どうして陛下が驚くんですかね。その反応に私のほうが驚きです。
「当たり前ではないですか。アッセルフェナムの国王陛下から嫁ぐ準備ができたら連絡するようにとの手紙が届いておりました。長くお待たせするわけにはいきませんので早急に婚約破棄のご対応をお願いいたします」
「マジかよ。何を考えてんだ、あのおっさん」
アバホカ陛下はベッドの上で胡座をかき、長い髪をかきあげて大きなため息を吐きました。ちゃんと下は履いておられたようで嫌なものを見せられずに済みました。
「あなたが話をしてこられたのでしょう?」
「いや、そんな話、普通は断るだろ。だから何を考えてるんだって思ったんだよ」
何を考えているのか知りたいのはこっちの方です、と言いたい気持ちですが何とかこらえます。
「私の代わりにアーミテム公爵に嫁いでくださるのはこの方?」
そう言って、ストロベリーブロンドのゆるやかなウェーブのかかった長い髪を持つ女性は、妖艶な笑みを浮かべて上半身を起こしました。女性は一糸まとわぬ体をブランケットで隠して陛下にしなだれかかりましたが、陛下はなぜかその体を押し退けました。
「お前は黙ってろ! 大体、こんなことになったのはお前のせいじゃねえか」
「あら。陛下はわたくしに婚約者がいることは知っておられましたでしょう? なら、こんなことになる覚悟はしてくださっているのだと思っておりましたわ」
「お前の存在自体が胡散臭いんだよ。本当に妊娠してるのかも嘘くさい。つーか、腹の中にいる子供も俺の子じゃねえんじゃねえの?」
「さあ? それはどうだかわかりませんが、ここまで来てはもう一緒ですわ。ですわよね、リーシャ様?」
子供の話をされていますので、この方がフローレンス様で間違いなさそうですね。
かといって彼女が本当にそうであるかの確証は取れません。返答せずに見つめると、髪と同じ色の瞳を私に向けて、彼女は私に自己紹介をします。
「失礼いたしました。ご挨拶がまだでしたわね。はじめまして、リーシャ様。わたくし、フローレンス・スハノデキンと申します。先日まではアーミテム公爵の婚約者でしたが、現在はアバホカ陛下の婚約者ですの」
「はじめまして、リーシャ・ノーウィンと申します。新しい婚約者の方にお会いできて光栄ですわ」
カーテシーをすると、陛下がフローレンス様に叫びます。
「お前は婚約者なんかじゃねぇって何度言ったらわかるんだ! 愛人の一人だって言ってんだろ!」
「あら、他国と言えども、わたくしは辺境伯令嬢ですのよ? 愛人で終わるだなんてことになったら、お父様がお怒りになりますわ」
その前に、あなたのお父様があなたのやったことについて怒っていないのかが気になりますが、このことについてはあとで調べることにしましょう。
「隣国の辺境伯だろうが何だろうが偉いのは俺だ。俺が決めたことに文句は言わせねえ。俺の婚約者はリーシャだけなんだよ」
もしかして、この方は寝たら都合の悪いことを忘れてしまうタイプなんでしょうか。それに、婚約者は私だけと言われてもまったく嬉しくありません。
「陛下、私との婚約を破棄していいただけると、昨スハ日伺っております。アッセルフェナムの国王陛下に私を差し出すと言ったのはあなたです。婚約破棄についての書面を作ってまいりましたので、陛下のサインをお願いいたします」
「リーシャ、ふざけるな!」
なぜかアバホカ陛下が私を怒鳴りつけました。どうして私が怒鳴られないといけないのでしょうか。ふざけたこおを言っているのは陛下です。
呆れかえって大きなため息を吐くと、くすくすと笑う声が聞こえたのでフローレンス様に目を向けました。彼女は私と目が合うと楽し気な口調で話し始めます。
「わたくし、リーシャ様のことはとてもお気の毒に思っておりますのよ。アバホカ陛下の婚約者になられたことだって、実のお姉様の代わりだったのでしょう?」
「……その話は誰からお聞きになったのです?」
陛下から聞いたのだろうと予想していましたが、フローレンス様の口から返ってきたのは驚きの言葉でした。
「わたくし、あなたのお姉様の知り合いですの」
「――はい?」
「何だと?」
アバホカ陛下までもが驚いて聞き返すと、フローレンス様の表情は私たちの反応が楽しいのか、満面の笑みに変わりました。
「リーシャ様、あなたのご家族はスハノデキンの領地に住んでいますわよ」
「……そうだったのですね。ご迷惑をおかけしたようで申し訳ございません」
陛下が後を追うように指示しなかったため、お姉様たちの行方はわからないことになっています。お兄様は把握している可能性はありますが、私は特に知りたくもなかったため調べもしませんでした。
まさか、アッセルフェナム王国の辺境にいただなんて――
「まあ! リーシャ様が謝ることなんてありませんわ。そんなことより、あなたのお姉様が言ってらしたの。リーシャ様はお人好しだから、こんなことになれば必ずわたくしの代わりに嫁にいってくださるだろうって! あら、やだ。笑ってはいけないわね!」
そんなことを言いながらも笑いが止まらないようで、フローレンス様はブランケットに顔を押し付けて体を震わせています。
何が面白いのか、私にはさっぱりわかりません。
とりあえず今、私が言いたいことはこれだけです。
「陛下、婚約の破棄が無理であれば解消をお願いいたします」
大股で近づいていき、書類を陛下の鼻先に突きつけると、彼は私から書面を奪い取って叫びます。
「本当にいいんだな!? サインしたら終わりなんだぞ!」
「もちろんです。陛下との関係は終わりますが、新たな関係を築きますのでご心配なく」
「――っ! 最悪だ! わかったよ! サインしてやるよ! でもなぁ、絶対に後悔するなよ! やっぱり嫌だって泣きついてくるなよ! 泣きついたって絶対に助けてやらねぇからな!」
「泣いたりなんかしませんし、後悔もいたしません」
はっきりと答えると、なぜか陛下は一瞬だけ表情を歪めましたが、すぐに私の手から書類を奪い取ると、ベッドの脇に置かれていたサイドテーブルでサインをしてくれたのでした。