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第3話『語られる真実』

王城の裏門。人目につかない場所に、二つの影が向かい合っている。白装束の裁定者と、黒を纏った神託放棄者。その対比的な姿は、夕暮れの中で奇妙な存在感を放っていた。


「下層区画での出来事について、巡回士から報告を受けた」

ルークの声は穏やかに、しかし確かな意志を持って響く。公式の場では見せない親しみが、その言葉には滲んでいた。

「君も現場に居合わせたそうだね」


レイヴンは黙ったまま、懐から一枚の紙を取り出す。それは下層区画の巡回士が作成した、マリアの検死報告書の写しだった。風に煽られた紙が、かすかにパタパタと音を立てる。


「神理教会の裏路地を通りかかった時です」

レイヴンは淡々と事実を述べる。しかしその声には、怒りを押し殺したような響きが混じっていた。

「遺体を発見し、巡回士とともに確認に向かいました。死亡推定時刻は深夜二時。複数の刺傷、打撲痕が確認され、最終的に首を絞められての窒息死。そして——」


レイヴンは一呼吸置く。


「額には裁定者の刻印が刻まれていました。間違いなく、本物の刻印によるものです」

「刻印、か」

ルークの声が沈む。

「昨夜、裁定者会での死刑執行の決議はなかった。正式な儀式も執り行われていない。これは明らかな権限の逸脱行為だ」


「つまり、裁定者の誰かが、密かに刻印を使用したということですか」

レイヴンの声が冷たく響く。

「裁きという名の下で、勝手な処刑を行ったと」


ルークは長い間、黙っていた。その瞳は遠くを見つめ、何かを見定めようとするかのように静止している。

裁定者たちが持つ刻印。その力が私欲のために用いられたとすれば、それは裁定者会の存在意義そのものを揺るがしかねない。


「我が裁定者会は、神の名において正しき裁きを執行する」

ルークの声は、いつもの厳かさを取り戻していた。しかし、その奥底には微かな揺らぎが感じられる。

「しかし、この件については私も気になる点がある」


ルークは遠くを見やる。

「今朝、レイモンドという男が教団に寄付金を納めに来た。慈善家として名高い人物だ」


「寄付、ですか」

レイヴンの声が冷たく響く。

「養女を失ったばかりの男が」


「ああ。不自然だと思わないか?」

ルークの問いかけに、レイヴンは目を細める。

「特に、彼が養女たちに掛けていた保険の存在を考えれば」


「保険、ですか」


「ああ。レイモンドは慈善家として、下層区画の少女たちを養女として引き取ってきた。そして、彼女たち全員に高額の保険を掛けていたという報告がある」


レイヴンの表情が変わる。すべての点が繋がり始める。


「裁定者の刻印があれば、それは正当な裁きとなる。保険金は満額支払われ、男は莫大な利益を得る。そして教団への寄付。これは、共犯への分配金としか思えない」


「確かに、その推理には一理ある。しかし、裁定者会への告発は重大な意味を持つ。それ相応の証拠が必要となるだろう」


夕暮れの光が二人の間を斜めに横切る。白装束と黒衣の対比が、光と影の境界線を作り出していた。


「裁きによる死亡時の保険金支払いについて、興味深い報告があった」

ルークは遠くを見つめながら言葉を続ける。

「通常の十倍。それも、裁定者の刻印があれば、いかなる審査も省略される」


レイヴンは黙って聞き入る。


「グレーゾーンの調査には、我々裁定者の手は及ばない」

ルークは空を仰ぐ。

「そこには別の、より自由な立場の者が必要となるだろう」


「そこで、俺の出番という訳か」


踵を返したレイヴンの背中を、ルークは静かに見送った。石畳の上を滑るように動く影は、やがて路地の闇に溶けていった。


下層区画の路地は、いつもと変わらない喧騒に包まれていた。アルフの診療所の前を通りかかったレイヴンは、窓ガラスの向こうから漏れる古い薬品の臭いと、いつもの酒の匂いを感じ取った。埃っぽい窓ガラスは、夕暮れの光を曇らせて通している。

レイヴンが診療所の戸を開けると、待合室の奥から物音が聞こえてきた。アルフは一人、診察台の脇に座り込んでいる。手元の酒瓶に目を落としたまま、珍しく沈み込んだ様子だ。


「よう、アルフ。話がある」

レイヴンは静かに声をかける。昨夜の出来事について、この男なら何か知っているかもしれない。下層区画の医者として、街の闇を誰よりも見てきた男だ。


アルフはゆっくりと顔を上げた。その表情には、普段の軽薄さは微塵も感じられない。


「ちょうどいいところに来た」

アルフの声は低く、重い。

「お前にも見てもらいたいものが、ちょうどあってな」


「昨夜の件について、何か知っているのか?」


「ああ、巡回士の報告は聞いた。死因は窒息死。その前に複数の刺し傷と打撲痕があったという」

アルフは立ち上がりながら、奥の個室を指差した。瞳には、どこか暗い決意のようなものが宿っている。

「おそらく、同じ手口だ」


個室に案内された先で、レイヴンの目に映ったのは一人の少女だった。薄暗い照明の下、包帯の所々には血の滲みが見え、呼吸は浅く、不規則だ。顔には青あざが残り、それは暴力の跡を如実に物語っていた。見慣れた傷跡。それは昨夜、裏路地で見つけた死体と同じパターンだった。


「昨夜、表の診療所が閉まった後でな」

アルフは診察台の横に腰掛ける。

「裏口を必死に叩く音がした。開けてみれば、この子が倒れ込むように。手には金の詰まった袋を握りしめていた」


「レイモンドの養女か」

レイヴンは少女の傷を見つめながら、その規則的な包帯の巻き方に目を留める。アルフの仕事は丁寧だった。それは単なる技術以上の、人命への真摯な向き合い方を感じさせる。


「ああ。ミラという名だ。レイモンドの金庫から逃亡資金を持ち出してな」

アルフは窓の外を見やる。

「あいつの養女は皆、同じような経過を辿る。慈善という名目で引き取られ、しばらく『教育』を施された後、上層貴族の館に売られていく。表向きは養子縁組ということになるがな」


「レイモンドの使う手はこうさ。養女たちを引き取り、その後どこに移されようと、それは教典の管轄外だと言い張る。完璧な人身売買の仕組みさ」


「ところが今回は、新しい商売を始めたようだな」

レイヴンは静かに言う。

「裁定者の刻印まで使って、保険金詐欺を。昨夜殺された少女も、彼の養女だった。人身売買では売れない商品を、保険金として換金する。より効率的な商売というわけか」


「街医者という立場上、色々なものを見てきた」

アルフは言葉を選びながら続ける。

「死体の取り扱いはお前らの仕事。医者は生きている者を診る。それだけだ」


レイヴンはゆっくりと頷く。アルフの言葉の意味するところは明確だった。生きている者を守る。それが彼なりの教典の解釈であり、信念なのだろう。


「治療は頼む。この子の証言が、事件の真相を明らかにする鍵になるはずだ」

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