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第7話:大人と子どもの苦悩


『勘違いすんな。大人は気持ちがなくたってキスくらいできるんだよ』


戸惑う彩乃に言い放った言葉。

彼女は俺の言葉を聞いて大粒の涙を浮かべてたずねた。


『それってあたしのことからかったってこと?』


彩乃の声が震えている。

まるで、そうではないと言って欲しいとでもいいたげの顔だった。


『恋愛対象外って言ってる相手にも、そんなこと出来るの?』


だから俺は言ったんだ。

彩乃が求めている言葉とは反対の言葉を。


『出来るよ、俺は。別に恋愛対象じゃなくてもな。だからあんまり、男の前で油断すんなってこと』


そう、あくまでも注意喚起でやったんだ。

彩乃があまりに無防備だから。


大人として注意してやらないといけないと思ったから……。


だって、何も知らない彩乃のことを他の男が襲ったらなんて考えたくもない。

そうだ。


俺は、彩乃に教えてやるために……っ。


ぐるぐると頭の中で言い訳をする。


ひどくみっともない言い訳だと自分でも分かっていた。

そして彩乃は涙をぽたりとこぼしながら言った。


『最低だよ……っ』


ぼすんと投げつけられたクッション。

彩乃は、カバンを持つと、俺の家を飛び出した。


追いかけたい。

でも追いかける資格なんてない。


俺はひとりぼっちの部屋で静かに息を吐いた。


「最低か……その通りだな」


本当に俺は最低なやつだ。

彩乃を受け入れないと決めているのに、遠ざけることもしない。


ハッキリ言ってやらないクセして、まだ側にいて欲しいと思う。


中途半端なことをして、彩乃の時間を奪って……。


挙げ句の果てにキスなんかしておいて、突き放すなんて、最低なヤツだ。


『お前は恋愛対象外』


恋愛対象外──。

その言葉は、自分が彩乃を恋愛対象に見てしまわないための線張りの言葉にすぎない。


彩乃は恋愛対象外だと自分に言い聞かせてもうどれくらい経つだろうか。


好きになってはいけない相手を好きになったバツは俺に重くのしかかった。


彩乃との出会いは、俺が大学に上がると同時に、このマンションに引っ越して来たことから始まった。


初めての一人暮らしで慣れないことばかりだった俺。

俺は大学の課題とアルバイトに追われる日々を過ごしていた。


家賃や学費をまかなうため、居酒屋やコンビニのバイトを掛け持ちしていたが、それでも生活はギリギリだった。


「今日もインスタントラーメンで済ませるか……」


そうつぶやいて、キッチンの棚を開ける。


だが、そこにあるはずの袋麺はすでに尽きていた。


買い足す余裕も時間もなく、財布の中には小銭が数枚あるだけ。


「めんどくさいし、もういいか……」


仕方なく水を飲んで空腹をごまかし、眠気と闘いながらレポートを書き続ける。


俺は両親の医学を学べる学校に入って欲しいという反対を押し切り、経営学を学べる学校にやって来た。


そのため、家を出たとしても親からは援助はしないとハッキリ言われており、自分で生活をするしかなかった。


母さんは俺を心配して時折電話をしてきたが、父さんは俺が医者の道に進まなかったことを根に持っているようだった。


父さんのような医者にはならない。


それは俺がずっと思っていることだった。


親のしいた道を歩きたくない。

俺は自分の選んだ道を進んでいきたい。


その選択に後悔はなかったと、今でも思ってる。


しかし、食事を抜いたその翌日、アルバイトの後に帰宅する途中、体に力が入らずふらついた。


「……っ、ぅ」


目の前がチカチカと白くかすみ、気がつくとマンションの前の植え込みのそばにへたり込んでいた。


ヤベ……っ。食事抜いてた限界が来たか……。


早く立たねぇと、変な目で見られる。


