目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第19話 あの夜のあとに

テーブルの上に置かれた佑からのLETTERSの通知メッセージが表示された携帯の画面を見ながら、スーツ姿のままの亜紀は「しかたないわね」と残念そうにつぶやいて電子レンジで温めなおした佑の分の厚切りベーコンとミックス野菜のソースが混ざったホットサンドを別の皿に移し、ラップをかけて冷蔵庫にしまう。


天井を見上げると今朝空いていた大穴や散乱した家具が嘘だったとしか思えないくらいにきちんと修復されていた。ほぼ新築同様といってもいいかもしれない。


《わかりました。今夜はゆっくりお父さんと話してください。買ってきたホットサンドは冷蔵庫に入れてあるので、明日帰ってきたら温めて食べてくださいね》

《追伸 お母さんの部屋にいたAlice.が見当たらないのですがもしかしてそちらにいませんか?もしいたら心配なので録画機能を使ってお父さんの様子を記録してきてください、お願いします》


今日1日、いや帰宅してからもずっと亜紀は夫のことが気にかかっていた。機体の損傷が酷いので一度脳との接続を切り離す必要があると回収にきた瀬名は言っていたが、上手くいったのだろうか。携帯からLETTERSの通知音が鳴った。画面を見ると佑からの返信が来ていた。


《せっかく頼んだのに夕ご飯一緒に食べられなくなってごめんなさい。お母さんのAlice.は一緒です。安心してください》


そのあとに遅れて《テスト》と動画が添付されてきた。時間は数秒もない。亜紀は動画の再生マークを押す。亜紀のAlice.のアイカメラを通して撮影されたものはとても鮮明だった。円筒状の水槽のようなものの周りをぐるりと一周回っただけだが、その中に入っているのが夫の脳だと気づいて亜紀は「……よかった、生きてる」とつぶやいて涙ぐんだ。



佑の携帯がLETTERSの通知を知らせる。瀬名とRUJの食堂に来ていた佑はポケットから携帯をひっぱり出すと長テーブルの上に置いてメッセージを確認する。


《動画をありがとう。お父さんが大丈夫そうで安心しました。瀬名さんと真木さんにお礼を言っておいてください》


「お母さんからかい」

「はい。父が無事そうで安心したって言ってます。瀬名さんと真木さんにお礼も言いたいって」

「いや、でも小松博士の機体はまだ修理の途中なんだし回収に行った時に僕がうっかりして絶対直しますなんて言ったものだから、かえって亜紀さんを心配させたんじゃないかな」

「そうなんですか?」

「……うん」


佑の隣で卵とじのかつ丼をほおばっていた瀬名が食べる手をとめてどこか遠い目をする。佑も瀬名と同じかつ丼を食べる手をとめて朝に亜紀と交わした会話と様子を思い返す。


「母さんは……ああみえてとてもさみしがりやですし、父さんのことが本当に大好きなんです。だから殺すなんて……ありえないですよ」

「うん……そうなんだよね。ありえないよね。もしかするとあれは小松博士の記憶違いかもしれないな。これ食べたらバックアップを取った記憶データをもう一度確認しようかと思うんだけど佑くん手伝ってくれるかい」

「え、そんな僕が手伝ってもいいんですか」

「もちろん、いいに決まってるじゃないか。今回は小松博士も一緒だから本当は負担をかけたくないんだけど……重要なことだからぜひ見てほしいんだ」


瀬名は複雑な表情をうかべながらかつ丼を食べ進める。さっきまでしていたはずの味がまったくしなくなっていた。佑も無言で食べる。


「味……しないですね」

「ごめん、僕が変なこと言ったから」

「いえ、あの話を先に言い出したのは僕ですし」


佑は瀬名に「すみません」と言って謝る。瀬名は「気にしないで」と言ったが、表情はまだ固いままだ。


「じゃあ、部屋に戻ろうか」

「はい、ごちそうさまでした」


瀬名と佑はそろって両手を合わせる。食堂には遅い時間のせいか彼らしかいなかった。



『おかえり。食堂は空いていたかね。すまないが……彼らをどうにかしてほしいんだが。さっきから離れなくてね』


佑と瀬名が部屋に入ると2羽のAlice.が簡易水槽の周りをぱたぱたと飛んでいた。まるで様子を観察でもするかのように時おり空中で首をかしげてホバリングしている。


簡易水槽に設置されたタブレット端末からは珍しく困惑して助けを求めるような透の声がする。2人が手で追い払っても2羽はしばらくすると簡易水槽の前に戻ってきてしまう。


「す、すみません小松博士。無理みたいです。今夜は我慢していただけませんか。明日は違う部屋にお移ししますから」

『……そうか、それなら仕方がないな』

「もしかして父さんのことが気になるんじゃない?」

『そうかもしれんな』


瀬名が謝り、佑がそう言うと透はしばらく静かになる。瀬名が声をかけ、今から記憶データの再点検作業をすると伝えると途端に不満げな声を出す。


『何?今からここでやるのかね。あれはたしか……真木の許可が必要なんだろう。君が勝手にやっても大丈夫なのかね』

「そうおっしゃると思って別の部屋にいる真木博士とフィーア博士にさっきLETTERSで連絡しました。そこにいるAlice.2羽を使ってライヴ配信で見守ってもらいます」


