目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

二人の隠し事

 ウェイターに開けてもらった扉をくぐると、微かに甘い花の香りが鼻をかすめた。


 扉の両脇に置かれた大きな花瓶に色鮮やかな花がいけてある。

 柔らかなベージュ色の壁には、精緻な装飾が施された燭台が等間隔で並び、温かみのある灯りが部屋を照らしていた。


 美しいシャンデリアの下、純白のクロスが敷かれたテーブルがいくつも並んでいて、その間をウェイターが軽やかに歩いている。

 そして、そこかしこから上品そうな談笑の声が聞こえている。


 リリアはいつもの癖で給仕をしなければと、厨房に繋がる通路を探すが、今日は客として招かれていることを思い出して、何故か少し緊張した。


 隣のライアンは普段通りの表情で店内を眺めている。

 やはり元騎士なだけあって、こういった場にも多少の慣れはあるのだろうか。


 ウェイターがやって来た。どうやら案内してくれるらしい。

 ついていくと、窓際の席へと案内された。


 そこには既に先客がおり、リリアたちを見つけると微笑んだ。


「遅かったわね。道に迷ったの?」

 ワイングラスを片手にシェリーが言う。


 その言葉にライアンがちらりとリリアを見てきた。


「いや、迷ってはいないんだが、店の前に来たらリリアが怖気づいてな、説得に苦労した」

 ライアンは端的に説明をした。

 リリアは緊張に加えて気恥ずかしさもあって、顔を赤らめて俯いた。


「ふふっ、大丈夫よ、リリアちゃん。緊張しなくてもいいわ。この店は、ちょっと小洒落ているだけで、そんなにかしこまるほど格式は高く無いみたいよ」

 そう言われてリリアは少しだけ表情を緩めた。

 そして、ウェイターが引いてくれた椅子におずおずと腰を降ろした。


 その様子を見ていたトリシアは、視線をライアンに移してため息をつく。


「それに比べて、お前は緊張感の欠片もないな。その辺の安酒場とは違うんだぞ。制服なのは構わないが、もう少し綺麗なのを着てこい」


「仕方ないだろ。ギリギリまで訓練に付き合わされていたんだから。時間に遅れるなって言ったのはそっちだろ」

 そのやり取りを笑顔で見ながら、シェリーはウェイターに向かって手を挙げた。

 そして、やって来たウェイターへ会食の開始を伝えた。


 しばらく待つと、テーブルの上に次々と料理がやってきた。

 テーブルの中央にはローストした仔羊のランプ肉が置かれ、その周りを囲むのは新鮮な野菜のグリル。

 ローストの香ばしい匂いが鼻腔をくすぐってくる。


 横に並ぶ薄く切り分けられたスモークサーモンは美しく巻かれて、レモンのスライスが添えられている。

 スープ皿にはクリーミーなカリフラワーのポタージュが注がれており、かすかに香るナツメグが食欲をそそる。


「さて、じゃあ頂きましょう」

 豪華な料理を前にして、シェリーが優雅に微笑んだ。


*******


「――って訳で、あのキザ野郎が、もう何回も何回も同じ話を――」


 というシェリーの話にライアンは曖昧な相槌を返す。


 シェリーが言うには、どこかで聞いた名のイグナシオとかいう錬金術師が、面倒くさい自慢話を何度も繰り返ししてきたとのことだが、ライアンはその話をさっきから何回も聞いている。


