放課後、部室で見た携帯には西嶋さんからのメールが来ていた。
『一緒に帰りたいな。部活終わるまで待っています』
差出人が西嶋さんってだけで、なんとなくディスプレイに並んだ文字がきれいに見えてしまう。あんなに美人で優しくて高嶺の花の西嶋さんが僕の彼女なんだって改めて実感するのは、こういう時だ。返信を打ちながら、弾む胸を抑えきれない。
「お前、何スマホ見ながら一人でニヤニヤしてんの。気持ち悪ィぞ」
着替えていた
「別に何でもないよ」
「さっさと行くぞ、遅れると
長い脚でさっさと部室を出て行く北野の後に続く。北野は一八二センチ、僕は一六七センチ。一緒に並ぶとよく「爆笑問題」とからかわれる。
大体、背が低くて運動神経も大してよくない僕がバスケ部なんて華やかな部活に入っているのが客観的に見ればおかしいらしく、僕もそう思う。
中学から始めたバスケを高校になっても惰性で続けてるだけなんだけど、そんなことするべきじゃなかったんだ。それに気づいた時には、既に辞めるタイミングを失っていた。
「よし、全員揃ってるな。まずはいつも通り体育館十周!」
キャプテンの磯山さんを先頭に、僕以外一八〇センチ超ばかりのごつい男たちが掛け声を揃え、列を作って体育館を駆ける。
少しリズムの違う足音が地響きを立て、吹き出した汗の臭いがツンと鼻を刺激する。まだ走ってるだけなのに、体育館の入り口には既にギャラリーの女子たちが集まって、北野や磯山さんに熱っぽい視線を注いでいる。
人気者にとってはギャラリーの存在はまんざらでもないんだろうが、僕にしてみれば苦痛なだけだ。チビのベンチ部員は、イケメンのスタープレーヤーとのいい比較対象だから。
よく格差社会なんて言葉を聞くけれど、学校なんてのはその縮図だ。単純に見た目で差別され、どれだけ見栄えがするかによって、その人の学校でのポジションが決まってしまう。いつのまにか作られ、固定化される美のヒエラルキー。
北野や磯山さんやそしてもちろん西嶋さんのような人が頂点に位置し、対して僕みたいなのは永久に底辺近くに捨て置かれる。そりゃあ、見た目が全てとは言わない。性格の良さや成績や運動神経だって当然価値基準のひとつとして考慮には入るものの、結局最後は見た目だ。
例えば、柔道部で活躍していて去年一年生にしてインターハイ出場した崇が、そのオヤジ顔のせいで一向にモテず、僕らと一緒にサエないグループに所属しているように。
友情もカップルも、基本的に同じヒエラルキー同士の中で築かれる。つまり見た目が悪ければ北野みたいな奴と必要以上に親しくすることも、可愛い女の子と付き合うことも出来ない。
もしヒエラルキーの枠を超えて恋なんかしようものなら「身の程知らず」のレッテルを貼られ、蔑まれる。だから僕と西嶋さんのカップルは高校生の常識からすればものすごくヘンテコで本来絶対ありえないもので、みんなを不思議がらせていた。
当の本人の僕ですら、未だに西嶋さんが僕の「彼女」でいることが、時々信じられないんだ。
ランニングを終えると同時に顧問の
高校生の頃にバスケで全国に行ったことがあるという平木は、毎年県大会突破を目標に掲げるが未だにその目標は達成されたことはなく、今年こそはが口癖のいわゆる熱血鬼コーチだ。
ストレッチが終了した後、おもむろにこっちへ歩み寄ってきて、腕組みをしながら言う。タンクトップからはみ出した二の腕は分厚い筋肉と硬い毛で覆われている。
「今日は二チームに分かれての対抗戦をやる。三年vS二年だ。二年は三人しかいないから、一年から二人入れる」
僕ら以上にギャラリーの女の子たちのほうがざわついていた。試合となれば当然、北野や磯山さんの活躍を普通の練習以上にたっぷり堪能出来るから、ファンとしては嬉しいんだろう。
ジャンプボールで試合開始。わずか数センチの差で北野が勝ち、二年チームのボールとなった。しかし磯山さんも負けてはおらず、北野のシュートをことごとくブロックしていく。北野はめげず、磯山さんたちの隙を突いてドリブルを回し、スリーポイントの上手い二年の石田や一年の佐藤にパスを繋いで確実に得点を重ねる。
