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第九話 復讐の契約と絶望の竜

《CALLING》

 地上から発信された信号波を特定したフェリスは眉をひそめつつも、その場所へとドリューベンを降下させる。嵐の雲の中を我が物顔で直進したその先には、風の荒野が開けた。障害物は何も無かったが、ドラゴンの姿を捉える事は出来ない。

『‥‥ジョニー‥‥向こうから呼びかけてくるとは‥‥どういう事?‥‥罠?』

 カシャカシャとパネルに命令コマンドを打ち込み、防御フィールドの出力を上限まであげる。これで例え死角からブレスを不意撃ちしてきたとしても、防御シールドを打ち破る事は出来ない。

『ジョニー、何処にいる?』

 全方位パネルの球体の端の一画の四角の中に、ジョニーの顔が映る。フェリスはその四角を中央までもってきて拡大した。

「臆した訳じゃないさフェリス‥‥君が黒竜の操者で、俺はグリーンティアルの生き残りの人間‥‥それが互いの道の様だからな‥‥フェリス‥‥ここまでの事をした以上、これ以上話し合う余地はない。君は全ての人の死を望んでいる‥‥とすれば、俺を倒さない限り目的は達成されない‥‥そうだろう?」 

 ジョニーはパネルの中の小さなフェリスを睨む。画面の中のフェリスは口の端を歪めた。

=このドリューベンから逃げおおせると思ったか?‥‥愚かな人間め‥‥力の格の違い をみせてやろう=

 声はパネルからではなく、雲を突き破って現れた黒く巨大な板から返ってくる。地上に接近しつつある黒竜‥‥ドリューベンの波動は雷鳴とは違う振動を地上に伝えた。リオはジョニーの腰に回した手を細かく震わせる。

「逃げられるさ‥‥現に君には今、俺の姿は 見えてはいない‥‥トライクエスターの遮蔽能力はそのドラゴンよりも高い‥‥この まま君の目の届かない所まで消えてしまう事だって出来る。ブレスでいくら無差別攻撃したって無駄なのは知ってるな?」

 そこまで一息に言って、息を吸い込む。

「‥‥そこで取引しようフェリス」

=取引だと?=

「そうだ、俺はてぐすね引いて待っている君の前に姿を現す。その代わりに君はブレスの毒に対する治療法を教える‥‥」

=‥‥ブレスの毒の治療法?=

 フェリスはフフンと鼻を鳴らした。ジョニーは瞬き一つせずにフェリスの顔を見つめていたが、その余裕の笑みの裏にあるものが何であるかは分からなかった。

=お前はドラゴンの力でブレスは防いでいるだろう?‥‥なぜそんなものを欲する?=

「それは君には関係ない事だ。どうだ、悪い条件じゃないだろう?」

=フフ‥‥そうだな‥‥だが仮に私がその条件を飲んだとしても、お前はこのドリュー ベンの前に吹き飛ばされるだけだ‥‥知った所で意味はないのではないか?=

「もちろん俺は負ける気がしないから、こんな事を言ってるんだ」

=いいだろう‥‥お前が勝ったら 教えてやろう=

「その言葉に偽りはないなっ!」

 ジョニーはアプリケーション一覧を開き、次々と始動中のプログラムを終了させる。最後に待機中だった遮蔽フィールドの(終了)を指で叩き、姿を現した。

《ドラゴン、ドリューベンが接近中‥‥注意して下さい》

「ドリィ、俺が合図したら、対放射防磁フィールドを含めた全てのパワーをバスターブレス集中させろ。その間充電していた銃からの簡易フィールドで防ぐ‥‥致死量に達するまでどれぐらい持つ?」

《およそ二十秒です》

「‥‥そうか‥‥カウントしてくれ」

 ジョニーはゆっくりと降りて来る黒竜を見上げた。

「何とか真下にもぐりこまなければな」

《敵ドラゴンの前方の口にパワーが集中しています》

「開始っ!」

”UOOOOOOON!”

