またこの夢だ、最近見る夢はこればっかり。
『次は活け造り〜…活け造り〜…デス。ご希望の方いらっしゃいませんカア』
ノイズまじりの車内アナウンスと共に奥の車両から亜里子のいる車両へ誰かがやって来る。ワイン色の帽子と制服と腕章を身につけた姿は車掌そのものだが、左右で長さの違うとがった猫のような耳とズボンから出た長い尻尾が彼が人間ではないことを証明していた。
『ん〜…やはりトランプ兵の首では物足りませんネエ。お仕事お疲れ様でシタ』
車掌のそばには蝶ネクタイをしたテーマパークか海外アニメのキャラクターのような子猿が2匹、それぞれに自分の身長を超える大きさの穴あきスプーンや長い刃の包丁など物騒なものを持ってあとをついてくる。
背の高い車掌は座席に座る亜里子の前まで来るとふいに立ち止まり、目線を合わせるようにしてしゃがみこんだ。
『……活け造り、貴女でもいいんですけどネエ。あ〜でも今夜はアイツがいないようでスシ、小生欠片ほども貴女に興味はないので……見逃してやりましょうかネエ』
『ジャックという男をここへ連れて来てくだサイ。頼みましタヨ、アリス』
車掌は一方的にそう言うと立ち上がり、両肩に子猿たちを乗せて去っていこうとする。手をふる子猿たちに向かって亜里子は質問しようとするが金縛りか何かにあったように声が出ない。
待って、ジャックって誰?
「…………どこにいるの、教えて」
やっと声が出た。その瞬間、ちりちりと痛いほどの無数の視線が亜里子の皮膚を通りこして突き刺さる。電車の中なのは夢と同じだ。ただ、あの異様なピンク色の市松模様だらけの空間ではなかった。
ああ、しまった、これは現実だ。
思わず声…出ちゃったじゃん。
他の乗客からの視線が少しずつ外れていくのを感じながら、亜里子は心の中で舌打ちした。
現実の電車で亜里子が夢から醒めたころ、日が暮れた公園の片隅にとても奇妙なものが出現していた。
真っ白なレース編みのクロスをひいた長テーブルの上にイギリスのアフタヌーンティーかと見間違うほどに豪華な料理や菓子、ティーセットの類が乱雑に並んでいる。
お茶会の主催者は黒地に蛍光ピンクのストライプが入ったスーツを着た長髪の男で、どこから持ってきたのか黒の革張りのソファーに座り今朝の新聞の紙面に鼻をつっこむようにして黙々と読んでいた。
公園内に人影はなく、暗くなってきたので周囲にある街灯が自動的にぼつぼつと点きはじめる。
テーブルの黒い磁器ティーポットの蓋がふいに開き、中からこれまた黒いマスコットキャラクターのような見た目の鼠が1匹出てきて男が読んでいる新聞を上へとよじ登って口をきいた。
『まーたそんなもん読んでるんですかジャックさん。アリス、探すんですか探さないんですか』
『……またその話か眠り鼠、邪魔だ。記事が読めないだろ』
眠り鼠からジャックと呼ばれた男は紙面から顔も上げず、うっとおしそうに記事を隠してしまっている眠り鼠の前足を片手ではらった。
『んん?連続変死事件なんてこっちの世界は物騒ですね。最近なんだか多くないですか』
『こんなの不思議の
眠り鼠はジャックが読んでいた記事に目をとおして顔をしかめる。
『そりゃあそうかもですけど、アリスを探して連れてこいって赤の女王様に命令されてるんでしょう。無視してるとまたお仕置き、くらいますよ』
『言っとくが俺は彼女のペットじゃない。ちょっとくらいは無視したって大丈夫だろ』
ジャックがそう言って飲みかけの紅茶が入ったティーカップを取ろうと手を伸ばした瞬間、まるで誰かに強く握られたかのようにぎゅっ、と胸のあたりに締めつけられるような激痛がはしった。
『ああ〜ほら、言わんこっちゃない。ジャックさん大丈夫ですか。やっぱり心臓なくても痛いんですか』
『お前……そんなことさらっとよく言えるな。めちゃくちゃ痛いに決まってるだろうが。盗られたのはたしかだが潰されたわけじゃないんだ、まだどこかで生かされてる』
悪趣味な奴め、とジャックは地面に膝をつき両手で強く胸を押さえたまま吐き捨てる。しばらくすると嘘のように痛みが消えた。赤の女王は残虐で冷酷な性格だという噂だが本当らしい。
『……アリス、探すしかなさそうだな。あっちから来てくれると助かるんだけどね』
胸の痛みがおさまったジャックがソファーに座りなおしてつぶやくと眠り鼠に呆れられた。
『そんなこと言ってる暇あったらとっとと探したらどうです?僕は寝ますからしばらく起こさないでくださいね』
*
その翌日は1日、亜里子はまったく授業についていけなかった。昨夜電車の中で見たあの夢のせいだ。
一体いつから始まったのか覚えていないがここ数週間、いや数ヶ月くらいずっとあの夢が続いている。毎日夜になるとあの電車に乗っている。
夢は夜ごとに少しずつ鮮明になってきて、今ではほとんど現実と変わらないリアルさだ。それだけに朝起きると特に吐き気がひどい。鼻の奥にこびりついたように血の臭いが残っている。
『ジャックという男をここに連れて来てくだサイ。頼みましタヨ、アリス』
頭の中にあの子猿をつれた車掌の声が繰り返される。そういえばアタシはまだ名前を名乗ってもいなかったのに、どうして知ってたんだろう。
放課後。帰宅のために電車に乗った亜里子は座席に座った途端、連日の睡眠不足のせいか眠りにおちた。
『……おや、これはこれは。まだそちらは夜じゃないですよネエ。来るのが早すぎやしませンカ。ああそれとも、ジャックが見つかったんでスカ?』
眠った瞬間にあの電車にいた。見渡すかぎりのピンク色と市松模様がうずまく明らかな異空間。亜里子の目の前には車掌がすでにしゃがみこんでおり、期待をこめた眼差しで亜里子の顔を見上げていた。さらさらとした車掌の肩あたりまで伸ばされた真っ白な髪が風もないのにふわり、とゆれる。
『で、ジャックは見つかったんでスカ』
「……ま、だ」
いつもは意識があっても声がまったく出せないのにこの日は違った。亜里子は喉から必死に声を絞りだすようにして車掌の質問に答える。
「見つ……かって、ない。それ、から、アンタ……誰?」
『なあんだ、それは残念。見つかってないんでスカ。うーん、どうしましょうかネエ、名前は教えてもいいんですケド』
「けど?」
亜里子が聞き返すと車掌が黒いマスクごしににんまりと口を三日月のようにつりあげて笑うのが見えた気がした。
『小生は……猿夢と申しマス。今後はどうぞお見知りおきをアリス。そういえばこの間は小生の気まぐれで見逃してあげましタガ、今回は……逃しませンヨ』
しゃがみこんだままの車掌……猿夢の声から一切の感情が抜け落ちる。猿夢の両肩に乗っていた子猿たちが亜里子の体に飛び移り、瞬く間に顔まで登ってくる。その小さな手には巨大な先割れスプーンがしっかりと握られていた。