塔の真下に着いたリシャンは、そこから真っ直ぐに見上げた。下からの俯瞰では先端は見えず、雲の中に突き刺さっているかのようだ。塔は雲の高さまではないはずだったが、その先端が見えないのは何かを隠蔽されているからなのだろう。塔を支える四方に伸びた支柱は大きく外側に歪曲しており、水平に近い手前からは、そのまま登れそうに見える、金属が露呈している部分はほとんどなく、蔦がはい回っており、わずかに見える部分も錆の腐食が激しく、元の色が何かは既に分からない。着物を揺らす程の風は吹いてはいるが、通りすぎていく風は不快だった。
「どこから入るの?」
周りを一周してみたが、どこも蔦で覆われて、入口を見つける事が出来ない。
=さあな、俺はここまでは近づけなかった。何しろアレが邪魔してきたからな=
レイブンが後ろを振り向く。そこは死屍累々‥‥意志を持たないアバターの抜け殻が折り重なって倒れている。あちこちにヘリの残骸が燃えていた。
=ここからシャオティンは乗り込んでいったわけだが‥‥=
「あいつが出来たなら、行けるはず」
リシャンは鎌を上に上げ、手前の蔦を引き裂く。蔦は紙よりも簡単に裂け、奥に金属の壁が現れた。
「‥‥フン!」
鎌を一振りしただけで、壁に亀裂が走り、リシャンが蹴とばすとそこには大きな穴が開いた。倒れた衝撃で砂埃が舞う。
=相変わらず下品な奴だな=
「どうでもいい事」
リシャンは暗がりの奥へと進む。まだ塔の底辺部分で、作りは他の廃ビルと変わらない。あちこちに店舗だった場所が見える。
「‥‥‥‥」
埃と植物をかき分けながら進むと、エレベーターだった所まで出る。もちろん動くはずはないが、リシャンは鎌の柄で扉をついて無理矢理こじあけた。
「これは無理そうね」
あわよくば、この竪穴から一気に登ろうと考えていたが、穴全体が塞がっていた。
階段とエスカレーターを歩き、十五階ぐらいまで上がった。その辺までくると地上から伸びている蔦の勢いは弱まり、割れた窓からは光が射し込んできて屋内は明るい。
「全く! 面倒!」
鎌を大きく振ると、衝撃波が床の植物を一掃していく。
=お前は自分が今、ただのAIでしかないという事に、何か思う所はないのか?=
「思ってどうかなる? 私は私。他人から認めてもらう必要なんてないじゃない」
=‥‥そうか=
レイブンはリシャンのその飾り気の無い言葉に深く頷く。
=頂上からこの世界から脱出できるが、その前に付近を調べてみた方がいい。バックドアからは世界の様子が俯瞰で見えるはずだ。管理局や統合政府の目論見なども分かるかのしれない=
「いいわね、それ!」
俄然、やる気になったリシャンは、植物を払う動作に力が入る。
=しかし‥‥真実を知る事が良い事とは限らない。もしそれが‥‥お前の考えているようなものでなかった場合‥‥その情報はお前を不幸にするかもしれないが=
「別にいいんじゃない」
床を這いまわっていた蛇のような何かを、鎌の柄の先で踏み潰す。
「私が嫌いなものの一つにね、優しい嘘ってのがあるのよ。傷つけないように嘘をついた?‥‥馬鹿じゃないの?‥‥そんなものはただ誤魔化されていただけ。私は本当の事を知りたい! 真実を知って落ち込むような事はない!」
=‥‥ふむ‥‥お前はどうしてそこまで達観出来た? いくらエージェントの訓練を受けたとしても、そこまでになるには難しい=
「それはね!」
蔦‥‥のように見えるが、太いケーブルがひとまとまりになっているものだった。それがなぜか、頭を持ち上げてリシャンに襲い掛かってきた。
「私はたくさんのAIと‥‥仮想世界の人達と接してきた。彼らは‥‥」
“OOOO!”