 いつもよりワインの進みが早いシェリーは、自身が昨日の錬金術師と同じことをしている自覚は無いのだろう。


 ライアンは、ふと隣のリリアを見た。


 彼女はなんとなく落ち着かない様子で、シェリーやトリシアの視線を気にしている。

 その理由に察しがつくライアンは、シェリーたちの意識が極力彼女へ向かないように、シェリーの話に積極的に相槌を打っていた。


 しかしその努力虚しく――。


「リリア、どうかしたのか? 今日は食が進んでいないぞ」

 トリシアが目ざとくリリアの様子を見て取った。


 シェリーも反応して、リリアの皿を見て首をかしげる。


「あら、本当ね。どうしたの? リリアちゃん。口に合わなかった? この間、食べたお肉がとっても美味しかったから、リリアちゃんにもご馳走したいと思ったのだけど」


 ぴくりと反応するリリア。問いかける二人とは視線を合わせずに俯く。


「い、いえ、なんでもないです。とっても美味しいです……」


 リリアの言葉と表情が合っていない様子に、シェリーたちはいっそう訝る。

 しかし二人共あれやこれやと問い質すことはせずに、じっと様子を見守っている。


 そのやり取りを見ていたライアンは、口元のワイングラスをテーブルに置く。


「……リリアだって、いつもいつも、食いしん坊って訳じゃないってことだ。こんな日もあるんだよ」


 そう言いながらライアンはサーモンを頬張る。まるで自分がリリアの代わりに食べるといわんばかりに。


 そのライアンを見て、シェリーはワインを一口飲んだ。


「アンタたち。隠し事が下手くそね」

 シェリーが冷ややかに言った。


 途端、ライアンの動きが止まった。リリアも膝の上に置いた握り拳を見て固まる。


「な、なにを言っているんだ。か、隠し事? そんな、そんなもんは――」


「わかりやすいな、お前」

 トリシアからの冷静な言葉が刺さった。


 ライアンは眉間にシワを寄せて顔を伏せる。


「な、何故、判った?」


「アンタたちが何かを隠していることが判っただけ。何を隠しているかまでは判らないわ」

 そう言うシェリーの言葉に、少し安堵した表情のライアン。


「そ、そうか、何を隠しているかまでかは判らないか……」


「でも、予想はできるわよ。当ててあげようか? アンタたちの隠し事――」

 不敵に笑いながらシェリーが言う。


「――魂の契約を結んだのでしょう?」

 絶句、といった表情でライアンはシェリーを見た。リリアも驚いて顔を上げた。


 その二人の表情が気に入ったのか、シェリーは得意気にワインを飲んでグラスを置いた。


「だって、そのくらいしか思いつかないわよ。ライアンなら隠したい悪いことはいっぱいするでしょうけど、リリアちゃんは良い子だから、隠したいことなんてしないもの。だけど、たった一つ、私やトリシアが反応することがある。それが――魂の契約。そうでしょう?」


 言い終わりにシェリーはリリアを見つめる。


 しかしその顔は、糾弾するような厳しい表情では無く、緩く笑っていた。

 リリアは観念したように無言で頷いた。


「批判、とはいかないまでも、もっと冷たい顔をされると思ったが……」

 ライアンの言葉にシェリーはふっと息を吐く。


「前にも言ったけど、リリアちゃんの力で私の命と国は救われている。それは揺るぎない事実なの。だから、存在の否定はできないし、するつもりは無いわ」


「そ、そうか」


「まぁ、堅苦しく理由を述べると、そんな感じね。それと、冷たくしない、冷たくなれないのは、多分私がリリアちゃんのことを好きだからね」


 途端、リリアは目を見開いて驚いた。それから顔を赤らめて俯いた。


 その様子にシェリーはいたずらっぽく笑う。トリシアも同調するように微笑んでいる。


「さぁ、これで心置きなく、食べられるでしょう? リリアちゃん、いっぱい頼むから、どんどん食べちゃって!」

 務めて明るく言うシェリー。それに応えるべくリリアは顔を上げた。そして目尻を拭いながら言う。


「はい!」


**********


 その後、会食の中で、シェリーはリリアの契約の中身に話題を振った。


 人の死につながる話題であり、あまり軽々しくする話では無いというのはシェリー自身も認識していたが、多少酔いがまわっていたせいもあり、好奇心には勝てなかったのだ。


「――ふーん。錬金術のお手伝いねえ……。ま、錬金術師らしいといえば、らしいわね」

 契約の中身を聞いたシェリーが短く感想を述べる。


 それにライアンが反応した。

「まぁ、俺にはよく解らねえが。あのオッサン――ヨハンがやりたいっていうなら、叶えるだけだ」


「じゃあ、そのヨハンとかいう人と、一緒に錬成作業をするのね」


「ああ、それが、まずは材料集めからって言い出してな。そこから手伝ってくれってさ。だから、明日は朝から材料集めに森にいかなくちゃならない」

 ワインを飲みながら、ライアンは面倒くさそうな顔で言った。


「そうなのね。……でも、二人共仕事はどうするの? 自警団とメイドの仕事があるのでしょう?」


「俺の方――自警団の方は、人が足りているからいいけど、リリアの方は、市長の所に客がいっぱいいて、それにまだ増えるらしくてな。人手不足だから、休むって言いづらかったらしい」


「そうね。競技会が近づくに連れて、市長を訪ねる人はもっと増えるでしょうね」


「ああ、でも、こっちとしては契約の方が大事だからな。明日の朝、俺が市長に直接言いに行くよ」


「ふーん、人手不足ねえ……」

 シェリーは頬杖をついて相槌を打った。


 隣の席ではトリシアがパンをかじっている。


 その姿を見て、シェリーにひらめきが降りてきて、悪戯心に火が灯る。


「ふふっ、いいこと思いついたわ」


 そう言って、嬉しそうにシェリーはワインを飲む。


 他の三人はぽかんとその様子を眺めるのだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?