「酷すぎる」
千隼はノートの束を抱えながら愚痴った。放課後となった校舎というのは静かなもので、部活棟じゃなければ生徒は殆どいない。
皆、さっさと寮に帰ってしまうのだ。部活動生以外が校舎内に残るのは基本的に許されず、見回りをしている風紀委員や教師に見つかると説教が飛んでくる。
千隼は数学教師にノートを職員室まで持ってこいと指示されたので、仕方なく放課後まで残っていた。そもそも、ノートを最後まで出し渋ったクラスメイトが悪いのだが。
「陽平はさっさと帰っちゃうしさぁ。あー、面倒くさいなぁ」
ぐちぐちと文句を言いながら一階にある職員室まで向かう。階段を下りて廊下を歩いていれば、ふと窓からグランドが見えた。
グランドをなんとなしに眺めて、あれっと思い出す。風吹にグランド側の廊下は通らないほうがいいと言われたことを。
ただの占いだと気にしなくてもいいかもしれないが、具体的な内容が千隼は気になった。どうしたものかと考えるために立ち止まった時だ。
窓が勢いよく割れた。ガラス片が飛び散り、ボールが壁に叩きつけられる。一瞬のことに千隼が固まっていれば、音を聞きつけて職員室から教師が出てきた。
ソフトボールが廊下に転がっているのを男性教諭が確認してから、窓の外へと目を向けたので千隼も見てみれば、ソフトボール部の生徒が「すいません!」と頭を下げていた。
男性教諭が声をかけているのを眺めながら千隼は肝を冷やす。もし、立ち止まっていなかったら自分はどうなっていたのか――想像するだけでぞっとする。
「薬師寺様の占い、当たってるじゃん」
千隼は風吹の占いに助けられたのだ。これはお礼を言うべきではないかとか、どうしてとかいろいろ浮かぶが、とりあえず彼の話しを聞きたいと急いで職員室へノートを届けた。
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もう帰ってしまっているだろうけれど、一応のために確認しようと中庭に続く外廊下を千隼は早足で進む。
花々に囲まれた中庭のテラスには誰もいない。やっぱり寮に帰っているよなと千隼が明日また訪ねようとして足を止める。
中庭の奥、旧校舎へと繋がる外廊下を歩く風吹の姿が見えた。藍色の長い髪を靡かせる姿は間違いなく彼だ。
今なら声をかけられるかもしれないと千隼は歩いていく風吹を追いかけていく。どうやら彼は旧校舎へと入ったようだ。
「旧校舎なんて、授業で理科室とかに行くぐらいしか入らないなぁ」
この高校は新校舎と旧校舎と呼ばれる棟があるのだが、新校舎は通常授業をする教室と職員室・図書室がある棟で、旧校舎は理科室や家庭科室など個別の授業に使う実技教室がある棟のことを指す。
授業以外で旧校舎に行くことが無く、部活棟という文化部の活動教室からも離れているので人気というのはない。よく、不良が屯っていると聞くが、風吹もそのうちの一人なのだろうか。
千隼は少し不安になりながらも風吹を探すように旧校舎へと入った。薄暗い廊下を確認してみると、奥の教室のドアが閉まるのが見える。
あそこにいるかと奥の教室までやってきて、そっとドアを開き――千隼は固まった。
「妖狐様、どうか懲らしめてやってくれよぉ」
「何度、言ったら分かる。私はもう妖狐ではない、人間に転生した元お狐様だ」
「それでも妖力はあるじゃあねぇですか」
中型犬ほどの狐が座っているだけでなく、人語を話している。狐の足元にはタロットカードがまるで縄のように腕に巻かれた少しばかり透けている男子生徒が呻いていた。
千隼は混乱していた。狐が人語を話していることも、透けている人間が呻いていることも。それと風吹が言った言葉にも。
「こいつはやっちゃいけねぇことやったんだから、懲らしめて……うげぇ!」
狐が千隼に気づいて声を上げれば、風吹がなんだと振り返って目を瞬かせる。千隼はそこで気づく、これは見てはいけないものではないかと。
「妖狐様、人間だ!」
「源九郎、落ち着け。地縛霊が暴れる」