焦っていたが、足に力が入らない。


もうどうにでもなれ、と目をつぶると、俺の顔をのぞきこむ相手がいた。


「大丈夫?」


優しい声が聞こえ、見上げると、一人の女性が心配そうにのぞき込んでいた。

それが彩乃の母親だった。


「顔色が悪いわねぇ。貧血かしら……ちゃんとご飯、食べてる?」

「……いや、あまり」


俺が答えると、彩乃のお母さんは俺に手を貸してくれた。


そしてそのまま俺を運ぶと、彩乃の母さんは自分の家まで俺を連れてくる。


「あ、あの……っ」


「こんな状態で放っておけないわ。その様子だとロクにご飯が食べれてないんでしょ?それなら、うちでご飯を食べていきなさい。めいいっぱい食べていいから」


そう言って、俺は彩乃の家に入ることになった。


「遠慮しなくていいから、たくさん食べてね。」


食卓に招かれ、テーブルに並べられる食事。

湯気の立つ味噌汁にふっくら炊きたての白ごはん、焼き鮭、卵焼き、ほうれん草のおひたし、そして肉じゃがが並んでいた。


すげぇ……。


こんな食事、どれくらい食べてないんだろう。


母さんが見送ってくれた日が最後かもしれない。


「いただきます……」


そう言って箸を取ると、ふわりとただよう出汁の香りが鼻をくすぐった。


味噌汁は優しい塩気と味噌の風味が、空っぽだった胃にじんわりと染み込んでいく。


「うまい……」


思わず漏れた言葉に、彩乃の母親は「そう?」と嬉しそうに微笑む。


ずっと寂しかった心が温かくなる気がした。


ちょうどその時、「ただいまー!」と玄関のドアが勢いよく開いた。


「お母さん、お腹すいたー! ねえ、今日のご飯なに? あ、あれ……?誰?」


リビングに駆け込んできたのは、中学生らしき女の子だった。


制服のまま、リュックを背負って急いで帰ってきたのか、髪も少しぼさぼさだ。


「彩乃も手洗って早くご飯食べなさい。後で紹介するから」


そういうと、彩乃はバタバタと足音を立てて、手を洗いに行った。


「娘さんがいたんですね……お邪魔してしまってすみません」

「いいのよ。食卓は多い方が楽しいでしょ?」


彩乃の母さんは本当に優しい人だった。

そして彩乃が戻ってくると、説明をしてくれた。


「この人、お隣のマンションに住んでる恭平くん。今日ちょっと体調が悪くてね。良かったらうちでご飯を食べない?ってお母さんが誘ったの」


「へえ〜! 恭平くん、よろしくね?はじめまして! 私は彩乃! 中学二年生だよ」


そう言ってピースすると、彩乃のポケットから何かが落ちた。


「あっ、やば……」


そう言って俺が拾ってみると、そこには。


【数学テスト 2点】


と書かれていた。


「2点!?」

「あ、えっとこれは……たまたまできが悪くて……」


「彩乃、また赤点とったのね!」


「へへ……っ、すみません……」


逆にどうやったら2点なんかとれるんだよ。

そんな点数とったことねぇぞ。


「 でも0点じゃないからセーフ!なんちゃって~」


彩乃は当時からかなりバカだったが、その明るさに俺は思わず笑ってしまった。


「……あはは!」


久しぶりに心の底から笑った気がする。


「ちょっと彩乃、恭平くんの前で恥ずかしいこと言わないの!」


彩乃の母さんが苦笑しながら彩乃を座らせる。


俺もまた箸を取り、ご飯を口に運んだ。


焼き鮭の塩気が絶妙で、卵焼きの甘さがそれを引き立てる。


肉じゃがのじゃがいもはホクホクで、優しい甘辛い味が口いっぱいに広がった。


それを噛み締めるうちに、不意に目の奥が熱くなった。


こんなにちゃんとしたご飯、食べたのいつぶりだろう……。


こんなににぎやかな食卓はいつぶりだろう。


自炊をする余裕もなく、適当なインスタント食品やコンビニのパンで済ませてきた日々。子どもの頃は当たり前のように食べていたはずの家庭料理が、今はどれほど貴重なものか思い知らされる。


