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第十一話 復讐から解放への旅路

 屋根から落ちた時に腰を打ち付けたらしく、動かすと軽い痛みが走る。ジョニーはゆっくりと目を開けた。

「‥‥リオ?」

「‥‥‥‥‥‥‥」

 唇を重ねていたリオがジョニーから体を離した。緑の髪の向こうに真夏の太陽が顔を覗かせている。

「わざとじゃない。事故だったんだ」

「分かってる‥‥」

 リオは顔を曇らせて勢い良く立ち上がった。

「それより、リオ‥‥‥なぜ君が‥‥それに俺は‥‥グラムファーベルと空に‥‥どうなってるんだ?」

「何の話?」

 リオはただ小首を傾げ、ジョニーはそんなリオの一挙一動を見つめ続ける。土の実感を確かめる様に大地を握りしめた。辺りにはジャロワク軍によって壊された家を建て直す音が響き、人々が忙しなく走り回っている。そんなもう見られないはずの光景の中にジョニーはいた。

「すると今まで起こった事は‥‥夢?」

 ジョニーはリオとブルジャフの町を見渡ししてから冷静になろうと努めた。壊滅させられた町を出てからの出来事はあまりにも生々しく、それらの全てが夢であったとはとても考えられなかった。だとすれば今この瞬間の方が夢という事になる。どちらも現実としか思えず、ジョニーは判断に迷った。

