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第十五話 え? 私がボーカル⁈ 緊張が・・・

「‥‥こ、これは‥‥おぉ‥‥何て事だ」 

 万を期して迎えたV3作戦の当日、偽リージュンの町跡につくられたドーム型の巨大スタンドは、五万人の定員を越える観客のざわめきでビリビリと振動している。奥にある控室の椅子で、その歓声に『うおお!』と、恐れおののいているのは今日の日の主役の一人であるアルフレッドである。

 アルフレッドは体にぴっちりと張り付いた黒い皮の服を着ている。大きくはだけた胸元には金のネックレス‥‥いつもは束ねている髪も解いておろし、眦には薄っすらと化粧までしていた。

「何や、何を驚いてんのや?」

 同じ様な格好をしてるはずのケリガンは、アルフレッドとは対象的に似合っていない。ズボンが腹の圧力ではちきれそうである。

「わ、分かるだろ?‥‥:あの声‥‥何とあんな大勢が俺を! ぬおおおおっ!」

「何や大げさな奴やなあ」

 譜面をおろして、袋入りの菓子をバリバリと食べ始める。ケリガンは全く臆した様子は無い。

「スタンドの大きさを考えれば、この程度の人数だって分かったとったやろ?」

「‥‥い、いや、しかし、理屈では分かっていたとしても、実際にこうして見ると‥‥おおお‥‥俺の雄姿を見にこれほどの人々が!‥‥か、感動だぜ!」

「あーやかましい、ちっとはスーを見習ったらどうなんや?」

「スー?」

「‥‥え?」

 壁の方を向いて立っていたスーは、呼ばれて振り向いた。

 二人と反対にスーの服は真っ赤である。二段式のフリル付き、フレア付きのミニスカートと肩から袖の無い上着が一体となっている一種のワンピースの様な衣装であった。髪を結んだ同じ赤色のバンダナはウサギの耳の様にピンと伸びている。

