昼休みに千隼が中庭を訪れれば、その奥のテラス席に薬師寺風吹はいた。
何を考えているのか分からない表情でテーブルのカードをぐしゃぐしゃとシャッフルしている。千隼は何でもないように前の席へと座った。
「キミの興味というのは……好奇心とも言うべきか。絶えることがないね」
「いや、あんなの見たら興味が出ないわけないでしょ、薬師寺様」
「昨日の放課後、見聞きしたことを信じる、と?」
風吹の問いに千隼は首を傾げる。喋る狐と透けている人間を見たのだから信じるしかない。素直にそう答えると風吹はカードを山にして目の前に置いた。
「今、浮かんだ数字は?」
「えっと二」
ぺらりと捲り、風吹は目を細めた。
「運命の輪の正位置」
彼はそう言ってカードを見せる。
「運命は必然、か」
風吹は笑みをみせた、キミには大きな転機が訪れると。
「大きな転機ってなんだろう?」
「それはわからない」
「見えるんじゃないんですか?」
「見ようと思えばできるけど、こういうのは自分で見つけてこそだと私は思うね」
何が転機なのか、何が起こるのか。それは自分自身の目で見てこそ、どんな行動を取るのがいいのか、必要になるのかを見極めることができる。
ただ、言われる通りにするだけでは意味はないと風吹は答える。
「キミが運命だと思えば、運命かもしれない。難しいことを考えても答えは出ない」
「薬師寺様って適当ですよね、意外と」
「その方が生きやすいものだよ、人の世は」
「そういうもんなんだ。って、そうだ、説明!」
千隼が昨日の約束と話を切り出せば、風吹は何処から話すべきかと少し考えてから、「私の生まれから話そう」と語り出した。
薬師寺風吹という人の子はすでに死んでいる。ならば、今此処にいる存在はなんなのか。それは薬師寺風吹が赤子の時にまで遡る。
「私は神として祀られていたお狐様。分かりやすく言うなら、妖狐だ」
神というのは信仰心によって力を得る。例外もあるが、信仰が失われた神というのは力が衰えていくのだという。特に個別に祀られた神というのは信仰心による力に頼っていることが多い。
祀られていたお狐様もその一柱であった。時代を経ていくうちに参拝客も訪れなくなり、管理もされなくなった社で神としての生涯を終えようとしていたのだ。
神としての生涯を終えたら天へと昇る。お狐様はそれでもいいと思っていた、役目を果たせたのならばと。
もう間もなくといった時だ。一人の成人しているだろう男が走って階段を上ってくるのが見えた。山の中にぽつんとある寂れた神社に人間が訪れるなど、幾日振りか。お狐様は男が何をしにきたのかが気になった。
少しばかり老け顔の、それでもまだ若く見える男は涙を流しながら賽銭箱の前で土下座する。額を地面にこすりつけながら。
「その男は私に願ったんだ。『わたしの子供を救ってください』と」
男には妻がおり、子供を産んだ。けれど、その命の灯火はもう間もなく消えようとしている。医者からは子供は諦めなくてはいけないと言われたらしく、今夜が山だろうと宣告されていた。
やっと生まれた我が子を失いたくはない。男は泣きながら何度も願った。なんでもするから助けてほしいと、言ってはならない言葉を使って。
「神に何でもするからと言って願ってはいけない。神はその言葉を忘れることはなく、下手をすれば生涯を棒に振ることになるからだ」
男は自分の命すら差し出す覚悟があった。お狐様はそんな哀れな人間を見て思った、最後に神らしいことをしてみようかと。
自分がこの人間の子供の命となれば、死ぬことはない。どうせ、天に昇るだけならば神らしいことをやってからでもいい、そう考えて。
「だから、私は男に言ったんだ。『その子を助けてやろう。ただし、その子の人生を縛るようなことをしてはならない』とね」
その子の人生は本人が決めることだ。親が縛ることは許さず、自由にさせなさい。悪い事をすれば、叱りなさい。良い事をすれば、褒めなさい。親として歪んだ育て方をしないと約束するならば、助けよう。
お狐様の言葉に男は顔を上げて周囲を見渡しながら、気づいたように社へと目を向けてから深く頭を下げて約束を交わした。
