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第十七話 超絶大好きなお兄ちゃんを、私は独り占めしたい!

 ”‥‥彼女の名前はシルル‥‥シルルは今、離ればなれとなったままの兄を思うあまり、重度の心身症になってしまいました‥‥” 

 今までシルルの役をやっていたスーが、童話にでも出てきそうな赤い頭巾を頭に被って登場する。コツコツと階段を登り、シルルの枕元に立った。

 ”眠りが唯一、寂しさを紛らわせてくれるものと信じ、ずっと眠り続けています。このままでは何れ衰弱して、天に召されてしまうでしょう‥‥”

 スーは、マイクを握る手に力を込める。二、三度深呼吸してから、大きく息を吸った。

 ”皆さん! 皆さんの中にシルルのお兄さんがいるはずです。お願いですから出てきて下さい!‥‥ここに来て、彼女の眠りを覚まして下さいっ!”

 スーは叫んでスタンドを見渡した。が、スタンドはシンと静まり返ったままで、誰も名乗り出る者はいない。

「‥‥こ、こうなったら‥‥」

 フン!と、手を握りしめて徹底抗戦の構えを示す。

 ”では、周りの人にお願いします‥‥その人の名前はレイアティー‥‥髪の毛はシルルと同じ麻色‥‥眉間の間に傷跡があります ‥‥探して下さい!”

 スタンドはにわかに騒がしくなる。人々は互いに顔を見合わせた。

「く‥‥」

 レイアティーは唇を噛み締めてうつむいたが‥‥。

「‥‥おい、あんたがそうじゃねえか?」

 隣の大柄な男に指摘され、つられてその周りの観客達がレイアティーに注目した。

「‥‥い、いや、俺は‥‥」

「いや、髪の色にその額の傷‥‥あんたがそのレイアティーとかいう奴だ! 間違いねぇ!」

「‥‥ぐ‥‥:」

 普段であれば帽子を被っていたが、今日は入場の際に取る様に指示されていた。全ては仕組まれていたのである。

「つ、付き合ってられないな」

 ザワザワした注目の中心から逃げようと、席を立ったが、

「逃げるのですか?」

 不意に右隣の男に袖を掴まれた。

「‥‥違う‥‥俺は‥‥:」

「違ってたって違わなんじゃないか? 似てるんだったら、あのコが目を覚ますかもしれないだろ?」

「‥‥それは‥‥」

「いいじゃねえか、やってやれよ」

 初めに声をかけてきた男も同調して加勢し、それに呼応するかの様に、『そうだ、そうだ』と、あちこちから声があがりだす。

「‥‥お、俺は‥‥俺は‥‥もう」

 誰もがレイアティーの登場を望み、かけ声が嵐の様に吹き荒れる。小さな舞台劇であったはずのものは、今はスタジアム全体を包む大舞台となり、観客であった人々は全員が役者へと変わっていた。

 レイアティーの前に座っていた客が席を立つと、その前の客も席を立った。こうしてレイアティーから見おろした正面に、真っ直ぐに下り階段が出来た。

「‥‥俺は‥‥お前を捨てたんだ‥‥それがどうして‥‥」

 それでもレイアティーは立ち尽くしたまま動こうとはしない。

 スーは騒ぎの方へ体を向けた。パネルがスーをアップで映し出す。

「レイアティーさん‥‥シルルは眠っていてもまだ苦しんでるんです‥‥その苦しみから解放出来るの はあなただけなのに‥‥どうしてここに来てくれないのですか! もう妹の事なんてどうでもいいと思ってるんですか!」

 スーは言った自分の台詞に傷付いていた。妹の事なんてどうでもいい‥‥それはスーが一番恐れている台詞だからである。

 人混みの中から、レイアティーに向けて、『どぞ、どぞ』と、マイクが差し出される。反対側のパネルにマイクを奪ったレイアティーの姿が映し出された。

 ”‥‥そんな事はあるもんか! 俺はいつだって残してきたシルルの事ばかり気になってた!”

