「お前はロイ!? 悪魔を追い払ったのか、どうやったんだ」
ガリアーノにしてみれば、常識が覆されるあり得ない事態だ。ロイは確かに悪魔クレヴォーがその肉体と能力を奪っていた。不死者と同じように、姿かたちは人のものを保っていても既に死んでいる状態だと思われていた。当然だ、悪魔が人間の魂を後生大事に保管しているわけがない。しかし、現実として目の前には悪魔に身体を奪われた人間が元気な姿を見せているのだ。
「どうでもいいだろ、そんなこと。魔術師はどこに行ったのか聞いてんだよ。もうお仲間もみんなやられて、残ってるのはお前一人だぞ」
ロイはガリアーノの疑問に答えず、重ねて問う。答えが得られなくても別に構わない。ルドルフとインソニアがアントニオを安全な位置に移動させる時間を稼ぐつもりだ。
「知らねぇよ。俺はあいつのお守りじゃない。もういい、戦ろうぜパルミーノ」
ガリアーノは武技の構えを取る。最初から本気で戦うつもりだ。見え見えの時間稼ぎに乗るつもりもないし、それ以前にもう勝負の付いた相手をわざわざ殺す動機もない。彼にとって価値があるのは、最強と謳われる英雄剣士をこの手で仕留めることだけだった。
「武技か。才能のある人間は女神の力が使えて羨ましいよ」
クオ・ヴァディスが剣を握った手を下げたままで言う。通常は武技を警戒して何かしらの構えを取るものだが、彼は完全に脱力した自然体のままだ。
「舐めてんのか? お前には手加減してやらねえぞ、『幻惑剣』!」
ガリアーノが武技を宣言すると、無数の斬撃がクオ・ヴァディスを襲う。武技が発動しても微動だにしないクオ・ヴァディスの姿を見てガリアーノはさすがに訝しく思うが、そのまま本気の攻撃を叩き込む。
キンッ!
高く澄んだ音が響き渡り、ガリアーノの剣はクオ・ヴァディスの剣に阻まれ、動きを止めた。自然体のままだったクオ・ヴァディスの剣は、いつの間にかガリアーノの実体ある斬撃の軌道上に移動していたのだ。
「なっ……嘘だろ? 俺の武技が見切れるわけがねえ!」
驚愕の表情と共に飛び退くガリアーノに、クオ・ヴァディスは剣をクルクルと回して手遊びしながら答える。
「見切ってなんかいないさ。あらゆる方向から襲い掛かる斬撃のどれが本物かなんて分からない。だから、全ての軌道を剣で斬ったら、本物に当たったんだ」
事も無げに言うクオ・ヴァディスだが、それを聞いていたロイやアントニオが呆気にとられる。実際に食らった立場だから分かる。あの無数の斬撃を一瞬で全て斬るなんて芸当は、とても人間の技とは思えない。いったいどれほどのスピードで剣を振るえばそんなことが可能になるのか、想像もつかなかった。当然ガリアーノも信じられないといった表情を見せた。
「とんでもねえ野郎だ。さすが最強と言われるだけある。だが攻撃を防ぐ技術なら負けないぜ。どんな攻撃だろうと俺は見切ってやるからな。いっちょ、根競べといこうじゃないか」
さすがに一筋縄ではいかないと理解したが、最強の敵をこの場に留めておけば悪魔達やティアルトが王都を蹂躙し続ける。自分も背筋が凍るような戦いを楽しめるし、十分な功績も稼げる。いいこと尽くめだ。ガリアーノは不敵な笑みを浮かべながら剣をまた水平に構えた。
「……見切ったかい?」
違和感。何故か敵の声が背後から聞こえる。そしてどういうわけか足が動かない。目に映る風景が、斜め上にずれていく。いや、自分が、自分の胴から上が地面に向けて落ちていくのだ。斬られた、と理解した時には、ガリアーノの上半身は地面に転がり、断面から流れる夥しい量の血が意識も持っていこうとしている。
「なん……だ……いつの間に……」
達人同士の戦いにおいては、常にお互いが相手の攻撃を繰り出すタイミングを読み、また相手に読ませないようにフェイントをかけたりリズムをずらしたりして隙を狙うようになる。剣を極めた者は戦いのリズムを支配することでいかなる攻防も自分の思い通りに進めることができるが、結局はどんな動きもパターンを掴まれれば対応されてしまう。それが見切りというものだ。そこで、全ての達人が一度は必ず夢想する究極の攻撃法が生まれる。
――無拍子。
攻撃に一切のリズムが存在しない、論理的にあり得ない技。リズムがなければ、読むことも出来ない。どんな達人も絶対に見切ることができない究極の攻撃となる。そんなものは夢物語だと、誰しも剣の腕が上がれば上がるほどに痛感するのだ。
「どうやって……身に着けた?」
「なに、朝から晩まで剣を振り続けただけさ。他にやることもなかったし、私には才能がなかったからね」
パルミーノは貧民の生まれだ。娯楽も知らず、ただ生きるために日々の糧を求めて動く生活をしていた。そんな彼が、先王セリア・ストームガルトに拾われ、人間らしい生活を送らせてもらった。どうにか恩を返したいと思ったパルミーノが選んだのは、剣の腕を鍛えて武力で王の役に立つこと。他にやれることも思いつかなかった。だからずっと剣を振り続けた。食事の合間にも剣を振り、ベッドに入る瞬間まで剣を手放さない。そんな生活をしているうちに、身体が剣を振る動作を完全に覚えてしまった。
そもそも、敵の攻撃を見切ることができるのは、攻撃に予備動作が必要だからだ。腕を使って攻撃するなら、腕の付け根である肩が先に動く。肩が動く前には体幹が回転する。太腿の筋肉に力が入り、下腿が屈曲して足が地を押す。その動きを見て、次の動作を予測し制するのだ。しかるにパルミーノの身体は、足から体幹、肩、腕、手先に至るまで、全ての部位が同時に動いて攻撃を繰り出す。とても非常識な動きを可能にすることで、誰にも見切ることができない攻撃を放つようになった。実際のところ攻撃にリズムはあるが、予備動作がないために読み取ることが不可能なのだ。
ガリアーノが沈黙し、絶命したことを悟ったクオ・ヴァディスは静かに剣を拭いて鞘に納めた。