やべ、なんか涙もろくなってんな。

視界がぼやけ、箸を持つ手が少し震えた。


慌ててうつむくが、それを察したのか、彩乃の母さんがそっと言った。


「よかったら、いつでも食べにおいで。こっちに出てきて自分で生計まで立てていかないといけないのは大変でしょう?」


「……ありがとう、ございます」


俺は涙をこらえながら、必死に言葉をしぼり出した。

それから俺はよく彩乃の家にお邪魔することになった。


あんまり頻繁に行くのは迷惑だと思っていたので、自分から行くことはなかったが、外で彩乃の母さんとすれ違うと彩乃の母さんはいつも俺を食卓へ招いてくれた。


その度に、彩乃とも関わるようになり、彩乃はすぐに俺に懐いていった。


『恭ちゃん、恭ちゃん!今度は一緒にゲームして遊ぼう!』


それから彩乃たちとの交流が続き、ある時に彩乃のお母さんから相談を受けた。


『彩乃の成績がね……全然よくならないのよ。うるさくは言ってるんだけど、どうも赤点を回避できないみたいで……ほら、恭平くん、頭いいでしょう?お金も払うから家庭教師をお願い出来ないかなって』


『僕でよければやりますよ』


『良かった……彩乃、恭平くんが教えてくれるなら勉強頑張ると思うし、安心だわ』


そんなこんなで、俺が大学を卒業する前くらいの1年くらいは、彩乃にはしっかり勉強を教えていたっけな。


そんなことを続けていくうちにどんどん彩乃と関わる日も増えていって、そのうちに、彩乃は俺の家にも出入りするようになっていた。


『恭ちゃん、遊びに来たよ!』

『お前……っ、また来たのかよ』


あまりいい家の出方をして来なかった俺は、受け入れてくれる人が少なかった分、彩乃が兄のようにしたってくれるのが嬉しかったんだろう。


彼女を家に入れることが多かった。


1人だとモヤモヤ考えていたことも、彩乃が来てからがくんと減った。


しかし、それが間違いだったんだと後で知ることになる。


一緒にいるに連れてだんだんと彩乃は気持ちを口にするようになった。


『恭ちゃんが好き!』

『本気で好きなの……っ』


まっすぐな言葉は俺の心を動揺させる。

彩乃が本気で俺を好きだと言っている。


このままじゃダメだ。

だってこんなに年が離れた相手を好きになるのは健全ではないから。


彩乃を遠ざけないといけない。

お前の進むべき道はそっちではない。


分からせないといけない。

そう思っていたのに……うまくできなかった。


『お前は恋愛対象外だから』


どんなに突き放しても彩乃が俺から距離をとることはなかった。


彩乃が俺の家に来るたびに、諦めさせるために言ったタイプの大人っぽい女性になろうと努力してきたり、無理矢理苦いコーヒー飲んで見せたり、そんなバカみたいなことをしてアピールしてくる。


健気で可愛らしくて、それでいて怖いとも思った。


その純粋さにつけこむ人間もいるんじゃないか。

そうなったら彩乃はどうなってしまうんだろう。


何も知らないくせに、真っ直ぐ俺の心に突き進もうとする。

それでいてくれた方が安心なんじゃないかって思ってしまうんだ。


バカだよな……。

大人とか言って格好つけておいて、本当は俺が一番ズルい人間になっている。


彩乃の恋心を受け入れないクセにハッキリと断ることもしない。


「はは……っ、ダッセーの。ただ自分のものにしたいだけじゃねぇか……」


俺はベッドに身体を預けて深いため息をついた。


『勘違いすんな。大人は気持ちがなくたってキスくらいできるんだよ』


そうやって言い放った次の日。

当然、彩乃は俺に会いに来ることはなかった。


これでいい。

これが潮時なのかもしれない。


このまま彩乃が俺に会いに来ることが無ければ、すべてがキレイに終わる。

だいたいなんだよ。


社会人の俺が高校生の彩乃の一緒にいるってだけで世間の目は白い目だ。


そんなの当然。当たり前のことだった。

それを分かっていなかった俺が悪いんだ。


それから5日が経った。

彩乃は相変わらず、俺の前に姿を現すことはなかった。


「あークッソ、このデーター入力ミスってる……」


俺がパソコンの画面とにらめっこしていると、上司の坂本さんが分厚い資料を抱えてデスクへとやって来た。


「三谷、この案件をお前に任せたいと思っているんだがどうだ?」


そう言いながら、坂本さんはどさりと資料を置いた。

俺は驚きつつも、その束を手に取る。


表紙には、大手飲料メーカーのロゴが大きく印刷されていた。


「……これ、俺にですか?」


かなりデカい案件だった。

俺はついこの間も大きなプロジェクトを任せてもらったばかりだった。


「ああ。今年の目玉商品だ。ターゲット層の選定からプロモーション戦略、広告展開まで、一通りプランを作ってもらう。前回のプロジェクトも上手くいって、みんなお前の企画力を買ってるんだ、よろしく頼むぞ」


