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第21話 父、帰る

翌日の午前中。佑は約束どおりRUJから自宅へまっすぐに帰った。玄関のドアを開け、スニーカーを脱いで中へ入ると亜紀はもう出勤したのか見あたらなかった。リビングルームに行くと出かける前に見た破壊されて荒れ果てた部屋は完全に、何もかもが元通りに修復されていた。自宅の周りはほとんどが白い外壁の直線的な高層ビルや最新のドーム型の住宅ばかりだが、佑の家は昔の時代のものを好む両親の要望でこうなっていた。佑はテーブルまで歩いていき、その上に亜紀が残したらしい書置きのメモの紙を見つけた。


《おかえりなさい。今日は土曜日だけど午前中から仕事に出かけます。夕方には戻ります。

冷蔵庫の中に昨日買ってきたたホットサンドがあるので食べてくださいね》


佑がメモを読み終えて戻すと背中のリュックの中でばたばたという鳥の羽ばたきが聞こえた。早く外に出してほしがっているようだ。佑がチャックを開けると亜紀と佑のAlice.がほとんど同時に飛び出してきた。いつものように部屋の中を飛び回って探検してからテーブルの上にそろって着地する。すると佑のAlice.が首をかしげながらなんと言葉をしゃべった。


『……佑、私も外に出してくれないか』


佑は急いでリュックから透の脳が入った簡易水槽が組みこまれた黒いブラックボックスの台を取り出してテーブルに静かに置く。


「あ、うん。ごめんね父さん。リュックの中は窮屈じゃなかった?」

『ブラックボックス製だからな。とても快適だったよ。母さんはいるかい』

「ううん。書き置きがあって今日も図書館の仕事に出かけるって。なにか用事だった?」


佑がそう言うと簡易水槽の中で何度か泡が舞う。RUJから帰ってくる時に佑の持っているAlice.と簡易水槽を連動させて音声と視覚を共有する方法を瀬名が見つけたので早速実装したのだった。まだお試し段階だが、専用のタブレット端末がなくてもこうして会話ができるのは嬉しい。


『そうか。夕方まで帰って来ないならゆっくり家で過ごすのもいいかもしれないな。それとも良い天気のようだし、どこかに出かけるかい』

「そうだね。でも、父さんはまだ体がないんだから無理しないほうがいいんじゃない?」


リビングルームの窓枠に止まって外を眺めていたAlice.が振り返って聞いたので、佑がそう返すと『それはそうだが……』と声が沈む。


「でも瀬名さんは自宅にいる間もなるべく外部からの刺激があったほうがいいって言ってたし、静かなところなら大丈夫なんじゃないかな」

『たとえば?』

「うーん……地下層の博物館とか。それかフィーア博士の自宅かな。お邪魔するなら行くって連絡したほうがいいかもだけど」

『そうだな。ふむ……他に良さそうな場所はあるか調べてくれないか佑』

「いいよ。どんなところがいいとか父さんの希望はある?」


佑が携帯で調べ物をしだすとしばらくの沈黙の後、簡易水槽にごぽごぽっとピンク色の泡が漂う。


『……図書館はどうだい』

「図書館ってもしかして母さんの職場の?ちょっと待って。父さんもしかしてそのまま行くつもりじゃないよね。目立つし。えっとAlice.は離れてても操作できるんだっけ。何かあった時のために簡易水槽は持ってくけど、大丈夫?」

『長時間は同調シンクロできないが短い時間なら大丈夫だろう。もし心配なら家で大人しくしてるが』


少しふてくされたような透の口調に佑は「わかった。昼から行ってみようか」と提案するとAlice.が喜びの声で鳴いた。佑は冷蔵庫まで行き、中からホットサンドののった皿を出し、電子レンジに入れて1分ほど自動で温める。


