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第16話 LoM制度②

午後。いつもならゆったり昼休憩をはさむところを早めに切り上げて、瀬名は真木の研究室へ駆け足で向かっていた。ドアを開けて「遅れてすみません!」と叫ぶと、先に来ていた真木とフィーアが驚いた顔で振り向く。


研究室の真ん中には2つのブラックボックスに入ったグラウと透の姿があった。透の体はひどく破損しており、体の両脇に伸ばされた手の先に簡易水槽があった。水槽の中にはゆらゆら、と機体の頭部から分離された透の脳が浮かんでいる。


「こ、小松博士の様子は……?これ、直せるんですか?」

《見てのとおりですよ。グラウは大丈夫そうですが小松博士のほうは負傷した人工皮膚と筋肉は大半を張りかえて……機体は造り直すのにどのくらいかかるのか、これじゃあ見当がつきませんな》

「そ……そんな。じゃあ、小松博士のご家族にはなんと説明するんです?僕回収にうかがった時に絶対直りますから心配しないでくださいって言っちゃいましたよ」


真木は瀬名の勝手な発言にため息をつき、フィーアはなにかを思案しているように視線を左右にさまよわせる。


《それじゃあ瀬名さん、貴方もこの修復作業に参加待ったなしというわけだ。ひとまずそこの簡易水槽をどこか安全な場所に移動させていただけますかな?》

「は、はい。そうですね。小松博士、ご無事ですか?」


瀬名はフィーアの言葉にうなずくと、声をひそめて手にしたタブレット端末に話しかける。


『…………ああ、瀬名くんか。私なら大丈夫だよ。まだ生きてる』

「よかった……。あんな状態でしたからもう駄目だと思いましたよ」


よかったと瀬名はもう一度つぶやき、簡易水槽を床に落とさないようにそっと両手で持ち上げる。研究室の中を見回し、ちょうどよい大きさの棚を見つけたのでそちらへ移動させる。ポットから生えた緑色がみずみずしい観葉植物の隣に置き、ほんの少しだけ真木たちのほうを向かせた。


『ありがとう瀬名くん。私はここで見物させてもらうよ』

「えっ、見物って小松博士機体から離されたのにまだ視えるんですか?」

『いいや、視覚も触覚もまったくないよ。繋がっているのは聴覚だけさ』


透は『ふふ』とおかしそうに笑う。瀬名は真面目に発言を受け取った自分を恥じる。


「さあ、瀬名くん話はそのくらいにして作業を始めよう。修復作業は私とフィーア博士で担当するから君はいつものように別室でモニタリングをお願いできるかな」


真木がぱんっ、と注意をひくように手を打ち鳴らす。瀬名は首をふり、研究室を出ていこうとした時に何を思ったのかさっき棚に置いた簡易水槽を持ち出した。うっかり下に落とさないよう水槽を片手にかかえ、研究室のドアを閉める。両手でよいしょ、と水槽をかかえなおすとRUJの廊下を歩きだした。



「母さんどうしたの、これ」

「おはよう、佑。ああこれ?昨日の夜ちょっと……いろいろあったのよ。夜中に寝ている時、凄い物音とかしなかった?」

「ううん。全然何にも聞こえなかったよ」

「そう?それならよかった。朝ご飯何食べる?」


翌朝リビングルームへ下りてきた佑は、中の惨状を見て目をまるくする。亜紀は疲れた様子で壊れていない椅子に座ってカップで飲み物を飲んでいた。


ふんわりと、さわやかなハーブの香りがする。佑も椅子を探してきて亜紀と向かい合わせになるようにして座る。やけに明るいと思ったら天井に大穴が空いていて、手を伸ばしたら吸いこまれそうな青空が広がっていた。


「そういえば父さんは?昨日家に帰ってきたんでしょ」

「うん。でもすぐRUJに帰らなきゃいけない用事があるって言って行ってしまったわ」

「……そう。ならいいけど。後からLETTERSで連絡とってみるよ」


亜紀は佑を心配させたくなくてとっさに嘘をついた。自分があの時、もっと強く止めればよかった。透が回収される前に握った冷えた金属骨格の手の感触を思い出すと涙があふれそうになる。亜紀はごしごしと服の袖で両目を拭うと比較的破壊されてないキッチンの流し台に立ち、無心になろうと棚に置いてあった純正のココアと牛乳パックを取り出して適量を小鍋に入れる。


部屋のすみの冷蔵庫から厚切りのベーコンと卵を出してフライパンにかけ、スクランブルエッグを作る。佑に先にココアを手渡し、小さな木製のテーブルの上に出来上がった料理の皿を置くと「美味しそう」と佑が歓声をあげた。


「さあどうぞ、召し上がれ。お母さん今日も図書館の仕事が入ってるから、昼から出かけるわね。夕ご飯は久しぶりになにか買ってこようか?」

「え、でも母さん忙しいんじゃないの?無理しなくてもいいよ。夕食は僕だって作れるし」

「遠慮しなくていいのよ。何か食べたいものはない?」


亜紀に尋ねられた佑は少し考えこみ「じゃあ……図書館の近くにあるカフェのホットサンドがいいな」と言ったあとに今まで怖くて聞けなかったを切り出そうか迷った。


「…………ねえ、母さん。変なこと聞いてもいいかな」

「なあに?」

「あのさ……父さんを母さんが殺した……って、本当?」

「え?」


佑の言葉の続きを待っていた亜紀の表情がかたまる。そして決して触れられたくない傷を開かれたかのように顔を伏せた。


「それ……その話、あなたには伝えてなかったはずなのに、どうして知っているの?」

「RUJの真木さんから。だいぶ前に聞いたから。ねえ、嘘だよね?」


佑は懇願するように顔を伏せたままの亜紀を見る。亜紀はしばらく黙っていたが、やがて消え入りそうな声で答える。


「それは…………本当よ」

「そんな……どうして?父さんを殺す理由なんて、母さんにはこれっぽっちだってないでしょ?!」


佑は朝食を食べるのを止め、声を荒らげる。


「本当なの……。私があの日、怒ってあんなことさえ言わなければ、あなたのお父さんは死ななかった」

「あんなことって何、なんて言ったの」

「私や佑のこと、愛してないのって……。そんなこと、言うつもりなかった……のに」


亜紀はそこまで言ってから「ああ」と嘆息した。佑は子どものように泣きじゃくる亜紀の姿に面食らってしまい、少々強くあたりすぎたと反省する。


「か、母さんごめん。さっきのは言い過ぎた……な、泣かないで」


佑は座っていた椅子から立ち上がり、亜紀のそばまで歩いていって体を両腕でぎゅっと抱きしめた。亜紀は突然佑に抱きしめられて驚いた顔をして目を見開く。


「……うん、ありがとう佑。それからずっと黙っていて、ごめんなさい」

「あともう1つだけ嘘をついてごめんなさい。実は……お父さんはRUJに仕事で戻ったんじゃないの。緊急で修理が必要なくらいに機体が破損して今、真木さんたちが直しているの」

「え」


今度は佑がかたまる番だった。亜紀は申し訳なさそうに「そろそろ支度するわねと」言ってリビングルームを出ていく。佑はその背中に「父さんに会いに行ってもいい?」と聞く。亜紀は何も言わずにただうなずいただけだった。

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