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第十五話 観覧車に落ちた影

「え、いや、今。来たところ」

 日高俊夫はそう言って笑った。

 =リシャン、ここは笑い返す所ですよ=

 イヤホンに偽装したクロウが、リシャンの耳元で囁く。

「‥‥‥‥」

 仕方なく笑顔を作った‥‥つもりだったが、それは何か嘲るような表情に変わった。

 クロウに言われて待ち合わせより少し遅れて行った。それはリシャン的には、相手にその分の負い目を感じてしまうので否定的ではあった。渋々と了承したものの、案の定、気分的に良くはない。

 それとも、そうやって事前に気分を下げる事で、進言を受けやすくするつもりなのだろうかとも考える。もし、そうだとすれば、クロウはなかなかの策士だ。

「‥‥‥‥」

 リシャンを見つめる日高俊夫の目は、少し熱っぽいように感じる。それに対して、それは何?‥‥と、聞く事に躊躇いがあり、何も言えなくなった。これは完全に相手に主導権を取られたと考えて良い。

「‥‥全く」

 リシャンは耳からイヤホンを取った。

 =リ‥‥=

 クロウの声が遠くなる。構わずにリシャンはイヤホンを道端のゴミ箱に捨てた。

 通信は一旦出来なくなるが、何かあれば再起動していつものカラスの姿で知らせに来るだろう。任務中はともかく、それとは関係ない事にまで横やりを入れてくるのは、さすがに邪魔すぎる。

「‥‥遠野さん、どうかした?」

「いえ」

 黙ってしまった日高俊夫に、どう言葉を返そうか考える。普段なら即座にクロウが適当な返事を考えてくれるが、それもなく、一瞬でリシャンはクロウの不在を後悔した。

 そういう意味では日常的な対応はクロウに頼りっきりだった。

「‥‥‥‥」

 この世界の住人は自由意志で恋愛し、自由意志で結婚して子供を作り、子孫を残していく。

 社会基盤が、自由意志という個々人の判断に委ねられており、それは国としての舵取りをしているわけではなく、不安定なものになるはずだ。統合政府やその下部組織の管理局は、その事に対して、不干渉を徹底している。

 リハビリのついでに、AIの思考ルーチンを観察するというのが、管理局に提出した名目だったが、本心は、なぜ管理局が不安定なはずの自由恋愛を放置しているのかを探る為である。そういう意味でも、やはりクロウからは離れていた方が得策だ。

「では、この遊園地に来たという事は、何かの理由があったんでしょ?」

 リシャンがそう言うと、日高俊夫は少しだけ驚いた顔をした。

「遠野さんは来た事がないの?」

「ない」

 短く答えた。

「じゃあ、俺が案内するよ。何回か来た事あるから」

 日高俊夫は先に歩きだし、リシャンはその後に続く。出入口の店員から、この遊園地のチケットを買っている。リシャンは肩からかけているポシェットを開いた。

「クロ‥‥」

 中身を見た瞬間、リシャンは声を出しそうになった。

 クロウに服装の装飾として持っていくようにと言われたその入れ物の中身はカラッポだった。この世界では、何かの物やサービスを受ける為には(お金)というものが必要になる。対価としてそのお金を払うシステムで、必需品が支給されるリアル世界では、標準以上の何かを欲する場合を除いて、使用される事はない。かつての任務対象だったムラシタヒビカの親は、リアル世界において標準を超える個人的な資産というものを得た稀な人物だ。だが、そのおかげて優先的に仮想世界へのアクセス権を、娘に与える事が出来たわけではあるが。