「ねえ‥‥やっぱりジョニーは黒竜を追いかけて町を出て行くの?」

 リオは記憶にあるのと同じ台詞を話す。

「黒竜‥‥ドリューベン‥‥」

「‥‥ジョニー?」

「‥‥‥ここは‥‥町が‥‥まだ‥‥」

 ジョニーは目の前の少女を見つめる。

 町は黒竜によって滅ぼされた。

「そうだ、あれは夢だ‥‥そうだなリオ」

「さっきから何を言ってるの?‥‥打ち所が悪かったのかな」

 呆れて肩をすくめる。

「笑わないで聞いてくれ。俺は長い夢を見ていた‥‥」

「‥‥夢?」

 珍しく熱っぽく語るジョニーの隣りに座って頭を肩にのせて寄りかかった。

「‥‥それってどんな夢?‥‥笑わないから私に聞かせて‥‥‥」

「黒竜にこのブルジャフを破壊され、俺はドラゴンに乗って、雲の先の先のずっと先まで飛んで奴と奴の親玉を追いかけてった」

「すごいのね‥‥私も後ろに乗ってた?」

「いや、君は‥‥‥」

 ジョニーは返答に窮した。

「あー!、私に隠すわけ?‥‥答えなさい!」

「‥‥君は‥‥帰りを待ってるはずなんだ‥‥だから‥‥」

「ふーん」

 リオは悔しそうに口を尖らせる。

「でもどうして急にそんな話をしだすの?」

「‥‥いや、夢にしてはあまりにもリアルだったからな‥‥混乱している。何だか、今、こうしてる俺は、俺が見てる夢の中にでもいる様だ」

「‥‥フーン‥‥じゃあ、ジョニーは今は現実だと決断したワケよね」

「ああ」

 ジョニーは笑って立ち上がった。リオは膝を抱えて座ったままそんなジョニーを見上げる。

「‥‥ジョニーはどうして向こうが夢だと決断したの?」

「なぜって‥‥もしこれが夢なら夢じゃないかと疑った時点で目が覚める。俺はまだこうやって君と話してる‥‥これが証拠だ」

「‥‥ねえジョニー‥‥」

 寄り添う様に立ったリオはジョニーの手に自分の小さな手を重ね合わせる。

「‥‥こっちが夢なの‥‥」

「‥‥‥‥‥‥‥」

 ジョニーが息を止めると、辺りの風もやみ、全ての音が消え去った。

「夢の住人が言うんだから間違いないわ」

「何を馬鹿な!、夢ならとっくに覚めているだろう」

「‥‥それはジョニーが認めたくないだけ」

 リオは微笑みながらつま先を立てて後ずさる。

「‥‥それは‥‥だが俺には君とこうして話しているのが夢だなんて‥‥とても思えない」

「‥‥ジョニーが望むなら、望むままに‥‥夢は何処までも続くの‥‥‥平和な町で皆と一緒に‥‥でも結局は夢‥‥幻なのよ」

 ジョニーはリオの言葉の中から事態を掴む手がかりを得ようと考え続ける。

「やめてくれ、君が夢の中の住人なら、わざわざそんな事を言うとは思えないな」

「‥‥だって‥‥私はジョニーが好きなんだもの‥‥‥ジョニーには現実を見てほしいの‥‥例えそれが厳しいものでも‥‥」

「どうして?」

「ジョニーの生きる世界はここじゃないんだから」

「‥‥‥‥」

「ふふ」

「‥‥分かった」

 長い沈黙の後、ジョニーは頷く。

「それでこそジョニー! 完全無欠!」

 リオはニコっと微笑み、それからゆっくりと姿が揺らいでいった。

「‥‥絶対に戻ってきてね‥‥私は‥‥ほんとは凄い寂しがり屋なんだから」

「知ってる」

 二人は強まり続ける光の中でゆっくりと唇をあわせた。

 瞼を刺激する光が収まった事を確信した後、ジョニーはキっ!と目を開けた。

 そこは黒い闇の世界‥‥トライクエスターに前傾姿勢でまたがったジョニーの前には、両手に力を溜めたグラムファーベルがあった。

「くっ!」

 パネルの中のアプリケーションの位置に指を乗せ、至近からバスターブレスを放った。黒いコートの男は光の矢を受けて遠方に弾き飛ばされた。

=な、何っ!=

 体勢を立て直したファーベルは、驚愕の表情で黄金のドラゴンを凝視する。

=な、なぜだ!、お前は完全に余の術中に落ちていたはず‥‥なぜ動ける‥‥=

「落ちていたさ、完全になっ!‥‥お前の魔法は完璧だった。むしろ完璧すぎたのが失敗だ‥‥リオは完璧だった」

=ふん‥‥術を破ったとしても余を倒す術はあるまい? ブレスを何度吐こうとも、余には意味がない=

 グラムファーベルは、低く嗤って再び逃走を始めた。

「確かに‥‥」

 感情の赴くままに怒鳴っていたかに見えたが、手は休む間もなくパネルを叩き続ける。

《ご主人様、敵ドラゴンがバーテロンドライブを実行しました》



「‥‥グラムファーベルのドライブアウトの座標に向けてこちらもバーテロンドライブを実行」

 ウラヌスは前方に発生させた光の円盤の中に身を投げ入れる。その場から姿を消したドラゴンは次の瞬間には、遥か彼方の全く違う場所へと移動していた。

 一つの緑色の星が目前に現れる。グラムファーベルはその星の中へと降りて行った。

「‥‥奴の反応は確かにこの星から出ているが‥‥」

 (目)模様を叩いて地表の様子を拡大して観察する。蔦に似た植物が鬱蒼と生い茂り、一様に緑色である。動物は見られなかったが、明らかに植物の一種である実や葉の一部が黄土色の砂っぽい空に舞っていた。

「‥‥どこだ?」

 星の立体図に指を置いて、視点をあちこち移動させたが、ファーベルの姿を見つける事は出来なかった。

「あれか?」

 スキャンの出力をあげた為に、ファーベルの通った軌跡までも拾ってしまう為、とらえた円は大まかなものとなり、直径が百キロにも及んだ。

「‥‥しかしこの程度だったら‥‥」

 武器アプリケーション欄の中の一番下の巨大な模様を指で二回叩いた。

《プラネットバスターを起動致します。使用後は一定時間、武装が使用できなくなります》

 ジョニーを包む天球パネル全体の照度が落ちた。

《充填、七十%‥‥八十%‥‥》

 ウラヌスは水平にしていた腕を星のある前方に持っていき、そこで重ね合わせた。バスターブレスの様にパネルに×印は現れない。

《臨界に達しました》

 ジョニーは瞬きもせずに星を見つめ、静かに実行した。

「‥‥う‥‥なっ!」

 放たれた光の眩しさに、たまらずジョニーは目を背ける。揃えられたドラゴンの腕を中心に広がった黄金の輝きは、瞬く間に辺りに充満し更に溢れ続ける。

 眼下に広がる緑の星は表面が削られ、岩塊が空に舞い上がった。変化はそれだけにとどまらず、卵に力を加えた様に一点からペキペキと赤い筋が走り、すぐに全土を覆い尽くした。筋の幅が広がり、開いた隙間から炎と熱に溶けて液体状になった岩が飛び出す。球体であった星が楕円形に潰れていき、最後には弾けて突出した北と南‥‥両極側から弾けて散った。

