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無口な少女と滅びのドラゴン
無口な少女と滅びのドラゴン
chelsea
異世界ファンタジー冒険・バトル
2025年02月10日
公開日
10.7万字
完結済
世界のどこかに潜む「闇の意思」と呼ばれる存在は、かつて邪竜として崇められながらも敗北し、精神体として残存していた。その意思は復讐心に駆られ、人間界で負の感情から生まれる「紫水晶」を集めることで力を取り戻そうと画策する。そして、最適な器として孤独と絶望に満ちた少女フェリスを見つけ出し、契約を結ぶ。復讐のために創造されたドラゴン「ドリューベン」と共にフェリスは、かつての学園や人間社会に破壊の限りを尽くし始める。

第一話 少女の絶望が呼び寄せた竜

 闇の中に確固たる一つの意思が存在していた。

 かつて邪竜‥‥神と崇められたその意思は、人間を支持する竜と戦い、そして破れ去った。

=‥‥憎い‥‥憎い‥‥=

 その意思は憎んでいた。人を含めた生命という存在全てを憎悪していた。仲間は全て消滅し、世界の中に溶け込んでいった。その意思も一つのドラゴンとして同じ道を辿るつもりでいた。

 だが、消えずに人間界に今でも存在している。

そのドラゴンが他のドラゴンと違っていた、たった一つの素養‥‥それが運命を分けた。

=‥‥憎い‥‥人間‥‥=

 それは人にしかないはずの復讐心であった。このまま消滅する事、それは自己意外の全ての存在を無傷のまま消し去ってしまう事以外のなにものでもない‥‥何年か、何十年か、何百年かの停滞の時期を経て、その結論に至った。だが意思は今やただの『精神体』でしかない。生命を根絶させる為にはかつて持っていた力を凌駕する力が必要だった。

=‥‥力=

 それにはドラゴンの体内にあり、力を発揮する為に必要な紫水晶を集めなければならない。紫水晶は苦痛、絶望、恐怖、嫉妬‥‥負の感情に偏った人間の魂からなりたっている。だが、その様な魂はすぐに魔界に流れてしまう。人間界で負の魂の結晶たる紫水晶を集める事は難しい。自らの実体を精製しながら人を滅ぼす程の力を集める事は『精神体』にとっては難しい事であった。

 『精神体』は人間界に『目』を放ち、その手段を探り続けた。そして無限とも一瞬ともとれる時間が経過したある時、一つの方法を見つけだしたのである。

=‥‥複製‥‥‥‥=

 『精神体』はすぐにそれを実行し、自らの力の複製であるドラゴンを創造した。

 が、力はあるがそのドラゴンに意思は無かった。『精神体』は複製を操する純真たる負の魂を持つ人間を見つけ出さなければならなかった。





「そりゃお前が悪い、リティシアが怒るのも無理ないって!」

「怒る? 分からないな」

 一人の黒髪の青年が岩山の中の洞窟を探っている。この岩山は森の切れ目の荒野の直中にぽつんと置いてあるかの様であり、辺りの景色からは何処か浮いて見えた。その内部はほとんど空洞になっており、まるで部屋の様に仕切られていた。そこにニキビだらけの顔の青年が走り寄って来て、ゼエゼエと息をつく。