「そ、そう‥‥:お兄ちゃん、静かにしてないとね」

 アルフレッド達に背中を向けてブツブツと心を落ちつける言葉を呟いていただけであり、特にスーが落ちついていたワケではなかった。

「スー‥‥顔が引き釣ってるぞ?」

「そ、そ、そ、そんな事ないよ‥‥えへへ」

「‥‥そうか‥‥ん?」

 ピタと、前髪をあげてアルフレッドの手がスーの額に当てられた。

「わわわわ!」

「何だ、熱があるぞ。体調が悪いなら今日はやめた方が‥‥」

「‥‥な、何、言ってるの! 今さら後には引けないでしょ!」

「いや‥‥しかし‥‥スーにもしもの事があったら、俺は生きてはいけない」

「‥‥お兄ちゃん‥‥」

 ぐっとアルフレッドの顔が近づく。チョコレートを作っていた時の妄想がそれに重なる。

「駄目‥‥お兄ちゃん‥‥」

 スーは目を閉じて、顔を突き出す。

「でも、お兄ちゃんがどうしてもって言うなら‥‥‥」

「何がどうしても何だ?」

「‥‥‥‥‥‥」

 目を開けると、アルフレッドとケリガンがしきりに首を傾げている光景が目に飛び込んでくる。

「きゃーっ!」

「うがっ!」

「どわべしっ!」

 スーは照れ隠しに、二人を突き飛ばした。アルフレッド達は控え室のテーブルを微塵に破壊しながら、掃除用具のロッカーに首をめり込ませる。

「そろそろ出番ですよ‥‥って、あれ?、何やってるんです?」

「‥‥スーに聞いてくれ‥‥」

 呼びに来たラバンが、金属のロッカーの戸に頭を突き刺しているアルフレッド達を見て、肩をすくめる。

「いやですよ。もうすぐ本番なんですから、あんまり無茶苦茶しないで下さいよ」

「そ、そうよ‥‥えへへ‥‥」

「‥‥あのな‥‥」

 スーは笑みだけは絶やさずに、最近妄想癖がひどくなってるから、気をつけねば‥‥と、決意を新たにする。

「‥‥と、とにかく時間ですから、早く来て下さい‥‥」

「あのデブの警部はどないしとる?」

 ケリガンは自分より太ってる者を『デブ』と言う事が、楽しそうである。ロッカーの鉄板を首から外しながらも時、顔は笑っていた。

「スタジアムの出入口の警備をする警官の指揮を無線を使ってやってます。しかし、本物の警察を動員してしまう辺りは凄いですね。どうやって買収したんですか?」

「え?‥‥お願いしたら、無報酬で快く引き受けてくれて‥‥警部さんはいい人だから‥‥」

 スーの言葉に、『そうかー?』の声が一斉にあがる。

「しかし、あの警部に任せて大丈夫かな?」

 アルフレッドはまだ警部の名前を覚えられずにいる。

「スタジアムはターゲットとなる一人の人間を捕獲する事を目的として建てられました から、外部との出入り口は一カ所しかありません。中に入ってしまえば、そう難しい事ではないでしょう。スタジアムの観客席もケリガンさんの作った無線機を持った私の劇団員をちらべて配置してますので、何かあっても対応は出来ると思います。問題はこれから何回か行われるライブで、ターゲットとなるレイアティーさんがかかるかどうかです」

「‥‥ま、何とかなるだろ‥‥」

 アルフレッドのいい加減な一言に、皆は笑ってうなづいた。

「グラシィール家のあの執事にも無線機は渡してある‥‥初日でシルルに登場願う可能性もあるからな」

「‥‥でもお兄ちゃん、あの変な執事のおじさんに任せて大丈夫かな?」

「‥‥ま、それも何とかなるだろ」

 アルフレッドは咳払いして、

「とにかく俺達の出番だ」

「そやな、今回も、おもろくなりそうやな」 

 アルフレッドの出した手にケリガンが手を乗せる

「こちらの準備は万全ですよ。緑の帽子も五万個用意出来ましたし‥‥」

 ラバンもそれに加わる。

「じゃ、いつもの様に‥‥」

 取りはスーである。一呼吸置いて‥‥。

「V3作戦開始っ!」

 ”おおーっ!”

 と、四人は声を合わせた。





「‥‥ここか‥‥会場は‥‥随分派手な所だな‥‥」

 ツバ広の大きな帽子を被り、片手にザックを担いだ男が、宣伝用にまかれたチラシを手に、巨大なドーム会場を見上げてぼそりとつぶやく。田園広がる田舎のただなかに、突如として出現した黒い建物は、周囲の風景とかなり不釣り合いで浮いている。それでも入り口付近には、入場を待つ人々が列をなしている。

「‥‥『今世紀最大のバンドユニット、‥‥ASK結成‥‥ハイテク器機を使用しての、演奏と、リードボーカルのスーシェリエは歌姫の名に恥じない歌唱力、ベースギターのアルフレッドは天才の名を欲しいままに‥‥』‥‥」

