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第二話 梅にムクドリ(2)

うちの学校にはエアコンがない。設備投資をケチっている県立の貧乏高校だからしょうがないんだけれど、三十八人もの生徒を閉じ込めておいて冷房装置が教室の後ろに二台設置された扇風機だけだなんて、教師たちは何を考えてるんだと思う。


ましてや今日はまだ六月だっていうのに気温は朝からウナギ上りで、昼食時は窓ガラスを突き破ってくる太陽光と三十八人が吐き出す二酸化炭素ですごいことになっていた。みんなそれぞれ下敷きをうちわ代わりにしながら、うんざりした顔で弁当を食べている。



彰彦あきひこさぁ、西嶋さんとはもうキスぐらいしたのかよ」



 水泳部のせいで黒く日焼けした顔の上部で、ぎょろっとした目を光らせながら雄輔ゆうすけが言う。僕は母ちゃん手作りの卵焼きを喉に詰まらせそうになり、慌ててさっき自販機で買ってきたお茶を流し込む。


目の前から雄輔、左右から洋平ようへいたかしがあきれ顔で僕を見ている。この四人で輪になって昼食を取るのが、二年になってからの昼休みの恒例行事だった。座る位置までなんとなく決まってしまっている。



「するわけないだろそんなの」

「いや、したっていいじゃん。だってさ、あれだろ?もう一ヶ月ぐらい付き合ってるし」



 事もなげに言い放つ雄輔。頷く洋平に崇。三人とも、僕に分不相応に美少女な彼女が出来たことを面白がっていて、何かにつけてからかってくる。この前なんて僕らが二ヶ月以内に別れるかどうかでジュースを賭けていて、さすがにキレた。



「そんなことしないよ、まだ手も繋いでないし」

「えーマジで? 中学生みたいだなお前ら。いやむしろ小学生?」



 洋平が特徴的な出っ歯を突き出して、にやにや笑いながら言う。僕と西嶋さんの恋愛の存続で賭けをしようと提案したのは、こいつだった。



「手ぐらい幼稚園児だって繋ぐよ。あいつら、すぐチューするし」



 なんて言い出すのは十一歳年下の幼稚園児の妹がいる崇。柔道部に入っていてクラスで一番身体がでかくてゴツくて、高校生にしては老けた顔をしている男だ。雄輔がご飯粒がついた箸を指揮棒みたいに上下させながら言う。



「幼稚園児はいいんだよ、まだそういう、いやらしい気持ちがないから。手を繋ぐのだってキスだって、遊びの範囲内だし」


「あー、幼稚園児に戻りたいな。なんで子どもの頃は簡単に出来たことが、大人になったら出来なくなるんだろう」


「何言っちゃってんだよ、お前」



 と、洋平に軽く背中を叩かれた。こっちは真剣に悩んでるのに。幼稚園の頃、ほっぺにチューをした記憶がぼんやり残っているみぃちゃんの顔が、瞼の裏に浮かぶ。何も考えずにそんなことが出来たあの頃の僕が羨ましい。


必要もないことを無邪気にやっていた子どもの自分と、いざ本当に彼女ができた今になって尻ごみするばかりの、今の自分。西嶋さんとそんなふうになったらとても嬉しいはずだし、いつまでも手を出さなかったら向こうほうだって変に思うかもしれない。だけど。



「ていうかさ、手なんてどうやって握ったらいいんだよ ?わかんないじゃん、いつ、どんなふうにすればいいのかって」


「女が服の裾とかカバンの紐とか握ってきたら、それが手を繋ぎたいサインなんだって。そん時にぎゅってやればいいんじゃねぇの」



 雄輔の話は雑誌の「夏までに彼女を作る」特集の受け売りみたいに聞こえたが、とりあえず突っ込まない。雄輔は役立たせる機会のないそういうテクニックを習得するのが趣味らしく、「夏までに彼女を作る」特集も「モテ男になれる百の方法」特集も「彼女をイカせて男を上げるセックス」特集も、隅から隅まで読み込んでいる。



「それ、握んなかったらどうするんだよ」


「それはお前とは手なんか繋ぎたくないって意味だろ」



 洋平が出っ歯を光らせて割り込んでくる。お調子者のおちゃらけた顔が鼻につく。



「おちょくんなよ。大体さ、こん中で一度でも彼女できた奴いるのかよ」



 そう言った途端、みんな一斉に目を伏せてしまう。おそらくクラスの女子たちから名前すら覚えてもらってない、サエない男子グループが僕ら四人だ。


特に性格がうんと暗いわけでも顔がものすごくブサイクなわけでもないけれど、いつもクラスの中心にいてその人の存在がぱっと周りを明るくするような人気者、当然女子にもモテる、そんな人間には憧れるだけで一生なれそうにない、教室の中にいるかどうかもわからない存在たち。