 小惑星の群へと変わった星々が破壊者であるウラヌスの脇をすり抜けていく。

 後には何も残らない。ジョニーはしばらくは声も出せなかった。

《目標、完全に消失致しました》

「ああ‥‥そうだな‥‥」

 ハンドルを握ったまま頭を振って、深い溜め息をついた。

「‥‥奴もこれで滅んだ‥‥敵討ちは‥‥果たした‥‥なのに‥‥」

 目的が果たせられた。それは喜ぶべき事であるのにもかかわらず、何の高揚感も達成感も得られず、虚無感だけがジョニーの心を隙間なく満たしていた。

「俺は‥‥倒したかった‥‥」

(人とは愚かなものだな。己の願望を達成する事を無二の真理とし、都合のいい理由のみを選んで後で付け加える‥‥答えは永遠の闇‥‥‥)

「‥‥‥‥‥‥‥」

 暗黒ドラゴン、バルトシーベルの言葉が頭に浮かび、ハンドルに伸ばした腕の間から頭を垂れて足元を見つめる。無限に広がる星々が永久の輝きを放っている。ジョニーの水色の瞳の中にはケルナの学園と町、グリーンティアルの国、ブルジャフの都市が映っていた。それらは既にない。グラムファーベルを倒した所でそれらが戻ってくる訳ではなかった。

「俺は‥‥憎むべき相手を欲していただけだったのか‥‥」

《ご主人様、正体不明の物体が急速接近してきます》

「!」

 ハっと顔をあげた時には既にその物体は、ウラヌスに取り付いていた。天球パネルの中が激しく揺れる。

「‥‥何だ!」

 視界一杯に何か黒いものが広がる。楕円形の細長い体からは、節のある六本の細長い脚が生えており、ウラヌスを羽交い締めにしてガッチリと掴んでいる。大きく裂けた口のある丸い頭部には触覚があり、その下の三角形の目が赤く光った。

「‥‥お前は‥‥ドラゴン」

=人の分際で、余の姿を暴くとはな‥‥だが 余を滅する事は出来ない‥‥余は邪竜‥‥邪な人の心に住まう者=

 聞く者に不快をもよおすグラムファーベルの声が響く。

 光沢のある羽を広げると、下から半透明の筋のある羽が現れた。上の硬い羽から青の光の粒が飛び出して下の薄い羽に当たり、細かく振動する。邪竜、グラムファーベルはウラヌスを抱えたまま移動を始めた。

=クックッ‥‥いくら貴様でも防御フィール ドの内側から掴まれては、どうしようもあ るまい?=

「ロイド!」

《噴射口を押さえられているので、通常移動は不可です。バーテロンドライブは重量過多の為に実行不可です。敵が密接したままブレスは使用出来ません》

 精霊は丁寧に頭をさげた。

「‥‥くっ‥‥」

=ふざけた真似をしてくれた礼に、貴様には地獄に落ちてもらうぞ=

 パネル一面にグラムファーベルの勝ち誇った顔が映される。

「何処に連れて行く気だ?」

=ふっふっ、パラダイスだ‥‥あれを見ろ=

「‥‥‥‥‥‥‥」

 言われるままに顔を向けた先には、橙色の巨大な星があった。

=もうすぐ、あの古い星は爆発する‥‥あれと命運を共にするがよい=

「ロイド、星をスキャンしろ」

《データベースに照合完了‥‥前方の星は赤色巨星に該当します。恒星と呼ばれる星は 寿命が尽きかけた頃に巨大に膨れ上がり、赤色巨星と呼ばれるものに変化します。それから爆発して星の元になる構成物質を辺りにまき散らし、超新星と呼ばれるものに変わります。爆発の条件として大きさが上げられ‥‥》

「分かった説明はもういい。それなら早くこいつの手から脱出しなければ‥‥」

=逃げ場はない‥‥人間よ=

《超新星の爆発まであと五分です。ご注意下さい》

「何か手が‥‥」

 ジョニーはファーベルを睨みながら、ハンドルから手を離して爪を噛んだ。

「‥‥ロイド、トライクエスターをウラヌスの外に出せるか?」

《ウラヌスとエネルギー供給ケーブルを接続したままでよければ可能でございます。ですが、もしケーブルが切り離されてしまった場合、トライクエスターではこの環境に対する防御は出来ません。危険なのでお勧めしかねますが?》