「分かりました」


仕事はかなり上手くいっている。

喜ばしいことではあるが、どうも気持ちが乗らない。


「はぁ……」


昼休みになり、俺は同期と飯を食いながら大きなため息をついた。


「おいおいどうしたんだよ、三谷。お前……大きなプロジェクトまた任されてたじゃん!そんなため息つくようなことないだろう?」


「それはありがたいことだけどよ……」


「何?お前でもプレッシャー感じてんの?」


「そうじゃねぇけど」


今、俺は同期である千葉雅也(ちばまさや)と昼飯を食べに来ている。

広告代理店の営業職をする俺たち。


食事をした後もまた外に出て、アポをとっている取引先にプレゼンをしないといけない。


「俺そんな分かりやすいくらい落ち込んでるか?」

「ああ、すっげーよ?落ち込んでますって顔に書いてあるわ」


「別に落ち込んではねぇし……」


そういいながらもテンションが低いのは自分でも気づいていた。


なんなんだろうな。

たかだか彩乃が俺の家に来ないだけの話しだろう。


蕎麦をずずっとすすりながら笑う千葉とはこの会社に入社する時の研修で出会った。


髪をワックスで立たせて、ペラペラとしゃべる彼の姿は決していいイメージでは無かったが、同じ班でグループワークをすると、意外にもしっかり周りをまとめてくれて、印象が変わった。


