「お久しぶりですわね。何か御用でしょうか」
鉄製の門扉は柵のようになっており、相手の顔は見えますが、指一本入れられる程の隙間もありません。少し離れたところにテセさんと騎士様に待機してもらい、宰相と門越しに向き合いました。
会っても意味がないことくらいわかっていますが、ここに来る余裕があるのなら、少しでも早く城に戻って仕事をしていただこうと思います。
「お願いだ! 城に帰ってきてくれ! 仕事がまわらないし、どうすれば良いかわからないんだ! フローレンスという女は仕事を与えても処理スピードは遅いのにミスばかりなんだよ!」
「そんなことを私に言われても困ります。文句を言うのならアバホカ陛下にどうぞ」
「そんなことを言えるわけがないだろう! 大体、どうして断らなかったんだ!」
「意味がわからないのですが」
紺色の髪に同じ色の瞳を持つ若き宰相は、整った顔を歪めて叫びます。
「アバホカ陛下はお前を結婚させる気なんてなかったんだ! ほどんどの人間はそれを知っていたよ! それなのに、お前は陛下の気持ちに気付かない! しかも、あの女どもはお前を止めるどころか敵国へ嫁げだなどと馬鹿なことを!」
「あの女ども?」
聞き返すと、宰相は答えます。
「陛下の愛人たちだ! 勝手なことをしやがって!」
「モナ様たちは正しいことをしてくれたのです。馬鹿なことなどしていません」
「正しくなんかない! お前がいなくなったせいで私の仕事は格段に増えたんだぞ! しかも、何をどうしたら良いのかわからない。せめてマニュアルくらい置いていけ!」
「紙に詳しく書いてまとめておきましたが、文字が読めませんでしたか?」
「文字くらい読める! だが、フローレンス様が持っているんだ!」
「なら、マニュアルくらい置いていけという言葉はおかしいでしょう」
マニュアルがないというならまだしも、フローレンス様が持っているだけなら文句を言われる筋合いはないのですけど。
「たくさん作っておけばいいだろう!」
「書き写せばいいだけじゃないですか! お聞きしますが、フローレンス様に難しいお仕事を任せているんですか?」
「そ、それは…、そういうわけではないが、難しそうな案件を任されても私にわかるわけがないじゃないか! 全部君がやっていたのに!」
「そんなことを偉そうに言わないでください。不満があるようでしたらアバホカ陛下にお願いいたします。では、ごきげんよう!」
「ま、待て!」
背を向けようとすると、宰相は門の鉄柵を掴んで叫びます。
「戻ってきてくれ! 君がいなくなったせいで辞めていった人間がたくさんいるんだ! 責任を取ってくれ!」
「あなたが私の代わりになれば良いだけです。頑張ってくださいませ」
「そ、そんな無茶なことを言わないでくれよ!」
私は大きく息を吐いてから言います。
「あなたが私に自分の仕事を押し付けたせいで、こんなことになったのではないですか? 数人いるはずのあなたの補佐が手伝ってやっと何とかなりそうな仕事を私一人でやっていたんです!」
あの時は一生懸命頑張っていたので気付きませんでしたが、一人でやる量ではありませんでした。
「そういえば、あなたに補佐官を雇うための予算が割り当てられていたと思うのですが、補佐官を見たことがありません」
お金の管理は財務がやっていましたので、そちらに任せていましたが、予算があったことは知っています。
気にはなったのですが、自分のことで精一杯になっていて忘れておりました。
「そ、それは、ちゃんと国のために使っている! 部下を飲みに連れて行ったりしたし」
「ねぎらうことは悪くありませんが、その部下というのはどのような方なのでしょうか。 まさか、大臣たちではないでしょうね?」
大臣たちも大して仕事はしていませんでした。
頑張ってくれていたのはもっと下の人たちです。
上に文句を言えばクビになってしまい、次の就職先を見つけにくくされるという噂が流れたせいで、皆が泣き寝入りをして頑張っていました。
ノルドグレンにいた頃の私は宰相たちにものを言える立場ではなく、仕事を手伝うしか力になれませんでした。
でも今の私は大役を果たしたわけですし、少しくらいは言ってもいいはずです。
「そんなの忘れた! それよりも帰ってきてくれと言っているだろう! このままじゃ離縁されてしまうんだ!」
「離縁?」
聞き返したけれど、詳しく話したくはないようで私を睨みつけるだけです。
たしか宰相には奥様とまだ幼いお子さんがいたはずです。離縁されてしまったら、子供と会えなくなるとか、そういう感じでしょうか?
なぜ、離縁されてしまうのかもわかりません。もしかして、サボり魔だったことがバレてしまったのでしょうか。
ぼんやりと考えていると、ガシャンガシャンと門を揺らして宰相が叫びます。
「なんでもいい! お前が帰ってくれば全て丸くおさまるんだ!」
「知りませんよ! 大体、私はもうライト様の妻でなんです! 帰ることは出来ません!」
宰相が憎悪に満ちた目を私に向けて口を開こうとした時でした。
宰相が乗ってきたものと思われる馬車の後ろに馬車が停車し、御者が急いで扉を開けに行きました。その御者は私もよく知っている、アーミテム公爵家のお抱えの御者です。
ということは。
「ただいま。客の予定があるとは聞いていなかったが、どちら様かな」
馬車から降りてきたのはライト様でした。
私はもう慣れましたが、ライト様は機嫌が悪いと余計に怖さが増します。恐ろしく感じたのか、宰相は門から離れて叫びます。
「ひっ! だ、誰だ!」
「誰だとは失礼だな。人の屋敷の前で騒いでおいて、それはないだろう」
「え? じゃ、じゃあ、あなたが?」
「俺はライト・アーミテムだ。ところであなたは?」
「わ、私は、いえ、その何でもありません!」
「何でもないことはないだろう。リーシャ、彼は君の知り合いか?」
「はい。ノルドグレン王国の宰相のボサマリ様です」
サボってばかりいたせいで、認識されていなかった宰相を紹介すると、ライト様は頷き、宰相に目を向けます。
「そうか、それは存じ上げなくて失礼した。だが、どうしてここに? 私の妻に何か用だろうか」
「い、いえ、その、アバホカ陛下の命でこちらにお伺いをしたのですが……」
「連絡もなしにか?」
「あ、いえ、その、私は行けと命令されただけですので」
連絡は陛下がしてくれていると思っていたと言いたいみたいです。手紙に誰かをそちらに送ると書いてあった時があったのですが、来てほしくないとお断りしたはずなんですけどね。
「そうか。なら連絡の行き違いかな。遣いの者を送るという話はお断りするという旨を伝えている」
「そ、そうですか」
宰相はこの場をどう切り抜けようか考えているみたいです。このまま逃げ帰ったら、なぜか離縁されてしまうのでしょう。
彼は子煩悩で有名でした。
子供に会いたいがため、人に仕事を押し付けて帰るから始まり、勤務先に連れてくるのはいいですが、子守をしていて自分の仕事はせず、部下の人に仕事を押し付けていたこともあったそうです。
お子さんにはお父さんがいなくなるのは申し訳ないですが、どうするかは夫婦で決めることでしょうし、私のせいにはせずに話し合って何とかしてほしいものです。
「どうしよう。このままじゃ、親権も……」
宰相は肩をガックリと落としましたが、ライト様は気にする様子もなく、きっぱりと告げます。
「お引取り願う。妻はもう貴国の陛下の婚約者ではない。私の妻だ」
「そんな……」
宰相は涙目になって、ライト様を見つめたのでした。