 とにかくお金というものを持っていない。クロウはどういうつもりでそんな事をしたのだろうか。

「く‥‥」

 ポシェットに手を入れたまま固まってしまったリシャンを見た日高俊夫は、首を傾げた。

「どうしたの?」

「‥‥その‥‥言いにくいのですが‥‥」

「?‥‥早く中に入ろう。時間がもったいないから」

 チケットを渡される。

「これは?」

「?‥‥この遊園地のチケットだけど?」

「なぜ私に?」

「?‥‥買わないと入れないよ」

「‥‥‥‥」

「え?‥‥ああ、チケット代は俺が出すよ。俺が誘ったわけだし」

「そういうものなの?」

「まあ‥‥人によるけど」

「なぜ、お金を払ってるわけでもないのに私には出してくれるの?」

「え?‥‥それは‥‥」

 リシャンが聞くと、今度は日高俊夫の方が口ごもった。

「その‥‥付き合ってるんだから‥‥当然だと‥‥」

「‥‥‥‥」

 この世界ではお金は貴重なものだ。それを考えるまでもなく相手に譲渡する‥‥安易に了承してしまったが、付き合うという事はかなり重い決断だったらしい。

 リシャンは少しだけ理解した。

 ならばその対価として何を彼にあげれば良いのだろうか。その手のものは何もない。

 とりあえず。

「‥‥ありがとう」

 リシャンがそう言うと日高俊夫は嬉しそうに笑った。





 遊園地のゲートから中に進む。すぐに日常にはない、色鮮やかな設備が目に飛び込んでくる。日曜日ではあったが、それほど人はいない。やはり近隣の大型テーマパークのせいで十分な集客が出来ていないようだ。

 入口近くに園内の案内図があった。二人はそこで立ち止まって眺める。

「‥‥‥‥」

 コーヒーカップ、メリーゴーランド、観覧車‥‥その他にもいろいろとある。それらを知識としては知っているが、実際に乗った事はない。

 そもそもリシャンにとってはその乗り物の全てがチープで、それを利用する意味が全くない。コーヒーカップの回転も、メリーゴーランドの高さも、リシャンは簡単にそれを遥かに超える事が出来るからだ。

 意味‥‥その言葉が浮かんできた瞬間、リシャンは考えを改める。

 意味のある事が全てではないのだ。

「じゃあ、あれにしましょう」

 リシャンが指さしたのはコーヒーカップ。それは人間が乗れる大きなカップに乗って、そのカップが回転する事で楽しむというもの。それの何が面白いのかさっぱりだが、体験する事で初めて分かるのかもしれない。

 日高俊夫は笑ってうなずく。彼に異論はないようだ。

 チケットを見せるとすぐに乗る事が出来た。カップの内側に縁に沿って椅子があり、真ん中にはハンドルが付いている。

「‥‥‥‥」

 正面に座り、顔を見つめた。

「は‥‥はは」

 それだけで日高俊夫の顔が赤くなるのが分かった。

 カップがゆっくりと動き始める。景気が回転して、周囲の家族連れの声や園の音楽が辺りをグルグルと回り出す。

「‥‥‥‥」

 リシャンは考えていた。自分が彼に対して行った何かのリアクションをすると、それに対して喜ぶ。それが彼が自分に対して行ったようなお金の提供を何もしなくても。だから彼にはこの自分の反応が、お金よりも大事なものなのだと。それは実際彼が利益を得るサービス的なものでもない。そこにこそ、自由意志による恋愛の意味があるのかもしれない。そしてその意味がなくてもこうして世界に蔓延してる理由なのだろう。

 意味がある事だけが価値があるわけではない。

 それがまだ何かは分からないが、日高俊夫にそのリアクションを返していくうちに見つかるだろう。

「このハンドルは?」

 中央にある金属のハンドルを指さす。

「これを回すと、この土台だけじゃなくて、このカップ自体も回るんだ」

「‥‥‥‥」

 リシャンは手をかけた。鉄の冷たい感触が伝わってくる。少しだけ回すと、それに応じてカップも回りだす。

「‥‥‥‥」

 このコーヒーカップという施設は、複数のカップの乗る大きな土台が回転する事でその景色を楽しむものだが、乗ってみても別段面白味は感じない。それはこの器具が鈍重すぎるせいにちがいない。