もちろん、この中の誰一人として、フォークダンス以外で女子の手を握ったことはない。



「そう考えるとたしかにお前、すごいな」

 口調にわずかに尊敬を滲ませて雄輔が言った。



「おみそれします」



 洋平が相変わらずふざけ半分ながら、こいつにしては真面目な表情をつくる。崇もおっさん顔に羨望の色を広げ、僕を見る。



「正直羨ましいよ、彰彦が」

「だろ? お前ら、今日から僕を先輩と呼べ」



 そこで高い笑い声に会話が遮られ、四人でちょっとぎょっとしながら後ろを見る。


机を寄せ合って弁当を広げている女子たちの中、クラスいちのギャルの篠崎しのざきが太いアイラインで囲んだ目に涙を滲ませ、購買で買ってきたらしいコロッケパンを片手に、ゲラゲラ笑ってる。涙でアイラインが溶け、黒いものが目尻に浮かんでいだ。



「あいつ、うるさいな」



 雄輔が露骨に迷惑そうな顔をする。洋平がわざとらしく頬の横に手のひらを立てる仕草をする。



「今さ、三股かけてんだってさ。大して可愛くないくせによくやるよなぁ」

「三股ってすごいな」



 崇が本気で感心している声を出した。洋平が声をひそめ、雄輔が洋平に頭を近づける。



「で、その三人目がF組の八幡やはたなんだってさ」

「なんでわざわざ篠崎なんかと付き合うの?もっといいのがいくらでもいるだろ」



 ギャルが嫌いな雄輔は、篠崎にずいぶん辛らつだ。洋平がさぁ、と首をひねる。



「さぁ、どうせヤリたいだけなんじゃね?」

「俺は篠崎だけはお断りだけどな絶対。百万くれるって言われても付き合わねぇよ。たとえ、すぐヤらせてくれるんだとしても」

「馬鹿、声でかいよお前」



 崇が慌てて雄輔の肘を小突きながら、気がかりそうに篠崎のほうを窺っていた。篠崎はすぐ後ろでそんな会話が展開されてるとも知らず、でかい声で笑い、でかい声でしゃべっている。全てを僕は他人ごとのように、いや実際他人ごとなんだけど、聞いていた。


 まだ高校生の段階でも、僕らの間には大きな個人差が既に生まれている。


僕みたいに女子の手を握ったこともない奴もいれば、篠崎みたいにセックスを当たり前のこととして認識している奴もいる。僕にはまだ女の子とセックスをするなんて、とてつもなくハードルの高いことに思えてしまうのに。



「そういえばさ、西嶋さんってA組の杉下すぎしたと付き合ってたよな? 一年の時」


 いつのまにか次の話題に移り変わっている。西嶋さん、その名前が出れば僕にとっても他人事じゃない。言い出しっぺの雄輔をついじっと凝視していた。



「あぁ、なんか半年くらいで別れちゃったやつだっけ」



 崇が言って、洋平がコクコク頷いている。僕も何度か目撃したことのある、西嶋さんと杉下のツーショットが瞼に浮かぶ。うちの学校でも三本指のイケメンに入る杉下は、三本指の美少女に入る西嶋さんとしっくりお似合いだった。僕と違って。



「なんか、杉下のほうが浮気したらしいぞ。噂だけど」


「えっ雄輔それマジ? 杉下何やってんだよ。あんな可愛い彼女いて浮気するなんて信じらんねぇ」


「モテる人は、俺らとは違うってことじゃない?」



 崇があまり興味なさそうに言って、雄輔も洋平もそれで納得したらしい。僕は杉下と西嶋さんのツーショットを思い出したせいで、弁当が急にまずくなっていた。美は相乗効果を生むのか、杉下の隣にいる西嶋さんは僕の隣にいる時よりずっときれいだった気がする。



「本当に西嶋さん、なんでなんだろ。なんで僕なんか」

「視力でもおかしいんじゃねぇの?」



 いつもの調子で言った洋平が、すかさず崇に頭を小突かれていた。日ごろから柔道部で鍛えているだけあって、崇の小突きは本気を出してなくてもかなりの破壊力があり、洋平が悲鳴を上げる。



「いってー、何すんだよ」

「わかんねぇのかよ。彰彦、本気で悩んでるだろうが」

「いや、いいよ別に」



 急に気の毒そうな顔になって僕を見る三人に向かって、ヘラヘラ笑ってみせた。つまらないプライドをまとった心が、可哀想な奴だと思われたせいで少しきしんだ。


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