 ジョニーの合図と黒竜が吠えたのはほぼ同時であった。黒竜の口から吐き出された無数の漆黒の棒がトライクエスターを狙った。ジョニーは巧みにハンドルを右、左と傾けて避けつつドリューベンら真っ直ぐに向かっていく。後方で地面に突き立った黒い矢は、空に向けて黒い炎の柱を上げた。

《‥‥十五‥‥‥十四‥‥‥》

「まだだ、まだ遠い!‥‥くっ!」

 進路上が燃え上がり、ジョニーはハンドルを持ち上げて、黒い火の壁を飛び越す。

《十二‥‥‥十一‥‥‥》

「‥‥あと少し‥‥リオ、我慢してくれ!」

「‥‥‥うん、全然平気‥‥」

 二人を乗せて疾走するドラゴンは、ドリューベンの真下近くに入る。黒竜の体の黒さは黒雲の中にいても際だって見えた。

《十‥‥‥九‥‥‥》

「ここだっ!」

 ジョニーはドラゴンを止めて横向きにする。横転しない様に足を出して支えた。足元から金属の紐付きの銃を引き抜き、引き金に指をかけて真上に向けた。連動してトライクエスター側部の筒が上を向く。

《敵ドラゴン下部にエネルギーが集中しています。防御フィールドを張るか、回避して下さい》

 チラとパネルに視線を走らせる。

「いや、そのままパワー充填を続行。二秒差でこっちが早い」

 ブレスを吐き出そうと黒竜の口がガクン!と開き、金属的な振動音が心を震わせる。

《五‥‥‥四‥‥‥》

「‥‥‥‥‥」

”GOOOOO!”

 黒竜の遠吠えにジョニーは目を細める。

 引き金を引く、カチリという音は、辺りを取り巻く騒音に紛れて全く聞こえない。が、筒の先からは紫色の光の柱が確かに撃ち出され、突き進んでいく。柱はドリューベンの発した黒い柱を正面に捉えて引き裂き、真っ直ぐ真上に伸びる。

『ぼ、防御フィールドが‥‥』

 見えない壁を軽々と破った光の矢は、黒竜の平たい体を貫き、そのまま空の彼方へと消えていった。

 反動でフェリスはキーボードに叩き付けられる。頭のサークレットの飾りが砕けた。

《‥‥POWER・九十%ダウン‥‥FLY SYS‥‥NO‥‥》

『このままでは‥‥ジョニーめ‥‥記録して あったパワーを遥かに越えている‥‥どうやって‥‥ん?‥‥これは‥‥』

 フェリスはサークレットの外れた額に手を当てて当惑の表情になる。

 なぜか今はジョニーの事を思い浮かべても身体を引き裂くあの苦痛に襲われる事は無かった。そのうちにポツポツとボロ布を集める感覚で、体験したはずの無い記憶が戻り始める。手を差し出して必死に訴えているジョニー‥‥言う通り、ケルナの町の学園の同級生だった記憶が蘇る。それからたぐり寄せられる様に、暗闇の中で現れては消える様々な記憶‥‥母親の病死‥‥父親の死により、言葉を失い、小間使いになった事‥‥かつての同級生達にいじめられていた事‥‥そして、唯一かばってくれたのがジョニーであった事‥‥。

『‥‥私‥‥私‥‥』

 あまりの事に頭に手を乗せて髪を鷲掴みにする。

 ケルナの町、グリーンティアルの王都ティアルノア、ジャロワク国に、つい今し方のブルジャフ国‥‥自らのとった行動により、何人の人間の命を奪ってしまったのか‥‥考えるだけで気が遠退きそうであった。

『なんで‥‥どうしてこんな‥‥』

 心臓の鼓動が激しく体を内側から叩き、呼吸が千々に乱れる。口の中がカラカラに乾いた。闇の中でグラムファーベルの歪んだ嗤い声が響く。

『‥‥‥た、助け‥‥』

 眼下ではまだ自らの放ったブレスにより、雷混じりの嵐が吹き荒れている。眼下に小さくトライクエスターという小さなドラゴンにまだがるジョニーの姿が見えた。後ろにも誰かが乗っており、その人物が被爆の治療を要する者であり、彼にとって大事な人であるのが分かった。

