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その名はクオ・ヴァディス

 悪魔が消えた後に、一粒のルビーが落ちた。悪魔の力で不死者となり、しまいには宝石に変えられてしまったティアルトである。彼は悪魔フラウダートルが現世に留まるために尽きぬ命を押し付けられた。それはつまり、この宝石は今もティアルトそのものであり、生きているということである。誰かが気付き、ルドルフかクオ・ヴァディスの武技で悪魔の呪いを解けば人間に戻っていただろう。だが、その場にいる誰もがクオ・ヴァディスの活躍に夢中で地面に落ちた小さな宝石の存在に気付かなかった。


 それがティアルトにとって幸運なことか、不運なことかは誰にも分からない。


「悪魔を……滅ぼしたのか?」


 セリア二世が喉から声を絞り出す。人間が悪魔を倒すなんて、伝説の中の話だ。ディアボルサイドという剣の存在が、まさに悪魔を倒すことの困難さを如実に物語っている。人類史において今後数千年に渡って語り継がれるかもしれない大偉業が成し遂げられた瞬間を目撃したのだ。話によるともう一体既に倒しているらしいが、伝聞で知るのと目の当たりにするのとではまるで違う。


「ええ、陛下より賜った剣のおかげで悪魔を倒す力を得ることが出来ました」


 クオ・ヴァディスは剣を鞘に納めるとセリア二世に跪いて鍛冶神カリュプスの声を聞いた話を伝えた。女神に嫌われている旨は伝える必要がないので省いたが、あえて伝えて女神信仰にひびを入れてやろうかという思いがちらりと頭をよぎったりもした。カリュプスの「やめとけ」という声が聞こえたような気もしたので余計なことは言わずに終わったが。


「そうか、パルミーノが積み重ねてきた信頼と人々を救うために駆け回った此度の行いが奇跡を生んだということなのだな」


「私はクオ・ヴァディスです」


「……そうだったな」


 セリア二世は天を仰ぎ、目を閉じてしばし何か考えごとをする。その様子を見ていた他の者達は、国王が英雄パルミーノの追放命令を撤回するのではないかと期待を込めて次の言葉を待つ。クオ・ヴァディス本人はこれからどうしようかと考えていた。セリア二世には言いたいことがある。だがそれはパルミーノの言葉だ。自分はあくまでクオ・ヴァディスとしてこの地に戻ってきた。パルミーノとして王都に足を踏み入れることは王の許可の有無以前に自分自身のプライドが許さない。いかなる理不尽であろうと、この国の王が下した命令には従うのがパルミーノの絶対に譲れない最後の一線なのだ。故にセリア二世がこれから何を言おうとも、決してパルミーノに戻ることはしないと決めていた。この国の領内に留まった時点でパルミーノは死んだのだ。それは方便ではなく『この国の忠臣パルミーノという精神性』が死んだということだ。


「クオ・ヴァディスよ、そなたの働きを讃え褒美を与えよう。そしてその力を持ってこの国に仕えてはくれぬか」


 セリア二世は、あくまでクオ・ヴァディスという剣士を新たに召し抱えるという形で収めたいと提案した。これにはアントニオを始めとした王の臣下達は不満の表情を見せたが、当のクオ・ヴァディスは王が自分の心意気を酌んでくれたことを悟り、内心が歓喜に包まれた。ずっと我が子のように思いその身を案じ続け、裏切られ続けた相手が、ついに自分のことを理解してくれたのだ。報われた、と思った。


 だからこそ、悩む。自分はどこへ行くのかクオ・ヴァディス。このままただ名を変えただけで元の鞘に戻るのか。それとも……?


「ありがたい申し出です。褒美を頂けるということでしたら、一つ私のお願いを聞いてくださいませんか?」


「申してみよ」


「恐れながら、陛下はこの国の政治を、軍事を、全てご自身でお決めになっておられると聞きます。ですがこの国には内務大臣のセルゲイ・イワンコフ殿や武勇に秀でたアントニオ殿、それに優れた魔術師のインソニア殿がおります。国のことは彼等に意見を聞いて決めて頂きたい。陛下がいかに優れた頭脳をお持ちであっても、経験豊富な彼等の意見を無視すれば困難な道を歩むことになるでしょう」


「……分かった。そのようにしよう。ではそなたはどうするのだ、国に仕えてはくれぬのか?」


「私はこの国の民ですから、最初からこの国に忠誠を誓っております。ただ、私には帰るべき場所がありますので王都でお勤めするのはお断りさせていただきたく存じます」


 クオ・ヴァディスは士官の話を断り、テルミノ村に帰ることを決めた。無事に帰ると約束した人がいるのだ。それに、今回のことで辺境の守りを固める必要があると強く感じた。テルミノ村に戻ったら近隣の村や町の人々と協力しながら敵国の動きを見張っていこうと考えたのだった。


「そうか。そなたはテルミノ村に帰るのだな……ではもう一つ尋ねるが、そなたの名は『クオ・ヴァディス』のままで良いのか?」


「ええ、私は常に進むべき道を自分に問うていきたいと思います。今回のように動かねばならぬ時に、誰かに背を押してもらわねば動けないようでは、守れるものも守れないと旅の中で学びました。故に、私の名はクオ・ヴァディスなのです」


「よかろう。そなたの守るべき場所へ帰るが良い。褒美の件は後ほどテルミノ村に使いをよこす。王として当然のことをするだけではそなたの功績に報いたことにはならぬからな」


「名剣も頂いておりますが」


「それは悪魔フラウダートルを倒す前までの分である」


「……そうですか」


 頑固な王様だと思うクオ・ヴァディスだったが、辺境の村の蓄えに十分な金銭でももらえるならありがたいことだと納得することにした。


「そんじゃ帰ろうぜ、おっさん」


「帰るぞー!」


 ロイとルドルフが当然のようにクオ・ヴァディスと共にテルミノ村へ帰ろうとすると、インソニアが一緒についていきたいと思うが、先ほど指名されたことを思い出してむくれた顔を向けた。アントニオとアントニオ隊の面々は笑顔で手を振り、コロゾフと親衛隊は深々と頭を下げて見送る。


「さあ、私達の村に帰ろう」


 クオ・ヴァディスは晴々とした気持ちでテルミノ村へ向けた帰途の第一歩を踏み出すのだった。

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