「彼らは一生懸命に生きていた! それを他人がとやかく言う権利はない! だから!」
鎌を一閃させる。振ったのは一回だったが、ケーブルの化け物は、切り口から細切れになって消えていった。
「私はそんな彼らの思いを、記憶として持っている。これは絶対になくしてはならない!」
=‥‥‥‥=
「だから私は真実を知ってここから出る! こんなとこで燻ってるわけにはいかないのよ!」
=‥‥そうか=
レイブンは言葉短くそう答えると、それ以上は何も言わなかった。
特段に抵抗らしいものもなく、最後の階に続く階段を登っていく。
「‥‥‥」
リシャンの足が止まった。
階段を登り切ったその先、そこに誰かが立っている。背後からの逆光ではっきりと姿は見えないが、それほど大柄な人物ではない。
=あれは‥‥=
「悪趣味ね‥‥」
リシャンは鎌を回してフロアの床に柄の先端を叩きつけた。コン!‥‥と言う乾いた音が響いた後、上に立つ人物も同じような武器を出し、同じ音をたてた。
窓の奥の空が陰ると、姿がゆっくりと見えてくる。
それは黒髪を両サイドで結んだ、水色の着物の少女だった。リシャンと同じ巨大な鎌を手に持ち、表情の無い顔と瞳でリシャンを見つめている。
「あなたが番人ってわけ?」
「‥‥‥‥」
水色の着物のリシャンは赤い着物のリシャンのその問いには答えず、ただゆっくりと鎌を向けてきた。
=気をつけろ。管理局はAIの思考ルーチンを常に更新している。それに比べて‥‥=
「つまり、私は旧タイプって事ね‥‥」
リシャンはフフンと鼻で笑う。シャオティンと対峙した時、自分が言ったその台詞がそのまま返ってくるとは思わなかった。
「‥‥でもね‥‥」
赤のリシャンも同じ構えを取る。
「そんな付け焼刃の知識でどうかなるほど、実際は甘くないのよね」
「私は‥‥‥」
向こうのリシャンは初めて口を開いた。
「管理局の任務で、暴走中のAIを処理しに来ただけ」
「あなたはここが何処だか、なんで同じ姿をしてるのだとか、気にならないの?」
「私はこの世界の歪みをなくす! テロリストは全て排除する!」
「奇遇ね! 私も同じ!」
上下のリシャンは同時に駆けだし、階段の中央でぶつかった。
「‥‥」
「‥‥」
刃と刃がぶつかり合い、散った火花の光が、二人の全く同じ顔を照らす。
「‥‥だからね!」
「ぐ!」
赤のリシャンは鍔迫り合いの途中で青のリシャンの胴を蹴り飛ばす。その勢いでよろめいて後退して倒れた。
「そんなお仕着せの動きでどうか出来ると思ってるのが間違い!」
「‥‥‥‥」
青のリシャンは起き上がると当時に水平に鎌を振る。赤のリシャンは体をのけ反らせてその剣圧をかわした。切られた前髪が数本、宙に浮かんぶ。屈んだ状態を利用して、相手の足を横から蹴りあげる。
「‥‥が‥‥」
青のリシャンは何度も回転してその場にうつ伏せに倒れた。
「‥‥どう?」
鎌の先を倒れているリシャンの鼻先に突き付ける。
「‥‥‥‥」
手前の刃ではなく、奥の顔を見つめてた。
彼女が口を開く。
「‥‥あなた達は自分の利己的欲求で、この仮想世界を危険に晒している。歪みが広がれば、全てのAI‥‥全てのアバターが消えてしまう。‥‥彼らは生きている」
「‥‥そうね」
リシャンは鎌を引いた。
「じゃあね」
「‥‥‥‥」
そのまま彼女を置いて階段を登っていく。
「!」
後ろから鎌を突いてきたが、リシャンは振り返る事なく、その切っ先を避ける。くるりと振り向いて、青のリシャンを斜めに斬り裂いた。
斬られたリシャンは光の粒が弾けて消えた。
「‥‥‥‥ふう」
=よく分かったな?=
「当然、私だったらそうするだろうし。そんな分かり切った行動をした時点で彼女の負け」
鎌を持ち直す。
=‥‥で、お前は気にならないのか? 同じ姿の者がいた事が=
「考えるより、確かめた方が早いんじゃない」