透けている人間が暴れ始めて慌てて狐が押さえつける。風吹は仕方ないとタロットカードを一枚、取り出して構えた。
ふっとタロットカードに息を吹きかければぼっと青い火が灯る。風吹は燃えるタロットカードを暴れている透けた人間の上に落とした。
「あぁぁぁぁああ!」
つんざく悲鳴に千隼が思わず耳を塞ぐ。なんだと見遣れば、透けた人間が青い炎に焼かれて塵となった。
これは何が起こっているのだろうか。千隼が風吹を見遣れば、彼は「丁度、良かった」と視線を向けてきた。
「助手がほしかったんだ」
「……は?」
「暁星千隼だったね。千隼にはこの狐と幽霊が見えているのだろう?」
えっと千隼は狐を見れば、なんとも言えないといったふうに目を細めている。幽霊はもう消えてしまっているが、確かに狐は見えていた。
「この狐は野狐。妖怪と呼ばれる存在だ。燃えて消えたのは幽霊」
「え、え?」
「本来ならば視えないはずだが、キミは視えている。困惑はしているようだが恐れてはいない。これならば助手はやっていけそうだ」
いや、助手ってなんやねんと千隼は思わず突っ込んでしまった。話が全く見えないんだよと言えば、風吹は分からないのかと首を傾げてから「あぁ、なるほど」と一人、納得した。
説明ができていないというのを風吹は気づいたようで、「簡潔に話せば」と教えてくれる。この土地は少々、特殊なのだと。
「この全寮制男子校は街から離れて山のほうにあるだろう。この山は知られていないだけで霊山だ。その地脈の力がこの土地にも流れている」
霊山の力が流れてきている土地というのは色々な現象が起こるのだという。例えば、霊が集まってくる。妖怪などの人ならざるモノが力を吸うために屯するらしい。
地鎮祭などをしていたとしても影響力というのはあると話した上で、風吹は「私はこの辺りの妖怪に頼まれているんだ」と話した。
「いや、待って。それでどう納得しろと?」
「人ならざるモノをキミは見ているだろう?」
「そうだけど! もっと説明をしてほしいんだけど!」
「説明をするにはキミが私の助手になる必要がある」
助手になるならば全てを話すが、そうでなければ記憶を消させてもらう。風吹の発言にひぇっと千隼は声を零した。記憶を消すなんていう怖い単語を聞いて。
こういった人ならざるモノが実在すると知っていられると困るのだと風吹は言う。ネタにされるというのを彼らは嫌がり、下手をすれば危害を加えてしまう可能性があるから。
「それにキミは私が妖狐と呼ばれていることを聞いてしまっている。このまま帰すことはできないんだ」
「いや、そもそもの疑問なんですけど、どうして僕の記憶をすぐに消さなかったんですか?」
「キミは純粋そうだったからね」
純粋とは。千隼が首を傾げれば、風吹は「キミは純粋な興味で私に近寄ってきだろう」と答える。邪な考えは一切なく、ただ気になったからという淀みのない興味で。
どういった人物なのかを探るわけでもなく、ただ占ってもらい、結果を素直に受け止めた。「占いが当たったから私に報告しようとしたのだろう?」と、自分の考えを当てられて千隼は頷くしかない。
何せ、邪な考えなどこれっぽちも浮かんでいなかったのだ。ただの興味だったし、占いも当たってお礼を言うべきではと思ったから風吹を探しただけだった。
「キミは混乱しているし、状況を理解したいとも思っている。けれど、それよりも興味が勝っているのではないかい?」
にこりと笑む風吹に千隼はそれはと視線を逸らす。確かに混乱しているし、説明がほしいとも思っている。
でも、それ以上に興味があった。彼はいったい何者なのかと。
「キミが私の助手になるというならば、私が何者なのかも含めて全てを教えることを約束する」
「……それ、僕が受けると思ってるんですか?」
「興味が勝っているキミならば受けるだろう?」
「うぅ……否定ができないぃ」
千隼は眉を下げた。どう考えても興味が勝ってしまうのだ。首を突っ込めば面倒くさいことになるような気がしなくもないというのに。
「どうする?」
「……分かりましたよ」
自分の中で溢れる興味に千隼は勝てなかった。