「この際は多少の危険は仕方がない」

 ジョニーはバトルモードを押してトライクエスターを人型に変形させた。内部パネルの中にすぐ外にある天球パネルとロイドの優しげな顔が映る。

「接続解除」

《承知致しました。お気を付けて》

 ロイドが頭をさげると同時に、全てのパネルの灯が落ちる。暗闇であったのはほんのニ、三秒で、再び明かりが灯った時にはトライクエスターはウラヌスの上に立っていた。

眼下は全て金色に輝き、下を見ても強い輝きに紛れてトライクエスターの足元がくすんで見えない為、まるで月夜の麦畑の中にでもいるかの様である。空には月の変わりにグラムファーベルの目が紅く光っている。トライクエスターはその眦ほどの大きさもなかった。

=んー‥‥貴様は何処から現れた?=

 トライクエスターの踵がウラヌスの突起にはめ込まれる。

「‥‥アプリケーション!」

 パネルに浮かんだ模様の一つを指で叩く。

”GUOOOOOOOOO!”

 一声嘶いて手の甲から半透明の光の剣を伸ばす。

「‥‥パワーはウラヌスから受け取っている はず‥‥ならば‥‥」

 ゆっくりと右ハンドルを奥に回していく。紫色の剣は幅と長さを増大させていき、回しきった時には五百メートルほどの長さにまでなっていた。

《ブレードのフレームに重度の負荷がかかっています》

 四角いパネルの中に蜂の羽を持つ妖精ドリィが現れた。

「‥‥どれぐらい持つ?」

《あと三十三秒で破裂します。すぐに停止して下さい》

「それは出来ない相談だ!」

 コンソールで操作を腕に切り替えてから、ハンドルを前に倒した。パワーモーションコントロールで重さを感じないはずが、今はズシリという重みが直に伝わってきた。

=紫水晶の力を剣にしたのか!=

「これで終わりだっ!」

 もはや剣とは呼べない巨大な板が、グラムファーベルに倒れる。

=んぐあっ!=

 顔を直撃された邪竜は、赤紫色の液体を飛び散らしてもんどり打つ。夥しい量の血がトライクエスターにかかり、画面が朱に染まった。

=貴様あっ!=

 それでも邪竜はウラヌスを離さない。腕の一本を振り上げて鞭の様に振り下ろす。

「‥‥がっ!」

 トライクエスターはウラヌスの背に叩き付けられて倒れる。ガクガクとパネルに打ち付けられたジョニーは口の中を切った。

《ブレード、シャットダウンします》 

強制的に遮断された剣は輝きを失った。

「‥‥起死回生ならずか‥‥」

 鉄錆びに似た味が口の中に広がる。

《トライクエスターのエネルギー消失。ウラヌスから補充します。後面フレームに裂傷‥‥内部紫水晶のパワーが流出しています。ブレードの過負荷により、パワー伝達系に支障が出ています》

「‥‥まだ負けた訳じゃない」

《マスター、前方の星の重力が増大しています。早急に退避して下さい‥‥爆発まであと三分》

「‥‥‥くそ」

 溜まった血をペッと吐き出し、不敵な笑みを巨大なドラゴンに投げかける。

=それは叶わぬ事だな‥‥余は貴様を放り出した後、爆発する寸前でバーテロンドライブで離脱する。ハッハッ!=

「‥‥‥‥‥‥‥」

 ジョニーは唇を強く噛み、再び血を流した。

 何か方法はなにのか?

