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終 口はさいわいの門

 皇宮の中核、まつりごとにおける皇帝の座所となる奉天ほうてん殿の前院まえにわである。


 澄み渡って透明な晴天の下、集う群臣の前では、いま声高らかに聖旨が読み上げられていた。


「皇太后の縁者、りゅうれん性質せい善良にして賢く、国への献身はなはだたり。よってここに、これを皇后に冊立さくりつせしめるものとする。爾後じごしょうに近侍し、たすけよ。――欽此これをつつしめ


 きらびやかな紅の襦裙じゅくんまとい、いままさに冊立が宣されたばかりの皇后が、うやうやしく聖旨を受け取り、深く拝礼した。


 続いて、金の皇后印がその手に授けられる。


 それを満足そうに見届けると、不意に皇帝が玉座を立った。


 異例のことだ。


 群臣は刹那、戸惑うようにどよめいたが、波紋のように広がるそのさんざめきの中を、皇帝は皇后のもとへと歩み寄った。


 皇后の手を取り、立ち上がらせる。


「子渼」


 今上帝しょうきょうは――すなわち、明暁は――我が皇后に、そう呼びかける。


「ほんとうに顔に出るやつだな、お前は」


 そう言って、皇后の仏頂面をからかい、くつくつ、と、ひそやかに喉を鳴らした。


紅蓋頭こうがいとうで群臣からは見えんから、まあ、構わんが」


 面白がるように口角を持ち上げると、そう囁く。


「だって、こんなとんでもない茶番……」


 あきれてしまう、と、新皇后である柳子渼は溜め息を吐き、夫となる皇帝へ、ひるむことのない真っ直ぐな視線を据えた。


 皇帝はまわりの群臣に悟られぬよう、くすん、と、肩を竦め、皇后の――子渼の――耳許に再び口を寄せる。


「こら。そう、にらむな。――文句も、罵詈雑言も、今宵、華燭かしょく洞房どうぼう新床にいどこでいくらでも聴くから」


 またすこし悪戯っぽく笑いながら、こそ、と、言った。その様も、あるいは遠く眺める群臣には、皇帝と皇后の仲睦まじい姿に見えるのだろうか。


「っ、新床って……また、するんですか」


「それはそうだろう。我らはめでたく正式な夫婦になったのだし。――だめか?」


「だめ……では、ない、です、けど」


 子渼はうつむきがちになって、消え入りそうな小声で言う。


「その、て、手加減を……あんまりされると、わ、私……死んでしまいそうになりますから」


 きもちよくて、と、明暁に求婚された直後のねやでのあれこれを思い出してほんのりと頬を紅に染めた。


「ははっ、なんだそれは。――努めはするが、そんなに可愛くあおられてはな」


 笑みを深めた明暁のからかい文句に、子渼はちいさく眉をひそめる。


 そのまま小声で、死ね、と、もう口癖になってしまっている雑言を吐いた――……が、それらすべての遣り取りもまたきっと、離れて見守る百官その他には、仲睦まじい様子に見えたことだろう。


「そういえば、そのことばがはじまりだったな」


 しみじみとつぶやきつつ目を細めた明暁は、子渼のほうへと手を伸ばし、頬をするりと撫でる。


「好きだ、子渼」


 唐突に口にすると、そのまま顔を近づけ、紅蓋頭の陰でそっと子渼にくちづけた。


 なんだ急にこのひとは、と、そう思った子渼は、一瞬また文句を言いかけた。が、相手のやさしい鳶色の眸に間近から見詰められて、ぐ、と、それを呑み込み、頬を染める。


「……お慕いしております、陛下」


「うん。――それから?」


「…………すきです、明暁」


 ぼそ、と、つぶやくと、相手はいかにも嬉しそうにくちびるをゆるませた。






 ――後の世に名君と仰がれるとう朝の明宗めいそうが築いた聖代は、こちらもまた後に賢后けんこうたたえられる、皇后りゅう氏冊立以降のことと伝えられている。

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