目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第二十九話 最終話 巡り行く時間の果てに

「‥‥‥‥」

 数世紀ぶりに飛翔した箱庭世界は、整備が良く行き届いていたおかげで、大きなトラブルもなく月面から浮上した。

 シグマとガンマの箱庭世界は太陽系外周から向かってきた。逃走するとすれば反対側‥‥太陽方面へと向かう事になる。

 全力で速度を上げるが、その大きさ故に初速がなかなか上がらない。画面上の二つの世界との距離がどんどん縮まってきている。

「‥‥全く、面倒な時期に面倒な事を押し付けてくれたものね」

 =‥‥‥‥=

 リシャンは皮肉のつもりで言ったが、元統合政府の知識集合体の彼女は何も答えない。

「リシャン、規定の速度に達したようです」

 パネルを見つめていたクロウが、すぐに次の移動手段の手配を行う。

「バーテロンドライブ起動して」

「了解‥‥行程の三番から十二番を省略して実行します」

 リシャンが頷くと、知識集合体の彼女は頭をさげる。

 不意に全ての外部カメラが闇に閉ざされる。

 全ての光は進行方向に集約される。そこには針の先ほどの小さな光があるが、もちろんそれを確認する事は出来ない。

 =速度0・8まで上昇しました=

「‥‥‥‥これ以上は速度は上げられないの?」

 他の箱庭世界は少しづつこちらとの距離をつめてきている。

 =これが限界です=

「‥‥‥‥」

 このままではあと数分もすれば追いつかれてしまう。そうなれば戦うしかなくなるが、彼らとは半世紀の技術的遅れがある現状の武器では恐らく対抗出来ないだろう。

「あと三分で向こうの射程範囲に入ります。それも彼らがこちらと同じ攻撃範囲なら‥‥という仮定の話ですが」

「‥‥‥‥」

 どうする? どうしたら?

「降伏したらどうなるの?」

 =彼らにはそのような風習はありません。通信を送っても恐らくは関係なく攻撃してくるでしょう=

「よく今まで平気だったよね」

 =データ的遮蔽装置が有効でした。ですが、彼らはそれを見抜く技術を開発したようです=

「‥‥遮蔽装置」

 リシャンは顎に手を当てて考え込む。

「それは今も使える?」

 =一時的には可能ですが、すぐにパターンを解析されてしまうでしょう=

「どのぐらいの時間、有効かな?」

 =最大見積もって十秒程度でしょう=

「‥‥‥‥」

 リシャンはパネルの地図を見つめる。太陽に近づいている。

「‥‥‥‥そうか‥‥もしかしたら‥‥」

 リシャンはパネルに手を触れて画面を拡大させる。

「他の箱庭世界は人間が操作してないんだよね?」

 =はい。ここと同じようにAIの集合体が管理しているはずです=

「彼らは結託してるの?」

 =それはないと思います。行動理念として自分の箱庭の繁栄が最優先のはずですから=

 それなら予想外の事が起きれば、対処が大幅に送れるはず。

「太陽になるべく接近して脱出できる距離を計算して」

 =表面から約、610万キロメートルです=

「620万キロメートルまできたらきたら、右に回頭。箱庭世界の一つに向かって行って」

「なぜそんな事を⁈ 戦っても勝ち目はありませんよ」

「誰も戦うなんて言ってない‥‥えーっと、元知識集合体‥‥面倒なので、あなたはこれからシュウって呼ぶから」

 =はい、登録しました=

「太陽から610万キロメートルの位置で丁度、彼らと接敵するように箱庭の角度とスピードを調整して」

 =了解しました=

「ぶつかる直前に遮蔽装置を起動、彼らを回避しながら太陽表面上を全力で飛行。すぐに実行して」

 =了解しました=

 シュウは杓子定規に同じ言葉を繰り返す。リシャンはパネルを見つめた。

「‥‥どういう事なのですか?」

 クロウは真剣なリシャンの横顔に問いかけた。

「彼らがこっちを追いかけているのは、私たちが恰好の得物だから共通の目的としているだけ。彼ら同士は仲間でも何でもない」

 画面上に数字が表示される。回頭まであと一分を切った。

「‥‥だからね、彼ら同士が争わなければならない状況を作ってやるのよ。こっちに関わってる暇なんてなくなるわけだし」

「‥‥‥‥」

 説明されたが、クロウはリシャンの言わんとしている事の恐らく半分程度しか理解出来ていないのは分かっていた。それでも彼女がやろうとしている事は絶対に間違いはない‥‥そう信じて疑わなかった。

