休日を終えた月曜日。
あたしは学校で土曜日の出来事を麻美に話していた。
「へー、お姉さんいたんだ」
「うん、アメリカに住んでたみたい。恭ちゃんったらそんな話し今まで一度もしてくれないから私もビックリしたよ」
あ、でもあの後、家に帰ったらお母さんは知ってたんだけどね。
なんだかんだあたしよりもお母さんとの方が恭ちゃんはしゃべってるんだよね~!
まぁ、お母さんは大学生の時に恭ちゃんが空腹で倒れてたのを発見してから、あたしたちの晩御飯に招いたり、残り物のおかずをおすそわけしたりっていう経緯があるからなんだけど。
でも、楽しかったな、あの日。
ぼーっと土曜日のことを考えていた時、突然頭に何かがぶつかった。
──ゴツ!
「痛っ!」
鈍い音を立てて頭に当たったそれは、誰かの体育着袋で、そこには憎きアイツの名前が書かれていた。
「ちょっと良樹、これ投げたでしょ!?」
「おー悪りぃ、悪りぃ。手が滑っちまったんだよ」
ヘラっと笑いながら全く悪びれる様子を見せない彼の名は、山本良樹(やまもとよしき)。
クラスで一番のお調子者で、何かと私に構ってくるヤツだ。
明るい金髪のふわっとした髪型を無造作にセットしていて、目は鋭く切れ長がち。制服は第二ボタンまであけていて、ズボンは腰パン。いい感じに着崩している。周りが言うに、黙っていればイケメンらしい。
「でも、川上さんに当たらなくて良かった。お前なら頑丈だし当たっても問題ないよな」
「はぁ!?どういうこと?私も女の子なんですけど!」
良樹の悪態に強気で言い返す。
すると、彼はさらに私をバカにして来た。
「え?お前、女だっけ」
……ムカつく。
何がイケメンよ、黙ってても、しゃべってても全然カッコよくないし。
でも今日は良樹の挑発には乗らない。
あたしは大人の女性を目指しているんだから、こんなことで怒ったりしないの。
「あれ、反応ねぇな。お前元気だけが取り柄なのに、それすらも無くなったのかぁ?おーい、おーい」
だんだんとイライラが溜まる。
だけど我慢、我慢。
大人なあたしは子どものざれごとなんかに反応しないのよ。
「おい、ブース反応しろよ」
しかし。
「ブスですって!?」
ぷちんっと堪忍袋の尾が切れると、あたしは良樹の体育着袋を持って追いかけた。
「待てー!」
「こっちまで投げてみろよ、届くならな」
「言ったな、体育5をなめるなよー!」
走る良樹を追いかける。
そんなあたしをクラスの人たちは、また始まったかとばかりに見ている。
「はぁ……は、良樹のやつ、逃げ足は速いんだから」
周りの人をスルスルと避けながら廊下を走る良樹。
「でも捕まえたもんね~!」
そんな彼をおいかけて、非常階段のところまで来ると、私は勝ち誇ったように、にやりと笑った。
「ふ、もう終わりね」
良樹の背中には壁。前にはあたしがいる。
ついにおいつめた。もう逃げられないわよ!
遠慮なく、体育着袋を構えて投げようとした時、良樹は言った。
「キャア、彩乃ちゃん怖いー」
「ぷっ……」
わざと高い声を出して怖がるそぶりを見せる良樹に、思わず笑ってしまった。
すると。
「隙あり、」
「あっ」
その隙に構えていた体育着袋を良樹に奪われた。
「あっ、卑怯だよ!」
そんなあたしに向かって、良樹はもう一度体育着袋をぶつけてきた。
「痛……っ、良樹~!!」
腕を振り上げるあたしに運動神経のいい良樹はくるっと反転して、さっき来た廊下をまた走りだす。
あたしも良樹に負けないように全力を出して追いかけた。
その瞬間。
──ドンー!
