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第3話 夜の怪獣〜Monster〜

日が昇る前に猟師本部に帰還した後、ムルシエラゴと別れた棘は先ほどの討伐で疲れていたのでそのまま仮眠室に直行した。


灰色のベッドに制服も脱がずにダイブすると、掛け布団にくるまった。いつもの癖で手首のブレスレットを外そうとして……ムルシエラゴに貸していたのを思い出す。


(まあ……いいか。後から返してくれるって言っていたし)


常に肌身離さずつけているモノなだけに、ないと寂しいものだ。梟と適当に会話をしながら眠りにおちるのが棘の日課になりつつあった。


(とにかく……寝よう)


棘は掛け布団をさらに体に巻きつけると顔を埋めた。



「……こんにちは。怪獣討伐、お疲れ様でした。お2人だけで大丈夫でしたか?」


翌日の昼間。ムルシエラゴがパソコンに向かい、昨夜戦った怪獣の情報のデータベースへ登録する作業を行なっていると、背後から声がかけられる。振り返るとドアを開けて1人の女性が入って来るところだった。


『おや坂巻さん、こんにちは。もう体調は良くなられたんですか』

「ええ。実はまだ……少し不安定なんですけど、私も何か協力できればと思って」


坂巻小夜子はムルシエラゴにそう答え、顔の左側の三つ編みにした髪を軽く払って右目にした逆三角形の灰色の眼帯の位置を直す。眼帯には小さく縦に引き裂いた爪痕のような猟師のシンボルマークが入っている。


『右目……だいぶ侵食が進んでるみたいですねえ。痛みはありますか』

「いえ、今はまったく。たまに痛みますけど平気です」


ムルシエラゴは小夜子の顔の右側の眼帯の周囲、墨で染めたように黒くなってしまった部分をじいっと見つめてから両腕を胸の前で交差させた独特なポーズで顎に手袋をした片手をあてる。


『あまり無理はなさらないほうがいいと思いますよ。体が耐えられなくなってからでは遅いんですから』

「ええ……わかってます。そういえば彼、棘さんは?」

『昨夜の討伐の後、帰還してからすぐに仮眠室に。今日はまだ会ってないのでもしかするとまだ寝てるかもしれませんよ』


ムルシエラゴがすうっと手を伸ばして小夜子に長い指先で奥のドアを指し示す。


「ありがとう、行ってみる」

『どういたしまして。ああ、ついでにこれ……借りていたので棘くんに返してあげてくれますか』


ムルシエラゴはそう言って自分の手首から黒いブレスレットを取り外し、小夜子に手渡す。


「あ……はい。わかりました」


小夜子はムルシエラゴからブレスレットを受け取ると着ている制服のポケットにしまう。彼に軽く会釈すると奥の仮眠室に向かった。



コンコン、と仮眠室のドアがノックされる。ベッドで掛け布団にくるまっていた棘はその音でハッと目を覚ました。


制服に入れていた携帯電話を取り出し、時間を確認する。午後3時を少しすぎていた。そんなに眠っていたのか。


「棘さん?坂巻ですけど入ってもよろしいでしょうか?」

「……ああはい、どうぞ!」


棘がドアに向かってあわてた様子で言うと、仮眠室に小夜子が入ってくる。


「あのこれ、さっきムル……いえ、朝倉さんから棘さんに返してほしいと預かったので」

「あ、ありがとうございます。すみません」


小夜子が棘に梟を手渡す。形は液体ではなく、元のブレスレットに戻っている。ムルシエラゴが一度飲みこんでいたのを棘は見ているが、どうなっているのかは謎だ。


「じゃあ私はこれで。睡眠の邪魔をしてしまってごめんなさい」


小夜子はそう言って仮眠室のドアを外側に向かって開け、出て行った。


《ただいまイバラ、ボクがいなくてさみしくなかった?》

「うん……ううん嘘、やっぱり梟がいないと落ち着かない」

《そっか。イバラさみしがりだもんね……あれ?》


棘の手首で梟が不思議そうな声をだす。


《ねえイバラ。まえよりうで、くろくなってない?》

「え?あ……本当だ。気づかなかった」


梟に指摘されて初めて棘は自分の片腕……梟を着けている周辺がほんの少し墨で染めたように黒くなっているのに気づく。触ってみても痛みはない。


「でも、全然痛くないし平気だよ」

《そう?ならいいんだけど……。もしなにかあったらサヨコとかマヤにそうだんしてね》


棘は頷いて「うん……ありがとう」と言った。そこへ再びノックの音がする。棘が声をかけるとムルシエラゴが入ってきた。手には本部の外にあるコンビニの緑色のビニール袋をぶら下げている。


『おはようございます棘くん……って、もうお昼ですけど。昼食まだでしょう、良かったらこれ一緒に食べませんか』


ムルシエラゴはそう言ってベッドに歩み寄ると、棘の隣に腰を下ろす。2人の真ん中に置かれたビニール袋の中から醤油の香ばしい匂いがする。がさがさと音をさせてムルシエラゴが袋からパッケージされた炒飯二つとペットボトルの烏龍茶を取り出して片方を棘に渡す。