コイツは仕事には熱心な男なのだ。


それから1週間の研修を通して千葉と仲良くなり、配属先すらも同じというキセキまで起きて今に至る。


現在俺の全てを知っている親友ってやつだ。


「何、もしかして彩乃ちゃん関連?」


そう、厄介なことに彩乃のことまでも。


「はぁ……」


深くため息をつけば、ヤツは嬉しそうに目を光らせて聞いて来た。


「図星?図星?何しちゃったの?」


俺、なんでコイツに彩乃のこと話したんだろう。


絶対に間違いだった。からかわれるってことは分かっていたはずなのに……。


ああ、そうだ。

飲み会でコイツに飲まされ、色々しゃべっちまったんだ。


学生時代にBARで働いていたという千葉は人に酒を飲ませるのがかなり上手かった。


まんまとそれに乗って話しちまうんだから情けない。


「泣かせた……」


俺がしぶしぶ口を開くと、千葉は持っていた箸をおいて俺を茶化す。


「またかよ。よっ、恭ちゃん!泣かせるのうまいねぇ~」

「からかうなよ」


そう怒りつつもホントの事だから否定出来ないところが悔しい。


泣かせるか、傷つけるかしてばっかりだもんな。


「なんで泣かせたの?」

「恋愛対象外だって言ってまぁ……色々と」


言葉を濁して告げると、千葉は真面目な顔をして言う。


「てかさぁ、泣かせるくらいなら気持ちに答えてあげればよかったんじゃないの?お前だってさ、今付き合ってる相手とかいないんだろ?」


「そんな気軽に付き合えるわけねぇだろ。相手は高校生だぞ?」


「それがどうした?男ならそんなこと気にせずドンっと気持ちぶつけて来いよ」

「そんな簡単な話じゃねーんだよ」


千葉はよくも悪くも考えが軽すぎる。


お互い社会人ならまだいい。

だけどまだ学生で、しかも高校生の彩乃と付き合うなんて考えられる話ではない。


「俺だったらそんなピュアにアピールしてくれる言葉を拒否することなんて出来ねぇけどな」


「お前の性格が羨ましいよ」


「実際さ、三谷は彩乃ちゃんのことどう思ってるわけ?特別に思ってるんじゃねぇの?」


「特別……」


特別と言われればそうかもしれない。

でもそれは恋愛としての特別ではない。


「恋愛対象外。それ以外でもそれ以下でもねぇよ」

俺がそこまで言うと、千葉はふーんと意味ありげな笑みを浮かべて来た。

「この前社内1美人って言われてる島田さんに告られて、フったのは誰だったかな~」

「あれは別に……タイプじゃなかったんだよ!」


千葉は疑いの目を向けて見ながら、残りの蕎麦を口に運ぶと言った。


「お前が彩乃ちゃんに伝えたタイプ、まんまだと思うけどなー」


はぁ、これだから話すんじゃなかった。

楽しそうな顔した千葉は蕎麦をキレイに平らげると箸をおいた。


腕につけた時計を見る。


そろそろ戻らなくてはいけない時間だ。

俺も箸を置いて横にあった水をごくりと飲んだ。


「でもさ、」


すると、千葉は急に真剣な顔をする。


「どっちかにしてやれよ?中途半端なことしてるとお互い辛いだけだからよ」


本当にその通りだ。

珍しく千葉にしてはまともなアドバイスだった。


大事にしたい、でも離れないといけない。

そうやって自分と葛藤してるから彩乃のことを傷つけてしまうんだ。


きっぱりけじめをつけて、兄という存在に戻ること。

それが俺のすべきことだ。


「じゃ、ごちそう様でーす。三谷くん」

「はぁ?」


「悩み事聞いてやっただろ?それにお前もう出世確定だしぃ?」

「はぁ……都合のいいヤツ……」


陽気に手を合わせるこいつに俺はしぶしぶお金を払ったのだった。


午後──。

職場に戻ると、さっそく上司から外出の指令が出た。


「丸山商事のアポが取れたから三谷くんと千葉くんのふたりで行って来てもらっていいかな?」


「はい、分かりました」


大きなプロジェクトを進めながらも、普段の取引先とのやりとりも続けていかないといけない。


今回は先方の担当者が変わるために挨拶に行く必要がある。


「千葉、行くぞ」

「おう」


ふたりそろって営業に向かう。


最近は外回りが多いけど、コイツと一緒に仕事出来るのは悪くない。


千葉も人当たりがよく、取引先の人との会話を膨らませるのが得意だ。


先方に挨拶をして、新しく変わった担当の人と挨拶をし、資料を渡し説明をする。


丸山商事の商品を見学させてもらったら、2時間が経っていた。


それから上司の指示で近くの営業先、もう1件会社を周ると、このまま直帰していいという指示が出た。


「ふー終わった。なぁ、俺らがふたり同時に上がれるのレアだしこれからちょっと飲んで帰らねぇ?」

「あー……」


「どうせ家居ても彩乃ちゃんは来ねぇよ?」

「分かってるよ!別にそういうつもりで渋ったんじゃ……」


途中まで言いかけた時、反対側から歩いてくる女子高生のふたり組みを見つけて俺は立ち止った。


彩乃だ……ロングヘア―の友達と一緒に歩いている。


久しぶりに見た彩乃の姿。

気づいたら小さく声に出していた。


「久しぶりだな……」


それを聞いた千葉は俺の視線を盗み見て、何か思いついたかのように言う。


「あっ、もしかして向こうにいる子、彩乃ちゃん!?1回だけ写真見せてくれたよな。なぁ、話しかけに行こうぜ」


ワクワクしながら俺の肩を組む千葉。

本当にコイツ、楽しんでやがる。


「俺はもう会わねーって決めたんだよ」

「そんな意地張ってないでほら」


「おい、やめろって」


グイグイ俺の肩を引きながら彩乃のところに向かっていく。


どんどん距離は縮まっていき、ついに千葉はふたりに話しかけた。


「こんにちは」


ったく、何してんだよコイツ。


急にスーツ姿の大人が話しかけてきたらビックリされるだろうが。


学校帰りに友達と遊んでいたのか、買い物袋を持っている。


友達が不思議そうにこっちを見る。


すると彩乃は小さい声でつぶやいた。


「恭ちゃん……」


目が合って気まずそうに逸らす彩乃。

そりゃそうだよな。


彩乃は俺のこと避けているんだから。


すると、そこに千葉が割って入って来た。


「そう、俺恭ちゃんの友達の千葉って言います。ちなみにコイツの同期ね?」


へらっと笑って俺を指をさす。

そんな彼に、いや俺にというべきか横にいた友達が強い口調で言った。


「何か用ですか?」


大人っぽいけどかなり気が強くピリピリしている。


きっと俺のしたことを全部知ってるからなんだろうなと思った。


どう答えればいいか、そんなことを考えていた時、千葉は空気も読まず話を続けた。


「キミ、なんて名前なの?モデルみたいだね」


いや、チャラすぎだろ。

あっち怒ってるって分かんねぇのか!?