 ”だったら!”

 ”‥‥軽蔑してくれても構わない‥‥:シルルは俺を恨んでる‥‥俺はシルルの非難の言葉だけは聞きたくはないんだ!”

 拡声器により巨大化された二人の声は、スタジアムを飛び交う。

 ”だ、だから、さっきの劇でシルルの気持ちを‥‥”

 ”劇は劇だ!、証拠なんて何も無いじゃないか!”

 ”そ、それは‥‥”

 答えに詰まり、スーはグーにした手を口に当てて下を向いた。

「どうすれば‥‥分かってもらえるの」

 兄を思うシルルの気持ちは、証拠などなくてもスーには痛い程良く分かっていた。が、心でそう感じるものであり、言葉で説明出来るものでもない事も分かっていた。

「‥‥証拠‥‥そ、そっか‥‥:」

 兄を持つ自分が、今の切ない気持ちを言葉ではなく、行動で示す事‥‥そう思うに至ったスーは、緊張のあまり手足が小さく震えだした。

「‥‥これで‥‥嫌われたら‥‥でも‥‥」

 三回ほど大きく息をすって吐く。深呼吸した息までもが震えていた。

 ”妹は‥‥どんな事があっても、何があっても兄を‥‥お兄ちゃんを‥‥嫌いになったりなんかはしません! どんな時でも‥‥何があっても‥‥一緒にいたいって‥‥そう思うものなんです‥‥私も‥‥お兄ちゃんが‥‥す、す、す、好きです‥‥今、証拠を‥‥その‥‥見せたいなって‥‥だがら‥‥”

 控え室の小さなパネルで、出前のラーメンをズズ‥‥とすすりながら様子を見ていたアルフレッドは、殺気を感じて振り向いた。

「‥‥ん?‥‥な、何だお前らは!」

 ケリガンを先頭に、ラバン、デネブ警部、お面をかぶったナールが揃って縄を持ってジリジリと近づいてくる。

「ま、遅かれ早かれこうなってたんや‥‥アルフ‥‥悪く思わんでや」

 『ニヒ』と笑って、投げ縄状の輪をヒュンヒュンと回転させる。

「‥‥な、何の話だ?‥‥おいラバン!」

「すみませんね‥‥私もいつの間にか、相談局の空気に毒されてたみたいで‥‥」

「これもお嬢様の為、どうか観念していただきたい‥‥」

 妙に神妙な言葉とは対象的に、お面が間抜けだった。

「う、嘘つけ、単に面白がってるだけだろ‥‥おいデブ警部! あんたまでどういうつもり何だ!」

「‥‥これも一つの男の道‥‥それに貴様の今の言葉で、決心が更に固まったよ」

 警部は真の男の顔になっている。

「な、何を訳の分からん事を‥‥うぎゃあああ!」

 控え室にアルフレッドの断末魔の叫びが轟いた。

 そんな事など全く知らないレイアティーは、スーの言葉を心の中で復唱していた。

「‥‥妹は‥‥どんな事があっても‥‥兄と一緒にいたいもの‥‥」

 完全には信じきれずに迷っていた。

 煙をかき分けて別のステージが姿を現す。上には柱が一本立っており、その柱にはアルフレッドが荒縄でグルグル巻きにされていた。

 ”な、何だ、何なんだ!、おいスー、助けてくれ!”

