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第一話 恋はレモンソーダの味がする(7)

元気のないあたしを慰めてあげると、江里がマックでソフトクリームをおごってくれた。


シェイクとMサイズのポテトを間に挟み、左手にソフトクリームを握って、だらだらとおしゃべりにふける。


同じ二階フロアのちょぅど対角線上に当たる席に女子高生四人組が陣取っていて、周りに丸聞こえなのを知ってか知らずか、ものすごい大声でしゃべり、笑う。


窓際のスツールにはさっきから大学生ぐらいの男が一人で座って、人待ち顔で外の世界を見ている。こないだちょうどあの席で一臣に二十分待たされたことを思い出し、頬杖をつく知らない男がちょっと気の毒になる。



「そんなの、早く別れちゃいなよ。あたしだったら即行でやめるし。向こうにもう付き合う気がないなら、こっちからさっさとフッちゃえばいいじゃん。フラれるのは惨めでしょ」


「わかってる。でも」

「でもやっぱり、まだ好きなんだ?」



 頷くと江里は呆れたように首を傾げた。溶け始めたソフトクリームが甘く舌を濡らす。



「葵ってなんでそうなっちゃうかなぁ。一臣くんだって前付き合ってた先輩だって、全然大切にしてもらってないじゃん。そういうのやめて、素直に保樹と付き合えばいいのに」

「保樹は江里の彼氏でしょ」

「今は、ね」



 だなんて、随分意味深に笑う。江里が保樹と付き合いだした時、心臓が口から飛び出しそうになるほど驚いた。だって、江里はとても保樹を好きなようには見えなかったから。


きっと、江里は保樹に対してなんでも話し合える、一緒にいて心地いい異性の友人以上の感情は持ってない。そして保樹もまた同じ。


それでも二人が恋人同士になったのはあたしが原因なんだろう。わかっているから、時々二人にとても悪いことをしている気になる。あたしのせいで、二人は短い青春の時を無駄に使ってしまっているんだ。


 江里がシェイクのコップを握った時、左手に光るものが目に入った。小指に巻きついた銀のリング。控えめに光るハート型の、ピンクの石。



「それ、可愛いね」



 あたしが言うと江里はつけていたことを今思い出したというように、左手の指輪を愛しそうに撫でる。



「こないだね、保樹に買ってもらったんだ。ピンキーリングって、左手の小指にはめておくと幸せが逃げないんだってさ」

「ふぅん」

「あげよっか?」

「いいの?」



 思わず声が裏返った。江里はその指輪をなかなか気に入っているように見えたのに。ちっとも惜しそうにせず、さっさと小指から指輪を抜き取ってしまう。



「たぶん保樹だって、本当は葵にあげたかったんだと思うしさ」

「やめてよ。でもありがとう」



 指輪はすんなりとあたしの左の小指にはまり、まるでずっと前からそこにいたようにしっくり左手になじんだ。幸せが逃げない、か。そもそも幸せがちっとも入ってこないのに、こんなものをつける意味があるんだろうか。


 ポテトもシェイクもソフトクリームもなくなった後、江里と二人、マックを出て歩き出す。どんよりした梅雨空があたしたちを見下ろしている。夢も希望もなく憂鬱だけで膨らんだような灰色の雲は今にも泣き出しそうだ。江里がくうっと伸びをしながら言う。



「あたしさ、見たい服あるんだけど付き合ってくれる?」

「いいよ。ソフトクリームおごってくれたんだし、それくらい。じゃあ駅ビル、戻ろっか」



 さんきゅ、とにっこり口の端を上向きにしてから、夕べのテレビ番組や近頃離婚騒ぎを起こした芸能人のことや中学時代に友だちと自転車の三人乗りをした話なんかを次々と楽しそうにしゃべる。江里は大して面白くもないことを、すごく面白そうに話す子だ。


社交的でちっとも人見知りしなくてノリが軽くて、あたしなんかにくっついていなくてもいくらでも友だちがいるのに、なぜかいつもあたしといる。



 ふいに江里が立ち止まる。うきうきと楽しげに弾んだ顔から、一瞬で明るさの成分が消えてしまう。上下をつけ睫毛で囲んだ目が、車道の向こう、反対側の歩道で静止している。



「どうしたの?」



 江里の唇が震えていた。人さし指が、迷うようにその一点を差した。


 あたしたちとは反対方向に向かって歩く、幸福そうなカップル。一臣と元カノだった。一臣が何か冗談を言ったのか、元カノの顔がくすっと笑いに崩れる。


あんなふうに一臣の愛情を疑わず、屈託なく笑ってたことがあたしにもあったんだと思い出す。二人の手は当たり前みたいに握り合わされていた。


 一臣たちが通り沿いのミスタードーナツに消えていった後、江里が目を見開いたまま言う。



「葵に、似てるよね……?」


「似てるよ。スマホの写真フォルダで見たことあるから、顔知ってるの。名前もあたしと同じ、藍衣あおいっていうんだって」


「そんな」



 あたしに代わって絶望したように、江里の声がかすれる。


 そう、一臣は最初からあたしが好きだったんじゃない。ずっと「藍衣」のことを忘れられずにいたもんだから、似た顔と同じ名前を持ったあたしに興味を持って、コクってきただけだ。


忘れもしない去年の文化祭の最終日、廊下の端っこに呼び出されて言われたこと。「ずっと、大舘さんが好きだったんだ」――そういえばあの時も、一臣はまばたきをしてたっけ。


 江里の目が揺れながらあたしを見つめる。



「葵、いいの?」

「何が?」

「追いかけて、バチーンってやっちゃいなよ。あたしならそうする」

「そんなことしたら余計にあたしが惨めになるだけだよ」



 あたしは歩き出す。江里が少し遅れてついてきて、心配そうに横から顔を覗き込んでくる。ありがとう江里。江里がいてくれるから、あたしはこんな時でも歩くことが出来る。


 一臣のことはまだ好きだ。でもその気持ちはおいしい時を過ぎ、腐って蝿を集める真っ黒いバナナみたいなもので、そんなふうにしか愛せないあたしを一臣がもう一度好きになってくれることは、絶対に、ない。


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