リシャンとレイブンを含めたヴァイアスのメンバーは、都市地下の広大な空間に出た。学校の体育館の何倍もの高さと広さがある。ここは災害時に都市部に米や食料品などの物資を供給する為の倉庫である。この仮想世界の政府の発表通りの光景が広がっていた。
天井に備えつけられたライトはあるが、それでも薄暗い。夏の只中だが、地下深くはひんやりとしたかび臭い空気が漂っていた。
「ここから管理局用のサーバーにアクセスできる。お願い」
シャオティンがランユーに顔を向ける。ランユーは頷くと、ネジを外して鉄板を壁から外した。そこには灰色のコンクリの壁しか見えなかった。
「‥‥何もないようだけど?」
リシャンが目を凝らすと、瞬きをする間もなく、壁はコンソールに変わった。
「‥‥ここには本来は何もない。近くにアクセスポイントがあり、そこに接続する為にはこの場所が最適」
ランユーは慣れた手つきでパネルを操作していく。
チェンランを含めた十人ほどが、警戒の為に周囲に散った。
「そうなのか‥‥」
シャオティン達が管理局本部を襲撃する話をした時、リシャンは管理棟のある地域に行くものだと考えていた。だが、そこは一般管理者などへの表向きに発表されてる偽の管理区に過ぎず、実際の存在場所はこの仮想空間上の地点を刻一刻と変化させていた。
「つまり、私にも本当の事は知らされてなかったって事ね」
=監視官たる俺にもな=
リシャンが肩をすくめると、隣にいたレイブンも仕草を真似た。
「‥‥誰にも本当の事は教えない。それが例え管理局の人間だとしても」
ランユーはパネルを見つめながら、リシャンの言葉に呟きで答える。
「私の父は管理局で働いていた。仮想世界を管理する立派な仕事だと言っていた。でも、ある時、父は統合政府公安に連れていかれた。許可されていない特殊区域への無断アクセスして内容を広めようとした罪だったらしいけど。‥‥結局、父は帰ってこなかった」
「‥‥‥‥」
ランユーの手が震える。
「私は父が何を見たのか知りたくなった。そして真実に辿りついた‥‥ここは人類の楽園なんかじゃない。統合政府という超巨大AIが計算して出した、人類管理システムの一環だったという事を‥‥私はそれを壊す‥‥そして父の‥‥無念を晴らす」
「‥‥‥‥そう」
リシャンはそれまではただのテロリストという大きな枠の中でしか考えていなかった。だが、彼ら、彼女らの目的は政府に反抗してまでやり遂げたいものだ。それは尋常ではない決意があったのだろう事が、ここに至って初めて分かった気がした。
「じゃあ、あなたにも何かあるの? ちびっこ?」
“誰がちびっこなん!”
途端にナイフが飛んできた。リシャンは指で挟んでナイフを掴み、真っ直ぐに返した。
「‥‥っと!」
チェンランはそのナイフを掴み、足のベルトに挟んだ。
「そう?‥‥そうは見えないんだけど?」
「私にだってある!」
チェンランは肩をいからせてリシャンの所まで来た。
「私は‥‥私はね!‥‥政府に無理矢理、愛する人と引き離されたの!」
「‥‥‥‥ん?」
大人のような発言に一瞬戸惑ったが、彼女達は見かけはただのアバターであり、年齢、性別、外見、その他は何も分からない。
「‥‥せっかく、ケンジとうまくいってたのに‥‥婚姻届けを出したら、政府から変更通知が来て‥‥それで‥‥ケンジは他の女と無理矢理‥‥絶対、無理矢理に決まってる‥‥あんな笑顔で泥棒女と結婚するなんて‥‥絶対、ぶっ壊してやる‥‥ふ‥‥ふふ‥‥」
「‥‥‥‥まあ、色々あるみたいね」
リシャンは深入りしないよう、チェンランの側から静かに距離を置いた。
シャオティンは目を閉じた。
「多かれ少なかれ、ここにいる者達は統合政府に反感を持っている。それは私やリシャン‥‥あなたの理由とは別かもしれないけど、それは本物」
「‥‥‥ふん」
リシャンは唇を噛んだ。
「あなたは私を破棄された世界に送る為に世界を歪ませた。そのせいで大勢のAIが消えた。理由はどうあれ、例えそれが必要だったしても、私はあなたを許しはしない」
「‥‥‥‥」
「でも、今は同じ目的の為に協力してあげる。馴れ合いはしない」
「分かってる」
“シャオティン‥‥”
ランユーの声で、会話はそこで途切れた。
「‥‥‥‥ルートは確保しつつある。ここから先に進むと、奴らに気づかれる」
「隠密行動はここまでですね」
シャオティンが頷くと、その場の全員は首を縦に振った。
「開始すると、管理局のアンチウイルスが雪崩れ込んできます。ですが、避けては通れません」
シャオティンは帯に差した笛を手に持った。
「何としても終了までの時間を稼ぎます」
「‥‥‥‥」
リシャンも頷いた。それが合図でもあったかのようにランユーは操作を再開する。
天井の側面が赤い光に変わる。そこからマネキンの様な、顔のない人形が、通風孔から砂のように次々と落ちてきた。