『‥‥ブレスの毒の治療‥‥どうして私はそんな事を‥‥』

 フェリスの体を再度の戦慄が襲う。これで全ての道が閉ざされてしまったのである。今更、記憶が戻った事を打ち明け、許しを乞う事も何もかも‥‥。







 ドリューベンは完全に沈黙した。地上から見上げる”黒板”は空にただ浮かんでいるかの様である。

「あそこは黒竜の動力源‥‥これでしばらくは動けはしない」

 ジョニーが銃をしまうと、筒の角度も元の水平の位置まで戻った。

「アプリケーション‥‥」

 パネルの中の(口)模様を指で二回叩くと、すぐにフェリスの顔がパネルに映った。

「フェリス、治療法を教えてもらおう」

『ジョニー‥‥』

「俺は持てる力の全てを使って条件を整えた。この期に及んで約束を破らないでくれ」

『‥‥ち、治療法は‥‥』

 フェリスは何度か大きく息を吐いた。

「‥‥‥‥‥‥‥」

『治療法を‥‥私は‥‥知らない‥‥』

「騙したのか?」

『‥‥‥‥‥‥』

 フェリスは唇を噛み締めて黙って頷いた。

「‥‥笑っていたのか?‥知りもしない毒の治療法を交換条件にしてきた俺を‥‥」

『‥‥‥‥‥‥』

 フェリスは画面に映らない位置にある手を握りしめて震わせる。爪の食い込んだ手のひらからポタポタと血が流れ、足元に血だまりをつくった。

『ジョニー‥‥』

 フェリスは俯いてその視線を避けた。

 彼の事が次々と記憶に蘇ってくる。イジメられていた時、いつも陰ながら助けてくれた。どうしてあの時‥‥グアムファーベルと契約する前にジョニーの事を思い出さなかったのだろう。全ての人が悪意を持っているわけではない。ただ少しだけ勇気を出してそちらの方に心を向ければ良かったのだ。