先を走っていた良樹が誰かとぶつかった。
「おわっ、すいま……」
そこまで言って顔を見た時、あたしと良樹は青ざめた。
だってそれは、鬼教師の代表とも言われる数学の教師、諏訪部先生だったから。
「おい、お前ら廊下は走らないって小学校の時、習わなかったかなぁ?」
「ひ、ひぃ……」
こうやって少し笑顔を浮かべているということは、最上級に怒っているということ。
なんたってあたし達、注意されるのはこれで2回目で、1回目も諏訪部先生にかなりキツく怒られていた。
こ、これはかなりマズいかも……。
「2回注意されたらなんて言ったか覚えてるか?」
「「ご、ごめんなさい」」
諏訪先生のドス黒いオーラに私たちは揃って小さな悲鳴をあげる。
「お前ら、今日の放課後。多目的教室の掃除決定な!徹底的にキレイにしてもらうか」
「は、はい……っ」
そして、私たちはその笑顔で地獄に突き落とされた。
多目的教室は使っていない空き教室のことで、ものすごく汚いとウワサされている所だ。
これはすぐ帰れそうにない。
あたしには恭ちゃんに会うための準備があるのに!
「お前のせいだからな」
「元はと言えば、アンタのせいでしょ!」
再び言い合いを始めると、先に歩いていた諏訪部先生がくるりと振り返ってあたしたちをにらむ。
目が合ってにこっと笑ったら、先生は言った。
「またケンカするようなら、さらにバツを増やすぞ」
「そ、それだけはご勘弁を……」
「それならサボらず来るように」
あたしたちの気の抜けた返事は1限目が始まるチャイムの音によってかき消されたのだった。
良樹のせいだ……!
良樹がケンカなんか売ってくるから……!
お互いににらみ合い、あたしたちはふんっと顔をそむけて教室に戻った。
そして今日の授業を全て終えて、やって来た憂鬱な放課後──。
「じゃあ頑張ってね」
カバンを持って帰っていく麻美はルンルンで帰っていった。
「うう、麻美……」
ワンチャン手伝うよって言ってくれるかなって期待したのに、麻美に多目的室の掃除をすることになったと告げたら「バカね~」と一括された。
あたしが大人じゃなかったばっかりに受けてしまったバツ。
これは自分たちでなんとかするしかない。
悲し気に麻美の後ろ姿を見守った後、多目的室に行くと、そこにはまだ誰もいなかった。ホームルームの時から姿が見えなかった良樹。
一体どこに行ったんだか。サボったら本当に許さないんだから!
「それにしても汚いな……」
光も入らない 薄暗い部屋。
長い間使われていないのかそ部屋は、ホコリの匂いがしてくしゃみが出そうだ。
机とイスも乱雑に置かれているし……本まで散らばって……教室っていうより使われていない倉庫みたい。
早くやらないと時間かかちゃうだろうからな。
あたしは先にはじめることにした。
散らかった本を取り、本棚に並べていると……。
──ガラッ。
やっと良樹が入って来た。
「わり、遅れた」
「遅いよー」
「その分早く動くからよ」
文句を言いながらもふたりで掃除を始める。
すると、意外にも良樹は黙々と作業をこなしていった。
「なんか、良樹ってこういう時はあんまり話さないよね」
「どういう意味だよ?」
「いや、教室にいる時はお調子者なのに、こう静かな所でふたりになると急に大人しいなーって思って」
前に、怒られて資料探しをさせられてる時も、言い合いしながらやることになるかも、なんて思っていたら、そんなことはなく、淡々と作業したことを覚えている。
「もしかしてさ、案外あたしとふたりきりで照れてるとかある?」
私がいつもの冗談を言うと、良樹はバッと顔を上げていつもの悪態をついてきた。
「バ……バカじゃねぇの、誰がお前みたいなブスといて照れるかよ!」
「あっそ、ブスで結構ですよー」
もう慣れたし……。
イラっとはしたものの、ここで言い返すと、また片付けの時間が長くなってしまうので怒りを抑えつつ嫌みだけを返した。
すると、良樹は小さい声で何かをつぶいた。
「…………、だよ」
「ん?」
「ウソだよ」
ウソ?
どういう意味のウソだろう。
不思議に思って良樹を見ていると、彼はあたしから目をそらしながら小さな声で言った。
「お前でも……少しは可愛い時くらいあると思うつーか、ブスとまでは思ってねぇというか……」
「どういう意味!?」
思ってないなら言う必要なくない?
「意味分からないんだけど!」
「わ、分かるだろ、ブス!あっ……」
クセになってるってこと?