「‥‥‥‥‥‥」

 スーはシルルの眠る階段を降り、アルフレッドの立つステージへと移る。真っ直ぐ立って兄の顔を見つめた。

「‥‥スー‥‥」

「‥‥‥‥‥‥」

 スーは何も言わずに、兄の目を見つめる。観客達の目もパネルに釘付けになった。

「も、もちろん芝居なんだろ?」

「‥‥うん‥‥」

 スーは身動きの出来ないアルフレッドの顔に手をかけ、目を瞑った。そして顔を突き出して唇を近づける。

「‥‥そう‥‥芝居だから‥‥」

 触れ合う寸前、ピタリと止まった。指一本分程の僅かな隙間を通して、唇の熱い空気が伝わってくる。

「‥‥‥‥‥‥」

 少し顔を傾けるだけ‥‥それだけで夢が叶う‥‥スーは戸惑いながら長い時間そのままの体勢でじっとしていた。

「‥‥ううん‥‥」

 そして触れる事なく、二人の顔は離れた。スーは泣きそうな顔で顔を逸らし、ただ黙ってる。

 レイアティーは唖然としてその光景を眺めていた。

「シルル‥‥俺は‥‥駄目な兄だな‥‥」

 突き動かされる様に、スタンドを降りていく。

 シルルの眠る舞台までは長い距離があったはずであったが、今までに無為に過ごした時間に比べれば瞬く間の事である。

 その間、スタンドでは、ケリガン達が暗躍していた。

「はい、どうぞ‥‥あー、はいはい‥‥坊やも、そこのお嬢ちゃんもな!」

 彼らが配っているのは、つばの無い緑色の帽子であった。レイアティーがシルルの元にたどり着いた頃、帽子は全員に行き渡り、客席は緑色に染まっていた。

「‥‥例え‥‥どう思われていようと‥‥こうする事が務めだったのだ‥‥」

 迷う事なく眠り姫となったシルルの唇に口づけをし、そしてゆっくりと顔を離す。

 そのタイミングを見計らい、ラバンはマイクを取り出した。

 ”さあ! 我々は七人の小人‥‥いや、五万人の小人! 舞台の上の白雪姫の目を覚ます為には、王子の口づけだけではなく、皆さんの声援が必要なのです!”

 ”おおーっ!”

 テンポの良いラバンの言葉に乗せられた同じ緑色の帽子を被った七人ではない五万人の小人役の観客達は、それぞれバラバラに応援の言葉を送った。重なり合った声は、言葉にはならず、ただ『わー!』という音楽だけが、止めどなく押し寄せる波の様にスタジアムを激しく震わせた。

「‥‥ぅ‥‥:」

 シルルの唇が僅かに動く。小人達の声はピタリと止まった。

「‥‥シルル‥‥」

 レイアティーは白雪姫の白すぎる頬に手を当てた。

「‥‥お‥‥」

 ゆっくりと口が開かれた。

「‥‥お兄‥‥ちゃん?」

「ああ‥‥:そうだよ」

 シルルは『へへ』と、小さな子供の様な笑みを浮かべる。

「お兄ちゃん‥‥帰ってきてくれたの?」

「‥‥それは‥‥」

 一瞬躊躇したが、

「そうだよ‥‥」

 うなずいて微笑み返す。その顔に迷いは無かった。

「‥‥良かった‥‥」

 そうして二人は抱きしめ合った。パネル越しに見ていた観客達は、今までで最も大きな歓声をあげ、帽子をスタンドに投げた。

「ほんと、よかったね‥‥:」

 スーはそんな会場の雰囲気に飲まれ、笑いながら人差し指と中指で滲んできた涙を拭っていた。

「‥‥ほんじゃ‥‥」

 シルル達二人と、縛られたままのアルフレッド以外の全員は、舞台に集まりスタンドに向けて手を振った。だんだんとステージの照明が落とされ、最後には真っ暗になった。



 こうして大喝采のうちにV3作戦は幕を閉じた。観客と役者、劇と事実が一体となったこのライブが行われたのは、この一度きりであり、幻のユニット、ASKは後に伝説にまでなったのである。





 レイアティーの看護で、シルルの容態は驚くべき早さで回復し、数日を経ずして車椅子なしで普通に歩けるまでになった。病気の元々の原因がレイアティーにあったのであるから、この回復の早さは当然と言える。グラシィール邸を訪れたアルフレッドとスーの二人を出迎えたのはシルル本人ではあったが、その事に対して特に大げさな反応を示した者はいなかった。