 それなのに、自分は取返しのつかない事をしてしまった。たくさんの人を憎悪で消し去ってしまった。

 全てがもう手遅れなのだ。

『‥‥‥‥』

 いや、本当にそうなのだろうか。今の自分に出来る事は‥‥何か‥‥。

『‥‥命‥‥』

 たった一つだけ方法がある。

 今、差しだせるものはそれしかない。もちろん、奪った数からすれば対価にはなりえないが。

『‥‥‥‥』

 リオという女性‥‥恐らくはジョニーにとってはかけがえのない人なのだろう。

 失われつつある命を戻す事は出来ない、だが、新たな命の力を入れれば、また吹き返す。

 代価として使うものはもちろん自分の命。

『一つ提案があります。聞いてくれますか?』

「‥‥‥‥」

 ジョニーからの応答はない。

 フェリスはパネルを叩く。

《‥‥warning‥‥‥denger revel ‥‥》

 ドラゴンの空間内が赤い光で点滅する。

《マスターに防護フィールドを発生させます》

フェリスは作業を続ける。

《‥‥open‥‥》

 ドラゴンの出入り口が開き、外からの風が中に入ってくる。フェリスは黒衣の裾を靡かせながら外に出た。

「‥‥な!」

 それを見ていたジョニーは驚きの声をあげた。この一帯にはドラゴンの毒が蔓延しており、人間が生きれる環境にはない。特にフェリスを守るフィールドもないようだ。

「聞いてください!」

「‥‥‥‥」

 さすがにジョニーは耳を傾けた。

「ドリューベンの支配権を彼女に渡します! そうすればドラゴンの治癒で次第に回復はしていきます」

「本当なのか!」

「はい。‥‥ですが、あまり長時間は駄目です。彼女の魂が紫水晶に飲み込まれてしまいます」

「わかった‥‥今のを聞いていたなドリィ!」

《パスコード受信しました。マスター登録をリオに設定します》

「そっちに行く!」

 ジョニーはトライクエスターで近づけるだけ近づき、途中からリオを背負って、フェリスのいる出入口まで登っていった。

「‥‥フェリス」

「‥‥‥‥」

 直接顔を合わせた時、フェリスの顔は青白かった。

「奥の椅子に座らせてください。ドリューベンはマスターの生命維持に全力を尽くすでしょう」

「‥‥分かった」

 気を失っているリオを座らせる。

《vitals‥check‥》

 思惑通りすぐにリオの治療が始まる。

「とりあえず、礼は言う」

「‥‥‥‥」

 フェリスは無表情で頭を下げる。

「ドリューベンはもう動かせません。そのうちに全て停止しますが、処置はその前に終わるでしょう」

「そうか‥‥」

 ジョニーは少しだけ表情を緩めた。

「お前は‥‥フェリスはこれからどうするんだ?」

「私は‥‥」

 言葉を途切れさせる。

「私は行くべき場所があります」

「‥‥行くべき‥‥場所?」

「なので、ここでお別れです」

「‥‥そうか‥‥」

「‥‥‥‥」

 頭を下げて荒野へと歩いていく。ジョニーは黙ってその後ろ姿を見ていた。やがて瓦礫の向こうまで行くと彼女の姿は見えなくなった。

「‥‥‥‥」

 見送っていたジョニーの心境は複雑だった。

 故郷を滅ぼし、立ち寄った、町も滅ぼしたのは確かにフェリスだ。だが、そこに彼女の意志は何処まであったのかは分からない。直接会った彼女は、学園にいたときのままの彼女で、無慈悲な事を望んでいるとは思えなかった。

《all condition‥‥green‥‥》

「‥‥‥‥」

 リオの治療が終わったようだ。

 ジョニーは漆黒のドラゴンの内部に入り、奥の椅子に横たわるリオの寝顔を見つめる。

「‥‥‥‥」

 穏やかな寝息が聞こえる。どうやら成功したようだ。

「‥‥リオ‥‥良かった」

 緑の髪をそっと手で触れ、彼女の顔をじっと見つめる。

 今はただ彼女の無事を喜ぼうと思った。





「‥‥うぅぅぅ‥‥怖いょ‥‥」

 五歳のリオは、母親の膝の上に抱かれながらも小さな足をバタバタさせる。深夜、不意に目を覚まして泣き出した少女のせいで、城中が大騒ぎになった。真っ先に駆けつけてきたのは同じ緑の髪を持つ母親である。母親はリオを抱き上げて頭を優しく撫でる。彼女自身も彼女の母親にそうされてなだめられたのである。

 何度かそうしてる間にやっと泣きやんできた。

「どうしたの‥‥お化けでもいたの?」

「‥うんいたの‥‥あのね‥‥お部屋のね‥‥隅に‥‥ブヨブヨしたおばけが‥‥リオ、 怖かったの‥‥」

「‥‥でももう大丈夫‥‥母さんがいるから‥お化けはどっかに行っちゃったわ」

「‥‥うん‥‥もーお化け来ない?」

「そうね、来るかもしれないわね‥‥でもこれからは来ても大丈夫‥‥どんな怖いお化けが現れても、グリーンティアルはドラゴンに乗った伝説の勇者様がいるから、剣をえいっ!って、一振りするだけで皆、やっつけてくれるから」

「‥‥その人は‥‥何処にいうの?」

 小さなリオは泣いた後で少し赤くなった瞳を大きく開いて母親に詰め寄った。

「‥‥うーん‥‥‥」

 母親は答えに詰まった。彼女も詳しい事は何も知らなかったのである。

「海っていう所があってね‥‥」

「‥うぅみぃ?」

「‥‥そう、グリーンティアルの湖よりも何倍も大きくて向こう側が見えないの‥‥碧い水を湛えてて‥‥私達が今見ているお日様もそこから出てくるの‥‥」

「‥‥そこから、どあごんと勇者が来て‥‥リオを助けてくえう?」

「‥‥‥そう‥‥いつもニコニコしてて笑みを絶やさない勇者様がね‥‥だからリオは何も心配しなくていいのよ‥‥」

「‥‥うん‥‥お休みぃ‥」

 その言葉を聞いて安心したリオは、母親の腕の中で丸くなり、リズムを付けた揺り椅子の揺れにすぐに眠りに付いた。

”‥‥リオ”

「‥‥うぅ‥‥‥」

 名を呼ぶ声に、再び意識が戻される。

”リオ”

「‥‥もう少し‥‥眠らせておいて‥‥」

”起きろリオ!”

