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第二十六話 錆び色の光が導く先へ


 漆黒のトンネルを抜けて最初に感じたものは、今まであった埃っぽい臭いが消えた事と、全く風の吹かない止まった空気‥‥その違和感だった。上を見れば天井が錆び色に光ってはいるが、それは空ではない。広大な円柱状の空間に同じ大きさ、同じ立方体の形をした建物が整然と並ぶ都市の只中だった。足元はアスフェルトではなく、黒い金属に近い物質だったが、それが何かは分からない。道幅が広く、移動手段に使う乗り物の類は見あたらない。歩行者の姿も見えないが、廃都市というわけではないのは、建造物や壁が一定のリズムで赤や青などの光を発している事でも明らかだ。

「‥‥‥‥ここが‥‥管理局?」

 リシャンは背中の翼と鎌を消した。まだ人の姿を見てはいないが、今のゴシック調の服は、ここの住人にしてみれば奇妙に映る事だろう。

「‥‥‥‥」

 人の姿になったクロウは、周りを見て、口を開けたまま何も言ってはこない。

「‥‥クロウ?」

「‥‥‥なぜ‥‥こんな‥‥‥」

「クロウ!」

「‥‥え?‥‥ああ‥‥」

 揺さぶるとようやく視線が戻った。

「どうしたの? ここが管理局なんじゃないの?」

「そうです。ここが‥‥仮想世界管理局の‥‥近くの住宅街です」

 そこで息を飲んでいる。

「‥‥何か問題?」

「おおありです。ここにいられるわけがないんです」

「‥‥‥‥」

 リシャンは目を細める。

「リシャン‥‥我々にはリアルでの体がありません。存在出来るのは仮想空間の中でだけ。それなのに、この、管理局というリアルの前に存在している。ありえない」

 クロウはあちこちに視線を巡らしている。

「つまりそういう事だったんじゃない?」

 リシャンは全く動じていない。

「私達が仮想世界でしか活動出来ないなら、ここにある管理局も仮想世界。リアルに本物の管理局がある‥‥という可能性もあるわね‥‥ふふ」

 リシャンは口の端を歪めて笑う。

「‥なるほど‥‥‥」

 クロウもつられて笑った。

「どうやら私は長い事、管理局にいたせいで、自分で考えるとい事が疎くなっていたようです」

「‥‥‥‥」

「‥‥それにしても、あなたは変わりましたね」

「そうかな」

 リシャンは腕を組んで壁によりかかり、斜めの視線を向けてから笑って鼻を鳴らした。

「それより、これからどうする? 電子世界の中を四苦八苦するよりは、仮想世界なら、普段と同じ様に行動出来て都合が良いんだけどね」

「まずは、本部に向かいましょう。ここに来れたという事は、私のパスはまだ有効のようですから、ある程度までは進めると思います。リアルに管理局があるとしても、そこからの方が、情報を得られる確率は高いでしょう」

「‥‥そうね」

 リシャンは壁から離れてクロウの隣に立った。

 二人は歩きだす。道はクロウが知っているので、リシャンはついていくだけだ。

「もしアンチウイルスのようなものが起動した場合、その対処はお願いします。私にはその辺の能力はありませんので。ですが、くれぐれも迂闊な行動は慎んでください」

「了解」

「‥‥本当ですよ。目立ってこちらに注力されたらやっかいな事になるので」

「分かってるって」

 リシャンはクロウの胸を拳でトンと叩いた。

「‥‥‥‥」

 クロウはため息をついてから、また歩きだす。

「‥‥‥‥」

 リシャンは顔を正面に向けたまま、視線だけを素早く周囲に張り巡らす。

 一見、無人の街にも見えるが、建物の中には人の気配がある。それだけではなく、時々人ともすれ違う。彼らは同じようなデザインの灰色の服を着ており、それから見れば奇抜な格好に見えるようでジロジロと見てくる。認識阻害を使ったが効果はまるでない。

 車‥‥というか、ガラスのドームの様なものが移動してきて、中には数人が乗っている。運転している形跡がないのは、全てが自動化されているのかもしれない。

「つまり‥‥」

 管理局の為だけの仮想世界ならば、そんな無駄な事はしないはずだ。そしてそれとは別にリアルに管理局があるのもおかしい。それがあるなら、手間ひまかけてこんなものを構築する意味がない。管理局は意味というものを最も重要視する。恐らくはこの推測は当たっているだろう。

「‥‥‥‥」

 横倒しになった円柱状のこの世界の外は、何のテクスチャーも無い、無の空間が広がっている。ここの住人にとって世界はこの狭い箱庭の中だけだ。彼らはその事を知っているのだろうか? 自然というものがないここは、013のような快適さは無い。わざわざ希望してここに住みたい人間はいないだろう。

 つまりここは唯一無二の場所‥‥仮想世界管理局に間違いない。

 ここが仮想世界で、統合政府も超巨大AIの集合体でしかないとするなら‥‥実際にリアルで生活している人は何処にいる?