「‥‥おいジョニー、あんな美女から告白されたのに、お前ときたら、約束をすっぽかしてこんな立入禁止の洞穴をほじくり返してるし」

「別にすっぽかした訳じゃない‥‥向こうが勝手に言ってきただけで俺は承諾してない」

 ジョニーと呼ばれた青年は鎚を持つ手を休めもしない。

「だからって‥‥」

「良かったら来てくれと言われただけだ。その気もないのに行けば、そっちの方が失礼だろう」

 ジョニーの髪は真っ黒な癖毛で、伸びすぎた前髪はアイスブルーの右の瞳を隠していた。見えている左目も何処までも涼しげである。

「‥‥その気もないって‥‥あのな、学園の男は皆、彼女を狙ってるんだ‥‥お前はどうかしてるよ」

「俺にしてみれば他人の事で泣いたり喚いたり‥‥そんな事で大騒ぎする方がどうかしてると思うが‥‥それより見てみろよ、ネッド」

 ジョニーは、隣りの友人の言葉を無視して、廊下の様な壁をナイフで削り続ける。長年の歳月を経た壁はかなり風化しており、茶色の土屑がパラパラと落ちた。

「‥‥凄いな‥‥一番上の大きな部屋から伸びてる金属の筒が、こんな所まで続いている‥‥」

「だから?」

 ネッドは呆れた様に聞き返した。

「分からないのか? この岩山は、人の手によって作られたんだ‥‥‥この細い管は伝 線管に違いない」

「まさか⁈ そんな木の屑みたいな奴がか?」

「今はそうだ。完全に錆びてる‥‥‥この岩山は何処か別の場所にあって、そこから移動してきたんだ」

 ネッドは金属片の散乱する床の上に腰を落としてして溜め息をつく。

「‥‥ジョニー、どうかしてるよ‥‥今更こんな洞窟を掘ってガラクタを集めて何になるって言うんだ?‥‥昔は何か意味があったのかもしれない‥‥けど、これから先、それはガラクタとしてしか存在しないんだぜ」

「俺が見てるのは昔のガラクタじゃない」

「なんだって?」

「‥‥俺達のこの世界は過去に戦争があって そこから蘇ったもの‥‥きっとこいつはその時に作られたんだ‥‥たぶん‥‥空を飛んでた」

「‥‥まさか」

「本当さ‥‥下の方には石炭をくべる炉があったし、その熱を利用して回転させる羽もあった‥‥」

「だからってさ」

 ネッドは足元の石を蹴り上げた。石はカラカラと薄暗い廊下を何処までも転がっていく。

「過去に何があったかを探る事は、これから俺達が遭遇する事を知る事なんだ。未来を見つ める者は、過去から目を逸らす事は出来ない‥‥それは真実の言葉だよ」

「さすが成績優秀、容姿端麗、両親は宮廷専属医師のジョニー君、”完全無欠”のあだ名はダテじゃないって事か?‥‥‥不勉強な俺は、女の子と喋ってる方が楽しいけどね」

「‥‥‥‥」

 そんなネッドの言葉を笑って受け流す。 

ジョニーは幼い時に一人で全寮制の学園に転入してきた。そして入ったその日には頭角を現し、勉強では秀才の誉れ高いクライスをやり込め、剣技の面でも年長で武闘大会連勝者のジャルクをいともあっさりと倒していた。何をしても完璧にやりこなす彼を、いつしか学園の同級生達は”完全無欠”と呼ぶようになっていたのである。

 そんな彼に惹かれる少女達は後をたたなかった。だが一方的に言い寄られた後、態度のあまりの冷たさに離れていく。それがいつものパターンである。ジョニーが興味を抱いたのは、少女達よりもグリーンティアル王国に散らばる数々の遺跡であった。

「いや、お前だってこれを見たらきっと考えが変わる‥‥驚くなよ」

 ジョニーは伸びすぎた前髪をうざったそうにかきあげながら悪戯っぽく笑って背中のリュックに手を入れる。そして中から何か細長い棒の様な物を出した。

「何だこれ?」

「最上層の椅子のたくさんある部屋の前で見つけたんだ‥‥‥剣の柄じゃないかと思う 折れてはいるけど‥‥」

 その柄は長い歳月を経ても金属の光沢を失わずに銀色の光を放っていた。握りの部分が指の形に凹んでいる。

「変な形してるな‥‥で、これが何?」

「こうして握ると」

 ジョニーは柄に手をかける。まるであつらえたかの様にしっくりと馴染んだ。

”‥‥PI‥‥PI‥‥PI”

 柄の先が赤く点滅を始める。

”‥‥BI!”

