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破魔狼吠

 ルドルフの目に映る風景が変化した。どこかは分からないが、とても明るい場所に一人で立っている。女神の声が聞こえてすぐのことだ、ここは神の国なのかもしれないと思いつつ、イメディオの町はどうなっているのかが気になった。あの悪魔はクオ・ヴァディスが上手く対処してくれているだろうかと気になってしまう。兄はやはり助けられないのだろうと思うと涙が出そうになる。


「あなたには悪魔の力を祓う才能があります」


 女神の声が、今度は耳からはっきりと聞こえる。声の主を探して顔を左右に振り、視線を全周に向けるが誰の姿も見えなかった。


「かつて神と悪魔が世界の命運をかけて争った時、神に従う忠実な神獣達がいました。その中でも群れなす狼達は、特別な吠え声で悪魔の力を封じて神の勝利をもたらしたのです。その吠え声こそ『破魔狼吠はまろうばい』、あなたの内に眠る力です」


「なんでそんな力がオイラの中にあるんだー?」


 ルドルフが率直な疑問を口にする。相手は女神だと理解しているのだが、彼には敬うべき相手と話すための言葉がないのだ。当然、女神もそんなことは全て知っているので気分を害することなどあるわけがないのだが。


「かつて神と共に戦った神獣達は、その多くが人の姿をとり人間の世界に溶け込んでいきました。その末裔となる人物が必要な時に古の記憶を呼び覚ましてかつての技を扱えるようになるのです」


 つまり、ロイとルドルフは人の姿をした狼の子孫ということになる。そんなことを言われてもまるで実感がないルドルフだったが、由来はもういいので一番大事なことを聞かなくてはと思った。


「その『破魔狼吠』って、どう使うんだー?」


 説明によると狼の吠え声らしいが、彼の知る武技はどれも攻撃のための技だ。吠え声で相手にダメージを与えるのだろうかと首をかしげる。


「あなたに攻撃のための技は必要ありません。悪魔の邪な力を声で消し去るのが、あなたの役目です。使い方は古の記憶が教えてくれるでしょう」


 そこまで女神の話を聞くと、ルドルフの視界が突如暗くなった。そして時を置かずして周囲の風景が見覚えのあるものに変わる。いや、戻ったというのが正しい。先ほどまで彼がいたイメディオの町の広場に立っていた。戦斧を地面に突き刺し、目の前には兄の姿をした悪魔がこちらを嘲るように笑いながら見ている。女神とそれなりに長く話をしていたはずだが、どうやら現実の時間はまるで動いていなかったようだ。これも神の奇跡なのかもしれないと思った。


「ルドルフ、落ち着くんだ」


 クオ・ヴァディスがルドルフをたしなめる。だがルドルフは自信に満ちた目でクオ・ヴァディスを見返し、元気な声で告げた。


「おっさん、オイラ女神様の声を聞いたんだ」


 女神の声が意味することを知らない者はこの場に存在しない。クオ・ヴァディスの心に希望が生まれるが、それと同時に注意深くクレヴォーの表情を観察した。ルドルフの言葉を聞いたクレヴォーの顔からは即座に笑みが消え、はっきりとルドルフのことを警戒する様子を見せる。


「悪魔ってのは表情も嘘がつけないのかい?」


 クオ・ヴァディスは勝利を確信し、ルドルフに目配せをした。覚えた武技をクレヴォーに使ってやれという合図だ。もう最後の質問をする必要も無くなった。悪魔に人間の力は通用しないが、女神の力である武技は通じる。そして、クレヴォーの目的は他の悪魔を相手にして優位を取ることだったのだろうと。すぐにルドルフが腰を落としながらクレヴォーを睨みつける。だがそこにインソニアが制止の声をかけた。


「いけません! ロイさんの身体を乗っ取ったままの悪魔を攻撃すれば、ロイさんが死んでしまいます」


 そんなことはクオ・ヴァディスもルドルフも分かっている。クオ・ヴァディスは最悪ロイが死んでしまっても仕方がないとも思ってはいたが、この状況でルドルフが自信満々に宣言したのだ。兄を救うことができる技を身に着けたのだろうと確信していた。ルドルフの人柄はよく知っている。彼が笑いながら兄を手にかけるような人間ではないと、心の底から信じていた。


「心配はいらねぇ、いくぞ『破魔狼吠』!」


 ルドルフが武技名を宣言した瞬間、クレヴォーの顔が驚愕に変わった。すぐにルドルフが咆哮を上げるが、それと同時にクオ・ヴァディスは地面を蹴ってクレヴォーに急接近していく。状況から何が起こるのかを推測したのだ。おそらくルドルフの武技は攻撃技ではない。いま悪魔の一番嫌がることは何か。それはロイの身体を奪い返されることだ。だから、ルドルフの武技はきっとロイの身体からクレヴォー本体を追い出すに違いない。とすれば、自分がやるべきことは決まっている。何も悩む必要はなかった。


「やめろおおおお!」


 ルドルフの咆哮をかき消すかのような絶叫を上げるクレヴォーだったが、その身体――ロイの身体から黒い影が噴き出して空中に何かの形を取り始める。それは、大きな蝙蝠の翼を持つ小鬼ゴブリンのような姿。間違いなくこれが悪魔クレヴォーの本体だと認識したクオ・ヴァディスは、空に向かって飛び立とうとするそいつを剣で素早く何度も斬りつける。


「ケケケッ、人間の力は通用しないって言っただろ。あのガキ、厄介な技を覚えやがって。今回は一旦退いてやるが、次はもっと強え身体を手に入れてきてやるぜ。あてはあるしな」


「逃がすと思うか? お前をここで取り逃がせば、恐ろしい数の人が死ぬ」


 クオ・ヴァディスの剣はクレヴォーの身体に傷一つつけることができない。ルドルフは続けて咆哮するが、無敵の防御を消すことはできないようだ。だが、それでもクオ・ヴァディスは余裕の笑みを浮かべながらクレヴォーを斬りつけ、逃亡を阻止する。


「いい加減にしろよ、鬱陶しい! てめえに俺様を殺すことなんかできないんだよ、諦めろよ」


「ああ、な」


 クレヴォーの言葉にも、笑みを浮かべながら返すクオ・ヴァディス。その言葉にある含みを読み取ったクレヴォーが不思議そうに口を開く。


「それはどういう――」


「『孤狼斬』!」


 それが、悪魔クレヴォーがこの世から姿を消す最後の瞬間だった。

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