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愚高のレイヴン
愚高のレイヴン
Jloo(ジロー)
異世界ファンタジーダークファンタジー
2025年02月12日
公開日
2万字
連載中
神の意志は、裁定者によって解釈され、裁きとなって人々に下される。その絶対の権威の下で、アイゼンクラフトの街は秩序を保っていた。
下層区画出身の騎士レイヴンは、裁定者への昇進を目前に控えた儀式の場で、神託を放棄する。その異端の選択は、街に大きな波紋を投げかけることとなる。
神の名の下に隠された闇、そして裁きという名の下に潜む人々の思惑。裁定者No.2ルークの庇護の下、レイヴンは真実を追い始める。彼の行動は、絶対の権威とされてきた裁定者会の在り方そのものを問い直すことになっていく。

第1話『神託の放棄』

『神理典 序文』


我らが神は、混沌より秩序を生み出された。

その慈悲により、我らは裁きを与えられた。

裁きは、生きとし生けるものの導きであり、

その時は神のみぞ知る。

祈りを捧げる者に、神は必ず応える。

されど、その応えを解釈することは人に許され、

解釈を実践することもまた、人に委ねられている。

全ては神の采配の下にある。


王城の儀式の間。高い天井から降り注ぐ光が、床一面を照らし出していた。壁掛けが風に揺れ、その動きが作る影が神聖な空間に命を宿らせる。


エレイン・ヴァルフォードとレイヴン。二人は共に類まれな才能を持つ騎士として知られていた。しかし今日、その道は分かたれようとしていた。エレインは上層貴族の生まれ。幼い頃から神理典を学び、その教えを忠実に守ってきた優等生だった。その彼女が、今日の神託の儀式では立会人という立場に留められている。


一方のレイヴンは、下層区画の出身。彼が神託によって選ばれたという知らせは、貴族たちの間で大きな物議を醸していた。黒を基調とした装いは、エレインの銀の甲冑とは対照的な印象を与える。しかし、その卓越した才能は誰もが認めるところだった。


儀式の間の両側には、貴族たちが整然と並んでいた。彼らの視線には、レイヴンに対する軽蔑が見え隠れする。下層の者が裁定者に。それは貴族たちにとって、耐え難い現実だった。しかしエレインには、それ以上に複雑な思いが渦巻いていた。共に修練を重ねてきた同期。その彼が、自分とは違う高みへと登っていく。


「汝は神の光の下に選ばれし者なり」王の声が厳かに響く。「神託とは、この世に神の意志を顕現せしめる至高の力。それを受け取る資格があると認められた汝は、今この瞬間より、神の代理人として裁きを執行する権利と義務を授かるのだ」


「神の御名において、この神聖なる神託を、汝は受け入れるや」


一瞬の静寂。儀式の最も重要な瞬間である。神託を受け入れることは、単なる力の授与ではない。それは神の意志を直接受け取り、その裁きを執行する重責を担うことを意味していた。


誰もが、レイヴンの答えを待っている。


その時──


「私は」


突如として、レイヴンの声が響く。その声には、これまでとは違う感情が込められていた。会場の空気が、微かに震える。


「この神託を、謹んで辞退させていただきます」


その言葉が、静かに、しかし確固たる意志を持って放たれた。


場内が凍りつく。エレインの表情が強張り、側近たちの間にざわめきが走る。レイヴンを見る貴族たちの目には、明らかな動揺が見えた。神託という絶対の権威を、人の意志で拒むことなど、誰も想像したことがなかったのだ。


「余の耳が正しく聞き取ったとは思えぬが」王の声が低く震える。先ほどまでの厳かな調子は消え、その声には危うい響きが混じり始めていた。「もう一度、その不遜なる言葉を繰り返してみよ」


「この神聖なる神託を、私には担う資格がないと判断し、辞退させていただきます」


レイヴンの声は静かだった。


「三年前、私の妹は裁きによって命を落としました。彼女の死に、どれほどの神の意志があったというのでしょう」


その言葉に、広間に集まった貴族たちは眉を顰める。彼らの多くにとっては、下層の少女が受けた裁きなど記憶に留める価値も無かったのだ。


「この神託を受け入れることは、あの日の裁きを正しかったと認めることに等しい。それだけは、私にはできません」


レイヴンは丁寧に、しかし決然とした口調で答えた。


「貴様」王の声が一変する。もはやそこには儀式の厳かさは微塵も残っていない。

怒りに震える声。それは次第に大きくなっていく。


「下賤の身分であるにもかかわらず、神の慈悲により特別な選択を受けた者が、その神意に背くとは」


レイヴンは静かに、しかし芯の通った声で返す。「人の手による裁きが、本当に神の意志を体現し得るものなのでしょうか」


その言葉に、貴族たちの間から悲鳴に似た声が上がる。下層出身の者への異例の処遇を放棄することは、それだけでも死罪に値する不敬行為だった。しかも、神託の正当性そのものに疑問を投げかけるとは。