「‥‥それではこれが今回の報酬です‥‥」

 ナールに渡されたアタッシュケースを開けて、初めて驚きの声をあげる。

「な、ぬわにおっ!」

 ケース一杯にびっちりと詰まった金貨を見て、アルフレッドは『うおっ!』とソファーから飛び跳ね、バランスを崩して背もたれの奥に頭から落ちた。

「相談局の皆さんには色々とご迷惑をおかけしました‥‥そのお礼にと‥‥」

「そ、そんな‥‥こんなにはいただけません。必要経費と、時間報酬だけで‥‥」

 スーは断ったが、

「それでは私の気がすみません‥‥私の望んでいた全てを叶えてもらったのですから、せめてこのぐらいしなければ、気が済みません」

 シルルはきっぱりと言い切った。

「それでは、こうしたらどうでしょう」

 復活したアルフレッドが、フフ‥‥と、口元に気障な笑みを浮かべ、ゆったりとソファーに座って長い脚を組み直す。

「この国には数多くの孤児院がありますが、それらのほとんどは今だ悪環境にあると思います。今回の事件の発端は、そうした中の孤児院の待遇の悪さにあったとも言えます。そういう訳で、その金はそうした孤児院に寄付したらいいんじゃないですか? そうでなければ託児所とかね‥‥おう、そう言えばティージュンにも託児所があった気がするなあ‥‥」

「‥‥託児所?」

 リールの事を思い出したシルルと、子供の攻撃にあった事を思い出したスーは同時に顔を潜める。

「アルフレッドさんはお金を寄付する事でリールが心を開いてくれると?」

「何も寄付するだけとは限りません。使い様によっては、昔のわだかまりを捨ててくれるかもしれません」

「何か策がおありなのですか?」

「確かに金の力の前に不可能はありませんけどね‥‥」

 アルフレッドはクク‥‥と不敵な笑みを浮かべる。

「しかしこういうのは仲直りしたい本人が考えるのが一番なんじゃないですか?」

「‥‥そうですね‥‥これは、私の問題ですものね‥‥つまらない事を聞いてすみませんでした‥‥」

 そうしてわずかに色をつけただけの報酬をもらって二人はグラシィール邸の門を外に出る。

 表に二頭の黒毛の馬にひかれた相談局専用馬車が回され、アルフレッドはスペシャル馬一号、二号のツヤツヤ光る尻を撫でた。馬はフサフサした尻尾を振り回し、毛先が鼻に入ったアルフレッドは、『ぶあっくしょん!』と容姿に似合わないくしゃみを連発する。

「‥‥ねえお兄ちゃん‥‥シルルは大丈夫かな‥‥」

「リールとの事か?、多分失敗するだろうね」

「え?」

「でも、何か行動を起こす事が大事なんだよ。失敗してもね‥‥シルルの方から歩み寄っていけば、いつかリールの方でも逃げるのをやめてくれるかもしれない‥‥それには金を使って派手に失敗してくれないとね‥‥お兄ちゃん達の出番じゃないさ」

「そんな事言って‥‥仕事するのが面倒臭いだけなんでしょ?」

「え、バレた?‥‥なははははっ!」

「‥‥‥‥‥‥」

 馬鹿笑いを続けるアルフレッドに、スーはため息をついて首を横に振る。

「さ、帰るか。所で今日の番飯は?」

「‥‥コロッケ」

「うげっ!」

「‥‥嘘」

 スーはべっーと舌を出した。

 安堵のため息をついたアルフレッドは、『え、どっこいしょ』‥‥と、御者席に座ったが、

 ”‥‥ちょっと待って下さい‥‥”

 シルルが追いかけてきた。

「はいはい、何でしょう?」

「‥‥はい、ちょっとスーシェリエさんに用事が‥‥こっちへ来て下さい」

「‥‥はあ?」

 シルルに手を取られ、スーは門の陰に回った。

「あ‥‥あの‥‥私に用事って何でしょう?」

 スーの顔を見てシルルはクスと笑った。

「あなたもお兄さんが好きなのね」

「あうっ!」

 それは右ストレートよりも強烈な言葉であった。

「えっ!‥‥いや、まあ、その‥‥何という か‥‥えへへへ‥‥まあ、ちょっとは‥‥だけど、好きと言っても、それは兄妹なんだし‥‥それじゃ変だから‥‥で、でも、それは‥‥えへへへへ‥‥馬鹿馬鹿!」

