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市長邸宅にて

 細い白い指に握られた銀製のナイフが、皿の上をゆるやかに滑る。


 ナイフで切り分けられたグリル肉の欠片は、可憐な唇へと優雅に運ばれた。


 幾度かの咀嚼の後、慎ましく喉が鳴る。

 そして、ナプキンで口元を拭った後、綺麗になった唇は微笑みをたたえていた。


 その様子に見とれていた市長のクレメンスは、ワイングラスを口へ傾けた。

 しかし手の中のグラスは既に空であり、気恥ずかしそうにグラスを置いた。


「どうですかな、シェリーさん? 我が街の特産の料理は」


 クレメンスの問いに、ワインで口を潤してシェリーは笑顔を作る。


「とっても美味しいですわ、クレメンス市長。特にこのお肉なんて、とっても柔らかくて、味わい深くて、感嘆いたしました」


「いや、はっは、それは光栄ですな。あとでシェフにも伝えておきましょう。しかし、それにしても食べる仕草がとても美しいですな。どこかの貴族のご令嬢でも、これほど優雅な所作は振る舞えないでしょう。恥ずかしながら見とれてしまいました」


「まぁ、お上手ですね、クレメンス市長。お世辞でも嬉しいですわ」

 おほほ、と口元に手を添えてシェリーは微笑む。


 どうやら相手が小太りの中年男性とはいえ、異性の目を釘付けにした事実に気分は良いらしい。


 ――飲みすぎなければ良いが。

 上機嫌にワインを飲む主の姿を見て、隣のトリシアは微かな杞憂を胸に抱いていた。


 シェリーとまではいかないが、トリシアも優雅な振る舞いで料理を口へと運んでいる。

 彼女も皇女に仕える身として躾けられているので、その辺の貴族令嬢には劣らないくらいの所作は身についていた。


 シェリーとクレメンス市長のお世辞合戦に相槌を打ちながら、トリシアは考える。


 夕方から始まったクレメンス市長との会食も、メインの料理が出てきたということは終わりが近づいて来ている。

 しかし、会食の冒頭で市長が言っていたことがまだ起きていない。


「……クレメンス市長。紹介したい人がいると、おっしゃっていましたが。今日は来られないのでしょうか?」

 トリシアは二人の会話の隙を突いて問うた。


 シェリーとの会話で浮かれ顔になっていたクレメンスは、途端に真顔になって壁の時計を見やる。


「おっと、そうでしたね。もう来てもいい頃なのですが、製作が立て込んでいるのかもしれませんね」


「製作、ですか?」


「ええ、そうです。今日、紹介するのは――」

 その時、執事の一人がクレメンス市長に耳打ちをした。

「ああ、話をすれば、いま丁度、着いたみたいですな」


 その言葉通り、間もなく部屋の扉が開いて、複数人の男が入ってきた。


 先頭の男は長髪をなびかせて口ひげをたくわえた壮年の男性で、整った身なりで貴族のような気品ある歩き方をしている。


 その後ろには二人の男が後に続いている。こちらも整った身なりをしているが、腰には長剣を帯剣していた。


「市長、遅れて申し訳ない。弟子共の製作の面倒を見ていたら遅くなってしまいまして」

 髭の男が片手を挙げて市長へ告げた。

 男は口でこそ謝辞を述べているが、悪びれた様子は全くない。


 そして、相席しているシェリーを見て取ると、少し驚いた表情をした後、にやりと口角を上げた。

 男は口ひげを整えて、机の花瓶から一輪の花を抜く。


 そして、そのままシェリーの元へ歩き、胸に手を当てながら花をシェリーへと差し出した。


「私はダミアン・イグナシオという者。突然ですがたった今、貴女の美しさに魅了されてしまいました。この花では貴女の可憐さに到底及びませんが、ほんの少しでも喜んでいただければ光栄です」


