真木による透の機体の点検作業を別の部屋からモニタリングしていた瀬名は映し出されたものに思わず目をそむける。4画面に区切られた手元のモニターにはそれぞれ別角度からの映像と透の頭部にある生体部品である脳からの規則正しい脳波が表示されていく。
(こんなの…………やっぱり正気の沙汰じゃない)
今モニターに映っているのは先ほどまで自分が話していたはずの人物だ。それがただの機械でできたロボットなら瀬名がこれほどまでに嫌悪感を抱くことはないだろう。
着ていた服を脱がされ、本物そっくりな人工皮膚と筋肉を剥がれた体から金属の骨格の中に生きている脳だけがのぞいていると光景は不気味でグロテスクそのものにほかならない。
(……だめだ、吐く)
喉のあたりまで酸っぱいものがこみ上げてきているのを感じた瀬名は、とっさに片手で口を押さえる。それでも治まりそうにないので真木に席を離れると告げ、別室を飛び出し近くのトイレにかけこむと口にたまっていたものを思いっきり吐きだした。しばらく吐いた後にモニタリングを中断していたことを思い出し、別室に走って戻る。
《すみません真木博士、モニタリング再開します》
《ああ、もう少しで終わるよ。後は……これなんだがね》
真木がそう言うのと同時に瀬名の前にある別のモニターへDVDのチャプター選択画面のようにコマで区切られた映像とその下に日付けと時間が細かく表示される。
《なんですか、これ》
《それは彼の脳の中に今まで蓄積された記憶をデータ化して、僕らの目に見えるように可視化したものだよ》
《小松博士の記憶を……?僕はどうすればいいんですか》
瀬名は真木が次に発した言葉を一瞬自分の聞き間違いかと思った。
《うん。君にはその中から彼の心的外傷《トラウマ》になった記憶だけを……消去してほしいんだ》
《記憶の消すってそんな、小松博士の同意がないのにそんなこと僕が勝手にやってもいいんですか……⁉︎》
真木も瀬名の不安を感じとったのかこうつけ加えた。
《うん、彼には事前に了承をもらってる。それにトラウマは機体の不具合や誤作動の原因になるから早めに取り除くほうがいいんだ》
《で、でも……》
《無理かい。なら別の人に任せるけど》
瀬名が食い下がると真木は作業をする手を止めずにそっけなく言う。
(やるしか、ないのか)
《わかり……ました。作業に移るので少し待っててください》
瀬名はまたこみ上げそうになる吐き気に耐えつつ真木に言い返す。
《別でモニターしてる彼の脳波と照らし合わせて、波形がかなり強く乱れるものだけ消してくれるかな》
《了解です》
瀬名は真木の指示にしたがって別枠のモニターに表示された透の記憶のデータのうちの1つに薄いゴム手袋をした指先で触れる。
日付は2050年5月21日、日曜日の夜だった。画面が切り替わり、フルスクリーンでモニターいっぱいに記憶の再生が始まる。
(これ……あの時に真木博士が言ってたやつか)
そこには髪や着ているシャツがべったりと疑似血液にまみれ、上半身だけの無残な姿で這いずる透の姿があった。相当な出血をしているようだ。透の体が少し動く度に不愉快なモーター音と共に廊下の床材にピンク色の
《瀬名くん!それだ早く》
真木の鋭い声が飛ぶ。モニターの向こう側、台の上に寝かされた透の機体がまるで痙攣を起こしたように体中をこわばらせてガクガクと激しく震えていた。真木はそれを抑えようと必死だ。瀬名はすぐに今見ている記憶をチャプター選択に戻し再び触れる。
【この記憶を消去しますか? YES/NO】
瀬名は迷わずにYESを押す。押してから記憶データのバックアップを取り忘れたことに気づくが、もう遅い。消去中と表示され、数秒も経たないうちに終わる。真木の部屋を映しているモニターにもう一度目をやると、機体の痙攣はおさまっていた。瀬名は安堵し、次々と透の記憶を見てゆく。その中で妙に頭の中に引っかかるものがあった。
(そういえばどうして、小松博士は息子さんに機能停止するまで追いこまれた?それに2人ともあんなに怯えているのは、何か理由があるはず)
《……真木博士、小松博士の脳に負担をかけないように人工神経との接続をこちらの作業が終わるまで切れますか。蓄積された記憶が多くて消すのにだいぶ時間がかかりそうです》
《わかった。すぐにカットするからゆっくり閲覧してほしい。生体部品からの反応は引き続き反映されるからね》