明らか引いてるし……って、人のこと心配してる場合じゃないか。


彩乃を見ると、パチっと目が合う。


しかしぷいっと顔を逸らされた。

これはもう、ここにいるなってことだ。


「おい、千葉……行くぞ。こんなところで油売ってるヒマねぇだろ」


俺が千葉の手をとり、ここから去ろうとした時、彩乃が俺を呼び止めた。


「恭、ちゃん!」


俺はゆっくりと振り返る。

すると彩乃はいつもみたいなへらっとした笑顔はなく、俺に言い放った。


「もう言わないから安心して」

「え?」


「大丈夫。もう恭ちゃんのこと、好きって言わないし、恭ちゃんのところにはいかないから」


俺はさみしそうな顔をしている彩乃を見る。

しかし最後には笑顔に戻ってへらっと笑った。


そんな彼女を見て、傷つく資格はない。


当然、手を伸ばす資格もない。


「そう、か……」


俺に出来るのはそう答えることだった。

すると。


「もう行こう、彩乃」


彩乃の友達が手を取って歩き出した。

そして、千葉に一言だけ言い残していく。


「私、チャラい人無理なんで」


ふたりは駅の方に向かって行ってしまった。


「あーあ。恭ちゃん嫌われちゃったね」

「お前すげぇな。女子高生にズケズケと……」


「女子高生女子高生ってさぁ……お前、そういうの考えすぎじゃね?別に大人だって女子高生と話すくらいするだろうがよ。お前が彩乃ちゃんと出会った時だって、そんなん全然考えてなかったわけだろう?そうやって線引きしてるのは、世間じゃなくてお前の方なんじゃねぇの?」