「くっ!」

 軽い衝撃が腕に走り、ジョニーは柄を落とした。

「これは魔法なんだろうか?‥‥どう思う?」

 腕をさすって、落ちた棒を見下ろす。

「‥どうって‥‥言われても‥‥」

「握ろうとして腕が痺れたと言う事は、俺はこの剣に持つ事を拒否された‥‥そういう事になるだろう?」

「くだらねー‥‥」

「そうか?」

 ジョニーは握らない様に慎重に柄を拾いあげ、リュックの中にしまった。

「いい加減にしろよジョニー、変わり者も度が過ぎると変人になるぜ」

「変わり者もよく言えば個性的って事だ。同じならいいって訳じゃない」

 ネッドはあからさまに大きな溜め息をついて立ち上がった。女達と違い、男子生徒は倦厭してジョニーに近づく者はいない。そんな中でジョニーとまともに話せる唯一の友人であった。

「つき合いきれない。好きにしろよ」

「ああ、そうさせてもらうよ」

「‥‥‥‥‥‥‥」

 ジョニーは去って行くネッドに一瞥もくれずに、すぐに元の作業に戻る。振り返ったネッドは、洞窟の中に響くナイフで何かを削る音に、頭を振って一人で外に出て行った。





「‥‥ぅ‥‥‥っ‥‥」

 小さな赤毛の女の子が、赤煉瓦の建物の裏手にある井戸に桶を落として水を組んでいる。小さな体に比べて桶は大きく、その手つきはかなり危なっかしい。

 学園の小間使いである十二歳の少女のフェリスは、かつては王国で一、二を争う商人の娘であった。フェリスの父はフェリスを学園に預けた一月後に死亡し、母もすでに亡く、他に身よりのなかった彼女はそのまま学園で働く事になった。父の突然の事故死を聞いたその時のショックでフェリスは言葉を失ってしまったのである。

「‥‥‥うっ‥あ!」

 フェリスは何かにつまづき、抱えていた桶を落とした。

「‥‥へっへっ‥‥困るなぁ‥‥服が濡れちまったよ」

「‥‥‥‥‥‥‥」

 フェリスが見上げた先には、学園の生徒が三人、口元を歪めて笑っている。青年は出した足を引っ込めた。

「おう‥‥一言ぐらい謝ったらどうだ?」

 中の大柄な青年がアゴをもちあげながらそう言うと、皆はドっと笑った。

 当初、学校は伝統と格式を重んじていた為、入学する際には王国において要職に就いている事が条件であったが、次第に裕福である事も条件の中に含まれる様になっていった。その風潮は次第に高まっていったが、それは一部の学校経営者側の話である。当の生徒達は王国の重鎮になる事を約束された学園に入れた自らの出自を誇りに思い、金を積む事によって入学した生徒を冷ややかな目で見てる様になっていった。後ろ盾を失い、誰もかばってくれる者のいなくなったフェリスは、恰好の標的だった。

「‥‥よせよせジャルク‥‥金持ちの嬢ちゃんは俺達みたいな貧乏騎士の息子なんか話 すにも足りんとさ」

 生徒達はフェリスが失語症であるのを知っててわざと揶揄する。

「‥‥ぇぅ‥‥」

 ひたすら頭を下げながら、急いで桶を拾いあげる。

「おい、待てよ!」

 立ち去ろうとした少女の前に、青年の仲間が立ちふさがった。

「よくよく見れば可愛い顔してるじゃん‥‥ ‥‥」

 上着からナイフを取り出し、舌なめずりして胸元を結ぶ紐を切る。

「!」

「動くなって!」

 白い肌着が現れ、目つきの悪いその青年はフェリスの頬にピタピタとナイフを当てる。鋼の冷たさにフェリスは身を縮こませた。

「‥‥へっへっ‥‥」

 肌着の内側にナイフを差し入れ、広げると薄い谷間があらわになってきた。

「‥‥ぁぁぁぁ‥‥‥」

 服を破られながらフェリスは目を閉じて空を見上げる。そして記憶の中にある父の顔を思い出して必至に涙を堪えていた。

 以前の暮らしとは全く違い、朝まだ暗いうちから、皆が寝静まる頃まで働かせられていたが、それでも耐えていた。毎日の祈りも欠かした事もなかった。それなのになぜこんな仕打ちを受けなければならないのか、それが分からなかった。

「‥‥‥‥‥‥‥」

 少女は、流れる雲の先にいるはずの『神』に向けて救いを求める。無理に感情を押し殺していた為、こみ上げてくる嗚咽で吐きそうであった。

”おい、お前達!”