「それで薬師寺様は成り代わったってことですか?」
「いや、そうではない。私は命となって消える予定だったが、そうなる時に問題が起こったんだ」
「問題?」
「赤子の意識はもう死んでいた」
赤子の意識は死んでいた。このまま命を取り留めたとしても、赤子に意思はない。要は植物状態のままただ生きているだけとなってしまう。
それでは男との約束は果たせない。彼は我が子を助けてほしいと願ったのだから。それは無事に成長してほしいということで。
「私の意識を残すことで植物状態を避けることにしたんだ」
薬師寺風吹という子はもう死んでいる。お狐様は生きる器となってしまった赤子の中に入ることで男との約束を果たすことにした。
「えっと、成り代わったとかではなくて、もうその子は死んでいた。でも、約束を守るためにお狐様が意識を移して、命になったってこと?」
「そうだ。成り代わったとかではなく、薬師寺風吹という子はすでに死んでいる」
薬師寺風吹という子の魂は冥府へと渡っている。風吹の言葉に千隼は納得した、嘘をついているようには見えなかったからだ。
そんな千隼の様子に風吹は素直だねと言う。もしかしたら、人間を騙して成り代わっているかもしれないというのに。
「うーん、神様として祀られていたなら、悪い事はできないかなぁって思ったんですよ」
「話が早いというのは助かるものさ。私は神として祀られていたこともあり、善性というのがある。故に妖怪や幽霊の相談を断るに断れないんだ」
善性というのは厄介なものだ。本心から困っている者たちを放っておくことができない性質をもっている。
器が良かったのか、妖力も使えるせいで妖怪か幽霊から助けを求められてしまう。
「昨日も話したがこの学校の裏は霊山だ。知る者は限られているけれど。妖怪も住んでいるし、幽霊も集まってくる。そうなると問題も起きるものでね」
幽霊や妖怪が人間に被害を加えるなどいった問題は、ひっそりと暮らす者たちからしたら迷惑でしかない。
人間が悪ふざけで煽るといったことも起こりえるため、解決してくれる存在は必要となる。
「それに薬師寺様が選ばれたと」
「厄介なことに妖怪には私が何者なのか見分けられてしまうからね」
神としての力はもうないので完璧に隠すことはできない。妖怪に見分けられては逃げることもできず、こうして手を貸しているということだった。
ただ、最近では問題が多発するようになって一人でやるのが大変になってきたので、助手が欲しかったのだという。
「キミは純粋で、ちゃんと会話もできるようだから丁度いいと思ったんだ」
「なんだろう、この複雑な感じ。でも、まぁ……聞いちゃったし、手伝うしかないかぁ」
どんなことするか興味あるし。そう言ってすんなりと受け入れてしまう千隼に風吹は吹き出す。
「なんで、笑うんですか!」
「いや、キミの潔さは面白いね」
風吹はくすくすと笑う。考えても分からないのだから仕方ないじゃないかと千隼はぶーっと口を尖らせた。それがまた彼の笑いを誘ったらしく、口元を押さえて笑いを堪えていた。
そんな風吹の様子にこんなふうに笑うのだなと思った。表情が無いというわけではないのだが、何処か読めないそんな彼もこんな顔を見せるのかと意外だった。
「では、同意も取れたということで、これからよろしく頼むよ。千隼」
「えっと、よろしくお願いします、薬師寺様」
「あぁ、私の事は風吹でいい」
「いや、それは無理ですって!」
様呼びされている生徒を呼び捨てにはできない。周囲から何を言われるか分かったものじゃないのだから。
いくら相手にしていないとはいえ、この全寮制男子校には親衛隊とかいう組織が存在する。要は人気のある生徒のファンクラブだ。
男が男に恋するのが当たり前なこの学校では普通なわけだが、風吹にだってあるかもしれない。
でも、風吹は名前を呼ぶことを望んでいる。うーんと千隼は腕を組んで考えてから、わかりましたと頷く。
「……風吹先輩? って感じでどうでしょう?」
「まぁ、それが妥協点か」
千隼の呼び方に風吹は「それで構わないよ」と微笑む。その端麗な顔立ちに映える真っ青な双眸は何を考えているのか読めない色をしていた。