俺は千葉の言葉に唇を噛みしめた。


そりゃ線引きするだろう。

あんなふうに好きだと伝えられたら、俺と彩乃は生きている世界が違うんだと伝えるだろう。


そうでもしないと……俺は……。


「彩乃ちゃん、言ってたな。もう好きって言わないから安心して、ってさ……女子高生にそんなこと言わせて、可哀想に。もうちょいしっかりしろよな恭ちゃん」


千葉の言葉を聞きながらも、もう見えなくなってしまった彩乃の後を見つめる。


「しっかりか……」


ぐっと力強く手を握る。


「そうだな」


ふり絞るように発した言葉はひどく情けないものだった。


しっかりしないといけない。

何も変に遠ざける必要なんてないんだ。


俺が彩乃の兄的存在でいればそれで良かった。


そうやって、必死になって線引きしているのは、俺が彩乃のことを意識しているからかもしれない。


それから俺は飲みに行く気分になれなかったので,千葉の誘いを断ってそのまま家に帰った。


たった5日しか空いていないのに、彩乃に会ったのが久しぶりに感じた。


『もう言わないから安心して』

『大丈夫。もう恭ちゃんのこと、好きって言わないし、恭ちゃんのところにはいかないから』


彩乃はどんな気持ちでそんなことを言ったんだろう。


俺が言わせたんだよな……。

俺はゆっくりと自分の部屋の鍵を開けた。


「……ただいま」


誰に言うでもなく、ぽつりとつぶやく。


部屋の中は暗く、静まり返っていた。


いつもはマンションのエントランスのところで彩乃が待っている。


どんなに寒くても、俺が帰ってくるのを笑顔で待っている。


それがないのはやっぱり……。


「さみしいもんだな……」


廊下の電気をつけると、冷えた空気が肌に触れた。


静まり返った家。

うるさくてウザいくらいの彩乃の声を思い出し、自分をあざ笑った。


いつもは逆なのにな。

帰れって追い返すのに、いざ来なければさみしく思うなんてほんと、俺は自分勝手なやつだ。



そして次の日──。

まだまだ冷え込む寒空の下、俺は外回りに行っていた。


「寒……っ」


これで3件目の営業が終わった。

今年からジャンルを問わず、広い範囲での受け入れをするようになったから外回りが格段に増えた。


企画書も作ったりしないといけないから、今日は残業だな……。


腕時計を確認する。


今、16時か……。


次のアポの時間までもう少し時間があるな。


どっかカフェにでも入って時間潰すか……。


そう思っていた時、俺の目の前で影が揺れた。


「よお」


エラそうにポケットに手を突っ込んで声をかけて来たのは、この間彩乃の隣にいた男で確か、良樹(?)とか紹介してたっけか。


コイツ……何しに来たんだ。

挑発するような笑みを浮かべてこっちを見る。


「こんばんは、お兄さん」


突然なんだ?