「‥‥‥」

 フェリスは視点を下に戻した。向こうの方から誰かが走って来るのが口を押さえる男の指越しに見えた。

「‥‥‥!」

 背が高く脚の長い、黒髪の青年‥‥救いであるはずのその姿を見てフェリスは再び愕然とした。

「今すぐその手を離せ!」

 青年‥‥ジョニーは手前にいた青年の襟首を掴んだ。

「‥‥お、おい‥‥マジになるなよジョニー‥ちょっとした冗談じゃないか」

 冗談という言葉に、フェリスを掴んでいる二人の青年が笑った。

「‥‥今日という今日はそんな言い逃れは出来ないぞジャルク‥‥一緒に学園長の所に 来てもらおうか」

「‥‥へ‥‥そんな小間使いの小娘一人、どうだって言うんだ。園長は取り合わねえよ。俺達は騎士団の子弟なんだぜ」

「それなら騎士団に通報する。犯した罪は償わなければならない。他にどんな理由があろうともそれは関係ない」

「いいのかい、俺達は正騎士の子弟なんだぜ‥‥」

「これが原因で退学になったら、この学校はそれまでの所だ。だが、このまま見過して卒業したら俺は一生後悔するだろう」

 ジョニーはジャルクを掴んだ手に力を込めてグイと引き寄せて睨み付ける。

「‥‥がっ!」

 ジャルクの仲間が声をあげ、ジョニーは反射的に顔を向けた。フェリスを押さえつけていた青年が股間を押さえている。フェリスはすでに駆け出して逃げていた。

「‥‥けっ、捕らわれの姫はお逃げになられた様だぜ‥‥助けがいがないなジョニー」

「‥‥」

 ジョニーはへらへらと笑い続ける青年を荒々しく突き放した。





「‥‥ぅぁぁぁぁ‥‥‥」

 フェリスは泣きながら、学校から続く坂道を駆け上がる。下から上へと見上げる土の道の先には、夏独特の勢いのある雲が地平線から吹き上げてでもいるかの様である。

「‥‥うぅぅ‥‥‥」

 丘を登り切り、林がパラパラと顔を見せ始めて初めてフェリスは足取りを緩めた。険しい森を突き抜ける様に道が先まで続いていたが、王国が鎖国政策を取って以来、この先に行く事は禁じられていた。

「‥‥‥‥‥‥‥」

 町を一望出来る丘の先に立ち、しゃくり上げる。泣きたい時はいつもこの丘に逃げて来ていた。

 悲しみに涙が止めどなく流れ出し、どう頑張っても止める事も出来なかった。今は生徒達に脅かされ乱暴された時より、何倍も悲しい。助けに来てくれたのが黒髪の青年だと知った途端、涙が吹き出し、気が付けば無我夢中で逃げ出していた。

 その青年とは学校で何度か顔を会わせた事があった。名前が”ジョニー”だと知ったのはつい最近の事である。

「‥‥ぅぁぅ‥‥‥」

 彼も彼らと一緒に面白がっているに違いない。服をはだけられ、乱暴された現場を見てきっと今頃は笑ってる。なぜなら言葉一つ話せない可愛げのない自分を助けるという行為によって彼は何もいい事はないのだから‥‥長年虐げられてきたフェリスはそう思い込むに至り、そう確信していた。

「‥‥ぅぅぅぅ‥‥‥」

 何か言おうにも言葉すら話せなかった。なぜこれほど悲しいのかも分からなかった。

「ぅぁぁあああああああっ!」

 フェリスは喉が張り裂けんばかりに、夢も希望も吹き飛ばさんばかりに、青空に向かって叫んだ。

 誰に聞かせる訳ではない魂の叫び‥‥が、その声を聞いたものがあった。

=‥‥見つけた‥‥=

 空が急速に陰り、沸いて現れた黒雲が蛇の様にトグロを巻く。声は頭の中に響いたのか、渦の中心から響いてきたのか分からなかった。

「‥‥ぁぁぁ?」

 黒い霧が一塊にまとまっていき、次第に人間の姿を形作っていく。

=‥‥我は名はグラムファーベル‥お前は復讐を望んでいる。神を憎んでいる‥‥『力』を欲している‥‥我と、目的は同じ‥‥=

 宙に痩せて背の高い男が現れ、長いコートに両手を入れたまま上から見下ろしている。老人と見紛う銀髪を逆立て、瞳は赤紫色。目つきは鋭く、ニっと歪めた口元からは人の物とは思えない鋭い歯が並んでいる。