 何度も心の中で自問自答する。ウラヌスは動けず、トライクエスターは満身創痍だ。少しの打撃を与える事も叶わないだろう。

 何か‥‥。

「‥‥そうか」

 パネルの中の妖精の顔を見つめる。

「ロイドを出してくれ」

《了解しました》

 画面の妖精は、執事に変わる。

「ウラヌスのパワー全開。限界を超えて内部にそのエネルギーを拡散してくれ」

《承知致しました》 

それはウラヌスを爆散させるものであったが、ロイドは即座に了承した。

《爆散までのカウントダウン開始します》

‥‥二十‥‥十九‥‥画面に数字が表示された。

《トライクエスターではマスターの離脱が不可能ですが?》

 ドリィが聞いてきた。

「すまないが、道連れだ」

 二人の妖精は同時に頭を下げた。

‥‥十‥‥九‥‥

『なんでそんなにこだわるの! 全部放って逃げればいいじゃない! ジョニーだけがそんなにならなければならない理由なんてない!』

「‥‥‥‥」

 最後のリオの言葉が心に蘇ってくる。

『もう、知らない! ジョニーは大馬鹿よ!』

「そうだな‥‥」

 両親や国の人々の仇をうつ為、皆が平和に暮らせる世界の為、そしてリオがこれから平和に暮らせる日常の為‥‥今、こういう結末を迎える事に、何の後悔もない。

‥‥三‥‥二‥‥一‥‥

 瞬間、小さな超新星爆発が起こる。全てが白い光が噴き出し包まれ、その空間は全てが光の渦の中へと消えていった。






 全てが白の世界‥‥闇すら存在しないその世界には上も下も無く、光も熱も音も無い。もしかしたら時間すらないのかもしれない。そこは究極の無であった。

”‥‥‥‥‥?”

 ジョニーは虚ろな頭でなぜここにいるのか訳を考えた。頭をかこうとしたが何処に腕があるのか分からなかった。ただ心だけが漠然と浮いていた。

”‥‥そうか‥‥俺は‥‥死んだのか‥‥”

 妥当な結論に至った所で、静かに心を閉じる。このまま永劫の時をここで過ごす‥‥それが人の最後として定められた運命ならば、ただの人に他ならない自分に抗う術は無いと、半端諦めた。

=‥‥運命?‥‥お前はまだそんな言葉を使うのか?=

”なんだ‥‥またあなたか‥‥”

 ジョニーは意識を声の方向に向けた。

 深紅のジャケットを羽織った長髪の男が嘲りながら立って肩を震わせていた。

”何しに来たバルトシーベル?‥‥もう俺には用は無いだろう?”

=ところがある。お前は自らの力でグラムファーベルを倒した。その礼をせねばならない=

「‥‥倒した?」

 ジョニーは眉をしかめ、そこでハっと気づいた。いつの間にか体が戻っていた。

「奴は滅んだのか?‥‥あの程度ではやられないと言っていたのに‥‥」

=言ったはずだ。力では倒せないと。力押しした所で邪竜の体内の紫水晶の力が増すだけだと。奴を倒したのは力ではない。奴は邪念のない正の心が致命傷となった。だからお前が奴を倒せた理由を知らなくても当然だ。邪心を破ろうとして、正の心は持てないのだからな=

 バルトシーベルは、胸元から黒い色の付いた小さな丸眼鏡を取り出して、鼻に引っかけた。

 体の重さを感じてふと見下ろすと、茶色の地面が出来ている。辺りに色が付き始めた。

「‥‥これは‥‥」

 見覚えのある長細い建物と屋根、良くふざけてダーツを投げた木まである。校舎の窓を覗くとそこには居眠りしているネッドや、教科書を立てて関係無い事をしているリティシア‥‥懐かしい顔が並んでいた。ジョニーの机は開いている。

「‥‥学園‥‥なぜ」

=ここではお前の望むままだ‥‥これがお前の望む世界か?=

「‥‥‥‥‥‥」

 ジョニーは木の上に座るバルトシーベルに、顔を横に振った。

 舞台は再び変わり、ジョニーはしっかりした足元‥‥石畳の上にいた。赤煉瓦で出来た整然とした町並みの続くここは王都ティアルノアである。

 行き交う人々の中で、ジョニーは立ち尽くす。その中で山高帽を目深に被った紳士が杖を付いてツカツカと近づいてきた。

=ここは‥‥人間が多いな‥‥=

 人差し指で帽子をあげたバルトシーベルはニヤリと笑う。

「‥‥ジョニー!」

 タッタッ‥‥と誰かが走り寄ってきて、ジョニーは見上げた。背が縮み、ほとんどの人より視点が低くなっていた。

 走ってきたのは母である。

「‥‥‥‥」

 この後、学園から向かえに来た馬車に走って逃げた‥‥はずである。ジョニーは逃げなかった。

 追いついた母親はジョニーをギュッと力強く抱きしめた。

「‥‥ごめんねジョニー‥‥一人で学園に預ける事になって‥‥‥でも分かって‥‥‥ だからって父さんも母さんもお前の事が嫌いになった訳じゃないのよ‥‥だけど、医者の仕事をしてるとどうしても接する時間が足りなくて‥‥だからケルナの学園に預けた方が為になると思ったの‥‥」