「‥‥あ、あのー‥‥」

 身ぶり手振りを交え、一人で喋り始めたスーに、シルルは笑ったまま冷や汗を流す。

「と、とにかく頑張って! 本当に好きだったら告白するべきよ‥‥」

「で、でも‥‥私は‥‥」

「何もしなくて後悔するよりだったら、何かした方が私はいいと思うの‥‥昔の私にそ んな勇気があったら‥‥こんな事にはならなかったろうし、皆に迷惑をかけずに丸く治まっていたわ」

「‥‥シルル‥‥さん‥‥」

「頑張って! 応援してるわ」

 シルルはスーの手を取った。

「は、はいっ!」

 何だか勇気づけられたスーは、元気良く返事を返し、『またね』‥‥と手を振って兄の元へ走る。

「シルルさんの用事って何だったんだ?」

「女どうしの秘密だもんね」

「何だそりゃ?」

 そう言われてこれ以上聞く事の出来なくなったアルフレッドは、ゆっくりと馬車を走らせた。


 その日の夕食はアルフレッドの大好物のオムライスとビーフシチューであった。





「‥‥こりゃあかん‥‥陽気のせいでおかしくなっちょる」

 事務所に篭もってケリガンは、小さな箱をいじくりまわしている。箱は写真機という姿や景色を紙に映す道具であった。

「言ってる本人はあんな暑い部屋に篭もってよくおかしくならんものだな‥‥」

 事務所とセントバイヤー邸の間に挟まれた中庭のテーブルには、スーが腕によりをかけた料理がずらっと並べられている。デネブ警部は白い前掛けを付け、ホクホク顔で皿をつついている。