「ブスが口癖になってるなんて女の敵ね、良樹は!」
「そんな言葉お前にしか言わねぇよ!」
「はぁ!?」
やっぱりあたしのことブスって思ってるんじゃない!
そうね、麻美に言ってるところなんて見たこと無いし、どうせあたしはブスですよ~!
もう、意味が分からないし。いいや、さっさと掃除して早く終わらせよう。
良樹は無視してホウキで床を掃いていると、今度は静かに、落ち着いた雰囲気で彼は聞いて来た。
「お前……まだあの年上のこと好きなのかよ?」
「恭ちゃんのこと?うん、好きだよ」
あたしがクラスの中で恭ちゃんの話をよくするので、あたしにちょっかい出してくる良樹にも、恭ちゃんという年上の男が好きだってことがバレていた。
「年上なんてさ……やめとけよ」
「なんで良樹にそんなこと言われなくちゃいけないのさ」
「そ、それは……お前が惨めにフられていくのは可哀想だと思ってだな……」
「そんなこと思わないで結構。あたしはあたしで頑張ってるんです!」
「……っ、いや。そうじゃなくて、あのさ……俺がお前のこと……っ」
良樹がもごもごしながら何かを言おうとした瞬間、ガチャっと音をたてて、諏訪部先生が入って来た。
「ちゃんとやってるか?」
「はい、このくらいはなんとか……」
私が答える。
すると、先生は教室を見渡して満足げにうなずいた。
「うん、だいぶキレイになったな。ご苦労様、これ差し入れだ」
そう言って諏訪部先生は小さな袋に入ったクッキーをくれた。
「諏訪部ちゃん……!」
「諏訪部先生だろ」
「はい……!でもありがと」
諏訪先生はそういうところ優しいんだよねぇ。
「もうだいぶ日も落ちてきたし、帰っていいぞ。ただし……廊下は走らんようにな」
「はーい」
あたしは元気に返事をして、なんだか浮かない顔をしている良樹と一緒に教室にカバンを取りに行った。
「どしたの良樹、さっきから元気ないけど?終わったんだから良かったじゃん」
「別に」
ふいっと顔をそむけながら、教室のドアを開けると、もうすでに人はいなかった。
変な良樹。
あたしたちは帰る準備をする。
準備ができると良樹があたしに話しかけた。
「帰るぞ」
「あ、うん」
良樹に促されカバンを持つと、ふたり揃って教室を出た。
外はすっかり日が落ちて冷え込んでいる。
「ううっ、寒……。」
外に出ると冷たい風が容赦なくあたしを攻撃した。
今日に限ってマフラーを忘れてしまったため、首元が寒い。
身体を出来るだけ縮こませながら歩いていると、ふわりと上から何かが降って来た。
「使えよ」
「えっ」
降りて来たものは、良樹が付けていたマフラー。
まさか彼があたしに対してこんなことをするなんて思わなくて、あたしは驚いた。
「良樹、熱でもあるの?」
「はぁ?」
良樹はあたしの言葉に呆れ顔だ。
「だって……こんな優しい良樹、熱があるとしか……」
「お前は、素直に人の好意を受け取るつーことが出来ねぇのかよ」
だって、変じゃん。
散々人のことバカにしてくるクセにこういうところは優しいって、なんか居心地が悪い。
すると、彼はまたそっぽをみながら言った。
「お前見てるとこっちが寒くなるつーの、いいから使え」
なんだ、良樹にも優しいところあるんだ……。
「ありがと」
お礼を言ってマフラーを巻き、さっきよりも温かくなった身体を肌で感じていると、あたしはあることに気がついた。
「あれ、そういえば良樹って家こっちの方だっけ?」
たしかあたしとは逆側じゃなかったっけ……?
「違ぇけど、本屋に寄ってく用事があるんだよ」
なんだ。そうだったんだ。
「本屋とかなによ〜勉強ですかあ?」
「お前よりは頭いいから心配しないでもらって?」
くっ……本当憎いやつめ。
そんなことを考えながら歩いていると、少し先に見慣れた人物が目に入る。
スーツを着て、ひとりで歩いている人物はもしかして恭ちゃん?
仕事かな?
たしか、恭ちゃんは広告業界の営業部にいるってお母さんが言っていた気がする。
もしかしてこの辺で商談ってやつがあったり……?