「‥‥‥‥」

 リシャンは立ち止まった。

「どうかしましたか?」

「‥‥ちょっとね」

「?」

 リシャンはクロウをじっと見つめた。

「クロウは何か知らない? リアルの人間の人口とか、場所とか?」

「詳しくは知りません。私が知らされているのは任務に関してのみでしたから」

「‥‥それにしては訳知り顔みたいな感じでいたじゃない」

「そんなハッタリでもしないと、あなたは言う事を聞いてくれませんでしたからね」

「‥‥ふふ」

 そんな軽口を叩いている間に、クロウと離れて再開した今までの隔たりのようなものが、少しつづなくなってきているのを感じた。

「ですので、あなたに話した事が私の知っている全てです。リアルで生活している人間の数はそう多くはなく、その中で希望者だけが仮想世界で暮らしています」

「‥‥リアル生活者ね」

「‥‥何かひっかかりますか?」

「ちょっとね」

 一つの可能性が浮かんできた。が、それはあまりにも究極的な話だ。それを証明する手立てはないが、状況証拠的には結論はそこに集約されていく。

「あそこです」

「‥‥‥‥」

 クロウに言われてリシャンはその指さされた方向に目を向ける。

 この横倒しの円柱世界の端‥‥そこの淵の円に窓のようなものがたくさん見える。門があり、そこには四人程の人間が立っており、人の背丈の倍以上ありそうな二脚式のロボットの姿もある。それだけではなく、正面の塀のまわりには、自動認識攻撃型の銃も配備されている。

 仮想世界の管理局の護衛‥‥と一括りにするにはあまりにも大袈裟だ。これはいよいよ、あの仮説が正しいと証明されてくる。

「‥‥さすがにあれは骨が折れるわね。何とかなる?」

「‥‥やってみます」

 クロウが衛士の一人に詰め寄り、何かを話している。するとすぐにクロウが手招きした。

「‥‥‥‥」

 リシャンは用心深く近づいた。武器はいつでも出せるようにスタンバイしておく。

「了承が取れましたので、中へと入ります」

「‥‥‥‥」

 リシャンは門の間を通り抜ける。もし彼らを相手にしなければならなかった場合、奥へと侵入出来る可能性は限りなく低い。

「‥‥ふう」

 ゲートが一瞬だけ開いたが、それは一人分だった。リシャンはクロウの後ろにぴったりと密着して通過する。

「‥‥‥‥」

 中は窓の無いただ延々と通路に扉のある建物だ。天井自体が淡く光っているので薄暗さは感じないが、閉じ込められているような閉塞感は半端なく襲ってくる。入口から奥までどれほどの長さがあるのかは分からないが、果てしなくどこまでも続いている。

「‥‥私も中に入ったのは初めてなので、内部構造がどうなっているのかまでは分かりません。これからは同時に調査をしながらの移動になります」

「あなたのIDが使えるんじゃない?」

「‥‥それもどこまで有効なのかは定かではありません。本来は私が来る所ではありませんし」

「じゃあ、何て言って通ったの?」

「それは‥‥局長に見せたい資料を持ってきたと言って、内容は極秘にしたのです。ですので、早くしないとばれる可能性があります」

「‥‥結構ザルね」

「そのおかげで我々はここにいられます」

 クロウは肩をすくめてまた歩きだす。

「やっぱり局長っているのね」

「いるんじゃないですか? 局と言ってるからにはまとめる者がいるはずです」

「‥‥‥‥」

 ここにきてクロウの意外な性格が分かってくる。

 彼は意外と適当で場当たり的だ。

「‥‥ここが使用室のはずです」

「‥‥‥‥」

 立ち止まったのは一つの扉の前。他の扉と全く同じ。名前札も何もついていない。ただ取っ手だけが付いている。

 クロウがドアノブに手をかけた。

 ノブは回転したが。

「‥‥開かない」

「‥‥‥‥」

 さすがにそこまでセキュリティーが甘くはなかったらしい。こうなったら無理矢理こじあけるしかないが、その場合、すぐにアンチウイルスが飛んでくる。調べる時間が限られてしまう。塔の時とは違い、ここでは十分に時間が欲しい所だ。

「あ!」

「!」

 クロウが声をあげた。リシャンは武器を出しそうになったが。

「これは引き戸でした」

「‥‥‥‥」

 クロウはそう言ってドアを引っ張ると、ドアは音もなく開いた。

 部屋の中は白い光で眩しく、中に入ってもしばらくは目が慣れるのに時間がかかりそうだ。

「では‥‥入りますよ」

「‥‥‥‥」

 リシャンが大きく頷くと、先にクロウが中へと入る。

 この中に全ての真実がある‥‥胸に手を当てる。

 ここに至るまで出会ってきた多くの人がこの胸の中にいる。彼らと共にリシャンは一歩を踏み出した。



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