「いくぞ、『疾風乱舞』!」
アントニオ隊の先頭を走ってこの場にやってきた兵士が悪魔に向かって武技を放つ。自身の身体能力を高め、目にも止まらぬ斬撃を一度に十数回叩き込む技だ。アントニオ隊はモンスター相手の戦闘をいつもこの武技から始める。つまりこの武技を放つ兵士はアントニオ隊の一番槍ということだ(武器は剣だが)。
「なるほど、素早く動くから捕まえるのも困難というわけですか」
フラウダートルは兵士の攻撃をかわすこともなく全て受けながら、感心したように分析している。
「なっ、効いていない!?」
「効いていますよ。私の生命力があり余り過ぎて、あなたの攻撃の威力だと痛くも痒くもないだけです」
驚愕の声を上げる兵士に、自分の腕を突き出し攻撃を食らった部分にほんのわずかな傷がついているのを見せる。その傷もすぐに消えていった。
「傷というものは治りますからね。この程度の威力で私を殺すことは不可能でしょう」
このやり取りを見ていたクオ・ヴァディスは、背筋に冷たいものが走るのを感じた。確かに彼の目から見ても兵士の繰り出した十数回の斬撃はかなり軽い。それでも人間相手なら致命傷を与えられるぐらいの威力はあるのだ。フラウダートルはクレヴォーのように一刀両断とはいかないらしい。先ほどの戦闘で見たスピード、パワーを考えればあらゆる能力が比較にならないほど高いと見ていいだろう。
「だったらこれはどうだ、『破岩撃』!」
別の兵士が飛び上がって大上段から剣を振り下ろす。一撃の威力のみを意識した技だ。武技そのものの性能としてはおそらく最も高い威力を持つ技だろう。だがそれもフラウダートルは微動だにせず額で受け止めてしまった。
「素晴らしい威力です。ですが、私の額を割ることはできなかったようですね」
「そ、そんな馬鹿な……あり得ない」
武技を放った兵士が打ちのめされ、他の者達も怯んでしまう。クオ・ヴァディスも目を疑った。おかしい。いくら悪魔が強力だと言っても、女神の力を使う武技を無防備な状態で受けてダメージがないなんてことはないはずだ。そう考え込んでしまうが、恐ろしいモンスターを二体も目の前にしているということを忘れてしまっている。歴戦の強者としてあるまじきことだが、それほどまでに非常識な状況なのだ。
「そろそろ片付けようよ」
ティアルトがそう言って杖を掲げる。
「『孤狼斬』!」
だが、クオ・ヴァディスもアントニオ隊も動揺して動けなくなっているところに、ロイが果敢にも武技での攻撃を行った。これもフラウダートルの腕に止められてしまうが、一同の停止した思考をまた動かす効果があった。すぐに気を取り直したインソニアが呪文を唱えて魔法の壁を作り、ティアルトの杖から発射された無数の氷弾から兵士達を守った。
「おや、せっかく一網打尽に出来るところだったのに。ロイさんの勇気に救われましたね、皆さん」
「鬱陶しいなあ、クレヴォーが下手打たなきゃこんなに手間がかからなかったのに」
「では、そろそろ本気を出してみましょうか」
ぶつくさ言うティアルトに呼応し、フラウダートルが腕と首を回して準備運動のようなことを始める。だがロイは距離を取ると、剣先をフラウダートルに向けて言う。その顔には不敵な笑みを浮かべていた。
「へっ、おかしいじゃねえか。さっきは武技を食らって痛そうにしてたっていうのによ。お前、それ悪魔の特殊能力だろ?」
その言葉を聞いてクオ・ヴァディスは先ほどから心にずっと残り続けるモヤモヤとした違和感の正体に気付いた。そう、フラウダートルはさっきまで普通に戦闘の構えを取っていたのに、アントニオ隊が駆けつけてからは構えを解いて無防備な状態で攻撃を受け続けている。本来なら逆のはずだ。悪魔の身体に有効な武技の使い手がロイしかいなかった時よりも、アントニオ隊の合流で数十人に増えてからの方が絶対的に悪魔にとって危険な状況になっているはず。少なくとも、侮っていられるなら最初から構えなんか取らないでいいのだ。
「否定はしませんが、それでどうするおつもりで?」
「こうするんだー!」
フラウダートルが目を細めてロイに質問を返すと、それに答えたのはルドルフだった。戦斧を振り上げ、全力疾走でティアルトに向かっていく。その身体はインソニアが魔法で出した防壁が覆っている。
「くっ、こいつらまた! おいフラウダートル、僕を守れ」
ルドルフに続いてロイも剣を振り上げてティアルトに向かうと、クオ・ヴァディスもそれに倣う。ティアルトは自分が集中攻撃の対象になり、しかも敵は魔法を防ぐ壁を作っていると理解して悪魔に自分を守るように指示を出した。
「……なるほど」
すると、またティアルトの前に出現した二体目のフラウダートルがボソリと呟いた。その顔に笑みはない。向かってくる三人の方へ翼を羽ばたくと突風が生まれ、三人の足を止めた。さすがにこれで決めるつもりのなかった三人は大人しく距離を取る。この行動でやりたかったのは、集まったアントニオ隊の面々に、狙うべき目標を理解させることだ。要するに厄介な悪魔は無視して召喚主であるティアルトを数に頼って仕留めてしまえということだ。
「まったく、あなた方は賢いですなあ。賢すぎて、こうするしかなくなってしまいましたよ」
これまでのような嫌らしい口調ではなく、低い声で威圧するような話し方をするフラウダートル。彼は一瞬消えたかと思うとティアルトの背後に現れた。
「何をしている?」
予想外の行動を取られ、ティアルトが焦りのこもった声で悪魔に問いかける。するとフラウダートルはまた嫌味ったらしい慇懃な口調でティアルトに答えた。
「もちろん、召喚主様をお守りするのです。こうやってね!」
フラウダートルがその手から紫色の光を放つと、ティアルトの身体が硬直し、少しの間を置いてバキバキと音をたてながら変形していった。
「何をやっているんだ」
こちらも何が起こっているのか分からず、ロイがフラウダートルへ問いかける。それに悪魔はこれまでにない満面の笑みを浮かべた顔を向けて返事をした。
「召喚主が死んだら私がこの世にいられなくなるでしょう? だから絶対に死なないようにしてあげたんですよ。こうやって宝石にしてしまえば、誰もこの方を殺すことはできないし、永遠にこの姿で生き続けていられる。素晴らしいですね」
話しているうちに、ティアルトはフラウダートルの手に収まるほどの小さな丸いルビーに変わっていた。それを悪魔が牙の生えた口に持っていく。
「こうすれば、もう足手まといはいない」
ティアルトだったものをゴクリと飲み込むと、フラウダートルの口から出る言葉にこれまでの丁寧な口調が無くなっていたのだった。