=答えろ。お前の望むものは何だ?=

「‥‥‥‥‥‥‥」

 フェリスの心の中でその望むものがモヤモヤと形作られていく。それは不意に壊れて吹き飛び、全てが無になった。

「‥‥‥‥」

=そうだ、その通り、力だっ!=

 白髪の男は天地を揺るがす程の大声で笑った。

=我はお前の望む力を与えよう‥‥お前を突き離し、絶望させ、不幸にさせた全ての人間に『力』を持って復讐するがいい‥‥=

「‥‥か‥‥‥み?」

 『声』‥‥グラムファーベルを恐れる気持ちは微塵も起こらず、フェリスは顔を向けて聞き返す。

=神?‥‥そう呼んでも構わない=

「‥‥‥‥‥‥‥」

 フェリスはボロボロになった上着を握りしめる。父が生きていた頃は皆は誰もが優しくしてくれたが、死んだ途端に掌を返す様に冷淡になった。いくら努力しても人々の反応は変わらなかった。

「‥‥‥‥‥‥‥」

 フェリスははっきりと分かる様に渦に頷く。グラムファーベルと名乗った男はニタ‥‥と笑った。

=いいだろう‥‥我の創造しドラゴン、ドリューベンをもって、人間に復讐せよ=

「‥‥あぁぁ!」

 フェリスの正面に雷が落ちて爆音が轟き、土煙の中に三角型に似た姿がゆっくりと浮かび上がった。

 煙が去った後そこには『声』の言う物体‥‥ドラゴンがあった。





 寮の自室に戻ったジョニーは、部屋中の窓を全て開け放ち、ドサリとベットに横になった。

 角部屋である為に窓は他の部屋より多く、風は部屋の中を通り抜けていく。風が夏の匂いを運んでレースのカーテンを揺らす。腕枕をしたまま横を向くと、高い空に流れる雲が見えてジョニーはわずかに微笑んだ。

「ほっとけない問題だな‥‥」

 怯えきったフェリスの顔を思いだし、ジョニーは顔を曇らせる。ジャルク達は決して特別な訳ではない。良識のある人の目の届かない所で彼女がどんな目に会わされてるのかを思うと、ジョニーは顔を曇らせた。

「何とか力になれれば」

 思い出した様に、足に反動をつけてバっと起きあがる。机の上に紙を敷き、山の洞窟で見つけた折れた剣の柄を静かに置く。引き出しから布を出して泥を落として、外の日にかざしてみる。眩しい銀色の光に目を細めた。

「‥‥傷一つ付いてないな‥‥この真ん中の溝‥‥もしかして開けられるのか?」

 細い鉄棒を溝にはめて、こじ開け様としたがビクともせず、逆に棒の方が折れてしまった。

「鉄より硬いって事か」

 ひっくり返して浮き彫りにされたドラゴンの顔を見つめる。今は硝子の瞳は何の輝きも放っていない。

 試しに柄を握ってみた。瞳が赤く点滅し始め、ジョニーは慌てて手を離す。

「やっぱり駄目か‥‥何が鍵なんだ?」

 溜め息をついて剣を下に降ろす。ドラゴンの瞳は再び沈黙を始めた。

 ドアが勢い良くノックされる。ジョニーには誰が来たのかすぐ分かった。

「おい、ジョニー!」

 ネッドはドアを開けるなり、息せき切ってジョニーの側に駆け寄った。

「ジャルクに喧嘩を売ったってのは本当か?」

「喧嘩?‥‥別に喧嘩なんかしてない」

「学校の裏でお前とジャルク達が言い合ってるのを皆が見てるんだ」

「ああ、見てただけの奴らならたくさんいたかもな」

 舌打ちしてボロ布を引き出しの中にしまう。

「‥‥ジョニー、お前って奴は馬鹿だよ。成績も申し分ない上に、武道大会でも優勝する程の実力を持ってるのに、今だに見習い騎士にさえなれないのは、ジャルク達の親に不評をかってるからだ。俺でさえもうすぐ準騎士の試験を受けるってのに‥‥」

