が下手くそね」
シェリーが冷ややかに言った。
途端、ライアンの動きが止まった。リリアも膝の上に置いた握り拳を見て固まる。
「な、なにを言っているんだ。か、隠し事? そんな、そんなもんは――」
「わかりやすいな、お前」
トリシアからの冷静な言葉が刺さった。
ライアンは眉間にシワを寄せて顔を伏せる。
「な、何故、判った?」
「アンタたちが何かを隠していることが判っただけ。何を隠しているかまでは判らないわ」
そう言うシェリーの言葉に、少し安堵した表情のライアン。
「そ、そうか、何を隠しているかまでかは判らないか……」
「でも、予想はできるわよ。当ててあげようか? アンタたちの隠し事――」
不敵に笑いながらシェリーが言う。
「――魂の契約を結んだのでしょう?」
絶句、といった表情でライアンはシェリーを見た。リリアも驚いて顔を上げた。
その二人の表情が気に入ったのか、シェリーは得意気にワインを飲んでグラスを置いた。
「だって、そのくらいしか思いつかないわよ。ライアンなら隠したい悪いことはいっぱいするでしょうけど、リリアちゃんは良い子だから、隠したいことなんてしないもの。だけど、たった一つ、私やトリシアが反応することがある。それが――魂の契約。そうでしょう?」
言い終わりにシェリーはリリアを見つめる。
しかしその顔は、糾弾するような厳しい表情では無く、緩く笑っていた。
リリアは観念したように無言で頷いた。
「批判、とはいかないまでも、もっと冷たい顔をされると思ったが……」
ライアンの言葉にシェリーはふっと息を吐く。
「前にも言ったけど、リリアちゃんの力で私の命と国は救われている。それは揺るぎない事実なの。だから、存在の否定はできないし、するつもりは無いわ」
「そ、そうか」
「まぁ、堅苦しく理由を述べると、そんな感じね。それと、冷たくしない、冷たくなれないのは、多分私がリリアちゃんのことを好きだからね」
途端、リリアは目を見開いて驚いた。それから顔を赤らめて俯いた。
その様子にシェリーはいたずらっぽく笑う。トリシアも同調するように微笑んでいる。
「さぁ、これで心置きなく、食べられるでしょう? リリアちゃん、いっぱい頼むから、どんどん食べちゃって!」
務めて明るく言うシェリー。それに応えるべくリリアは顔を上げた。そして目尻を拭いながら言う。
「はい!」
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その後、会食の中で、シェリーはリリアの契約の中身に話題を振った。
人の死につながる話題であり、あまり軽々しくする話では無いというのはシェリー自身も認識していたが、多少酔いがまわっていたせいもあり、好奇心には勝てなかったのだ。
「――ふーん。錬金術のお手伝いねえ……。ま、錬金術師らしいといえば、らしいわね」
契約の中身を聞いたシェリーが短く感想を述べる。
それにライアンが反応した。
「まぁ、俺にはよく解らねえが。あのオッサン――ヨハンがやりたいっていうなら、叶えるだけだ」
「じゃあ、そのヨハンとかいう人と、一緒に錬成作業をするのね」
「ああ、それが、まずは材料集めからって言い出してな。そこから手伝ってくれってさ。だから、明日は朝から材料集めに森にいかなくちゃならない」
ワインを飲みながら、ライアンは面倒くさそうな顔で言った。
「そうなのね。……でも、二人共仕事はどうするの? 自警団とメイドの仕事があるのでしょう?」
「俺の方――自警団の方は、人が足りているからいいけど、リリアの方は、市長の所に客がいっぱいいて、それにまだ増えるらしくてな。人手不足だから、休むって言いづらかったらしい」
「そうね。競技会が近づくに連れて、市長を訪ねる人はもっと増えるでしょうね」
「ああ、でも、こっちとしては契約の方が大事だからな。明日の朝、俺が市長に直接言いに行くよ」
「ふーん、人手不足ねえ……」
シェリーは頬杖をついて相槌を打った。
隣の席ではトリシアがパンをかじっている。
その姿を見て、シェリーにひらめきが降りてきて、悪戯心に火が灯る。
「ふふっ、いいこと思いついたわ」
そう言って、嬉しそうにシェリーはワインを飲む。
他の三人はぽかんとその様子を眺めるのだった。