リシャンは奥にある部屋を見つめる。扉は金庫並みに分厚い。丸い回転式のハンドルを回して開く為にはパスコードが必要のようだ。そんな扉が複数。奥にあるのがこの世界からの脱出口のようだ。
=今ので管理局に見つかった。残念だが探索してる暇はなくなった。早く脱出した方がいい=
「せっかくだから、少しぐらいはね」
鎌を×状に振ると、鉄の蓋は、なますの様に切り落とされ、転がった蓋の音が辺りに鳴り響く。
部屋の中には旧世代のパソコンが置いてあった。
=どれ=
レイブンが座る。翼でどうやってキーを打っているのか分からないが、画面には図式入りで様々な言葉が表示されていった。
=‥‥‥‥=
「どう?」
=そうだな=
レイブンはすぐには答えずに、別の文字を浮かび上がらせる。
=‥‥‥‥=
無言で操作し続ける。
「どうなの?」
=それがな‥‥何から言って良いか分からんが‥‥=
レイブンはリシャンの顔を見る。
=いや、お前なら大丈夫だろう。時間がないからかいつまんで言うと、統合政府と言う組織には人間は関与していない。一つのAIがその下部組織である管理局を動かしているようだ=
「人間‥‥じゃない?」
=統合政府‥‥つまり超巨大AIが、人間を管理しているという事になるな=
「‥‥‥‥検証は後ね。それで、この仮想世界の目的は?」
=AI的に、ここは人間というものを推し量る実験場のようだ。人間を自由に行動させる事でどんな歴史を刻んでいくのかをな。思考を含めて完全に統制した方が人間の為か、それとも自由にさえた方が良い結果になるか‥‥=
「だから管理局は歴史不干渉を徹底させていたの?」
=‥‥そういう事になるな。あとは‥‥この破棄された世界はプログラム的に時間が加速されている‥‥その目的が‥‥兵器の開発‥‥なるほど、そうやって開発期間を短縮するのか‥‥しかし、何の為に?=
「‥‥‥‥」
けたたましくサイレンが鳴った。
=いかんな、時間切れだ。すぐにここを離れよう=
「‥‥了解」
まだまだ知りたい事があったが、さっきのように新たなリシャンが何人も投入されるとやっかいな事になる。すぐに外に飛び出すと、出入口に当たる扉の蓋を切り裂いた。
「‥‥‥‥」
部屋の奥は見えない。ただ真っ黒な何もない空間が広がっている。
=急げ!=
「‥‥‥‥」
リシャンとレイブンは穴に飛び込んだ。
「‥‥‥‥」
途端に体の感覚が消失する。何もない感覚‥‥それは例えるなら、死‥‥が一番近い。
時間を推し量る事が出来ず、一瞬とも永遠とも感じられたその後、瞼を感じてゆっくりとその目を見開く。
「‥‥‥‥」
頭の上に街が見える、重力が逆に作用しており、体を上下逆にすると、そこは塔の先端だった。
遥か下には車や人がひっきりなしに移動している。眩しい太陽、頬を撫でる爽やかな風‥‥そこは飛ばされる前にいた仮想世界013だった。
「帰って‥‥きた‥‥」
リシャンは唇を噛みしめるが、
=感慨に浸るのは早いぞ=
「‥‥‥‥」
青い着物を着たリシャンのような人影が宙に浮いて辺りを取り囲む。鎌を持ち、同じ服装をしてはいるが、顔が無い。のっぺらぼうな彼女達はリシャンを取り囲んだ。
=まずいぞ=
「‥‥あれじゃ、話は通じなさそうね‥‥」
=冗談を言っている場合では‥‥=
「!」
一人の青のリシャンが鎌を振るってきた。その鎌を回避したが、そこに別のリシャンが鎌の先端で突いtきた。
「‥‥く」
リシャンはそれを刃で弾くが、体勢が整わない間に二体のリシャンが同時に迫った。
「‥‥これは」
一人の青リシャンの鎌は弾いた‥‥が、反対側の攻撃には間に合わなかった。
キン!‥‥という音の後、青リシャンの鎌が弾かれ、二体はリシャンから距離を取った。
「‥‥‥‥こんにちは」
「‥‥‥‥」
そう言ってきた人物の顔を見たリシャンは、窮地を救ってくれたにも関わらず、顔を曇らせた。
「‥‥シャオティン‥‥」
「久しぶりですね、お二人とも‥‥」
「‥‥‥‥」
リシャンとは逆に、シャオティンはニコと笑みを浮かべた。