始まりの物語。
深い森の中。
銀色の鱗に覆われた大きなエンシェントドラゴンは傷を受けていた。
それは同じ竜同士で争った時についた傷だった。
青き血を流す竜が出会ったのは、哀れな生贄の人間の少女だった。
目の前の人間を食べた方が精がついて、回復は早かろうと思われた。
しかし、怪我をし、血を流すドラゴンを見た生贄の少女は、痛みが少しでも和らぐようにと、歌を歌った。
ドラゴンが初めて贈られた歌は、癒しの歌だった。
それはおよそ、捕食者に贈られるようなものでは無かった。
それはとても優しくて、美しい歌声だった。
それが竜と無垢なる人間の女の、恋の始まりの物語。
始めて愛を知った竜の、恋物語。
そしてそれが、竜血公爵の、祖である。
◆ ◆ ◆
城の近くの小高い丘まで、ジュリウス様の馬に一緒に乗って来た。念の為にレースの目隠しはつけてきた。
白い花の咲き乱れる花畑に風が吹く。
軽やかに舞う花弁と、波打つように花達が踊る。
そこにジュリウス様の両親のお墓があった。
先代公爵様と公爵夫人の眠る場所。
ジュリウス様は少し淋しげな顔をするばかりで、ここが両親の墓だと説明してくれただけだった。
だから、代わりに私がご挨拶する。
私は周囲を見渡し、少し離れた場所に公爵家の騎士しかいないのを確認してから、目隠しのレースを外した。
「ご挨拶が遅れましたが、この度ご子息のジュリウス様と結婚いたしました。この地の平和と繁栄の為に尽力致しますので、どうぞ見守っていてください」
晴れているのに、柔らかな雨が降ってきた。
日本で言うならキツネの嫁入りである。
しばらくしたら、虹が出てきた。
「ジュリウス様、見てください、あの虹をベンチにして、ご両親が見守ってくださってるのかもしれませんね」
「……ふっ。夢見がちなお嬢様だな」
ジュリウス様は口の端を吊り上げ、笑った。
「……そうですね、物語を語るくらいには夢見がちかもしれません」
「そういえば悲恋の物語をメイド達に語ったそうだが」
「ええ。でもそれでも、あれは最後にはハッピーエンドになるんです。……来世で」
「来世か」
ジュリウス様に遠い目をされた。
彼は空の向こうを見ているようだった。
「でも今度は今世で幸せになる物語を紡ぎますよ」
「……そうか」
「今度は悪者もほぼいない優しい物語です」
「悪者がいない世界なんて、嘘くさいではないか」
「それはそうですが、創造主の意のままになるのが創作のいいところですよ」
「この世が残酷な神の支配するものでなければ、我々が今世で結ばれることもなかっただろうに……な」
彼は私に背を向けて、静かに語った。
風に靡くマントの内側の深い赤が目に入る。
「今度は優しい神様が拾ってくれるかもしれませんので! ゲホッ、ゴボッ」
急に叫んだら、咳が出てきてしまった。
忌々しい、この体。最近だいぶよかったから、油断した。
しかし、今世こそ幸せになる訳でなれば、どうして私は死に戻りをしたと言うのか。
再び残酷に死ぬ運命ならば、あまりにも救いがなさ過ぎる……。
「セシーリア、馬のところに行くまで、歩かなくていい」
ジュリウス様はそう言って、私を軽々と抱えあげた。
咳が出てきた私を気遣ってくれて、そのまま花畑の中を歩きはじめた。
口元をハンカチで押さえた私は、抗う事もなく、大人しくお姫様のように運ばれた。
天気雨に濡れた花畑の草花は、その身に集めた雫が陽光を受けていて、ひときわ煌めいていた。
◆ ◆ ◆
城の近くの丘にある、お墓参りに連れて行ってもらったその夜に、夢を見た。
なぜか懐かしい気分になる、傷ついた竜と生贄の少女の夢だった。
目が覚めて、朝の身仕度を終えて、ようやく屋敷内だけだしと、目隠しもせずに食堂へ行った。
そして着席早々にジュリウス様に告げられた言葉に衝撃を受けた。
「夫婦になったので、デビュタントのパーティーに出たら、皇室に挨拶も必要だ。それと、病弱でほとんどベッドの上にいたらしいがダンスはできるのか?」
「あっ」
「パーティーにはダンスがつきものだ。パートナーができたなら、なおさらのこと」
「そ、そうですね、体調もよくなってきたので、これから練習します」
「ダンスの教師を手配しておく」
「はい……でも外部の人に顔を見られたくないので、公爵家の騎士にダンスの得意な方はいらっしゃいませんか?」
「ああ……それでいいなら、そうしよう」
「ありがとうございます」
いよいよあの皇帝と会うことなると、気が重い……。
やはり目をつけられるのは怖いから、不細工メイクをさせて貰おうかな? そばかすとか描いて、アイシャドーや頬紅もアホみたいに濃くケバくして……。
パートナーのジュリウス様に恥をかかせることにはなってしまうけれど……。