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閑話 アバホカと愛人とフローレンス

 リーシャを乗せた馬車が見えなくなったあと、愛人たちは名残惜しそうにしながらも城内に入り、アバホカの部屋に向かった。アバホカから入室の許可を得て部屋に入ると、ジェニー、モナ、ローニャの順に叫ぶ。


「陛下! 今さらこんなことを言っても無駄かもしれませんが、意地を張るにも程があります! どうして詫びることも出来ないのです!? もう二度と会えないかもしれないのですよ!?」

「それに殴るだなんてやりすぎです! あんなことをしたら本当にリーシャに嫌われてしまいますよ! ああ、もう嫌われているかもしれませんけど!」

「どうして、素直に言葉を口にできないんですか! シーンウッドはリーシャのボディーガードなんですよ!? そんな人にヤキモチを妬くだなんて!」

「うるせぇな! そんなに文句を言うなら、お前たちがリーシャを止めてくれれば良かったんだろうが!」

「何を言っていらっしゃるんですか! アッセルフェナムの国王にリーシャを渡すと言ったのは陛下なのでしょう!?」


 モナが叫ぶと、アバホカが言い返す。


「そっ! それは一番大事な娘を出せと言われたからしょうがねぇだろ!」

「「「バカなんですか!?」」」


 愛人たちもこの発言が不敬であることは理解しているが、リーシャのことを思うと黙ってはいられなかった。


 リーシャが家族に捨てられた時、この三人はアバホカの母である王妃の侍女をしていた。王妃が亡くなり悲しみに暮れていた三人の前に現れたのが、アバホカの婚約者として連れられてきたリーシャだった。


 親に捨てられ、これからどうなるかわからないという不安を一切見せず、気丈に振る舞っているリーシャに三人は感動した。そして、少しでもリーシャを支えたいと彼女の世話係になることを望んだ。

 しかし、それは宰相たちに却下されてしまう。どうすれば良いかと頭を悩ませていたところ、アバホカが三人に愛人契約を持ちかけたのだった。

 アバホカが三人に契約を持ちかけた理由は、リーシャのためだった。三人が自分の愛人となって城内での権力を持ち、リーシャを傷つけようとする誰かから守らせようとしたのだ。


 城にやって来た頃のリーシャは、娘を置いて逃げるような侯爵の娘だということで、城内での評判は悪くメイドにも陰で馬鹿にされていた。愛人契約を結んだ三人は、くだらないことをするメイドたちはリーシャ近付けない、もしくは解雇するなどした。

 仕事をさせていたのは、リーシャの居場所を作るためだった。何事にも一生懸命なリーシャは、年月を重ねていく間に文官たちに慕われるようになり、それにつれて彼女に意地悪をする者はいなくなった。


 誤算だったのはリーシャが必要以上に仕事にのめり込んでしまったことと、アバホカが遊び呆けていることだった。

 この半年程は他国からの賓客が続き、そちらの対応に追われていた愛人たちが気がついた時には、リーシャは頬がこけた状態になっていた。


 そんなリーシャを見た彼女たちは、アバホカの元から逃さないといけないと感じ、今に至るというわけだ。


「バカとはなんだよ! 俺だって一生懸命考えてんだよ!」

「うふふふっ」


 アバホカが言い返した時、今まで言葉を発しなかったフローレンスが突然笑い始めた。


「何がおかしいんだよ!?」

「だって、滑稽じゃないですか! もう、リーシャ様は行ってしまわれたのでしょう? こんな所で言い合っていたって何にもなりはしませんもの」


 言い終えたあとも、フローレンスの笑いは止まらない。


「おい」


 アバホカはフローレンスを一瞥したあと、不機嫌そうな低い声で、モナたちに声を掛ける。


「気分わりぃ。この女を部屋から追い出してくれ。俺が追い出すと放り投げちまいそうだ」

「お腹に子供がいる女性を放り出すなんて酷いですわ」

「だから、こいつらに頼んでんだろ!」


 アバホカが隣に座っていたフローレンスを蹴りかけて止めた。

 お腹が膨らんでもいないので、アバホカにしてみれば本当に子供ができたのかはわからない。いないだろうと予想しているが、いた場合のことを考えて、フローレンスを蹴らなかった。