 そのキザったらしい言葉に、シェリーは引きつった笑顔を浮かべながらひとまず花を受け取った。

 するとイグナシオと名乗る男はウインクで追い打ちを掛けてきた。


 シェリーは頭からつま先まで鳥肌が立った。


 もちろんイグナシオの並べた美辞麗句に心打たれたわけではない、その逆の拒絶反応からであった。

 いっそう引きつった顔を見せないようにシェリーは俯いた。


 しかし、その仕草を照れ隠しと勘違いしたイグナシオは、気取った微笑みで自らの前髪を掻き上げた。


「フッ、可愛い人だ」


 その様子を見ていたクレメンスは少し大げさに咳払いをする。


「イグナシオ殿、挨拶はそれくらいで、どうぞおかけ下さい」


 そう促されてイグナシオはようやく空いている席に着いた。


 しかし、イグナシオに随伴して現れた二人の男は、入口付近に立ったままだった。

 まるで立哨しているかのように、部屋の中を警戒している。


 それを不思議そうに眺めていたトリシアに、イグナシオが話しかける。

「あの者達が気になりますかな?」


「ええ、そうですね。会食の場に帯剣した方が居るというのは、緊張してしまいますね」

 トリシアは警戒心をあらわにして答えた。


「それは申し訳ない。あの者たちは私の私兵団で、護衛なのですよ」

「護衛……ですか?」

 トリシアは怪訝に問う。


 それに答えたのはクレメンス市長だった。

「イグナシオ殿は高名な錬金術師なのですよ。なんといっても、前回の錬金術師競技会の優勝者ですからな。優勝者ともなれば、競技会の前となると色々と身辺が騒がしくなりますから。こうやって、私兵団を連れているのですよ」


「市長、前回だけではありませんよ。前々回も私が優勝しています」

「ああ、これは失礼。そうでしたな」


 指摘されて苦笑いを浮かべる市長。それを満足気に眺めながらイグナシオは笑う。


「まぁ、競技会が近くなると、私の技術や錬成物を狙う輩が出てこないとも限らないので、一種の保険のようなものですよ」

「なるほど、そういうことですか」

 説明を受けてもトリシアの警戒心はいっこうに晴れはしなかった。


 何故なら扉の前の二人組は部屋の外を警戒しているよりも、むしろ部屋の中――つまりは、シェリーとトリシアを警戒している気配がしていたからだ。


「それにしても、意外でしたわ。そんな有名な錬金術師の方が来てくださるなんて。でも、宜しいのですか? 競技会の前でしたら、お忙しいのではないのですか?」

 精神的な苦痛から立ち直ったシェリーが優雅に口を開いた。


「まぁ、普通の錬金術師ならそうでしょうね。そもそも競技会の間際に慌てている時点で、自らを二流三流と言っているようなものですよ」


「なるほど、一流はそうではないと?」


「ハッハッハ、自分で一流というのは抵抗がありますが、まぁ、二流三流とは違って、私くらいになれば、この時期はもう全てが終わっていますよ。ああ、ただ弟子たちは違いますから、アイツラの面倒は見ないといけませんがね」

 イグナシオは得意気にそう言うと、ワインで口を潤した。


 ――虚栄の塊。それがシェリーのイグナシオに抱いた感想だった。

 そうなると私兵団も彼を着飾るための装飾品のように思えて仕方が無かった。


「護衛、といえば、他の錬金術師の方は安全なのでしょうか? 自警団は増員していると聞きましたが、街を守る為であって、錬金術師を守るためではないのでしょう?」

 シェリーが眉をひそめて市長へ問うた。


「そうですな。錬金術師たちを専門に守る者は編成していませんね。ただ、彼らは何かあれば、自警団に助けを求めるでしょう。それができるように自警団には夜も見回りをさせていますからな」


「市長、警備ならば街に常駐させている国軍兵も増員したと聞きましたが?」

 イグナシオの問いかけに、クレメンスは笑顔で答える。


「さすがイグナシオ殿は既に知ってらっしゃいましたか。言われる通りで、王都の軍に要請して、国軍兵も増やしてもらったのですよ」

 シェリーはわざとらしく感心した表情を見せた。


 その表情を見てクレメンスは満足げに頷いたのだった。


 その後、錬金術とはというテーマのもと、イグナシオの自慢話が一方的に展開されることになり、それに長時間つきあわされたシェリーたちは会の終わった頃には眼が死んでいた。

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