風吹に勉強を教えてもらって一週間、成果というのは目に見て出ていた。数学の授業では毎度、当てられるも答えられるようになっていた。田所教諭からは小さく舌打ちをされるが説教の回数が減ったのだ。
先輩に教えてもらって良かったと感謝した。だが、田所教諭は幽霊である静代の情報によると、物の怪に取り憑かれている。
この一週間、風吹は「キミは勉強の成果を田所教諭に見せればいい」とだげ指示を受けていた。
すぐに行動しなくても大丈夫なのだろうかと千隼が疑問を抱いた放課後のことだった。
今日は風吹に一度、休憩を挟もうかと言われていたので彼に勉強を教えてもらう日ではない。直哉と陽平と共に寮に帰るべく三人で教室を出た時だ。
「暁星」
何だと振り返れば田所教諭が腕を組んで立っていた。わざわざ廊下で待っていたらしく、どうしたのだろうかと彼に近づくと睨まれてしまう。
「なんだ、このテストは」
それは今日出された小テストで、難しい問題が含まれていたのを覚えている。でも、千隼は自信があった、風吹に教えてもらっていた箇所が出ていたのだ。
ミスさえしていなければ解けているはずだ。それがどうかしましたかと千隼が問えば田所教諭は言った。
「お前がこんなに問題を正解できるわけがないだろう」
普段以上に正解している。お前のような物覚えの悪い生徒が短い間でこれほどまで成績を上げれるわけがない。それはあまりにも酷い言いがかりだった。
田所教諭は千隼の何が駄目なのかを罵倒するように話し始めた。簡単な問題ですら解けない、何度言っても間違える。私が教えても分からないような頭の悪い生徒と汚い言葉まででてくる。
散々罵った後に彼は言ったのだ。
「お前、カンニングしただろう」
決めつけだった、カンニングしたことを前提に話し始めたのだ。それは否定しなければならないと違いますと声を大にして言うけれど、それでも田所教諭はそんなはずがないと怒鳴る。
「ちょっと、先生。千隼は先輩にここ一週間以上、勉強教えてもらっていたんだ!」
黙って聞いていた陽平が割って入る、千隼は頑張って勉強していたのだと。そんな言葉にどうせ遊んでいたのだろうと田所教諭は聞く耳を持たなかった。
田所教諭に「お前のような物覚えの悪い後輩の面倒を見る先輩などいるはずがないだろう。誰だか言ってみろ」と言われて、千隼は口籠る。
ここで風吹の名前を出して彼にまで迷惑をかけるわけにはいかなかった。そんな様子に「ほら、言えないじゃないか」と田所教諭は鼻で笑う。
「先輩に教えてもらっていたのだろう? 誰だ、言ってみろ」
「そ、それは……」
「私が千隼に勉強を教えていたのだが、いけないことだっただろうか?」
その声に全員が振り返ると風吹が立っていた。彼はもう一度、「私が千隼に教えていたのだが」と告げる。田所教諭は目を丸くさせていた、それはその場にいた陽平も直哉もだ。
「私の成績では彼に教えるには不適任だっただろうか?」
薬師寺風吹は成績優秀な生徒だ。学年上位を常にキープしているだけでなく、校内でも片手で数えられるほどの実力者だ。そんな彼が不適任なわけがない。
「いや、薬師寺君。こんな生徒に君が教えるなど」
「私が誰と付き合おうとも勝手だと思うのだが? それとも私が彼を見かねて庇っているお人好しとでも思っているのですか?」
風吹の「疑うのならば彼のノートを見るといい、私の筆跡が残っているよ」という言葉に陽平は千隼の鞄を取り上げた。
陽平は千隼の有無を聞かずに数学のノートを取り出して見る。そこには千隼のもの意外の別の筆跡があって田所教諭は目を泳がせた。
「田所教諭は私の筆跡を知っていますからすぐに分かるでしょう」
「な、なぜ……」
「何故? 教えるのに訳が必要ですか?」
誰かと付き合いを持つことに、勉強を教えることに理由は必要なのか。交友を深めたいと、教えてあげてもいいと思ったそれだけではいけないのか。風吹は冷静にけれど、声低く言う。
「分からなかったからと頭ごなしに叱るのはいかがなものだろうか。教師であるのならばどこがどう分からなかったのか話を聞き、丁寧に教えるべきだと私は思う」
「それは、ちゃんと……」
「私が話を聞くにそうはしていないようですが? それに千隼は私が教えることで結果を残しているようじゃないですか」
風吹は「私はしっかりと教えましたから当然ではあるのだけど」と田所教諭が持っているプリントを指さした。うっすらと裏面からテストの点数が見えている。
「ちゃんと勉強すれば結果は出るものですよ」
風吹が「そう貴方も言っていたではないですか」とにっこりとしながら言えば、田所教諭は何も言い返すことができない。
小さく舌打ちをして千隼の肩にぶつかりながら逃げるように去っていった。
その瞬間だ。肩にぶつかった時に黒い猫のような体に兎の耳がついた、どろっとしたものが田所教諭の背中からベリっと剥がれたのが見えた。
えっと千隼は驚くもそれが物の怪であることを察する。風吹がしっと小さく呟いて唇に指を当てている一瞬を見たからだ。
ふわりと浮いて地面に落ちる瞬間、千隼は物の怪の耳を掴んで後ろに隠した。
逃げられたら駄目だと思ってやってしまったのだが、少し怪しい行動だったかもしれない。それを隠すように千隼は風吹に声をかけた。
「風吹先輩、ありがとうございます。えっと、どうして此処に?」
今日は勉強しない日ではなかっただろうかと、怪しまれないだろう問いを言えば、「少し用事があったんだ」と風吹はなんでもないように答えた。千隼の行動を察したように。
ほっと息を吐きつつ、会話を続けようとすれば、ぐいっと腕を後ろから引っ張られる。おわっと声を上げて振り返れば、陽平と直哉が「説明!」と寄ってきた。
あぁ、そうだ、風吹と関わりがあることが二人に知れてしまった。
説明。説明と言われてもと風吹のほうを見遣れば彼もどうしましょうと言ったふうな瞳を向けている。二人の圧は酷く、下手な嘘はつけないぞと千隼は焦った。
「え、えっとお話する仲でして……」
「どうしてそうなったの!」
「それは、僕から話しかけまして……」
話しかけたのは千隼だ、嘘はついていないし、お話する仲というのも間違いではない。どうして話しかけたんだと直哉に聞かれて興味があったのでと答える。
それを聞き、陽平が好奇心あり過ぎだろと驚き、直哉は眉を寄せながら風吹を睨んでいた。そんな二人の様子に風吹は察したように言う。
「そこまで警戒されても困るのだが……」
「あぁ、すみませんっ! えっと、僕に用事があったんですよね!」
「そうなんだ。少し話がしたいのだが、良いだろうか?」
「大丈夫ですよ! と、いうわけだから、陽平と直哉は先帰ってて!」
怖い顔をする二人に千隼は「また明日!」と手を振って、風吹の手を掴むと足早に廊下を歩く。背後から「こら!」と、陽平の声と、千隼の名前を呼ぶ直哉の声がするが気にしない。
二人は物の怪が見えていないようだったので、大丈夫だろうと千隼は掴んだものを風吹に差し出す。彼が物の怪の耳を掴んだ瞬間、「ミギィ」と小さく悲鳴を上げた。
きっと風吹の正体に気づいたのだろう。すっかりと抵抗するのを止めてしまった。