「騎士の試験とジャルク達の機嫌を取るのは全く関係ない話だ。実力無くして国家の重 責の地位につけるほど、この国が腐ってるとは思いたくはない」

 ジョニーはそこまで言って険しい表情を緩めた。

「‥‥そうかネッド、もうすぐ準騎士か‥‥ がんばれよ。これであの気むずかしい父親 の鼻があかせるな」

「‥‥え、あ、ああ‥‥‥いや、俺の事はいいんだ。所で今夜は謝肉祭だろ?‥‥参加は自由だけど、ジョニーはどうするつもりなのかと思ってね」

「部屋で寝てる。特に興味はない」

「女の子もたくさん来るんだぜ」

「お前に任せる」

「実はお前が目当てで出る女の子が結構いるんだ‥‥お前が来てくれないと‥‥その‥」

「‥‥‥‥‥‥‥」

 ジョニーは顔をしかめた。

「分かったよ。魚の餌の役でも何でもやるさ‥‥‥そうか、お前の目当てのコが来るんだな?」

「そういう事」

「じゃ、今晩六時に学園の講堂で」

「‥‥ああ、悪いなジョニー‥‥‥」

 パタパタとネッドは慌ただしく出ていく。ジョニーが出る旨を、以前から彼が口にしていたリティシアという娘に伝えに言ったに違いなかった。

「そうだ‥‥フェリスを誘ってみよう」

 こういう行事に参加すれば、皆も彼女と打ち解け、二度といじめる様な真似をする事はあるまい‥‥ジョニーは自分のその考えに満足しながら、再び『ドラゴンの剣』と名付けた棒の研究の続きを始めた。




「‥‥ぅぅぅぅ‥‥‥」

 フェリスは雷と共に出現した小山ほどの大きさの巨大な黒い物体に、恐る恐る近づいた。形状は三角型の板を真ん中からわずかに折り曲げた形をしており、頂点には鋭い三角形の紅い瞳が硝子の輝きを放っている。中央には球体の様な膨らみがあったが、脚も腕も口も見当たらない。更に近づいて体に触ると、ヒヤリと冷たい感触が伝わり、金属に似た黒い表面はよく磨いた鏡よりもくっきりと顔を映した。

=我の創造し、そのドラゴンの名は『ドリューベン』‥‥もはや何人も、お前に危害を加える事は出来ない=

「‥‥‥‥‥‥」

=全てが思うままだ‥‥=

 黒い光に照らされたフェリスは、次の瞬間には闇の中に移動していた。

「‥‥あ‥‥ぅぅ‥‥‥」

=恐れる事はない=

 明りが灯る。金属の丸い灰色の台の上に立っている以外は、今までいた森と変わりが無い様に見えた。

「‥‥‥?」

 景色に奇妙な隙間が縦横に走っている事に気づき、フェリスは腕を伸ばして触ってみる。指は何か見えない物に触れて一定以上の距離より向こうには伸ばせず、触れた箇所は水面に映った景色に水滴が落ちた様に揺らいで見えた。フェリスを取り囲む様に青い光のリングが静かに点滅している。

=ここはすでに、ドラゴン『ドリューベン』の胎内‥‥お前が見ている景色は、ドリューベンの目が見ている景色を、球形スクリーンに投影したもの=

「‥‥け‥‥し‥‥?」

 フェリスの斜め前の宙に、小さな四角いボタンがびっしりと付いた半透明の板が、四枚浮かび上がって現れた。

 試しに一つのボタンを押して見る。キン!という高音の後、板の裏から光の糸が下向きに飛び出し、幻の景色の中に吸い込まれていく。途端に当たった箇所の景色が四角の枠でくくられ、以前より大きくなって映る。