 聞くはずの無かった台詞を耳にしてジョニーは息を飲み込む。

「‥‥母さんと父さんは医者として困ってる人を助ける事を誇りに思ってるんでしょ‥‥‥だったら謝る事ないよ‥‥僕は‥‥そんな二人を‥‥誇りに思ってるんだから‥‥」

「ジョニー!」

 大通りの往来の直中で、それから長い抱擁が続く。十年の間満たされなかった心の隙間が埋まった気がして、ジョニーは心の底から満ちていた。

 馬車を止めていた御者がヨロヨロと歩いてくる。

「あー、失礼じゃが‥‥そろそろ時間なんで‥‥」

 ジョニーは母の頬に口づけして離れた。子供らしく元気よく走っていく。御者の老人が一礼して馬車の扉を開けた。

=今のが望みか?‥‥俺には理解出来ぬな‥‥人間はくだらない=

「‥‥いや、あなたは分かっているはずだ‥‥人を下らないとも思っていない。だからここに連れて来たんだろう?」

=さて、どうだか=

 竜に誘われるまま、ジョニーは馬車の戸に体を乗り入れる。

”わあーっ!”

「‥‥‥‥?」

 刺す程の強い輝きに包まれ、ジョニーは元の長身の青年に戻った。天井の高い屋内の中、人々の歓声が飛び交い、足元からは真っ直ぐに赤い絨毯が十字架かかる壁まで伸びていた。

「教会?」

 誰かが腕を掴んだ。

「‥‥ほらジョニー‥‥花婿がぼうっとしてたら様にならないでしょ」

「‥‥リオ‥‥」

 薄いベールの下には、緑色の髪のサイドを三つ編みにした薄化粧のリオの笑った顔があった。薄暗い教会の中で純白のウエディングドレスが目に眩しい。リオはジョニーの手を取る。

”今から尻に敷かれてどうすんだって!”

 人々の中からヤジが飛び、辺りはドっと沸いた。今だに名前の覚えられない宿屋の主人であった。

「おめでとうございます」

 フェリスもドレスを着ている。嬉しそうに笑っていた。

「‥‥これは‥‥未来?‥‥いや‥‥」

 これは決して叶う事のない願いである。幻でしかないのだ。

 ウエディングマーチの流れる中を、手を取り合った二人はしずしずと歩いていく。

 そうして黒い神官衣を着た神父の前に到着する。

=汝‥‥ジョニー・ウェインは、病める時も、貧しき時も変わらず、リオレス・グリーン ティアルを愛し続ける事を誓いますか?=

「!」

 神父はニヤリと笑う。途端に刻が凍り付き、周囲の人々は灰色に変わる。そのままの姿勢で動きを止めている。風の音も止み、物音一つしない。リオは俯いてジョニーの答えを待っている。

=これこそがお前の望みではないのか?‥‥故郷の者とともに彼女と生きていく=

「‥‥消してくれ‥‥」

 ジョニーは俯いてボソリと呟いた。

=なぜ?=

 シーベルは口元を歪める。

「これはまやかしだ」

=だが望みの世界でもある=

「‥‥‥‥‥‥‥」

 ジョニーは顔を曇らせる。

「多くの人達は、ままらない現実の中に生きて敗れた‥‥ここがもし本当に俺が望んだ 世界だとすれば、ここにいる俺は現実から目を背けたただの卑怯者になる。俺はそんな人間にはなりたくはない。ここで俺が卑怯者になれば死んでいった者に笑われる‥‥‥例えそこに何もなくても、俺は現実という同じ荒野の中で藻掻いていたい」