「……すみません、ありがとうございます」

『いえいえ。昨夜の怪獣討伐のお手伝いをしてもらったお礼です』


ムルシエラゴがにこっと棘に微笑んだ後、手にした自分の分の炒飯を開けて付属のスプーンで先に食べ始める。棘は昼食を美味しそうに食べるムルシエラゴを見ながら、自分も彼にならってパッケージの蓋を開いて食べだし……ぽつりと呟く。


「あの、朝倉……さん。夜の怪獣って一体なんなんですかね」

『ムルシエラゴでいいですよ、呼びづらいでしょう。ん?急にどうしたんですか、改まって』

「俺、あれからいろいろと考えてたんですけど……どうしても分からなくて」

『うーん、そうですねえ。あれが恐怖の大王だったと思えば少しは・・・・・・気が楽になりそうですが』

「……恐怖の大王?」


ムルシエラゴの言葉に棘が反応する。


『ええ。棘くん、君ノストラダムスの大予言って知ってますか?』

「ええと……それってなんでしたっけ。どこかで聞いたことある気がするんですけど」

『一九九九の年、七の月

空から恐怖の大王が降ってくる

アンゴルモアの大王を復活させるために

その前後の期間、マルスは幸福の名のもとに支配に乗りだすだろう

…………これは俗に世界の終わりの予言とされていますが、結局のところ外れたようです』

「もう8月ですもんね」


棘は仮眠室の少し開けた窓の外に目をやる。夏特有の巨大な入道雲が沈みだした日を受けて淡い桃色に染まっていた。


『いや〜、しかし時の流れは早いものですねえ。夜の怪獣が何なのかは……残念ですが私にも分かりません』

「そうですか」

『まあ……彼らがこの町に現れるのには必ず何か理由があるはずですから、これから少しずつ探っていきましょう』


棘は炒飯を食べながら無言で頷く。その様子を見ていたムルシエラゴが立ち上がり、いきなり棘の手首を掴む。


「な、なんですか」

『ああ…………やはり君もですか。でも侵食の進行は坂巻さんより遅いみたいですね』

「え、一体何のことです?」


棘はわけが分からず、ただムルシエラゴの顔を見つめる。手首に着けた梟が彼に抗議する。


《なっ、イバラになにするんだよ!こわがってるじゃないか》

『こういうのは早く知っておくほうがいいんです。君、今まで棘くんにコレが何か……言ってないですよね?』

《そ、それは……。いったらイバラがきずつくとおもって》


ムルシエラゴがそれを鼻で笑って続ける。


『なら、私が代わりに言いましょう。いいですか棘くん、余計なお世話かもしれませんがその手首の黒いあざのようなもの……放っておくとやがて君も怪獣になります』

「…………え」


棘の顔から血の気がひいてゆく。ムルシエラゴに掴まれたほうの手首を、そこにある黒くなった部分を凝視する。


「そんな……!さっき正体は知らないって言ったじゃないですか。な、治す方法とか、ないんですか」

『残念ながら今のところありません。君と坂巻さんは手首に着けているその黒いブレスレットによって進行が抑えられています。ですが……効果は100%とは言えない』


ムルシエラゴは悔しそうに頭を左右に振る。


「じゃあ、どうすればいいんですか⁉︎ 俺、まだ怪獣に……成りたくないです」


青ざめた顔の棘がぺたりと床に膝をつき、震えながらムルシエラゴを見上げる。


『ですから、怪獣化から逃れる術はありません。私が唯一出来るのはそのブレスレットで進行を遅らせることくらいです』

「そんな。なにか……まだ何か方法があるんじゃ」


そこまで棘が言った時、仮眠室のドアが激しくノックされた。返事も待たずに焦った様子の小夜子が入ってくる。


「お、お話の途中すみません!ここからそう遠くない場所に怪獣が出現しました」

「えっ?」


棘は小夜子の言葉を聞いてから窓に駆けより、外を見る。まだ夕方なのに怪獣が出るなんて……。


『……仕方ありませんね。では棘くん、さっきの話の続きはまた後にしましょう。討伐、行きますよ』

「あ……は、はい。すぐ準備します」


棘は返事をするが、先ほどのムルシエラゴの話が頭の中に渦を巻いていてうまく気持ちの整理がつかない。


『坂巻さんはどうします?一緒に行きますか』


仮眠室から出ようとしたムルシエラゴが振り返り、小夜子に尋ねる。


「はい。昨日は参加できなかったので行きます」

『分かりました。では……棘くんのサポートをよろしくお願いします』


小夜子は無言で頷く。棘はベッドに座ってうつむいたまま首をふる。ムルシエラゴは頷き返すと、仮眠室を足早に出て行った。


「じゃあ……棘さん、私たちも行きましょうか」

「はい」

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