瀬名はダメ元でそう言ってみると真木はすんなりと受け入れた。今の提案はこれ以上透の苦しむ姿を見たくなかったからでもあるのだが好都合だ、今のうちに原因を探ってみよう。瀬名は先ほど消した5月21日より前の記憶をさかのぼっていくつか再生する。透の脳波も気にしつつ、モニターの映像に集中する。
(ああ…………これか)
瀬名は眉根に皺をよせ、ある記憶を開いた画面を見つめる。脇のモニターに表示された脳波が先ほどよりもずっと強く乱れている。そこに映っていたのは透の妻であり佑の母である小松亜紀の姿だった。
*
午後の強い日差しが窓から差しこんでいる。真っ白な遮光カーテンを引いた自室で佑は勉強机の上に乗せた自分のパソコンに向かい、通っている中学校のクラスへの出席を済ませる。授業はほとんどインターネット上で行われる上に登校は月に1、2回のため、他人と接するのが極端に苦手な佑でもなんとかなっていた。
(これで今日の授業は終わりか……。後から復習しておかないと)
佑はパソコンの電源を落として閉じるとふう、と息をつく。亜紀は午前中から仕事で出勤していて帰りは遅くなると言っていた。透は午後には帰ってくると言っていたけれど……まだ帰ってきていない。
(真木さんに連絡してみるか)
佑は携帯で真木の番号を呼び出してかける。繋がるまでに時間がかかった。
『佑くん?どうしたのかな、何か急ぎの用かい』
「ああいえ、別に急いではないんですけどあの……父の様子がどうなってるか知りたくて」
『すまない、昼には帰宅させる予定だったんだけどね。最後の点検作業が思いのほか長引いていて今日中にはとても終わらなさそうなんだ』
電話ごしの真木は少し焦っているように感じられた。一体どうしたんだろう。
「真木さん、そっちで何かあったんですか」
佑が問いかけると真木は言いづらそうに話を切り出した。
『うん、実はね。ものすごく言いにくいことなんだけど……聞いてくれるかな』
「はい」
『佑くん君…………お母さんがお父さんを殺したことは知ってたかい』
真木の言葉を聞いた佑の思考が凍りつく。何だって。母さんが父さんを……殺した?
「真木さんそれ、ど……どういうことですか?」
『やっぱり知らないんだね。帰り際の点検の時にお父さんの記憶を調べたら出てきたんだよ……君のお母さんがまだ体が生身だったころのお父さんを刺している映像が』
真木が佑にかいつまんで説明した話によるとまだ体が普通だった透はある日、亜紀と些細なことで口論になり怒った母さんにリビングルームにあった包丁で刺されて逃げようとしていた。その後に交通事故に遭ったらしい。
「そんな……母さんがそんなこと、するはずないです」
『……僕だってまだ信じられないよ、とてもそんなふうには見えなかったからね』
『一応その記憶はまだ消去してないんだけど……念のためバックアップを取っておくよ。今回の修理では機体とシステムを新しくしたから誤作動の原因にならないように後から消すつもりだけど、佑くんかまわないかな』
佑は真木に何も言えなかった。さっきの話を信じたくない。
「…………はい、お願いします」
佑はそこで通話を切る。足先が冷えてふらついていた。ベッドを背にしてしゃがみこみ、膝を抱える。両目からなぜか涙があふれて止まらなかった。
*
翌日の午後、自宅に透が帰ってきた。亜紀はいつもの通り、朝から出勤している。
「おかえりなさい、父さん」
佑が玄関ドアを開け出迎える。髪型と服装がだいぶ変わっていたので一瞬別人かと思った。60歳くらいの外見は変わらない。むしろ体型が細身で長身のため初対面でその年齢を予想するのは難しいだろう。
今まで七三分けにしていた黒髪の先が長く伸びて、水色のヘアゴムで縛って肩のあたりに馬の尻尾のように下げている。隣に見慣れない若い男性が一緒だった。年齢は30代後半くらいだろうか。
「あの……どなたですか?」
「あ、こんにちは。えっと佑くん……だったよね。僕はお父さんと一緒のRUJに勤務している瀬名真一っていいます」
不審がる佑に瀬名は後ろになでつけた茶髪を指先で払い、鼻からずり落ちた眼鏡をかけなおすと自分のRUJのカーキ色の制服の胸ポケットから名刺を取り出して手渡す。
「今日は小松博士と一緒に地下層の博物館に行く予定だって聞いて、僕も同行させてもらうことになったんだけど……いいかな。嫌だったら言ってね、留守番するからさ」
『……彼のことは前もって連絡してなくてすまなかった、どうかな』
透が少ししゃがんで佑と同じ目線になる。佑は透の目を恐れるように顔を少しそらす。
「……別に、いいよ。瀬名さん、よろしくお願いします」
「う、うん。よろしくね、じゃあ早速出かけようか」