瀬名が一気に言い切ると透は『君にしては用意がいいじゃないか』と言った。


「記憶データは今小松博士の中にあるものを見るわけではないので、痛みや負担にはならないとは思いますが念のため通常の作業と同じように人工神経系統を一時的に終わるまで遮断します」

『なるほど。それなら私が苦しむ心配はないというわけか……あれは本当に地獄、いやそれ以上だからな』

「そ、そんなに痛いの?」

『ああ。言葉では……言い表せないくらいにな。下手をすると正常な脳細胞やら残った神経が焼けて2度と機能しなくなる……つまり死ぬ』

「え」

「だから……とても慎重にやらなきゃいけなくてね。佑くん、作業を始めるから小松博士の人工神経の接続をそこのタブレット端末から切ってくれるかい。僕はちょっと手が離せないから」


瀬名は自分のパソコンを立ち上げながら振り返り、佑に背後の端末を指さす。佑が端末まで行くと上に止まっていたAlice.たちが飛びたった。


「瀬名さん、どこを押せばいいんですか?」

「画面をタッチするとまずホーム画面になるから、そこから簡易水槽の項目を選んで」

「……選択しました。次は」

「そこからLB-01を選んで。簡易水槽の維持システムにアクセスできるから」


佑がLB-01という表示をタッチすると画面が切り替わり、3Dで再現された脳の全体図が現れる。


「選びました。次は」

「じゃあそこの画面の外部から繋がってる線みたいなのがいくつかあるだろう?それをひとつずつ切ってくれるかな。ピンク色の網の目ようなものは脳内を循環してる疑似血液だから間違って押して停止させないようにね」

「はい」


佑は画面に表示された白い杭に似たアイコンを1個づつタッチして切断していく。全部で11個。最後の人工神経を切ると佑の指先は汗をかいて震えていた。


「あの……終わりました。あとはどうすれば」

「お疲れ様。それで全部だよ。小松博士にちゃんと切断できてるか確認してごらん」

「は、はい。と、父さん……どう、痛みはない?」


しばしの沈黙。『ああ、全くない』という短い返事がしたので佑は胸をなでおろす。


『もしあったら……佑、もう分かっているだろう。あの器具を直接刺しこんで脳を凍結させるまで激痛に苦しむことになる』

「う、うん……そう、だよね。あの時は……ごめん。あれしか思いつかなくて。痛かったよね」

『……痛かったさ』


佑の問いかけに透が声のトーンをおとす。佑の頭の中にあの夜の光景が久しぶりにフラッシュバックした。


〈父さん、父さん大丈夫?〉


夕方に昼食を終えてから書斎と兼用になっている自室にこもりっきりの透を呼びにいく佑。しかし、何度ドアをノックしても返事がない。


〈父さん?いないの⁈〉


強めにノックを数回。すると中から何かが叩きつけられたり割れるような物音したのちにドアが勢いよく開いた。


〈と……父さん?よかった、そろそろ夕食の準備するから手伝ってよ〉


そう言った後に突然、透に手の甲に噛みつかれた。噛まれた痛みに驚く佑はつい、透を突き飛ばしてしまった。透の自室のそばには階段があり、運悪く突き飛ばした先がそこだった。


勢いよく転がり落ちた透は上半身と下半身が破損して分断されたが、残った上半身だけで廊下を逃走。玄関へたどり着いて外に出る前に佑がなんとか停止させたのだ。


「…………ごめん。あんなこと二度としたくない。今だから聞くけど一体何してたの」

『人工神経を……自分で切断しようとしていたんだ。毎回他人に切ってもらうよりはマシかと思ってね』

「なんでそんな無茶なことするの。瀬名さんたちに任せれば済むことじゃない」

『……そうだな。純粋に自分の中にある興味というか好奇心に負けたんだと思う』

「そういう問題じゃないでしょ!僕が止めなかったら……母さんにも怪我させてたかもしれないんだよ」


佑は今まで我慢していた感情を爆発させる。透は黙りこんでいる。瀬名が「まあまあ」と間に入るが、タイミングが悪く上手く仲裁できない。


「とりあえず人工神経は無事にカットできたので、次の工程に進んでもいいですか?」

『……すまない。瀬名くん続けてくれないか』

「了解です。佑くんこっちに来て」


瀬名が佑を呼び、自分のほうへ手招いた。佑が簡易水槽から離れると端末の上に真木とフィーアと繋がったAlice.たちが下りてきて止まり、水槽のほうを向いた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?