 コーンスープの入った深鍋が一瞬にしてカラになっていく。

「‥‥それはいいが、何で呼ばれもせんのに コットンの警官がここにいるんだ?」

 デネブ警部の正面では、アルフレッドがロールパンにバターを塗りながら、ブツブツ言い出す。

 夏の午後、真上にある日差しは、中庭の木立の影を真っ直ぐ下に投げかける。ブルーシガルの風は潮風であり、夏のさなかであっても日陰は心地よい。

「まあまあいいじゃないですか」

 ラバンがそれとなく仲裁に入る。

「ま、何ですか‥‥人の輪というものは全ての基本であると、申しますしな」

「あんたが一番、不審なんだ。何でグラシィール家の執事が、人ん家で飯食ってる?」

「何のこれしき‥‥かっかっ!」

「誉めとらん!‥‥こらデブっ! 人がせっかく塗ったパンを取るな!」

「デブ? 貴様っ、言ってはならん事を!」

「やるかっ!」

「望む所っ!」

 ガタと立ち上がった二人を見て、ラバンは一人ため息をつく。

「はあ‥‥もう何が何だか‥‥」

 ナール執事は一人で食事をパクついている。 





「もうっ!、何やってんの!」

 キュロットにティーシャツという軽装に、エプロンをかけたスーが、『うーっ!』と猫の喧嘩の様に唸っている兄とデネブ警部を見て、もっていたお玉を振り回す。

「お兄ちゃん! 今日はセントバイヤー相談 局の宣伝用の写真を取る為に集まったんでしょ!」

「だったらこいつは関係ないだろうっ!」

「何っ! 作戦の成功は一重に警備面の‥‥」

 んぐぐ!‥‥と二人はまた額を付き合わせていがみ合う。スーは椅子に腰を下ろしてパンをかじった。



 そうしてようやく撮影に入った。



 アルフレッドとスーは中庭に並んで立っていた。少し離れた所ではケリガンが三脚に乗せた写真機をいじくっている。

 端に立つアルフレッドは垂れ幕を持っていた。背の低いスーがそのまま立つと幕の後ろに隠れてしまうので、庭の椅子を一つ持ってきてその上に立っている。

「えへへっ‥‥」

 スーは身を乗り出し、真上から幕に書いてある文句を覗き込んだ。

『こちらセントバイヤー相談局‥‥あらゆる問題解決致します』

「‥‥問題解決‥‥か‥‥」

 スーはキュロットのポケットに手を入れた。中には手作りのチョコレートの箱の感触がある。

 今日は八月十四日、セントバレンタインデーである。

「一番解決してほしいのは‥‥私なんだけどな‥‥」

 毎年渡せずに終わるチョコレートは、かなりの大問題であった。

 その時、シルルの言葉が耳に響いてきた。『‥‥何もしなくて後悔するよりだったら、何かした方が私はいいと思うの‥‥』

「‥‥チョコレート渡して‥‥胸の内にある言葉を言ってしまえって‥‥そういう事なのかな‥‥」

 スーは横を向いて兄の顔を眺める。何が楽しいのか子供の楽しそうに垂れ幕を掴んでて、その周りではたくさんの人達がはしゃいでる。

「‥‥うふふふ‥‥」

 スーも何だか幸せな気分になってきた。一人で悩んでるのが馬鹿らしくなり、自然に口元がほころんでくる。

「‥‥私‥‥幸せなんだ‥‥だったら‥‥」 

 だったら今はこのままでいたい‥‥胸の内の言葉を、ポケットの奥のチョコレートごとしまい込んだ。

「おー、やっと直ったで‥‥ほな、タイマーかけてとるからな」

 カチと写真機のスイッチを押してから、ケリガンは走ってくる。一定時間が経つと誰もいなくても写真のシャッターがきれる仕組みになっている。

「おー、間におうた」

 スーの右にケリガンが立ち、幕の反対側を掴んでピンと張った。

「さ、笑って、笑って‥‥」

 写真機の丸い目はジー‥‥という音を発して、不気味に笑い続ける三人の顔を見つめていた。



 そうして三分後‥‥。



「ふっふっふっふっ‥‥なあケリガン、ちょっと遅いんじゃないか?、そろそろ笑うの も疲れてきたんだが」

「ニヒヒヒ‥‥:ま、そやな‥‥また壊れたかな?」

「えへへへ‥‥:か、顔が‥‥」

 デネブ警部に写真を取られた時も同じ様に顔が引き釣った事を思いだし、もう写真はヤだな‥‥と笑顔の下で何気なく、ぼうっと考えていていたその時‥‥。

「え?」

 ミシ‥‥と音がしてスーの足元の椅子の脚が折れた。前のめりになり、そのままアルフレッドの方に倒れていった。

「‥‥お兄ちゃん‥‥」

 兄の顔がアップになる。ぶつかるそのほんの一秒の何分の一かの間に、スーの頭は常に無く目まぐるしく動いていた。

「‥‥これは‥‥事故なんだから‥‥それに‥‥どうせ一瞬の事なんだし‥‥どうしよう‥‥早くしないと‥‥」

 両手を広げて飛び込んでいく。

 そうして迷った挙げ句に決断した途端、

 ”カシャ!”

「わっ!」

「おわっ!」

 カメラのシャッターが切れた。



「こりゃ、あかんなー」

 出来上がった写真の中では、『こちらセントバイヤー相談局』の垂れ幕が暴れていた。

「も、もらってくねっ!」

 スーはパシ!とケリガンから写真をもぎ取り、砂煙をあげて家の方に駆けていく。

「‥‥スーはどないしたんや?」

「さあね、真実は永遠の彼方って訳さ」

 アルフレッドが両手をあげて肩をすくめる。

「何や、よー分からんな‥‥」

 真面目に首を傾げるケリガンを見て、アルフレッドは『なはははっ!』と、楽しそうに笑った。


 今日もブルーシガルの空は雲一つなく晴れ渡っている。



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