 ビラには金髪の美青年と、美少女と、茶髪の太った男の写真が乗っている。

 男は途中でビラを読むのをやめた。

「‥‥ほんとかよ‥‥この外見で釣られて来た奴もいるんじゃないか?‥‥どうも胡散臭いが、ま、無料だっていうなら、別にいいか‥‥」

 舗装されていない土の道をサクサク歩いて、列に加わる。

「はい、並んで並んで!」

 見慣れない制服を着た男達が、むすっとした表情で入場者の整理をしている。バッチを見て彼らがコットン警察の警察官である事が分かった。

「‥‥コットン?‥‥わざわざ遠方から出張して来てるとは‥‥公務員も大変だな‥‥でも、何で警察が警備してるんだ?」

「はい、ここまで!」

 丁度、男の後ろで列が切られた。

「‥‥こんな所だけは運がいいんだけどな‥‥:」

 客席まで誘導される途中の廊下で、男は今まで不運だった人生を振り返った。

「‥‥俺を探して何になるシルル‥‥俺はお前を捨てたんだ‥‥お前が何不自由の無い生活を手に入れたからと言って、のこのこ会える道理はないんだ」

 途中で係員に小さな紙切れをもらう。そこには入場の際の注意と、H=398という席番号が書いてあった。

「帽子、サングラス等は危険ですので外して下さい?‥‥帽子の何が危険なんだ?」

 それは特に構わない事だったので、男は帽子を取る。ぼさぼさに伸びた淡い茶色の髪の下の古傷が露になった。

 男‥‥レイアティーは階段を登り、内側の屋外スタンドに出た。

「‥‥こ、これはすごい‥‥」

 下方に見える真ん中の四角いステージを中心に、ぐるりと階段状の観客席が取り囲んでいる。席は満員で客の話すザワザワという声が一定のリズムとなって周囲に満ちていた。

「思ってたより期待出来そうだな」

 音楽好きのレイアティーは、満面の笑みを浮かべて指定された椅子に座る。気づかれない様に隣の黒いスーツを着た男が入れ替わりに立ち上がって出ていった。


 そして第三幕が幕をあげるカウントダウンが始まった。



 ”二十‥‥十九‥‥”

 吊るされた巨大パネルに数字が表示される。

「‥‥いよいよだな‥‥:」

 フフ‥‥と控え室で待っていたアルフレッドは切れ長の眼差しに不敵な笑みを浮かべる。

「スー‥‥お前、よく平気だな」

「平気な訳ないでしょー!」

「全くこりんやっちゃな、うるさいでほんま」

 三人のいる部屋の天井には真っ直ぐ切れ込みが走っている。そのすぐ上はステージだった。

 ”十五‥‥十四‥‥”

「アルフレッドさんっ!」

 開始間際になって、ラバンがドアを壊す様に、慌てて部屋の中に入ってきた。

「何だ、俺たちよりもっとやかましいのがいるじゃないか‥‥ははは」

「冗談言ってる場合じゃないですよ。今、監視させていた劇団員の一人から連絡が入ったんです。いたんですよ!。条件に見合う人物が!」

 ”十一‥‥十‥‥”

「まさか、初日でいきなりか!‥‥で、そいつは本当にレイアティーなのか?」

「それはまだ何とも‥‥シルルさんに確認してもらえればいいのですが」

「もう一週間も眠りっぱなしだからな‥‥それは出来ない相談だ。む! 相談局の我々が相談出来ないとはクックックッ‥‥どわっはっはっはっ!‥‥うげっ!」

「‥‥お兄ちゃんはちょっと黙ってて‥‥」

 アルフレッドはスーの突きを喰らってひっくり返る。

 ”五‥‥四‥‥”

「ラバンさん、すぐに執事のナールさんに連絡して! 計画通り、シルルをここに連れて来てって!」

「それが無線機を渡してあるはずなんですが、さっきから応答がなくて‥‥:」

「えー!‥‥そんな‥‥」

 スーは、口に握った両手を添えてうろたえる。

「なら、俺が探して来ようか?」

 復活したアルフレッドが、スーの肩に手を乗せる。

「お兄ちゃんがいなくなったら、困るでしょ!、何考えてるのっ!」

「ハハ、何とかなるんじゃないのー?」

 ”一‥‥ゼロー!”