「‥‥何‥‥もう‥‥‥」

 リオはゆっくりと目を開けた。すぐに自分が五歳の女の子ではない事を理解する。

「‥‥あれ‥‥ジョニー‥‥」

「‥‥‥お早う、お姫様‥」

「‥‥私‥‥どうしたんだっけか?」

「寝落ちしそうだから、ここに運んだ。それだけだ」

「‥‥硬い椅子ね。ここ何処?」

 リオが笑うとジョニーもつられて顔を緩めた。

「お早う‥‥勇者様」






 フェリスは荒れ果てた大地を歩き続ける。

「‥‥‥‥」

 息があがり、膝をついて前のめりに倒れた。巨大なドリューベンはまだ目と鼻の先にあるは、幸いにも瓦礫の遮蔽物で、彼らからここは見えない。

 ドラゴンの加護を失ったフェリスは、その毒にむしばまれ、ジョニー達と話してる時には既に全身が悲鳴を上げている状態だった。それでも何とかここまで来れたのは、精神力‥‥それだけだった。

「‥‥何処で‥‥間違ったんだろう‥‥」

 それはもう結論が出ている。言っても仕方のない事だ。

 昔‥‥また両親が生きていた頃、誕生日プレゼントでもらった本がある。それはドラゴンに乗り、邪悪を倒す勇者の話だった。

 学園にいた頃‥‥時々会うジョニーとその勇者を重ねて見ていた。

 それも遠い話。

「‥‥‥‥」

 冷たい風が体を通り抜けていく。あと数刻もすればそれも感じなくなるだろう。

「‥‥海‥‥か‥‥」

 物語にでてくるその景色を見て見たかった‥‥ただそれだけが悔いだった。

 が、これだけ願っていれば魂はそこに行けるかもしれない。

「‥‥馬鹿ね‥‥」

 邪悪の手下だった自分にはその資格がない。

 そこに思い至ったフェリスは、静かに目を閉じた。

 荒野は彼女の魂を何処かへと運んで行った。





 ドリューベンの力で異常なまでに早く回復したリオは、せわしなくこのドラゴンを調べているジョニーを見ていた。

「そんなにドラゴンが珍しい?」

「別に興味本位で調べてるわけじゃない」

 ジョニーは壁にあるパネルを指先で叩いている。その度に何かの光が走り、字が浮かび上がる。それに何の意味があるかさっぱり分からないが、ジョニーは理解しているようだ。

「よし、これだ」

 カシッと金属音が響き、何処からか小さな金属の小さな箱が現れた。落ちたそれをリオは拾い上げた。

「何これ?」

「それは簡易デバイスだ。一人分の防御フィールドを発生してくれる。リオがこれを持っている限り、このドラゴンから離れてもその機械にパワーは供給されて、ドラゴンの毒に浸食れる事はなくなる。ある程度なら栄養補給もされるが、なるべく本当の食事をした方がいい」