=それは他者への気遣いだな。だが、かの者達はすでにこの世の何処にもいない。いない 人間をなぜ気遣う?=



「‥‥それが人間だからだ」

=なるほど‥‥=

 シーベルはそこで大きく頷く。

=ならば帰るがいい。冷たい現実の世界に=

 波が揺らめく様に周囲の景色が消え、白の闇がジョニーを包んだ。





 元の世界に戻る。そこは見知った、荒れ果てた大地だ。

=冷たい現実だ=

「それでも、ここが俺の場所だ」

 遠くの空でゴロゴロと音が響く。それはスコールと呼ばれる短雨の前触れであった。

=これからどうする?=

「‥‥さあね‥‥」

 予想通り数刻を経ずして、ポツリと頬に一粒の水滴がかかり、雨はザアザアと降り出した。

=人は愚かだ。自然を破壊し、自ら殺し合う。人という種が滅びるまでにそう時間はかか らないだろう=

「‥‥矛盾しているな‥‥人が滅べばあなたも滅ぶ‥‥それでもお前は人に手を貸さない‥‥滅びるとしても、それは人が自ら選択し、決断した結果によるものだからな」

=その通り=

「‥‥それがドラゴンの矜持という訳か‥‥」

 今度はジョニーが笑った。砂混じりの風がジョニーの癖毛を揺らす。

「望みを叶えてくれると言うなら、一つだけ 頼みがある」

=何だ?=

「‥‥今しばらくドラゴン‥‥トライクエスターを俺に貸しておいてくれ」

=随分な頼みだな。ドラゴンは人には過分なものだというのに=

 言葉とは裏腹にバルトシーベルは顔中で愉しみを表現する。

「あなたが見せた未来に比べればささやかな願いだ」

=それで何をするつもりだ?=

「‥‥この現実を変えて見せる。人は滅びるだろうと予言した。それを変える。人はそれほど柔ではない事を証明してみせる」

=‥‥‥‥‥‥=

 竜は暫し無言だった。

=それもいいだろう‥‥だが最後に一つだけ忠告しておこう‥‥人の未来は既に滅亡への道を転がりだした‥‥巨大な岩が坂を転がる様にそれを阻む事は難しい。特にただの人に他ならないお前にはな。それでも敢えて挑むか?=

「‥‥どんな迂遠な道であっても、人の俺がやらねばならない‥‥違うか?‥‥そう俺に言わせる為に、敢えてこんな手の込んだ事をしたんだろう?」

=さて、どうだろうな=

 バルトシーベルは手を後ろに組んだまま、静かに微笑む。竜とは思えぬ優しげな笑みだった。現れたと同じ様に、姿が揺らぎ出す。

=ここは人の住む、人の世界‥‥未来は自分たちの手で切り開け‥‥=

 そして雲の中へと消えていった。見上げた空が晴れ、切れ間から日が差し出す。日の中に二輪のドラゴンが浮かび上がると、いつしか雨もあがっていた。

 涼しい風が吹き抜け、ジョニーは水色の目を閉じて笑った。

「未来か‥‥」

 トライクエスターにまたがり、ささっていた鍵を回す。唸り声が轟き、駆け出したドラゴンは後輪で砂を跳ね上げた。走る事で吹き付ける風が雨上がりの匂いを運んでくる。

 ジョニーの前には冷たい現実だけが立ちはだかっていた。だがバルトシーベルの申し出を蹴った事を後悔する気持ちは微塵も無かった。

「‥‥‥‥‥‥‥」





「馬鹿よ‥‥大馬鹿よ‥‥」

 しばらく歩いていたリオは遠くに町があるのを見つけた。そこに人がいるかどうかは分からないが、直ぐにそこに向かう方が良い事は分かっていた。

 だが、そこに行って、運よく人がいて、新たな日常を送るとして、それが一体、何になるのだろうか‥‥そんな思いが頭をよぎり、それ以上、足を進める事は出来なかった。

 逃げて‥‥と、何度も叫んだ自分が、とんでもない事を言っていた事は分かっている。

 それは必死に戦ってきたジョニーに対する侮辱に等しい事も。

 それでもジョニーには生きてほしかった。一緒の時間を共に過ごしてほしかった。

「‥‥‥‥」

 膝を抱えて座り込む。風の唸り声が耳をつんざく。

「‥‥‥‥?」

 その風の音に混じって、何か別の音が混じって聞こえてきた。

 リオは靡く髪を押さえながら立ち上がり、音の鳴る方に体を向ける。

「‥‥‥‥あれは‥‥」

 最初は小さな黒い点にしか見えなかったが、次第にその形が分かってくる。それと同時にリオの瞳も大きくなっていった。

“おおーい!”

 まだ遠くから声をあげている。それはジョニーに声だった。

「ジ‥‥」

 リオも名前を呼ぶ前に走り出していた。

「ジョニー!」

 全力で走り出す。すぐにジョニーの顔が見えてきた。

「‥‥ただいま」

 散歩からでも戻ってきたかのように、そう言うジョニーの傷だらけの顔を見たリオは、何も言わずに抱きしめた。

「もう‥‥」

 いつもは荒々しい荒野の風も、まるで気を利かせたかのように穏やかに二人を包み込んだ。


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