「‥‥‥?」

 あちこち適当に押して見ると、それぞれがドラゴンの動きに対応しているのがすぐに分かった。

=その四枚の板は手足となってお前の目的を達成させる手助けとなる‥‥=

「‥‥フク‥‥シュ‥‥‥」

=そう‥‥復讐‥‥お前を仇なす人間どもを一掃するのだ=

 『声』は心なしか笑っている様に聞こえる。 上からサークレットの様な銀色の輪が降り、フェリスの額にピタリと収まった。

『ああああああああっ!』

 その瞬間、全身をビリビリと何かが駆け抜けた。

『はあはあ‥‥』

 荒い息をつき、胸を押さえて顔をあげたフェリスの瞳は紫色に輝き、硝子のツルリとした光沢を放っていた。

=すでにドリューベンの知識はお前のもの。行くがいい=

 呆けた表情でフェリスは頷き、上段に左右のキーボードに手をかけた。

=さあ、狩りの時間だ‥‥=

『楽しみです‥‥ファーベル様』

 フェリスは口元に笑みを浮かべた。





 謝肉祭の本来の目的は、その年に食料とした動物達の霊を慰め、来年の豊穣を願うものであったが、直接生産に関わらない学園の生徒達にとっては、年に一度のバカ騒ぎの出来る祭りの日という認識しか無い。

 屋外にもうけられた長テーブルの上には、所狭しと肉料理が盛りつけられており、その周りには数人の生徒達が集団をつくり、学園での生活を中心にした他愛もない話を続けている。その集団の一つに、馴れない黒服を着たジョニーとネッドの姿もあった。

「全く学園長の話は長すぎるよなぁ、せっかくのご馳走が冷めちまうよ」

 ネッドが辺りを物色する様に首を伸ばす。

「‥‥しっかし、さすが‥‥女の子の入りが普段とは違うねぇ」

「そうか?」

 ジョニーはつまらなそうに空揚げを一つ摘んで口の中に放り込んだ。

 肩の出た赤いドレスを着た女の子が一人、女の子達の集団から離れてジョニー達のテーブル寄って来るのを見つけてネッドは硬直する。

「こんばんわ、ジョニー」

 女の子が礼儀正しく膝の上に手を添えてお辞儀をすると、こめかみから後ろに向けて編みあげた三つ編みが、わずかに揺れた。

「やあリティシア」

 変わりにネッドが返事をする。

 所在なさそうに脚を組んでテーブルに肘をついているジョニーの姿を見て、リティシアは微笑んだ。ネッドには見向きもしない。

「‥‥こんな離れた所で何をしてるの?」

「ちょっとね‥‥フェリスを探してるんだけど知らないか?」

「‥‥フェリス?‥‥あのコに何の用なの?」

 リティシアの顔が曇る。

「せっかくだからフェリスも参加させたいと思ってさ」

「‥‥そんな‥‥あのコはただの小間使いで、生徒じゃないの‥‥皆も口の聞けないあの コが参加するのは嫌がると思うわ」

「フェリスが口を聞けなくなったのは父親の死が原因であって、フェリスの責任じゃな い。それ以外で以前生徒だった彼女と、今の彼女と何か違う所でもあるのか?」

「‥‥そ、それは‥‥」

 リティシアは口ごもってうつむく。ネッドが肘をつついたが、ジョニーは構わず険しい顔で話を続ける。

「フェリスの何が悪いって、単に運が悪かっただけなんだ。そんな境遇にも負けずに毎日を一生懸命にやってる彼女を責めて恥ずかしくないのか?」

「‥‥‥‥‥」

 リティシアは目を赤くさせて、手の甲の上にポタポタと涙を落とし始める。

「お、おいジョニー‥‥」

 ネッドは慌ててリティシアの側に寄った。

「ちょっと言い過ぎなんじゃないか‥‥リティシアだって別に‥‥」

「‥‥い、いいの‥‥‥」

 人差し指で涙を拭ってニコと笑う。

「私‥‥そんなふうに考えた事無かった‥‥そうよね‥‥フェリスは何も悪くない」

 ジョニーもうなづいて笑い返す。リティシアはなぜか胸が一杯になり、目を逸らした。

「フェリスは夕方からいないみたい‥‥調理場のおばさんがカンカンになって探してたけど‥‥たぶん自分の部屋に戻ってると思う‥‥今日はジャルクの事で大変だったみたいだし‥‥」