「‥‥‥‥」

 リオは手のひらより小さなその金属をじっと見つめる。

「君はここから離れて町を探すんだ」

「前も同じ事言ったね」

「‥‥‥今回で決着をつける」

「‥‥‥‥」

 ジョニーの決意が固いのは分かった。何を言ってもその瞳が揺らぐ事はないという事も。

 だがリオは言わずにはいられなかった。

 外に出たジョニーを追いかける。砂埃が舞うこの大地は毒が蔓延しているが、ドラゴンの力で守られた二人はそれからは外れる。

 ジョニーはトライクエスターにまたがり、パネルを操作している。

「‥‥もう‥‥いいじゃない」

 リオはボソ‥‥と呟いた。

「もういいじゃない!」

「‥‥‥‥リオ」

「何で‥‥何で‥‥」

 リオは後ろから抱き着いた。

「そのグラムファーベルっていう竜は強いんでしょ? 今度こそほんとに死んじゃうかもしれないのに、どうして‥‥」

「すべての人の仇だ‥‥リオ‥‥君の両親の仇でもある。それに、奴をこのままにしてはおけないんだ。あいつはいつか人間を滅ぼす」

「だったらそれまで逃げればいいじゃない! ジョニーは良くやってきたわ! 誰も文句なんて言わない!」

「‥‥‥‥」

 ジョニーは肩に乗せられたリオの手を上から掴んだ。

「奴とは決着をつけなければならないんだ」

「‥‥ジョニー‥‥あなたは賢いけど‥‥馬鹿よ‥‥このまま二人で何処かに逃げれば、それでもう終わりじゃない。どうして‥‥」

「‥‥‥‥」

 ジョニーは泣いているリオのおでこに口をつけた。

「君は‥‥強い子だ‥‥」

 ハンドルを回すと、ドラゴンが唸り声をあげる。

 最後に何か言ってくるのかと待っていたが、ジョニーはそのまま行ってしまうようだ。

「何でそんなにこだわるの! 全部放って逃げればいいじゃない! ジョニーだけがそんなにならなければならない理由なんてない!」

 ジョニーの姿はどんどん小さくなっていく。

「もう知らない! ジョニーは大馬鹿よ!」

 最後の言葉があたりに響き渡った。





「‥‥‥‥‥‥‥」

 何も言わずに風の様に走るドラゴンのハンドルをとり続けるジョニー‥‥完全無欠とよばれた無感動な表情はそのままではあったが、胸のうちは千々に乱れていた。

 触れただけで崩れ落ちる脆い岩の荒野が、見渡す限り何処までも広がり、赤茶色の地平線を形作っている。空は薄い朱色で雲はない。その連続した単調な景色がジョニーの心を打ち砕き続ける。目に染みる程のグリーンティアルの青空が、泣きたいぐらいに懐かしかった。

「俺は認めないっ!‥‥‥こんな運命をっ!」

 土間声が波の様に幾重にも重なり合っていく。

=‥‥どの様な過酷な状況下であったとしても、お前の意思のままに選んだ行動の結果 として、今のこの状況がある。それを運命という言葉の一言で片づける事は出来ない=

「‥‥だ‥誰だ!」

 何処からともなく聞こえてきた声に、ジョニーはハっとして砂浜に目を凝らす。そこには誰もいない。

=‥‥誰しもが望む未来を描き、各々の目的の為に行動している。だが、望んだ希望が必ず叶う訳でもない。各個人を最小単位とし、国家という集団にいたるまで、違った目的が無数にあるが、それに比してこの世界は有限な存在でしかないからだ=

「‥‥‥‥‥‥‥」

 視線を空へと戻す。そこに一人の男が浮かんでいた。肩よりも長い男の髪は闇よりも黒く、女性の様にしなやかで切れ長の紫色の瞳の片方を隠している。前髪の一房だけが銀色であり、それが黒髪との対比で目を引く。夏の強い日差しの下、深紅のジャケットを着込み、異様に細い両手は中に入れている。

「‥‥お前は‥‥誰だ?」

=俺が何者か‥‥それは本筋とは関係がない。それでも問題とするか?=

「お前は俺の前に現れた。お前の言葉に従うなら、お前の存在は今後の俺の行動の判断材料として加わった事になる‥‥関係はあるだろう?」

=確かにその通り=

 男の笑みは作り物じみた印象を受ける。とても人には見えない。

「‥‥もしや‥‥グラムファーベルか!」

=違う。俺はバルトシーベル‥‥太古の人間には神とも悪魔とも呼ばれた竜‥‥そしてそのトライクエスターは俺の力を分けて創造したものだ。グラムファーベルはドラゴンを創造したオリジナルドラゴンではあるが、単なる邪竜にすぎない =

「‥‥オリジナルドラゴン‥‥‥‥なぜ俺にドラゴンを?」

=お前は奴‥‥グラムファーベルの計画を阻む者であったからだ‥‥奴は五百年前の人間との戦いに敗れた。そして人間を恨み、弱体化した現在の人間の全てを消し去ろうとしている。俺もそれは阻止したい‥‥お前と目的は同じだ。故にドラゴンを与えた=

