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第一章 恋はレモンソーダの味がする(5)

帰ってくると、保樹がいた。ダイニングテーブルにお母さんと向かい合って座り、レモンソーダが入ったコップを傾けている。レモンソーダは我が家の夏の風物詩。


瀬戸内にいる親戚から毎年段ボール一杯のレモンが送られてきて、夏の間、お母さんはそれを使いきることに躍起になるのだ。



「なんでいるの?」

「なんだよその言い方」


「保樹くんね、さくらんぼ持ってきてくれたのよ。保樹くんの父方のおじいちゃんが山形から送ってきてくれたんですって。ついでにお茶してもらったところ」



 保樹がどうだと言わんばかりにあたしを見上げる。その目つきに心が少し尖る。


 幼なじみで家がお隣同士の保樹は親が共働きで、両親の帰りが仕事で遅い日はいつもうちが預かっていた。二人とも一人っ子だから、親たちはあたしたちをきょうだいの代わりにするにはぴったりだと考えたんだろう。


実際、保樹は小さい頃のあたしの一番の遊び友だちだった。人生ゲーム、トランプ、近所の雑木林の探検、学校帰りに拾った野良猫を二人でこっそり飼うこと。どれもみんな、保樹とした。でもあたしはもう高校生だ。


いい加減保樹とベタベタしたくなんかないのに、子どもの頃とまったく変わらない扱いをするお母さんに、時々苛立ちを覚える。今だって保樹はこうして、うちの家族のひとりみたいに家に上げられてるし。


お母さんの目にはあたしと保樹はいつまでたっても五、六歳の子どもとして映っているのだ。



「葵も食べる? さくらんぼ」

「後でいい」


「あらそう。映画、面白かった? 江里ちゃんと見てきたんでしょう」

「まぁまぁかな」



 一臣とデートの時はいつもそうだけど、今日も江里と遊びに行くとお母さんには言ってある。お母さんはそれを疑っているようには見えないものの、本当は母親の勘ってやつで気づいているのかもしれない。そして、あたしが話すのを待っているのかもしれない。とても話せないけど。


だって、ラブラブだったらまだしも、浮気して他の女とヤッている彼氏をどうして親に紹介できるだろう?



「あたし、部屋行くね」



 冷蔵庫からアップルジュースのパックを取り出し、二人の横を素早く通り過ぎて二階の自室へと逃げる。例によって背中にじんじんと保樹の視線を感じたけど、無視だ。


 部屋に入るなりバッグを床に投げ出し、ベッドの端に腰を沈めてパックにストローを刺す。果汁三〇%のしつこい甘みが舌にまとわりつく。ストローから口を離すとため息が出る。



 一臣のことをどうしよう。とっくに失恋は決定してるんだし、遅からず別れることになる。あたしが言わなければ、一臣が言うだけだ。フラれるよりは、フッたほうがいい。行き着く結果は同じでも、自分から言い出せば少しは虚しさが軽減されるはず。


でもなんて言えばいい? どうやって切り出したらいい? さっきよりは冷静になった頭の中、出口の見えない問題がぐるぐる回る。



 保樹が階段を上ってくる。生まれ落ちてからの十七年間をほぼ一緒に過ごしたせいで、あたしは保樹の足音をほとんど完璧に聞き分けることが出来る。不本意ながら。


ドアが開いてちょっと怒った顔の保樹が現れる。左手にはレモンソーダのグラスを持ったまま。我が物顔でスタスタ部屋に入ってきて、学習机の前の回転椅子に座り、くるんと回ってベッドにいるあたしと向かい合う。



「入るなら、ノックぐらいしてよ」

「いいじゃん今さら。俺とお前の仲なんだし」

「親しき仲にも礼儀あり。プライバシーと最低限のエチケットは守って」



 ふ、と保樹が小さく息をついた。唇を尖らせようが目を怒らせようが、顔の可愛らしさは誤魔化せない。お陰で一部の女子からは結構人気があって時々コクられたりもしてるらしいのに、どうしていつまでもあたしにこだわるんだろう。



「お前さ、俺のこと避けるのいい加減にしろよ」

「別に避けてなんかない」


「避けてんじゃん。あんな態度取ったら、おばさんだって変に思うだろ」

「そっちこそ、なんで江里とヤラないの」



 保樹の顔がかあっと紅潮する。照れているんじゃなくて、本気で怒っていた。相も変わらず、喜怒哀楽がすべて筒抜けのガキんちょだ。



「今そんなこと関係ないだろ」


「関係なくても、大事な問題でしょ。江里が可哀想じゃん。彼女なのにいつまでも友だちみたいな付き合いじゃ」


「江里は俺とヤることなんか望んじゃいねぇよ」



 つい声を大きくして、階下のお母さんを意識したのか困ったように俯く。本当はわかってる、保樹の気持ちも江里の気持ちも。高校に入って三人でいるようになってからずっと、二人の間であたしは空回りしている。だからってどうしようもない。これからも空回りを続けるしかない。悲しいほどあたしは不器用だ。



「とにかく、江里と付き合うならちゃんと恋人同士らしくして。キスでもエッチでもさっさとやっちゃいなさいよ」

「なんで俺にそんなこと言うんだよ」


「親友の立場として、当たり前のことを忠告してるだけじゃない」

「親友? よく言うよ、あんだけすごい声出しといて」



 セクハラ。信じられない。そう言おうとしてツンとそっぽを向いた途端、回転椅子がギィと鳴って保樹が飛びつくように近づいてきて、あたしはベッドに押し倒された。


三〇ミリほど中身を残したジュースのパックがフローリングに転がった。


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