目を逸らすことなく、まっすぐにこちらを見つめる。


何かを伝えたい意思があることが感じ取れた。


前あった時もこっちをにらんでいるような感じだったし、おおかた彩乃関連であることは間違いないだろう。


「キミ、彩乃の知り合いだよね?何か用かな?」

「ちょっと話したいんすけど」


彼はぶっきら棒にそう言った。

まぁいいか……30分くらいなら時間はある。


「じゃあそこの喫茶店にでも入ろうか」


俺はすぐそこにある喫茶店を指差し中に入ることにした。


「好きなの、頼みな」


そう言ってメニューを渡すと、彼は少し悩んだ顔を見せて炭酸ジュースを頼むことにした。


俺はブラックコーヒーを頼むと、しばらくして店員が机に運んでくる。


それまではお互いに何も話さなかった。


コーヒーを一口飲んだ時、彼がポツリと言う。


「社会人ってヒマなんすか?こんなところでお茶とか」


は?何言ってんだ、コイツは。


嫌味かよ。

お前が話したいことがあるつーから時間作ってんだろうが。


イラっとするけれど、ここで表情は崩さない。


あくまでも冷静に、相手は6才も下だ。


相手にした方が負けだ。


「キミが話したいって言うから時間作ったんだよ」


ニッコリと笑顔を作ると、彼はふんっと鼻で笑った。


「ふぅん。時間作れるくらい余裕はあるんだな、案外楽そうじゃん?社会人」


ちっ、コイツ……。つくづく人をイラつかせるな。


こんなガキに構うほど、ヒマじゃねーんだよ。


「それはどうかな。キミたちがワイワイおしゃべりしてる時にこっちは、おエラいさんとビジネストークだ。まぁ……そんな想像も出来ないと思うけどね」

「はっ、なに恰好つけてんだよ」


バチバチと火花が散る。

しかし俺はガキのペースに乗ってる場合じゃないと、我に返って手を組み仕切り直した。


「それで話って?」


俺がそう聞くと、ヤツは目つきを変えて話し始める。


「お前……少し前に彩乃に何かしただろう」


彼に尋ねられ、俺は黙り込んだ。

この男がどのくらい知っているのか。


彩乃とはどのくらいの仲なのか、俺には分からない。


でもこうやって俺とコンタクトをとってくるくたいだから、彩乃のことを特別に見ていることはたしかだ。


「……してないけど」


俺は相手の様子を伺いながらもそう答えた。


「ウソつけ!アイツ、やっと笑顔が戻って来たと思ったのに、また落ち込んでやがった」


拳をギリっとにぎりしめながら、そんなことを言う。


ずいぶんよく見てるんだな。

高校生同士のピュアな恋愛。


キレイなもんだ……。


彩乃にもそういう恋がピッタリだ。


俺のように泣かせることしか出来ない相手よりも、こうやって彩乃のことを見てくれるそんな相手。


頭ではそう分かっていつつも、気持ちはそう思えなかった。


「そうだとしてもキミにそんなこと関係あるの?」


泣いていたという情報しか知らないのなら、彩乃から直接話を聞いたわけじゃないだろう。


あくまでそれまでの関係だということ。

きっとコイツも自分の気持ちを伝える勇気が無いんだろう。


だからこうやって裏で動くことしか出来ない。


「キミは彩乃の何なのかな?ただの友達だったら出すぎた真似をしすぎじゃないかな?」


俺は余裕たっぷりにそう言い放つ。

そしたら何も言えなくなるだろうって、そんなことを考えていた俺は甘かった。


「関係なら、ある。彩乃に告白したんだ」


告白した……。

俺は目を見開いた。


そしてさらに事実を落とされる。


「ついでに今度の日曜日デートに行く約束もした」


──ドクン。


デート……。


そうか。

彩乃は選んだのか。


自分が幸せになる選択を。

ああそうか、勇気がないのは俺だけか。


情けない、勝ってたつもりでいてとっくに負けていたなんて。


バカだな、俺も……。


だけど俺は大人だ。感情をうまく隠すことくらい出来る。


「そうなんだ。それはおめでとう。でもそれをわざわざ伝えてどうするのかな?」


俺の淡々とした言葉に彼は真面目な顔をして言った。


「もう彩乃に関わるなつってんだよ。社会人なら社会人同士、恋愛してろ。俺らの恋に入ってくんじゃねぇよ」


じっと彼を見る。

まっすぐで純粋だ。


彩乃と似ている目をしている。


「言われなくてももう関わらないよ」


まだまだ世間を知らない甘っちょろいガキだ。


でもそれでいいのかもしれない。

彩乃だって、同じくらいの人と恋をしている方がいい。


コーヒーのカップを持って口をつける。


その時、彼は小さな声で言った。


「お前、彩乃が好きなんだろう」


俺の手が止まる、俺はコーヒーを飲まずにカップを置いた。


「どうしてそう思うの?」

「知らねぇ、直感だ」


「根拠もないのに決めつけるのはやめて欲しいな。俺たち大人は子どもを見たところで恋愛対象には思わないんだよ?まぁ……兄みたいな気持ちではいるから、変な男が寄ってきたら、嫌だなとは思うけどね。それも最近じゃ過保護だったかなと思ってるよ」


お互いに睨み合う。

そして彼は言った。


「好きなクセに好きじゃないフリをする。大人ってヤツはずいぶん余裕が無くて情けねーな?」

「…………」


チッ、このガキ……。

でも何も言えなかった。


若い時のように勢いで気持ちを伝える勇気も勢いで受け入れてやれるほどの力もない。


もっと昔はこんなこと考えなかったのにな。


「キミが羨ましいよ」


こうやって勢いで行動できるところ。

好きだと、なんの恥ずかし気もなく言い放てるところ。


そういうのを見ていたら、俺もだいぶ年をとったのかもしれない。


俺は腕時計を見ると席を立った。


「もうそろそろ時間だから行くよ。はい、ここは払っておくからお勉強でもしてな。ガキはガキらしく、ね?」


ニッコリと笑顔を作り、最後の足掻きとして、ひとこと言ってやると、俺はお札を置いて、その場を去った。


俺もたいがいカギだな……。

あんな子どもに乗せられてるようじゃ……。


外に出てほう、っと息をつく。


「情けねぇな、」


なにむっつも下のヤツにムキになってんだよ。


大人は、とか子どもだから、とかそんなのは逃げる言い訳に過ぎない。


そのことをとっくの昔に気づいていたのに、俺は今でも知らないフリをしてその言葉を使ってる。


分かってる。


『好きなクセに好きじゃないフリをする。大人ってヤツはずいぶん余裕が無くて情けねーな?』


「ほんっとに、情けねぇ……」


宣戦布告されて、嚙みついてるんだからよ。


俺は空を見上げてつぶやいてから、歩き出した。


彩乃が幸せになれればなんでもいい。


あの青クサイガキだって、あれだけまっすぐな目をしているなら彩乃の守ってやれるはずだ。


俺のお役目はこれで終わり。

兄としての役割も、彩乃に会うのもこれで終わりだ。


幸せになれよ。

それで、高校生らしい恋愛をしろよな。


空はからっと晴れているのに、心はなんだか寂しさに包まれていた。

どうしてこんな時に、無理してブラックコーヒーを飲む彩乃を思い出してしまうんだろう。


「苦……っ」


大人だって時々、コーヒーを苦いと思うこともあるんだ──。




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