「全く、あなたという人は‥‥」

 笑ってパネルを見つめる。AIではあったが、消滅する恐怖のようなものは感じる事は出来る。だが、今はその不安は全く浮かんではこなかった。

「‥‥‥‥」

 数字がゼロになった。箱庭世界は大きく進路を変え、横に移動を始める。数秒を経ずして球形の銀色の大きな物体が視界に入った。そのすぐ脇に円盤型の箱庭世界が現れる。

「遮蔽起動!」

 リシャン達の箱庭世界がうねるように透明になり、周囲から姿を消した。だが、それはあくまでデータ上の事にすぎない。もし、それを肉眼で見ている者がいるとすれば、そこにはかわらず存在している事が露見していたはずだ。

 得物を見失い、不意に強敵と至近で対峙した二つの箱庭世界はすぐに臨戦態勢を取り、互いに光の砲で撃ち合いを始めた。

 8‥‥7‥‥6‥‥この数字が0になった時、この箱庭世界は姿を見せてしまう。

「全力前進!」

 太陽の引力に捉えられる距離ギリギリを、表面の微妙な湾曲に沿って進む。

 5‥‥4‥‥3‥‥。

 =速度、0・81‥‥0・85‥‥9に上昇‥‥9・5‥‥=

「‥‥‥‥」

 リシャンは唇を噛みしめる。

 もうすぐ太陽を一周する。遮蔽が切れるその辺りに、戦闘中の二つの世界の中央を突っ切る事になる。流れ弾の一発でも当たればお終いだ。

「‥‥‥大丈夫、あなたなら、うまくやれます」

 クロウが手を握ってきた。手の震えが止まった。

「‥‥‥ふふ‥‥‥もちろん」

 いつもの不敵な笑みを浮かべる。

 =突入します=

「‥‥‥‥」

 大きな箱庭世界ではあったが、光速に近い速度で行き過ぎた為、一瞬で通り過ぎていく。直後に遮蔽は解除されたが、その頃には既に彼らから遠くに過ぎ去っていった。攻撃の応酬が続いており、こちらに集中する事も移動も出来ず、ただその場で戦闘を続けているようだった。

「‥‥ふう」

 リシャンはため息をついてその場にしゃがみこむ。

 =さすがです、マスター=

 シュウは深く頭を下げてその場から消えた。

「‥‥おつかれさまです」

 クロウはリシャンの肩を叩いた。

「まさか、彼らを互いに争わせた後、太陽の引力を利用してのスイングバイで高速離脱するとは‥‥どこで学んだのですか?」

「学ぶ? まさか! 私のオリジナルに決まってるでしょ?」

「あなたという人はもう‥‥」

「でも、まあ、疲れた事は確かね。これからやる事は山積みだけど」

 月や地球の姿は既に無く、数日後には太陽圏の外に出ていることだろう。他の好戦的な世界と出会わないように、ここからなるべく遠くに離れる必要がある。この箱庭世界をどうするのか‥‥何処に行って、何をするのかを決めなければならない。

「そうですね。その前に少しだけ休息をとったらどうですか? それぐらいの時間はあると思いますが」

「休息か‥‥そうね‥‥」

 リシャンはテーブルに腰をおろし、頬杖をついて笑みを浮かべた。

 それも良いかもしれない。

 何をしようか?

 ただ黙って楽しそうに微笑み続けた。





 春の小道は、全てが淡い色で埋め尽くされている。

 都心近くではあったが、マンションが立ち並び、すぐ近くを流れる川の脇の土手には、桜並木が桃色の花を咲かせていた。満開の時期を僅か過ぎたこの季節‥‥風が吹く度に花びらまじりの爽やかな風が頬を撫でていく。陽気の良さも手伝ってか人通りも多く、小さな子供を連れた親子が、この一年で一番穏やかな日を楽しんでいるようだ。

「‥‥‥‥」

 ベンチに寄りかかったリシャンは、子供のはしゃぐ声を聞きながら空を見上げる。

 何処までも澄んだ青空‥‥それだけを見ていると、あの同じ空から雨や雪が降ってきたり、嵐になったり‥‥とても信じられない。

 時間は止まってはくれない。それでも自分が感じてるこの感覚は本物。だから、今はこの刹那の幸せを感じていよう‥‥リシャンはただそれだけを考えた。

 “あ、待って!”