「‥‥そ‥‥‥」

 欲して得られなかった答えの全てが、今ここに明らかにされる‥‥何から聞いたものかと、考えるだけで息が詰まりそうになった。

「‥‥トライクエスターをつくったのなら、その力は人間の俺なんかより遥かに強大なはずだろう?‥‥なぜ自分で行動しない‥‥お前が力になってさえくれたら、グリーンティアルもブルジャフの町も‥‥それに‥‥」

=この世界は人間の支配する人間の世界だ。人はドラゴンの傀儡ではない。グラムファーベルがドラゴンを使って人の歴史に介入するなら、俺もまた同じ目的を持つ人間にドラゴンを与えるのみ。だが直接介入はしない=

「‥‥‥‥‥‥‥」

 ジョニーはリオを下ろし、バルトシーベルを睨んだ。

「‥‥するとそのファーベルというオリジナルドラゴンが直接力を使ったのか?‥‥そうでなければ、俺の前に姿を現すはずはないからな」

=フッフッ‥‥人間にしては頭が回るな‥‥その通り、奴は奴の創造したドリューベンというドラゴンを使って集めた”負の魂”を使って奴自身の紫水晶の力を成長させた‥‥今まさにその力で地上に流星を降らせんとしている=

「‥‥流星?‥‥流れ星?」

=そうだ、だが途中で燃え尽きたりはしない。直径が数キロから数十キロに及ぶ岩塊が地 表に落ちれば、その被害は想像を絶するものになる。全ての生命は消滅し、今度こそ この星は死の星になる。‥‥二百年前に始まったジャロワクとブルジャフの戦争は大規模なものだった。俺は当時のグリーンティアル王に鎖国を勧めた‥‥その間に二つの国は国土を疲弊させ、痩せ細っていった。海もかつてはグリーンティアルの側まである程広大だった。海は今でも干上がり続けているのだ=

 笑っていたバルトシーベルの目が硝子質の鋭い眼光を放つ。

=こういう結果となったのは人という種の総意の導き‥‥運命ではない=

「‥‥お前は‥いや、あなたは‥‥‥あなたが、国を救った伝説の勇者‥‥ドラゴンなのか?」

=言ったであろう。竜は人の歴史には直接関与は出来ないと。戦ったのは俺ではない。俺がつくったドラゴンをその当時の人間が使っただけだ=

「‥‥‥‥‥‥‥」

 ジョニーは目の前の男を見つめ続けた。男の話は雲を掴む様であり、想像の域を遥かに越えたものである。実際に宙に浮くという超常的な光景を目前に見せられてさえ、話の内容のどれ一つを取っても、にわかには信じる事が出来なかった。

「‥‥俺は‥‥全ての元凶となったグラムファーベルを倒したい‥‥その為の力が欲しい‥‥これ はあなたの目的と合致するはずだ」

=ドラゴンを相手にするのに力は意味を為さない=

「なぜだ?‥‥力が無くては勝てない」

=オリジナルドラゴンは倒そうとして倒される存在ではない=

「‥‥それは‥‥どういう事だ?」

=ドラゴンは体内に紫水晶を持ち、その紫水晶は負の心を力としている‥‥倒そうと憎しみの心を持って立ち向かえば、向けた力の全てが奴の糧となる=

「ならば俺は奴に呑まれる前に、奴を呑む! 強い力さえあれば‥‥力さえあったなら‥‥こんな事にはならなかった!」

=本当にそう思うか?‥‥愚かな‥‥=

「‥‥‥‥」

=人とは愚かなものだな。己の願望を達成する事を無二の真理とし、都合のいい理由のみを選んで後で付け加える‥‥答えは永遠の闇の彼方だ‥‥それでは奴の思うつぼであろう=

 バルトシーベルは嘲る様に鼻を鳴らした。

=だが、そう信じているのなら、それもいいだろう‥‥力でもって倒せるというのなら、試してみるがいい! 結果がどうであれ、それがお前の選んだ選択肢なのだからな= 大袈裟な仕草で腕を空に掲げる。日差しを受けた指無しの皮の手袋が黒い光を放つ。




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