「冒涜者めが!」王の叫びが、儀式の間に轟く。その声には、もはや理性の響きは残されていなかった。「神への冒涜、王権への反逆、そして何より、神託という聖なる制度そのものへの挑戦。これほどの重罪が他にあろうか」


「警護の者ども!」王は立ち上がり、玉座から一歩踏み出す。「この不届き者を即刻捕らえよ。神への反逆者に相応しい裁きを、この場で執行せよ」


衛兵たちが、一斉に動き出す。武具の音が石畳を震わせる。誰もが、このまま処刑が執行されると確信していた。エレインは、思わず目を閉じる。長年の同僚の最期を見届けることは、彼女にはできそうになかった。


しかし、その時。


「その必要はありません」


落ち着いた声が、儀式の間に静かに響き渡る。その声には、不思議な威厳が込められていた。それは怒りに満ちた王の声とは対照的な、深い静けさを湛えている。


白を基調とした装束の男が、ゆっくりと前に進み出る。裁定者No.2、ルーク・サイファーである。

衛兵たちの動きが止まる。その様子は、まるで時が凍りついたかのようだった。


ルークは神理典の解釈において、最高の権威を持つ存在だ。神の意志を解釈し、その裁きを執行する裁定者。その中でもNo.2という高位にある彼の言葉は、時として王の意志さえも覆すことがある。


「レイヴンの身柄は、私が預からせていただきます」


その言葉には、いかなる反論も許さない確固たる意志が込められていた。


「しかし、ルーク殿」王の声が震える。その声には、怒りと困惑が入り混じっている。「これほどの不敬、これほどの冒涜を。神託を放棄するとは、神そのものへの反逆に等しい」


王は玉座から一歩踏み出し、ルークに向き直る。その姿には、王としての威厳と、神の僕としての焦燥が同居していた。


「神託の意味を、誰よりもご存知のはずのルーク殿が、なぜこのような」


「神意の解釈は、私たち裁定者に委ねられた務めです」


ルークは静かに、しかし力強く言葉を紡ぐ。彼の声音には、長年神理典と向き合ってきたからこその確信が宿っていた。


「神託の放棄。確かにこれは前代未聞の事態です。しかし、それが即座に不敬に値するのか。その判断もまた、私たち裁定者が慎重に検討すべき事案ではないでしょうか」


その言葉に、王は言葉を失う。確かにその通りだった。神理典における「不敬」の定義とその裁きは、裁定者たちの解釈に委ねられている。それは王といえども、介入できない領域なのだ。


「この件については、裁定者会議で慎重に協議させていただきます」


ルークはそう告げると、レイヴンの方を振り返る。「来たまえ」


レイヴンは静かに立ち上がり、ルークの後に続く。


「待って」


エレインの声が響く。彼女は一歩前に出ようとしたが、すぐに周囲の視線を感じ取って動きを止める。騎士としての誇り、神理典への忠誠、そして同期への想い。相反する感情が、彼女の中で激しくぶつかり合っていた。


「なぜ」彼女の声は震えていた。「なぜ神託を...」


レイヴンは立ち止まり、彼女を振り返る。その目には、かつて共に修練を重ねた日々の記憶が浮かんでいた。しかし、彼は何も言わない。ただ小さく首を振っただけだった。


その仕草に、エレインは言葉を失う。彼女には分かっていた。レイヴンの選択が、単なる反抗ではないということを。しかし、その真意を理解することは、彼女にはまだ出来そうになかった。


二人の足音が、石畳を静かに叩く。儀式の間に残された人々は、その音に聞き入るように動かない。やがて、その足音も遠ざかっていった。


広間を後にした二人は、薄暗い回廊を進んでいく。ステンドグラスを通り抜けた光が、廊下に色とりどりの影を落としている。その光の中で、レイヴンは初めて口を開いた。


「なぜ、私を助けたのですか」


ルークは立ち止まり、窓の外を見やる。そこからは、下層区画の暗い街並みが見渡せた。


「君は神託を放棄した。しかし、神を否定したわけではないだろう」


レイヴンは黙って頷く。が、その表情には微かな違和感が浮かんでいた。


「私は、裁きの在り方を問うただけです」


「そうか」ルークの目が、柔らかな光を帯びる。


レイヴンは窓の外を見やる。下層区画の暗い街並み。そこには、秩序の名の下に見捨てられた者たちが溢れている。


「確かに、世界には導きが必要かもしれない。でも、現状の体制は正常に機能していない」


「では、何が必要なのだ?」


「人が人として生きることへの理解。それだけです」


ルークは長い間、黙っていた。レイヴンの言葉の中に、自分とは異なる何かを感じ取ったように。


「君の目が必要だ」ルークはようやく口を開く。「制度の中にいる私には見えないものを見る目が」

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