 一匹の猫が足元を走っていった。その後を小さな女の子が追いかけていく。

「もう、またどっか行っちゃった」

「どうしたの?」

 リシャンは笑いながら聞いた。

「あのね、猫が逃げちゃったの」

「‥‥シラタキなら向こうへ走っていったわよ」

 遠くに見える柵を指さす。

「?‥‥ありがとう」

 何で猫の名前を知っているのか、少女は一瞬首を傾げていたが、すぐに少女の注意は逃げた猫へと戻った。

「ふふ‥‥」

 一生懸命に走っていく後ろ姿に、リシャンは何だか楽しくなって笑みがこぼれた。

 “‥‥もう、他の女に浮気したらダメ‥‥”

 若く背の高い男性に腕を回した女性が、人目もはばからず、のろけた言葉を話している。

「わ、分かってるよ。俺がそんな事をするはずないだろ?」

「ほんとー? ‥‥ならいいなん」

「‥‥‥‥うう‥‥」

 女性の方は男性より年配なのかもしれない。グイグイと迫る彼女に少し疲れた顔をしている。

 彼らは桜並木の向こうに消えて行った。

 “ねえ、次の休みには何処かに連れていってくれるんでしょ?”

 中学生ぐらいの若い女の子が、父親にそんな声で聞いている。風に乗ってそれのリシャンの元へと届いた。

「そろそろ弓道部の大会が近いだろう? 遊びに行く暇はないんじゃないか?」

「大丈夫、私は天才だから!」

「やれやれ」

 べっと舌を出す娘に、父親はまんざらでもないような顔でため息をついた。

 そうして何人かの通行人が行き交う中、リシャンはじっと見つめ続けていた。

「‥‥‥‥」

 向こうから誰かがこっちに歩いてくる。桜並木のトンネルの真ん中を真っ直ぐに近づいてきた。

「‥‥‥‥」

 リシャンは目を細める。

 彼女は長い髪の背の高い女性だった。穏やかな表情でじっとリシャンの顔を見つめてきた。

「‥‥‥‥こんにちは」

「‥‥‥‥」

 リシャンは無言で頭を下げた。

「聞きたいのですが‥‥前に会った事がなかったでしょうか?」

「‥‥シャ‥‥」

 言いかけたが途中で言葉を飲み込む。

「いいえ」

「‥‥そうですか、失礼しました」

 彼女は深く頭を下げてからまた並木道を歩いて行った。

 桜吹雪が彼女の後ろ姿を追いかけるように舞い上がり、やがて完全に見えなくなった。

「‥‥‥‥」

 リシャンは再びベンチに首を倒して空を見上げる。

 さっきより少し雲が出て来たようだ。

 “リシャン”

「‥‥‥‥」

 今度はクロウが姿を見せた。春なのに暑苦しい黒いスーツを着ていて、場違いも甚だしい。

「これで良かったのですか?」

「‥‥‥‥何が?」

 クロウには顔を向けず、ただすぐ近くにある桜の枝を見つめる。その枝は風に吹かれて花がほぼ散っていた。

「リシャンがこれまで出会ってきた人の記憶から、あなたは消えました。寂しくありませんか?」

「‥‥‥‥まあ、少しはね」

 さっき、もう少しで名前を呼びそうになった事を思い出した。

「でも‥‥これからは彼女達と私は進む時間が違う。彼女達は自分の幸せの為に生きていくと思うし、そうあってほしいから。私の感傷に付き合わせるわけにはいかない」

「‥‥そうですか」

 クロウはいつものしかめっ面を緩めた。

 重力レンズを使用しての遠方の宙域を観測した結果、移住先の星の候補が幾つか見つかった。これからその準備を始めなければならない。

 これからの旅はどれほどの時間がかかるのか‥‥何十、何百年‥‥途方もない時間を彷徨う事になる。

「でもクロウ‥‥あなたにはつきあってもらうわよ」

「もちろんそのつもりです。あなたを一人で野放しにしたら大変な事になりますからね。どこまでも付き合いますよ」

「‥‥ふふ」

 リシャンは目を閉じた。

 不思議と孤独は感じない。クロウという存在がこれほど大きかった事を、リシャンは初めて思い知った。

「‥‥‥‥‥‥」

 風が砂埃をまきあげる。いつしか道行く人の姿もなくなっていた。

「リシャン、そろそろ戻りましょうか」

「そうね」

 立ち上がって埃っぽい道の上をゆっくりと歩いていく。

 やがて二人の姿は風の中に溶け込んで消えていった。

 その隙間を埋めるかのように、春風が通りを吹き抜けていった。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?