「なっ、なんだ!? どこから現れたのだ」
突然目の前に数十人の兵士達が現れ、セリア二世が動揺して声を上げる。やっと各所から上がってくる報告も落ち着き、モンスターを倒して回っていたアントニオ隊が最後の報告にやってくるのを待っていたところだ。ここまでの報告でアントニオ隊の活躍を知ったセリア二世は、親衛隊の白けた空気に居心地悪くしていたのもあって、アントニオの働きを褒めて歩み寄り今後の扱いも良くしようと思っていた。そもそもアントニオは一度も反抗的な態度を見せたことがない。パルミーノの弟子だというだけで不当に扱っていたことを反省するばかりだった。
「恐ろしい悪魔と交戦しましたが、勝ち目がないので逃げてきました」
インソニアがセリア二世の前に跪いて状況を説明する。フラウダートルが自分を呼び出した人間を宝石に変えて飲み込んでしまったこと、この国の王になると言い出したこと、たった一体の悪魔がブリテイン帝国の一万の軍勢を皆殺しにしてしまったこと。
「……こちらが、私達を救ってくださった辺境の剣士クオ・ヴァディス様です」
インソニアは表情一つ変えずにセリア二世へクオ・ヴァディスを紹介する。どう反応していいか迷ったが、ここまで来ておいて国王と会わずに帰るなんてこともできないのだからと覚悟を決めてセリア二世に自己紹介をするクオ・ヴァディスだった。
「初めまして、国王陛下。私は辺境の村からやってきたクオ・ヴァディスと申します」
「パルミーノではないか! なぜ追放されたお主がここにいるのだ」
当然ながらパルミーノであることは即座に見抜かれた。変装すらしていないのだから見抜くも何もない。しかしクオ・ヴァディスは平気な顔をして「いえ、私はクオ・ヴァディスです」と返した。開き直りの境地である。インソニアもアントニオも、真面目そのものの顔をして同意するように頷いた。セリア二世も何も分からぬ
分かっている。自分が物心ついた時からずっと接してきたのだ。この英雄がどれほど私心なく国のために働いてきたか、他の誰よりよく知っていた。
「……そうか、そなたはクオ・ヴァディスか」
腕を組み、目を閉じて顔を空に向け、絞り出すようにそう呟いたセリア二世は、自分とパルミーノの関係を思い返していた。
それは、二十五年ほど前に遡る。まだ幼い王子を、まだ少年だったパルミーノが相手していた。父王は周辺の帝国や公国等から常に厳しい目を向けられる王国を安定させるために日夜忙しく走り回っていて、平時ではあまり出番のない少年剣士に息子の護衛を任せていた。既に国王セリア・ストームガルトの一番の忠臣であったからこそ、大事な一人息子を預けられた少年に、だが王子は懐かなかった。
「どうしてお父様は遊んでくれないの」
「陛下は多くの人のために働いているのです、殿下」
困ったように王子をなだめるパルミーノだったが、彼自身もまだ十代の少年。父親に会えず寂しい思いをしている子供をどうすれば落ち着かせることができるのか、まるで分からずにただ傍にいておもちゃを見せたり剣を教えようとしたりしていた。
大人になった今なら分かる、パルミーノがどれほど自分のために心を砕いてきたか。不器用で人付き合いも得意でなかった貧民出身のパルミーノが、王侯貴族と並び立つためにどれほど努力していたのか。
いくらか成長したある時には、従者の制止も聞かずに魔獣の棲む森に入り、危うく食べられそうになったところをパルミーノに救われた。怪我をしてパルミーノに背負われ、涙をこらえながら帰る道すがら、パルミーノは決して王子を責めずに、帰ったら何を食べようとか今度は自分を連れていってくださいとか話しかけていた。何ともみじめな気分になったものだ。
自分がどんな悪さをしても、言いつけに逆らっても、常に優しく見守るように接してきたこの人格者を、どれほど憎んだことか。優しさは時に人を傷付ける。だがそんなことはパルミーノにはまったく非のない相手側の事情で、逆恨みとしか言いようのないものだった。それが分かっていても、偉大な国王の息子としてまるで立派に成長できない自分を常に惨めな気持ちにさせる出来すぎた臣下が本当に心の底から嫌いで仕方なかった。
今なら分かる。自分が本当に嫌いだったのは、理想の王子になれない自分自身だったのだと。
追放を言い渡した時、大臣のセルゲイに言われた言葉は誰よりもよく知っていたつもりだ。大臣を制止したパルミーノの顔に悲しみを見てとった時、えもいわれぬ高揚感に包まれた。ついにこの男から笑顔を奪ってやったと。そんなことが、国家の安定よりもずっと大事なことだったのだ。故に多くの臣下から見放された。分かっている。分かっているのだ、自分がどれほど愚かな王であるかなど!
「クオ・ヴァディスよ、そなたの故郷はテルミノ村だな」
パルミーノを国外まで運んだコロゾフはテルミノ村の出身だ。彼が自分の故郷に匿ったのだろうとすぐに分かった。何が忠臣だ、自分の命令に背いて犯罪者を助けた大罪人ではないか。しかし、この行動が無かったらイメディオの町は悪魔に支配されたままで、アントニオ隊は敵の剣士に全滅させられていた。王都は人間の攻撃が効かない悪魔に蹂躙され、帝国の大軍が国境を越えて侵略してきた。間違いなく国が滅びていただろう。全ては、コロゾフが独断でパルミーノを自分の村に匿ったことで防がれたのだ。
「……コロゾフよ、そなたこそ真の忠臣である」
王を欺いていたことを咎められると思って身を硬くしていたコロゾフは、セリア二世の言葉に一瞬耳を疑った。だが王が身体を彼に向け、顔を合わせるとその穏やかな表情から聞こえた言葉が間違いではないと理解した。何故だか分からないが、自分は王に許されたのだと。
「そなたには専用の剣を新たに作らせよう。先ほど授けた名剣はこの窮地に駆け付けてくれた辺境の剣士に渡してやってくれないか。余から彼への感謝を表したいのだ」
「はっ、仰せのままに」
王の心がどう変化したのかは分からないが、コロゾフは自分の目的を果たす機会を得て喜びに打ち震えていた。王に忠誠心を持ったことなどなかったが、初めて心からこの王の命令に従うことが出来る。
「クオ・ヴァディスよ、彼から渡される剣には先王から聞いた余しか知らない言い伝えがある。なんとこの剣の最初の持ち主は人の身でありながら悪魔を打ち倒したという。それにちなんで剣に隠された名が与えられておるのだ。その名を『ディアボルサイド』、悪魔を殺す者という名だ」
「そんな由来が……ありがたく頂戴いたします」
伝説は伝説に過ぎないとはいえ、今まさに必要としている力を象徴する剣と知り、このタイミングで手元に戻ってきたことが運命のように感じられるクオ・ヴァディスだった。
――ああ、運命だぜ。
コロゾフから差し出された剣を手にした途端、クオ・ヴァディスの頭に不思議な声が響いた。