「そうか‥‥じゃ、そっとしておいたほうがいいな」

「‥‥ジョニー」

 目を潤ませながらリティシアはジョニーの側に寄った。

「一緒に踊ってよ」

「俺は踊りなんて知らないから、他の奴を誘った方がいい」

「‥‥完全無欠でも知らない事があるのね」

 ジョニーの前髪をもちあげてオデコに口をつけてタッタッと急いで走って行った。リティシアが女の子達の輪の中に戻った途端、少女達の黄色い声があがる。

「‥‥‥‥‥‥‥」

 ジョニーは肩をすくめただけだったが、見ていたネッドはまた硬直した。

「おいネッド、どうしたんだ?」

「ったく、お前って奴は‥‥‥どうしてそんな連れない態度で女の子の心を釣ってしま うんだよ?」

「何の話だ?」

 ジョニーは手持ちぶさたに首から下げた紐を引っ張る。先には例の折れた剣の柄がぶら下がっていた。

「‥‥こんな所にまでそんなガラクタを持ってきてたのか?」

「ああ、この剣に俺が所有者だと認めさせる為にあれから金槌で叩いてみたり、火であぶってみたりしたんだ」

「で、分かったのか?」

「いや全然、こいつは傷一つ付かないし、全く熱くもならない」

「‥‥なんだ、つまらん」

 興味を失ったネッドは、椅子に深く寄りかかって溜め息をつく。

「それよりさ、もうすぐダンスが始まる‥‥ リティシアと約束したんだろ? 一緒に踊 るって」

 ネッドは無理にジョニーの手を引いて立たせる。

「踊るのは断ったはずだが?」

 釈然としないまま、ジョニーは踊りの輪に引きずられていく。

 ジョニーがリティシアに向けて手を伸ばしたその時‥‥。

「‥‥ん‥‥何だ?」

 キーンという耳を劈く音が上から響き、皆は一斉に空を見上げた。

 いつの間にか沸き出した黒雲が星空を覆い始め、その中央に何かがあった。それは暗雲に負けない漆黒の体と紅く輝く瞳を持っていた。

 体の輪郭がボウっと青く光った。

”GAAAAAAAA!”

 その三角型の物体の咆哮は、波紋状に広がり、地上に生きる生物全ての魂を恐怖で震撼させる。壊死させるかと思える程の強烈な一撃であった。

「‥‥‥ぐっ!」

 舞い上がった風によって、中庭の並木が激しく揺れ、小さな木々のほとんどはなぎ倒された。

”校舎の中に走れ!”

”王都の騎士団に連絡‥‥”

 そんな教師達の声があちこちで飛び交う。

「おい、あれを見ろ!」

 誰かが叫び、まだ校庭に残っていた生徒達は、つられる様に顔を向ける。

”GAAAAAAA!”

 黒の物体は小さな黒い球体を放った。球体は直線的な動きで真っ直ぐ山に飛んで行く。学園の校舎からは霞んで見えた山は、球体が接触した途端に眩しい輝きに包まれ、キノコ状の雲があがった。

「‥‥うあっ!」

 やや遅れて地響きが伝わり、皆は慌てて近くの物に掴まる。

「‥‥山が‥‥消えた‥‥‥」

「おい、ジョニー‥‥」

 ジョニーは半透明の光の膜ですっぽりと覆われ始める。球体は爆風を完全に防いでいた。「‥‥何だ‥‥‥‥剣が‥‥」

 ドラゴンの剣が発光しており、柄の竜の瞳は緑色になっていた。

 考える間もなく、地震の第二波が辺りを襲い、地割れがテーブルを飲み込んでいく。

「リティシア!」

 裂け目に落ちるその寸前にジョニーは咄嗟に幹を掴んでいる手と反対の左手を伸ばし、リティシアの細い腕を掴む。宙吊りになった少女の真下には、亀裂が黒い口を開けている。「‥‥ジョ‥‥ジョニー‥‥‥」

 脚をバタつかせると、脱げたヒールの片方が吸い込まれていく。姿が消えても落ちた音は聞こえず、底の深さにリティシアは声を失う。

「‥‥‥ぐっ‥‥待ってろ‥‥おいネッド‥ ‥手を貸してくれ!」

 荒野に変わりつつある周囲には既に人の気配はない。瓦礫混じりの強風の音だけが虚しく響く。

「‥‥く‥‥くそ‥‥‥」

 ジョニーは片腕だけでリティシアを引きずり上げる。

「もう少し‥‥‥」

 あと数センチで手が縁にかかろうとしたその時、黒の物体は三度咆哮を発した。

「‥‥があっ!」

 小さな黒球は学園の中央に落下し、二段に重なった傘のある雲は、ケルナの町の全域を覆い尽くした。



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