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第十六話 鎌が砕いた未来

「‥‥‥‥」

 観覧車が頂点に達した辺り、リシャンは脇腹に違和感を覚え、顔を近づけていた日高俊夫を突き飛ばした。

「‥‥これは」

 刃渡りの短いナイフが突き立てられている。上着のパーカーを貫き、体内まで達しており、滲んだ血が衣服を赤く染めていた。

 だがそれはありえない。エージェントのアバターは、この世界の物理的攻撃は無効化され、このような攻撃が届く事はない。

 よくよく見てみれば、そのナイフは通常の構造をしていない。外見こそ刃物だが、その刃を構成するフレームのプログラムに別のプログラムが隠されている。刃は虹色の光を放っていた。

「‥‥なぜ?」

 突き飛ばした日高俊夫は動かない。観覧車の床にうつ伏せに倒れたままだ。打ちどころが悪かったようにも思えない。

「‥‥‥‥」

 痛みを感じる。以前にこんな事があった気がする。エージェントの防壁を超えて攻撃を通してくるというのは、そう何度もある事とも思えない。

 こんな事が可能だとすれば、それはテロリスト以外にはない。

 日高俊夫がそれに加担していたのだろうか。

「‥‥リアル」

 刺されたら血が出る‥‥AIには当たり前の事だ。そして血を出し過ぎたら死ぬ。死んだら生き返らない。

「‥‥‥‥」

 観覧車の動きが止まる。そして世界から色が消えて白黒へと変わった。

「テロリスト!」

 リシャンは鎌を取り出て窓から外に出て屋根に乗った。赤く輝く刃先が、リシャンの瞳に燃える炎のように映る。

「‥‥‥‥」

 風の音もなく、リシャン以外は色を失った世界が存在している。このまま永遠の時が過ぎるのではないかと思われる程の時間の経過の後、宙を誰かが歩いてくるのが見えた。

“こんにちは、お姉ちゃん”

 声の主は、人形のような大袈裟な飾りのついた服を着た、お下げ髪の小さな女の子のものだった。

「‥‥‥お前がテロリストね、そんなアバターを使うなんて趣味が悪いんじゃないの?」

『それはお姉ちゃんも同じじゃないのかなあ? そこにあるお姉ちゃんは本当のお姉ちゃんじゃないわけだし』

「確かにそうね」

 リシャンは傷を押さえていた手を離して両手で鎌を握る。

『でもその傷の痛みは本当だよ。よく痛みに耐えて動けるよね。凄いね、お姉ちゃんは』

「あなたがAIを操って、こんな事をさせたわけよね。アバターもそうだけど、ほんとに悪趣味ね。リアルに戻ったら自分の顔を鏡で見てみたら? そのギャップで死にたくなるかもよ」

『‥‥‥‥』

 テロリストの少女は顔をひくつかせた。

『‥‥私はヴァイアスのメンバーの一人で、クラリッサって言うのよ。エージェントの始末を専門にしているの』

 クラリッサはウフフと大袈裟な仕草で笑う。

『あなた達は馬鹿ね。管理局の特権で守られてると思って、慢心してるから、そんなトラップにひっかかるのよ』

「トラップねえ」

 リシャンは鎌の柄で自分の肩を叩く。

「確かにはめられたのかもしれないわね。私も‥‥あなたも‥‥」

『?』

「‥‥ふふ‥‥」

クラリッサというテロリストはリシャンも聞いた事がある。用意周到に準備をして、外堀を埋めてから行動して、エージェントを含む管理局の関係者を葬ってきた。決して尻尾を見せる事はなく、その詳細は不明な所が多かった。こうして姿を見せたからには、確実に葬る算段があるからなのだろう。

 廃工場にあった罠はあからさまに低級なプログラムだった。リハビリと称してそこに向かわせたのは、管理局がクラリッサの情報を掴んでいたからなのだろう。何の説明もせずに討伐に向かわせたのは、用心深いクラリッサを逆に油断させるのが目的だったのかもしれない。

「全く!‥‥あいかわらずクロウも曲者ね」

 リシャンは鎌を回した。無音の白黒の世界の中、ヒュンヒュンという風切り音が響く。

「さあ! とっとと捕まりなさい!」

『‥‥‥‥ふふ‥‥強がってるけど‥‥傷が痛いんじゃないかなあ』

「‥‥そうね。でも、これぐらいの痛み‥‥もう経験済み」

『へえ‥‥やっぱり、お姉ちゃんは面白いね。シャオティンの言ってた通りだ』

「! シャオティン!‥‥彼女は今何処にいるの⁈」

『ふふ‥‥内緒』

 クラリッサの笑い顔は、見てると不安になる。

『管理局にいいように使われてるのに、まだ忠実な犬でいるの?』

「そうね、それが私の存在する意味だから」

『可哀そうね。その考えも管理局から植え付けられた偽物だというのにね』

「‥‥‥偽物‥‥‥だとしてもそれが何?‥‥何が本物で、何が偽物なんて‥‥誰が決めたの?‥‥私が思う、私は本物!」

『あなたとは、話にならない!』

 クラリッサは杖を出した。赤と青のラインがグルグル巻きになっているステッキは、魔法少女のようだが。

「あなたのその杖だって偽物でしょ。棚に上げて人に言える事かしらね、馬っ鹿じゃないの?」

『‥‥っ!』

 クラリッサの表情が険しくなった。

『もう許さんぞ、貴様っ!』

「あは‥‥それが本性! そっちの方がずっと良い!」

 ステッキの突きを、鎌で弾く。硬い金属音が鳴り響く。

「‥‥‥‥」

 衝撃がズキ‥‥と、脇腹の痛みを思い返させる。

『ふふ』

 クラリッサは敢えてリシャンの傷口を狙ってきた。ステッキを確実に弾いていたはずだったが、予期せぬ方向がら別のステッキが狙ってくる。隠しパラメーターとして、腕が複数あるようだ。