北野か磯山さんの手にボールが渡る度、ギャラリーの黄色い声がきぃんと体育館の高い天井を突き刺す。うるさがった平木が女の子たちを睨みつけてからは「わあ」も「きゃあ」もぴたりと止んだけど、それでも北野と磯山さんが熱い注目を浴びていることに変わりはなかった。コートには十人もいるのに、実際戦ってるのは二人だけに見える。僕にはちっともボールは回ってこない。
磯山さんのダンクシュートが決まり平木が珍しく相好を崩して磯山さんを褒めている時、北野が耳打ちしてきた。試合が始まってから初めて北野と口を聞いた瞬間だった。
「小谷、俺次お前に回すから決めろ。お前は今のところノーマークだから、隙をつくのは簡単なはずだ」
「えっなんで」
声が裏返る。試合ではいつだってベンチで特に活躍したことはなく、それどころかむしろ北野や磯山さんの足を引っ張るような存在が僕だ。北野が唇が触れるぎりぎりまで耳に口を近づけてきて、生ぬるい息を感じる。
「大丈夫、お前なら出来る。俺と一緒にずっと平木のシゴキに耐えてきたんだから」
「でも」
「俺は負けたくないんだ、磯山さんに」
北野が尊敬と敵対心の一緒くたになった眼差しで磯山さんを見ている間、僕は全然別のものに目を奪われていた。
いつのまに来たんだろう、ギャラリーの隅っこに西嶋さんがいた。他の女の子のように浮き足だってキラキラ目を光らせるんじゃなくて、真剣そのものって感じの固い表情でじっとこっちを見ている。
西嶋さんがいる、そこに。すぐそこで僕を見ている。僕だけを。
「わかったよ北野、任せて」
僕が言うと北野はバチンと背中を叩いてきて、爽やかな笑顔で親指を立ててみせた。ごめん、北野。僕は北野のように勝つために勝つんじゃない。才能に恵まれた北野みたいに部活に打ち込むことは、僕には出来ない。一生懸命になったところで北野には遠く及ばないって知ってるから、どうしたってやる気が起きない。
僕が本気を出す時は、そこにバスケ以外のものが懸かってる時だ。それは決して美しいことじゃないんだろうけど、本当だった。
ジャンプボールが上がる。石田にボールが渡り、ドリブルで佐藤に繋ぐ。そのままシュートしようとした佐藤の前に磯山さんが立ちはだかり、一瞬蒼白になった佐藤の斜め前で北野が手を振る。
北野の手にパスが渡り、そのままドリブルを進める北野の進路を磯山さんが塞ぐ。興奮で理性のタガが外れたギャラリーが平木に睨まれることも気にせず、悲鳴に近い声を上げる。
北野が目で合図してきたのはその時だった。
磯山さんの胴体と右腕の間をくぐるようにしてパスが押し出され、ボールはまっすぐ僕の手に飛び込んでくる。その場にいた誰もが息を止め、注目が二人から僕一人に切り替わる。僕は身体を伸ばし、ゴールを狙う。ここから決まればスリーポイントだ。
何百回と練習を繰り返したフォーム。両手の間からボールが放たれる。きれいな放物線がゴール目指して飛んでいく。
しゅっ、と小気味よい音がしてボールが元気にバウンドした。たまらずよっしゃあと声を上げた僕の後ろで平木が怒鳴る。
「アホッ、何やってんだ小谷! そっちは三年のゴールだろうが」
我に返った時はコートもギャラリーも爆笑の渦だった。
今ボールを放ったゴールと反対側のゴールとをきょろきょろ見比べる僕が、余程面白かったらしい。得点板の表示を代える作業をしていた一年たちが、ゲラゲラ笑いながらプレートをめくる。
二年チームじゃなくて、三年チームに三点追加。まさかの自殺点。磯山さんがさっきまでの緊迫した雰囲気を忘れ、目に涙を浮かべて爆笑している。北野がこっちにやってきて僕の後頭部を思いきり小突いた。北野も笑ってた。
「中学の頃からバスケやってて、基本的なルールも忘れたのか? いくらベンチ要員でまともに試合したことねぇからって、そりゃないだろ」
冗談のつもりだったんだろうが、受け止めた僕にはきりきり尖った言葉だった。下を向いた僕の暗い表情には気づかず、北野は能天気に続ける。
「やべぇ、小谷のせいで俺と磯山さんの真剣勝負が台無しになっちったじゃん、笑い止まんねぇんだけど」
北野の無邪気で残酷な笑顔がふっと遠くなり、足元が冷えていく。指先は冷たいのに顔が熱い。猛烈な恥ずかしさのせいで。
おそるおそる西嶋さんのほうを見ると、西嶋さんも他の女の子たちと一緒にお腹を抱えていた。そして僕に気づいて、はっとした表情をした。
すまなそうな顔からすぐに目を逸らした。