入浴後に私が借りている部屋まで公爵家のメイドさんが寝室まで輝く湯をゴブレットに入れて持って来てくれた。
輝く……湯。
「聖水でございます……これでお顔を洗ってください」
どうやら洗面のための陶器の器内の水と混ぜて使えと言うことらしいけど……貴重らしい聖水を……本当に洗顔に使っていいの?
別に悪魔憑きじゃないのに、もったいなくない?
でも、首からにんにくを吊るしたメイドさんがすごい目で私がこれを使うのを待っている。
それで相手が安心するなら、使うか。
でも、顔を洗う為には、彼女の前で仮面を外さないといけない。
「あの、洗顔ではなくて、飲むでもかまわない?別に毒ではないのよね?」
「え、あ、はい、聖水ですから決して毒などではありません」
私はそろそろと顔の前でゴブレットを傾け、口につけて……ゴクリと飲んだ。
「あれ? わりと美味しい」
何故かスポーツドリンクみたいな味がする。
「お、美味しいのですか?」
「ええ、不思議と甘くて美味しいわね」
「何もお変わりありませんか? 体の中で何かが暴れるような感じとか……」
だから悪魔はいないのよ……。
「いいえ、ぽかぽかするくらいです」
「そ、そうですか……」
メイドは不思議そうな顔をした後、お辞儀して去っていったり
「行きましたね」
伯爵家からついてきたメイドがドアを開けて彼女が立ち去るのを確認した。
「あはは、ハトのポーズがそんなに怖く見えたとはね!」
「笑いごとではございませんよ、お嬢様」
「ごめんなさいね、もうヨガは諦めて温泉で歩くから」
そう言いつつ、するりとベッドに潜り込む私。
「いくら契約の為にあわれもない姿で閣下を誘惑したくとも、本当に湯当たりすると大変ですから別の案を考えてくださいね、伯爵令嬢としての品位を保ってください」
「ふふ、分かったわ」
「では、お休みなさいませ」
それから何事もなく、数日経った。
◆ ◆ ◆
〜 ジュリウス視点 〜
「閣下、例の植物学者がこちらに到着しました」
家令が待っていた知らせを持ってきた。
早速、応接室へと学者を呼び寄せた。
窓の外にはまだ雪がある。室内は煖炉の火が暖めてくれてはいるが。
「寒い上に離れているのにわざわざここまで来て貰ってすまないな」
「いいえ! 公爵様にお招きいただき、光栄でございます! それに避難しろと言われなければ家と共に雪に埋もれて死んでいたでしょうし、閣下は恩人です」
優しい大地色の髪に眼鏡をかけた優しげな男だった。年齢は四十代くらいに見える。とりあえず肝心な質問をしておこう。
「……今回、誰かに呼び寄せられて地元に帰省した訳ではないのか?」
「は? いいえ? 誰に言われなくてもこの季節は母の老体には厳しいでしょうし、淋しくしてるだろうと勝手に帰っております。それと、この季節にだけ咲く雪氷花を母に届けに」
「雪氷花……確か花弁が氷のように透明な……珍しく美しい花だな」
「はい、最近の研究で体にいいのが分かったのです」
「体にいい? それは……まだ余っていたりするのか?」
私の脳裏に体の弱い伯爵令嬢の姿がよぎった。
「はい、余分にとってありますが」
「それを買い取らせてくれないか?」
私は懐から小切手を出し、希望の金額を書かせようとしたが、
「とんでもない! 雪崩からの避難を呼びかけて下さった閣下は母と私の命の恩人ですから、差し上げます!」
と、断わられた。親想いの律儀な男だ。誰かと共謀し、何か悪い企みをするタイプには到底見えない。
せっかくだから研究資金に貰えるものは貰えばいいものを……。
「そうか、そなたに感謝を……。ところでこの花はどのようにして使うのだ?」
「煮出してお茶に混ぜます、ハーブティーなどに」
「凍らせて保存も効くか?」
「はい、乾燥させるより鮮度が保てますので」
お茶に混ぜるだけなら別に何も難しくはないな。
「ふむ……なるほど。しばらく……いい天気が続くまでここに滞在してくれていいぞ、移動も一苦労だからな」
「あ、ありがとうございます」
植物学者は人の良さそうな笑顔をみせた。
そして、私は貴重な花を譲ってもらい、彼は応接室を出たので執事に客室へ案内させた。
もし、彼が万が一、伯爵令嬢と関係があるなら、滞在中に接触を試みるだろう。
「……さて、せっかく体にいいと言う花も貰ったことだし明日にでも渡してやるか……」
私は花を己の氷結魔法で氷の中に保存し、銀の器の中に置いた。
これで……明日になっても枯れないだろう。