「‥‥‥‥く」

 一撃が傷口に突き刺さる。リシャンは吹き飛ばされて観覧車の支柱に当たった。

 支柱が凹み、少しだけ傾く。

『あははは! 消えて無くなれ! この犬!』

 歪んだ笑い声が空間に満ちる。リシャンは体を起こし、それからニヤ‥‥と笑った。

「ふふ」

 手を突き出し、指先を手前にクイクイ‥‥と曲げる。

「いいから、かかって来なさいよ」

『こ、こ、こ、この‥‥馬鹿にして!』

 クラリッサは同時に六本のステッキを飛ばしてきた。

「‥‥‥ふん‥」

 その全てがリシャンの体を素通りしていく。そのまま宙を駆けて少女の前に立った。

『何っ!』

「それがあなたの限界みたいね、戻ってくるまで、ここにあなたの武器はない」

 リシャンは鎌を掲げる。

「さよなら、多分、無期懲役かな」

『‥‥‥‥』

 クラリッサの首が飛んだ。瞬間、白い閃光が空間を満たし、世界に色が戻っていく。

「‥‥‥ふう‥」

 観覧車の屋根の上で腰をおろす。いつしか景色は見覚えのある日常の中へと戻っていた。

=お手柄です。ヴァイアスの幹部、クラリッサを確保しました=

「‥‥‥‥」

 クロウが飛んできて、リシャンの座る屋根にとまった。

=クラリッサには今まで、何人ものエージェントがやられていますからね。これで管理局の活動がやりやすくなったというものです。さすがですリシャン=

「‥‥‥‥それはいいんだけどさ‥‥」

 リシャンは唸り声をあげる。

=ああ、パラメーター異常が付加させられてましたが、もう治っているはずです=

「‥‥‥‥」

 確かに傷はもう無かった。

「‥‥私に何か言う事があるんじゃない?」

=何をですか?=

「私を餌にした件」

=仕方がない事です。管理局の指示でしたので。いや、これでも抗弁はしたのですが‥‥如何ともしがたく‥‥=

「‥‥‥ふーん‥」

 指示にも偽物も本物があるのだろうか。

「まあ、いいけどね」

 リシャンは肩をすくめて立ち上がる。

 遠くからジェットコースターに乗る人々の歓声が聞こえてきた。

=帰る前に、最後に一仕事残ってるので、そっちを片付けください=

「一仕事?」

=テロリストに汚染されたAIは処分しなければなりません=

「‥‥‥‥」

 リシャンの動きが止まる。

=ヒダカトシオ‥‥彼のAIを消去してください=

「‥‥‥‥」

 クロウのその言葉に、リシャンは震えながら息を吸い込んだ。




リシャンは観覧車の中に戻った。長い時間が経ったようで、まだ観覧車は頂上から少しだけ下がった位置に降りてきていた‥‥その程度の時間経過でしかなかった。

「‥‥‥‥」

 日高俊夫は、ぼうっとした顔でリシャンを見ている。手に持っている鎌に、何か反応するのかと思いきや、何も言う事もなく、ただ黙って口を開けていた。

「‥‥‥‥」

=‥‥リシャン=

「‥‥‥‥」

=あなたがやらなくても、本部で処理する事も出来ます。結果は同じ事です=

「‥‥でも‥‥私は‥‥」

=テロリストに手を加えられた時点で手遅れです。彼らは違法な行動を起こさせた後、元の人格を戻す プログラムはしません。今の彼はただの抜け殻のアバターです=

「‥‥‥‥」

 リシャンは鎌の柄を握りしめる。

 観覧車は半分の位置まで降下している。

=管理局の指示に従ってください。私は‥‥あなたを失いたくないのです=

「‥‥‥‥」

 鎌を振り上げる。その姿を日高俊夫はじっと見つめていた。

=リシャン!=

「‥‥‥‥」

 日高俊夫がじっと見つめている。

 鎌を振り下ろそうとしたその手は途中で止まった。

「‥‥‥‥涙」

「‥‥‥‥」

 日高俊夫は泣いていた。その瞳にリシャンの姿が映っている。そして泣いたままゆっくりと目を閉じた。

「‥‥抜け殻は‥‥泣いたりしない‥‥」

 以前も同じ事があったような‥‥いや、確かにあった事だけは覚えている。その時の自分はどうしたのか‥‥鎌の行く先は何処なのか‥‥。

=リシャン!=

「‥‥ごめんね‥‥」

 鎌の重さをこれほど感じた時はなかった。







「はい、お疲れさまです」

 観覧車は、丁度空を一周して地上へと戻ってきた。係員がドアを開ける。

降りたリシャンは、乗る時に見た同じ光景を、全く別の感情で見つめていた。

「‥‥‥‥」

 意味もなく休日の為に用意した服は、全く意味のないものになってしまった。

 自分の腕を掴む。

「空の旅はどうでしたか?」

 係員がニコニコしながら聞いてきた。

「‥‥‥‥最悪」

「え?」

「‥‥‥‥」

 そう呟いたリシャンは、一人、遊園地の外へと歩いて行った。


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