「‥‥ふふ‥‥皆、滅びるなん‥‥」
その中心部に向かって、チェンランは二本の小太刀を構えて躊躇なく突撃していく。
シャオティンは笛を吹いた。甘い旋律が辺りに満ちると、マネキンの頭や腕に糸が刺さり、そのマネキンは周りのマネキンに、持っている短剣で攻撃を始める。他のヴァイアスのメンバーもそれぞれの武器で応戦を始めた。
倉庫内はたちまち騒然となる。
=今回の襲撃はリークしてある。だが、優先順位としては低いと考えているだろうから、こちらに管理局の本隊が来ることはない。だとしても時間をかけるわけにはいかない=
「そうね」
リシャンは片手で鎌を振って、マネキンの胴を二つに割った。かなりの数のアンチウイルスだが、今の所はシャオティン達が防いでいる。このまま潜入出来ればこちらの勝ちだ。
「あとどれぐらい?」
ランユーの後ろに立ったリシャンは、接近してきたマネキンを切り捨てる。
「あと‥‥少し‥‥」
直接ラッビューを狙ってきたマネキンの胴を横から薙ぎ払う。マネキンは奇声を発して倒れて消えた。
「通った!」
パネルが消えて、そこには丸い黒い穴が現れた。光は全く反射せず、闇そのものであるかの様だ。人一人なら通っていけそうな大きさだ。
「行ってください。ここは私たちが引き受けます」
ランユーは宙から弓を出した。
シャオティンは頷く。
「行きましょう、リシャン。ここからはあなたの力が重要になってきます」
「置いていって良いの?」
ウイルスは無限に沸いてくる。
チェンランが戦っている方に視線を向けたが、
“何で私だけが!‥‥皆、皆、消えちゃえ‥‥なん!”
笑いながら小太刀で次々と敵を消し去っている。
=‥‥大丈夫そうだが=
レイブンがそう言って確認すると、リシャンは穴の前に立つ。
「入った先はどうなってるの?」
「管理局本部のサーバーの内部です。そこから統合政府へのパスを探っていきます。詳しくは分かりません」
「だったらランユー‥‥っだけ? あなたも一緒に行った方がいいんじゃない?」
「AIでないと、ここからの通過の負荷に耐えられません。アバターを解した人間が無理に通った場合、そのフィードバックにやられてしまいます」
「なるほど」
つまり先に行けるのはシャオティンと自分だけ‥‥そう思ったリシャンの胸中は複雑だった。
「じゃ‥‥行くか‥‥」
「はい」
先にシャオティンが、次にリシャンが穴へと飛び込んだ。
“‥‥‥‥”
何もない虚無の空間。それには見覚えがあった。
塔の中から奥に進んだときと全く同じで、体がない。
ただ考える “意志” 存在しているだけだ。
三次元的空間も時間という概念もなく、ただあるだけ‥‥永遠も一瞬も同じ事。
不安‥‥恐怖‥‥そんな感情は発生しない。ただそこの一部となってあるだけだ。
そうして白‥‥光というものを思い出した頃‥‥。
「‥‥‥‥」
リシャンは目を開けた。
そこは廃墟の街だった。三百階を超すビルが立ち並び、その上空には電磁フィールドが、オゾン層が破壊された後の世界を守っていたはずだ。仮想世界013の設定年から二百年後の街がそこにある。
だがそれはもう廃れた技術のはずだ。環境破壊は紫外線だけの問題ではなく、急激な温度上昇、海水の蒸発にともなう海面の低下、そこからくる潮汐力の低下‥‥地軸の乱れまで起きるのは、これから百年もかからなかった。
リシャンは歴史でその事を知ってはいた。が、目にするのは初めてだった。
ここに人はいない。動物も植物も‥‥ただ崩れつつある世界だ。
異常なまでに乾燥した大地は、致死性の毒の混じった風が吹き荒れ、リシャンの髪をはためかせた。
「‥‥‥‥」
斜め後ろにシャオティンが立っている。ひび割れた地面は、前に見た破棄された013とは違い、そこから植物が這い出ている事はない。
=精巧に出来てはいるが、これは仮想世界だ=
「‥‥あんたも来たの?」
レイブンが周囲を見渡している。
=見届けなければならないからな‥‥それより‥‥=
“読み通りね”
「!」
どこからか声が響き、二人は武器を手に身構える。風が舞って位置は特定できない。
その声には聞き覚えがあった。
「‥‥お前は‥‥」
リシャンは鎌を持つ手に力を籠める。
崩れかけた建物の奥の窓から誰かが大地に降りてきた。
その人物は高校生の制服を着ていた。そして手には大きな死神の鎌を持っている。
「‥‥リシャン‥‥」
そう呟くと、制服の少女は笑みを浮かべた。
=あなたの推測が正しかったようですね。テロリストの本隊はこちらで正解でした=
この世界では存在しないはずの、カラスが彼女の足元にとまった。
「全く、性懲りもなく世界を歪ませようとするなんて‥‥」
制服のリシャンは鎌を振って柄を伸ばす。
「来い! シャオティンと私の偽物! この世界の全てのAIの為‥‥テロリストは排除する!」
「‥‥‥‥」
三人は同時に武器を構えた。