「フローレンス様、手をお貸ししますので、客室に移動していただけませんか」

「大丈夫ですわ。自分で歩けますから」


 モナにそう答えたフローレンスは、笑顔で続ける。


「リーシャ様のやっていたお仕事、わたくしがいたしましょうか? リーシャ様がやれるようなお仕事でしたら、私が出来ないはずはないですもの」

「……」


 三人が無言でアバホカを見ると、彼は鬱陶しそうな顔をして答える。


「好きなようにさせろや。彼女はアッセルフェナムに捨てられたんだよ。自分の家族にもな。スパイなんて物騒なもんじゃねえだろ」

「あら、陛下。わたくしを庇ってくださいますの? これは王妃になれる日も近いかしら」


 ふふふとフローレンスが微笑むと、アバホカは本棚から本を抜き出し、フローレンスの足元に投げつける。


「うっせぇんだよ! とっととどっか行けや!」

「ああ、怖い! でも、そんなところも素敵ですわ」


 フローレンスはくすくす笑いながら部屋を出ていく。モナたちも不服そうにしながらも、彼女のあとについて部屋を出ていこうとしたが、アバホカに呼び止められた。


「おい、誰か一人は残れ」


 ジェニーが残ることになり、二人はフローレンスに付いていった。二人きりになったところで、ジェニーが口を開く。


「何か御用でしょうか」

「紙とペンをもってこい」

「何をされるおつもりなのです?」

「アーミテムの野郎に手紙を書く」

「アーミテムとは……、リーシャの旦那様になる公爵閣下のお名前ですよね」

「名前はそうだが違う! リーシャの夫になるのはこの俺なんだよ! アーミテムの野郎に結婚は拒否しろと手紙を送るんだ!」


 ジェニーは憐れみの視線をアバホカに送る。


「そんなことをしても無駄だと思いますが」

「うるさい! 俺が手紙を書いたら、早馬を使ってリーシャが向こうに着くよりも先に手紙を届けさせろ!」


 アバホカに凄まれても、ジェニーは眉根を寄せただけで怯える様子は一切なかった。呆れたように小さく息を吐き「かしこまりました」と答えると、ペンと便箋を調達するため部屋から出ていった。



******



 その頃、リーシャが使っていた執務室に行きたいと頼まれた二人は、フローレンスをお望みの場所に連れてきていた。


 簡単な書類を見せてくれと言うので、シーンウッドに頼んで持ってきてもらったはいいが、フローレンスは執務机の椅子に座るなり大きく首を傾げた。


「これは……、何語ですの?」

「ノルドグレン王国特有の文字です」


 ローニャが答えると、フローレンスは眉をひそめる。


 アッセルフェナムの文字は世界共通語のため多くの国の人間が使えるが、ノルドグレンはアッセルフェナムと話す言葉は同じだが、文字はノルドグレン王国特有の文字を使っていた。ノルドグレンの人間はアッセルフェナム語を書くことが出来るため、貿易などではそちらの文字を使っているが、国内での処理の場合などは書きやすいノルドグレンの文字を使っていた。

 アッセルフェナム出身のフローレンスにはノルドグレンの文字はまるで暗号だった。


「ノルドグレン王国特有の文字? そんなものは読めませんわ! アッセルフェナムの文字に翻訳していただけませんの?」

「無理です。そんな時間はありません。申し訳ございませんが、ノルドグレンの文字を覚えていただくしかありませんね」


 後ろに控えていたシーンウッドは冷たく言い放つと、リーシャがいなくなり綺麗になった執務机の上に、どさりと書類の束を置いた。


「これからフローレンス様がリーシャ様の代わりをしてくださるのですよね? 仕事に少しでも早く慣れるためにも、この書類に目を通してください。ノルドグレン王国の歴史やしきたりなどが載っています。アッセルフェナム王国の文字と比較できる紙を、後ほど持ってまいりますので、絶対に全て目を通して下ねい」


 シーンウッドも相手がフローレンスでなければ、こんな態度を取ることはない。シーンウッド含め、リーシャと仕事で関わりのあった人間は、リーシャが仕事から解放されたことは良かったと思うものの、他国に嫁に出されるという厄介な原因を作ったフローレンスたちが許せなかったのだ。


「ちょ、ちょっと無理よ!」

「では失礼いたします。何かあればベルでお呼びください」

「メイドにお茶を淹れるように伝えておきますね」

「お仕事が終わられましたら、メイドに声をかけていただければ客室にご案内いたします」


 シーンウッドが一礼してから踵を返すと、それに倣ってモナたちも一礼して去っていく。


「ちょっと! ちょっと待ってくださいな!!」


 フローレンスの情けない叫びが執務室内に響き渡ったが、返事をする者は誰もいなかった。



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