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第二話 梅にムクドリ(4)

にんじんジュースを溶かしたみたいな色の空が、雲を挟みながら西のほうに広がっている。梅雨の晴れ間の空気はさらっと肌触りが良く、鼻から吸い込むとちょっと青臭い。


夏至が近いせいでもうまもなく七時を迎えるのにまだ世界は明るく、通学路にはうちの高校の制服がまばらな列を作っていた。汗の臭いが気になって西嶋さんといつもよりも距離を開けて歩く。



「小谷くん、頑張ってたね」

「そんなことないよ、すごい格好悪かったじゃん。平木に罰として後で一人だけ体育館二十周走らされたし、さんざんだよ。いや、自分が悪いんだけど」



 せっかく一緒に帰っているのに、西嶋さんは一度もちゃんと僕を見ようとしない。気まずい空気の中、僕はいつもよりも饒舌になる。西嶋さんに気を遣わせている後ろめたさが舌を回らせる。


 西嶋さんはきっと、笑ったことを謝るかどうか迷っているんだ。謝れば自分の罪悪感は減らせるけど、そうすればもっと僕が惨めになるんだと知ってるから。張り詰めた横顔に、ちょっといらついた。西嶋さんの優しさが、まっすぐな透明の心が、苦しかった。


 ばさばさっ、と不穏な音がして僕らは立ち止まる。見れば道の端に設置されたゴミ捨て場で、鳥が猫よけ用のネットに羽を絡ませてじたばたしていた。仲間が電線の上から喘ぐ鳥を心配そうに見下ろしている。


たぶんゴミを漁っていたところ、近づいてきた僕らから逃げるために慌てて飛び立とうとして、羽が引っかかったんだろう。西嶋さんが近づいていく。



「大丈夫、怖がらないで。すぐ助けてあげるから」



 西嶋さんはごく自然に鳥に話しかけながら、白い手をネットに伸ばす。鳥はしばらくギューイギューイと鳴きながら喘いだ後、やっとネットから開放されて飛び立った。


仲間と一緒に赤い空をバックに羽を広げる鳥を見上げながら、西嶋さんが目を細める。さっきまでの張り詰めた雰囲気が、少し柔らかくなっている。



「ムクドリっていって、どこにでもいる鳥なの。柿とか甘いものが大好きなんだ」

「例の、鳥に詳しかったおばあちゃんに教えてもらったの?」

「そう」



 この前のウグイスの時もそうだったけど、鳥の話をする時西嶋さんはいつも以上に優しい顔になる。彼女にとって鳥の記憶は、大好きだったおばあちゃんの思い出と一緒に保存されているんだ。



「全然可愛くないし目立たないし、変な声で鳴くし、しかもカラスとかにいじめられちゃって、可哀想なんだ」

「へぇ」


「うち、庭にエサ台があるから冬になるとよく飛んできてね、いつもカラスにミカンを奪われちゃうの。負けるなって応援するんだけど、黒い大きな羽にばしってやられて、すごすご退散してく」


「根性ない鳥だね」

「そうかも」



 今日初めて西嶋さんの笑顔が見れて、少し安心した。彼女の頭の中で、僕の自殺点の記憶がだいぶ薄まっているようだった。


でも鳥の話なんていつまでも続くわけもなく、すぐ会話が途切れてしまう。話題を探しているうちに、昼休みの雄輔たちとの会話を思い出した。今のムードなら、いつもは聞けないことも聞ける気がした。



「西嶋さんってさ、一年の頃杉下と付き合ってたじゃん? なんで別れちゃったの?」



 言いながら杉下のハンサムだけどどこかハナにつく顔を思い出した。そして一年の頃に流れた、二人がヤッたとかヤッてないとかいう噂も。


もちろん、もう高校生なんだからそんな噂はしょっちゅう流れるし、ヤッた奴なんて別に珍しくもなんともない。当然、そのヤッた奴っていうのは、ヒエラルキーの上位に位置する奴ばっかりなんだけど。


 西嶋さんが過去の恥ずかしい思い出に苦笑いするような顔をした。



「浮気されちゃったんだ。相手は、バイト先の大学生だって」

「ひどいなそれ」


「ひどいよ。でも、それですぐ諦めちゃった。一度、こっそりその人のこと見に行ったんだけど、とってもきれいな大人の女の人だった。わたしには絶対敵わないって思った」



 西嶋さんがそんなふうに思うってことは、本当に、よほどきれいな人だったんだろう。いや、西嶋さんには「とってもきれいな大人の女の人」に見えてしまっただけで、実際はそうでもないのかもしれない。いずれにしろ。



「浮気なんて最低だよ。僕は絶対そんなことしないから安心して」

「わかった。ありがとう」



 心からほっとした笑顔の西嶋さんを見ていて、恐ろしい仮説が生まれた。


 もしかして、西嶋さんは浮気される心配がないから、そんなことも出来なさそうな僕を杉下の次の彼氏に選んだんじゃないだろうか――いやそんな考え方は西嶋さんに失礼だと、慌てて自分を叱る。西嶋さんはきっと、そんなに弱い女の子じゃない。


 二人を結びつけたのは、一枚のパスケースだった。二年生になったばかりのある日、僕がたまたま拾った西嶋さんのパスケース。すぐに職員室に届けて、ほどなくパスケースは西嶋さんに返されたんだけど、まさか放課後、西嶋さんがわざわざお礼を言いに来てくれるなんて思わなかった。


 その日も部活が終わるまで西嶋さんは待ってくれていて、なんべんもお礼を言う彼女と影を並べ、一緒に帰った。西嶋さんがラインIDを交換しようと提案してきた時は、都合のいい白昼夢を見てるのかと思った。


それから一ヶ月くらいラインのやり取りが続いた後、告白してきたのは西嶋さんのほうだった。僕からそんなおこがましいことは、絶対出来なかった。



 その時は文字通り天にも上る気持ちで、嬉しすぎて足元がふわふわして、寝ても冷めても西嶋さんとの楽しい未来ばかりが瞼の裏に浮かんで、とにかくすっかり浮かれてた。後でこんな気持ちになるなんて、想像すらしないで。


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