『それ、美味そうだな。食べられないのが残念だ』

「これ?昨日の夕食に僕が頼んだんだ。図書館の近くにある駅前の店のやつ。前に買いに行ったことあるよね」

『ああ、あるな。覚えてる』


窓のそばにいたAlice.が佑の手の甲の上に乗ってきた。ツンツン、と嘴で佑が食べているホットサンドをつつこうとするのであわてて遠ざける。


「ダメだって父さん。Alice.は父さんの体と違って性能も良くないし、食事はできないんだから。機体に入ったら故障しちゃうよ」

『……そうだったな。すまない』


佑に注意されてAlice.はつつくのを止めてうつむき、目を細める。佑はホットサンドと牛乳をとかしたホットココアだけの朝食を終えると手を合わせ、テーブルの上の簡易水槽をかかえてリュックへ戻すと頭にAlice.が止まった。


「じゃあ、早いけど行こっか」


佑は誰もいない家に「行ってきます」と言ってから玄関を出た。



亜紀の勤務している図書館は今までに本を借りるために何度か行ったことがあったので、道には迷わなかった。無人運転の白い電車内は佑たちだけだった。佑は簡易水槽を入れたリュックを胸の前に抱きかかえるようにして持つ。頭の上に乗ったAlice.は自宅を出てから静かにしている。車内アナウンスで最寄りの駅に着くことを知ると「父さん次だよ」と囁いた。


『早いな。もう着いたのかい』

「今日は途中で降りる人がいなかったからかもね」


佑が改札のゲートを携帯電話に入れている電子パスのアプリを使って通りすぎ、階段を上がると目の前に地上層で唯一の図書館が見えた。ここも昔にあった建物の外観を忠実に再現しているらしい。青い様々な色のタイルが組み合わされた外壁はいつ見ても素敵だと思う。


「えっと……母さんが働いてるのは、3階だね。受付にいるといいんだけど」


佑は入り口のドアをくぐると、フロア案内のボードの表示を確認する。エレベーターホールに行き、3階のボタンを押す。ドアが開くと古い紙特有のにおいがした。はるか上に見える天井のあたりまで設置された縦に長い本棚にはぎっしりと隙間なく本がしきつめられている。いくつか本棚の前を通りすぎると受付用のカウンターがあり、亜紀が作業をしているのが見えた。待っている人は誰もいない。


「……父さん、今チャンスかも。ほら、母さんあそこにいるよ。会いにいってきたら」

『ああ。行ってくる』

「静かにね」


Alice.がこくりとうなずいて飛び立つ。ふわりと飛んで、カウンターに乗るとじっと亜紀が気づくの待っていたが、焦ったのか少し抑えた声で鳴く。亜紀が顔を上げ、Alice.と目が合った。


「え、どうしてここにいるの」

『…………亜紀』

「え?」


Alice.を癖で手の甲に乗せた時に小さな声で自分の名前を呼ばれた亜紀は驚いた表情で小鳥を見た。


「も、もしかして……あなた……なの?」

『そうだよ。機体の修理がまだ終わらないから、当分の間は佑のAlice.を仮の体として使うことになったんだ。しばらく1人にさせてしまって……本当にすまなかった』


亜紀の両目が涙で潤んだ。あたりを見回して誰もいないのを確認すると、所蔵されている本を整理するためのバックヤードのドアを開けて中に入る。ここのほうが外よりも静かに話せるからだ。部屋の中のパイプ椅子を引きよせて座る。


「とても……さみしかった。あなたがもう、戻ってこないんじゃないかと思ってたから」

『うん。君がそう思うのも無理はないほどの破損具合だったからね……。真木と瀬名くんには迷惑をかけてばかりだ』

「そうね。そういえば佑も一緒に来たの?」

『ああ。今少し離れたところから様子を見守ってもらってるところさ』


そこまで話したところで充電をうながす電子音が鳴った。簡易水槽とのシンクロさせている影響だろう。亜紀の手の甲から飛び立とうとすると「待って」と呼び止められる。亜紀がとても嬉しそうに微笑んだ。


「……おかえりなさい、あなた」

『ただいま、亜紀』

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