漫画の知識しかしらないワードだけど。
こっちに向かって歩いてくる恭ちゃん。
あたしはとっさに声をかけた。
「恭ちゃーん!」
あたしの声に気づいた恭ちゃんは、目を凝らしながらこっちにやって来た。
「お、彩乃。学校帰り?」
私がうなずくと、恭ちゃんは隣にいた良樹に視線を向ける。
「あっ、こっちは良樹。クラス一緒の……悪ガキ?みたいな感じ」
「あ”?お前に言われたくねーよ。ガキ」
あたしの言葉にすぐさま噛み付いて来た良樹を無視すると、恭ちゃんが言う。
「こんばんは、良樹くん。彩乃と仲良くしてくれてありがとう。こんな性格だから友達出来るのか心配だったよ」
大人な対応をする恭ちゃんに、あたしだって友達くらいいるんだから、と言い返そうとした時、良樹が先に口を開いた。
「別に、お礼なんか言われる筋合いはないっすけど。仲良くしたきゃ仲良くするんで?」
んん?なんか、険悪?
だいたい良樹のやつ、なんてもののいい方するのよ。
「そう?僕はあくまで彩乃が心配で言ってるだけだよ?」
「ああん?」
なんか、ふたりが睨み合っているようにも見える。
恭ちゃんの口調もいつもと違って変だし……。
じーっと目を合わせ少し黙ると、恭ちゃんはニッコリ笑って言った。
「まあ、邪魔してごめんね。じゃあ俺はこれから会社に戻らなきゃだからもう行くよ」
ほっ。良かった……。
さっきのは私の気のせいだよね。
恭ちゃんは私の横をゆっくりと通り過ぎていく。
すると、その瞬間。
ーーふわっ。
恭ちゃんの手が伸びて来て、私のつけていたマフラーを少しだけほどいた。
「お、わ……っ」
驚いて振り返るけど、恭ちゃんは何事もなかったかのようにあたしに背中を向け歩いている。
なんだろう……今のは。
手がぶつかっただけ、かな?
ほどけかけたマフラーを直してもう一度振り返ると、もうすでに恭ちゃんの姿は無くなっていた。
「あれがお前の好きなヤツ?」
すると、あたしの話から悟ったのか良樹が言った。
「うん」
「へーイケメンじゃん。だけど性格悪そうだよなぁ……俺ああいうの無理」
ぷいっとそっぽをむきながら答える良樹。
やっぱり、恭ちゃんのこと気に入らなかったんだ。
きっと良樹とは違う大人だからだろうな……。
良樹はプライドも高いし、とっさに負けたと思ってしまったんだろうな。
気持ちはわかるよ。
あたし良樹をまじまじと見つめると言った。
「良樹、恭ちゃんがカッコいいから羨ましがるのは分かるけど……あの態度はね?」
「なんでそうなる」
真面目な顔してツッコむ良樹にあたしは笑ってしまった。
「そうじゃないの?」
「お前はホント何にも分かってない」
そして、あたしの家の前までくると、良樹は立ち止まった。
「あれ、けっきょく家の前まで……」
「もうすぐそこだったし?野蛮な女でも、物好きはいるからな」
「それ、どういうことよ!」
あたしたちはけっきょく最後までケンカをしていた別れた。
「良樹、ありがとね〜!」
来た道を戻るように歩き出す彼に声をかけると、良樹は右手を上にあげて返事をした。
まっ、なんだかんだ優しいんだよね……。
そして恭ちゃん家の家がある方を見つける。
『まあ、邪魔してごめんね。じゃあ俺はこれから会社に戻らなきゃだからもう行くよ』
これから会社に戻るってことは、けっこう遅くなるってことだよね。
今日も恭ちゃんの家に行きたいなーなんて思っていたけど……。
「さすがに今日はやめよう……」
冷たい風がひゅっと吹き、身を寄せる。
「寒……っ」
いつか、疲れた恭ちゃんの帰りを待っている存在になれるのかな?
彼を疲れさせる存在じゃなくて、恭ちゃんの癒しになる存在になれるのかな?
そんな日を夢見てあたしは家の中に入った。
「あっ、良樹のマフラー……」
かえしそびれちゃった。
「明日返そう……」