絋side……★
次の日、すっかり距離感がバグってしまった杏樹さんに腕を掴まれて、再度展示会を訪れていた。普通にしていても可愛い彼女が、更に幸せオーラを纏って笑っているから、道ゆく人が杏樹さんに釘付けになっている。
だが、それも仕方ない。
真っ白な陶器のように滑らかな頬を桃色に染めて、真っ直ぐに愛を注ぐ直向きな姿勢に俺まで頭が真っ白になりそうだった。
「ねぇ、絋さん。今日からはもう、遠慮せずに
「……え?」
色素の薄い綺麗な唇が、恐ろしいことを口にする。
いや、遠慮しないでって、何をおっしゃっているんだ?
この子、本気で俺の理性を壊そうとしてる?
シェアハウスで共同生活をしている崇と千華さんの顔が脳裏を掠めて、俺はゾッとした。元々は杏樹さんと適切な距離感を保つ為に二人きりではない居住空間を選んだはずなのに、今となっては選択を誤ったと、自分の首を絞める結果となってしまった。
(ヤバい、このまま杏樹さんの思い通りにしてしまったら、とんでもない日常が待っているぞ⁉︎)
所構わずイチャイチャされてしまうと身体がもたないし、何よりも崇達に迷惑をかけてしまうのが申し訳ない。
引っ越すしかないのか……⁉︎
いや、まだ引っ越したばかりなのに、もう引っ越さないといけないのか?
そもそも二人も退去してしまったら、それこそ崇達に迷惑をかけてしまうのでは?
ブツブツと独り言を呟き始めた俺をみて、杏樹さんは不思議そうに首を傾げていた。
「どうしたんですか? 何をそんなに心配しているんですか?」
「え……? な、何でって、コレからのことを考えたら色々と不安が」
「絋さんは不安なんですか? ふぅーん、私は楽しみしかないのに、そうなんだ」
分かりやすく唇を尖らせて拗ねる杏樹さんを見て、しまったと後悔した。言葉選びを間違えた。
「違う、杏樹さんとの関係が不安とかじゃなくて! 二人で仲良く過ごすことを考えたら、今まで通りじゃいかないなと思って! ほら、崇や千華さんと一緒だと気を使うだろう?」
俺の返答に杏樹さんは「あぁ……」と気の抜けたような声で同調していたが、その後は考え込むように黙り込んでしまった。
さっきまで夢中にはしゃいでいたのが嘘みたいに静かになって、コレはコレで不安になっていたが、その間はゆっくりと展示物を見ることができて結果オーライという皮肉な終わり方となった。
————……★
その後、新幹線に乗って帰ってきた俺達は、たくさんの戦利品とお土産を抱えて崇達に差し上げた。
Blu-rayと単行本も紙で全巻集めるほど熱狂的ファンである崇は、お宝鑑定顔向けの厳重な装備で拝見していた。
指紋一つつけない徹底ぶりは、筋金入りと言わざる得なかった。
その一方、杏樹さんの幸せオーラに気付いた千華さんは、早速お泊まりデートの報告会を繰り広げている。
たまに聞こえてくる「きゃー♡」って黄色い歓声に、いたたまれない気持ちに襲われた。できることなら俺のいないところで盛り上がって欲しいものだ。
「ふふふっ、絋さんったら、ナルシストなんだね♡ いいなぁ、私もそんなロマンチックな夜を過ごしたかったなぁ」
「私は千華さんと崇さんの雰囲気に憧れます。いつも千華さんのことを大事にしてて、相思相愛っていいなーって羨ましくなるくらい」
「それは絋さんと杏樹ちゃんも一緒だよ♡ あー、でもそうなんだね。それじゃ杏樹ちゃんが卒業した後は、二人で住む部屋を探すの? 楽しみだねー♡」
「え?」
聞き捨てならない千華さんの言葉に、杏樹さんだけでなく俺も一緒に目を点にさせて驚いてしまった。
卒業後って、どう言う意味だ?
「あれ、慎司さんに聞いてない? このシェアハウスって年度いっぱいなんだよ? あくまで私達のシェアハウスは試験的なもので、来年度からは新しい居住者が来るんだよ」
そんなの、聞いていない!
寝耳に水とは正にこのことだろう。初耳の情報に俺は、即座に慎司に電話をして確認をとった。
確かに今後どうしようと悩んではいたが、こんなに短いスパンに訪れるとは夢にも思っていなかった。
焦燥から長く感じる呼び出し音を聞きながら、繋がった瞬間、電話口の慎司が名乗る前に本題を切り出した。
「なぁ慎司! シェアハウスの期限が今年度いっぱいって、どう言うことだよ⁉︎」
『何だよ絋ー……。ったく、第一声から威勢がいいことだな、お前は』
つまらない御託はいらない。
そんなことよりも今年度までになんて聞いていない。真相を確かめようと、俺は息つく間もなく友人を問い詰め続けた。
『えぇー、俺、言ってなかった? 申し訳ないな、実は既に入居希望者から問い合わせが入っていてさ。このまま契約を続けることは厳しいんだよなー』
「けど、シェアハウスの時に家具も家電も処分したから困るんだけど?」
『その点に関しては俺の説明不足もあるから、転居費用や中古でよかったら他のシェアハウスで使っていた家電をやすくで譲るよ? 何なら転居先も紹介するし』
そこまで提案されては反論することも出来ずに、湧き上がっていた怒りを押し殺すことにした。
(これは……いよいよ本格的な二人暮らしが現実味を帯びてきたってことか?)
前回と違って無職でもないし、互いの気持ちも確かになっている。いよいよ覚悟を決める時なのか?
俺は考える時間が欲しいと告げて通話を切った。
あぁ、恋って楽しくて満たされるけれど、責任が重すぎる。俺は頭を垂れるようにソファーの影でしゃがみ込んだ。
————……★
「絋さんは難しく考えすぎなんだよね……。真面目すぎるっていうか、何つーか……。もっとフランクに恋愛を楽しめばいいのにね」