 ガタンと天井が開いた。それからゆっくりと床がせり上がっていく。

「‥‥この際だから‥‥ラバンさん、直接シルルを連れて来て!」

「それじゃ、人さらいじゃないですか?」

「ま、ええんとちゃう?」

 トン、と軽い衝撃の後、床の上昇は止まった。三人は五万を越える怒涛の観客の見つめるスタジアムの中央のステージに立っていた。意味のある言葉が重なり合い、『ワー!』という歓声が周囲に渦巻く。

 ステージの四隅から爆発する様に白い煙が飛び出し、人々の声が更に大きくなる。

「あわわわわ‥‥」

 スーは拡声器改のマイクを握ったまま、五万の視線を浴びて失神しそうにつっ立ち、アルフレッドは好奇心の塊で仕掛の煙の臭いをクンクンと嗅いでいる。

「‥‥ボクの演出もなかなかのもんやな‥‥けど、本番はこれからや」

 ケリガンは一人嬉しそうにはしゃいでいる。 カシャン!と、強烈なライトが一斉にステージを照らした。

 観客は一気に盛り上がった。

「へい! 皆んな! 元気にしてたかい!」

 コードで繋がれたギターを肩にさげながら、アルフレッドは両手をあげてスタンドに叫んだ。

「俺の名はアルフレッド! このASKのベースキーター!‥‥おっとそこの彼女っ!」

 片目を瞑り、チャ!と、銃を構えるポーズで、客席に座る一人の少女に指を差した。吊るされたパネルに、驚く様に頬を押さえた少女がアップになって映る。

「君のハートをバーン!‥‥ってか?」

 ”きゃー!”

 アルフレッドの甘いマスクと、乙女受けする声に、その少女はクラクラと倒れた。隣の彼氏らしい青年が慌てて抱き起こす。

「‥‥おっと、まだ寝るには早い! 皆、ちゃんと最後まで聞いてくれよな! 俺との約 束だ! いいかーっ!」

 ”はあーいっ!”

 答えたのは、全員が女性であった。

「もう! お兄ちゃん!」

「‥‥わ、馬鹿、やめろこんな所で!」

 スーはブンと拳を振り回す。

「何、機嫌悪くなってるんだ?」

「女の子、たぶらかしてどうするの!」

「だから、これからスーも紹介するって」

「わっ!」

 真っ赤なウサギの様な衣装のスーは兄の手によってサっと抱き上げられた。いつかの盗賊事件の時と同じである。

「そしてこれがボーカルのスーシェリエ‥‥ 俺のかわいい妹のスーだっ!」

 ”おおーっ!”

 今度は男勢が、野太いどよめきの声をあげる。

「‥‥お兄ちゃん‥‥今‥‥私の事‥‥」

 幾万もの男達の声援も、その時のスーの耳には届いてはいなかった。

『かわいい妹』‥‥兄のその言葉が頭の端から端を行ったり来たりして、ガンガンと鳴り響く。

「さあ、スーから皆に一言!」

 抱えられたまま、マイクを渡される。

「‥‥かわいいだなんて‥‥そんな:」

 何気ない兄の一言によって既にスーには冷静な思考力が残されてはいない。

「‥‥想像の中で、何度もお兄ちゃんは言ってくれたけど、だけど現実には初めて‥‥何だか夢の中にいる様で地に足がついてないみたいで‥‥そっか、抱き上げられてるからそうなんだよね‥‥こうしてくっついてると何だか、あの時みたいに気持ちいい‥‥」

 途端に”おおーっ!”という驚きの声がスタンド全体からあがった。

「お、おいスー! 何を馬鹿な‥‥」

「いやー、ボクも前々から怪しいとは思うとったんやが‥‥まさか本当にそうやったとは‥‥しかし兄妹でそれは犯罪やで‥‥」

 四段重ねのドラムの後ろに座っているケリガンが『やれやれ』と肩をすくめる。

「違うと言うにっ!」

 スーを下ろして心を落ちつけた後‥‥。

「‥‥そ、それじゃ!、いくぜ!いいなスー、ケリガン!」

「う、うん!」

「よっしゃ!」

 ケリガンがドラムを叩くと、スタジアム全体に備え付けられたスピーカーから、ドッドッドッ‥‥と、一定のリズムが打ち出された。


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