「‥‥‥‥」

 持つ手に力をこめると、スピードは徐々に増していく。

 少しはマシになったかと考え、更に速度を上げる。

「ちょ‥‥遠野さん‥‥」

「‥‥‥‥」

 景色は一瞬で流れ、既に何も見えない。日高俊夫はカップの縁から頭を後ろにして体をのけ反らせていた。

「‥‥うぐ‥‥ぐ‥‥」

「‥‥‥‥」

 私がした彼へのリアクション‥‥これで喜んでくれるだろうかと思ったが、何も言葉を発してこない。

「!」

 土台の回転が止まり、回転していたカップも強制的に動きが遅くなっていく。

 ほどなくカップは停止した。

「お客さん!」

 係員の男性が二人、走って近寄ってきた。

「あんなに回したら駄目ですよ。機械が壊れてしまいます」

「そちらの彼氏は大丈夫ですか?」

 見れば日高俊夫はぐったりしている。

「ふう‥‥ひどい目にあった‥‥」

 頭を振って立ち上がったが、足をもつれてまた椅子に腰を下ろした。

「彼女さん」

「‥‥‥‥」

 それが最初、自分の事を言われているとはリシャンは気が付かなかった。

 思い返してみれば、彼氏、彼女という呼び方は互いに付き合っている事を了承したカップルの呼称だ。日高俊夫の告白を了承した自分は、彼にとっての彼女という事になる。

「はい」

「彼氏の具合はどうですか?」

「‥‥‥‥問題なさそうです」

 外傷はない。

「そうですか、では、悪いですが、そこから連れていってもらえますか? 次のお客さんが待っているので」

「もし具合が悪いようでしたら救護室もあるので、そちらに行ってください」

「はい」

 リシャンは日高俊夫の腕を肩に回して近くのベンチまで連れていった。

「‥‥う‥‥」

「大丈夫?」

「平気平気‥‥でも驚いた。あんなに回るなんて‥‥機械の故障かな」

 そう言いながらも嬉しそうだ。

 よく分からない。

「じゃあ、次に行こうか」

 特に体調が悪そうでもなかったので、リシャン達は次の乗り物の場所へと移動した。

「観覧車‥‥」

 リシャンはそれを見上げた

 ただ上にゆっくりと昇っていく箱に乗っているだけで、それの何が面白いのかが分からない。それでも日高俊夫はとても嬉しそうだ。

「‥‥フフ」

 自分でも気が付かないうちに笑っている。それが面白く感じ、また笑った。

「では乗りましょう」

 リシャンは日高俊夫の手を掴んで引っ張った。

「!」

 一瞬驚いていたが、リシャンのその手を握り返した。

「ははは‥‥」

「‥‥‥‥」

 二人は同時に箱の中に入った。




 ‥‥まずい‥‥

 何と俺は遠野さんの手を握っている。柔らかくて温かい、これが女の子の手‥‥逆に考えると俺の手も彼女に調べられてるという事。今、滅茶苦茶緊張してるから手汗とか出てたらどうしようか。気持ち悪いとか思われたら嫌だな。

 それはそれとして、俺の目の前に遠野さんが座ってる。窓枠に手をついて横を向いて、外の景色を眺めてる。陽射しが眩しいのか、手の平で顔に影をつくっている。

 スカートが短いので、座ってると見えそうだ。このままガン見していたい気もするが、それもおかしい、でも目を背けることが出来ない。

 彼女のその一挙手一投足が、目に眩しい。

 何か話しかけないと‥‥沈黙が気まずい。

 何でもいい‥‥。と、言っても、何を話せばいい?

「‥‥‥‥」

 何か手がかりがないかと、俺はバッグに手をかける。

「!」

 が、今は絶対にあけてはならない‥‥なぜかそんな気がして手を引っ込めた。

「えっと‥‥」

 天気の話とかじゃなくて、もっと気の利いた台詞とかいのか‥‥事前に考えてきたけど、本物の彼女を目の前にいたら、何も言葉が出てこない。

 何でこんなに好きになったんだろうか。

 分からない。分からないけど‥‥これは本物だ。本物の気持ちなんだ。

「遠野さんは‥‥」

 言いかけたけど、それは違う。

 俺達は付き合っているはず。だったら、そんな他人行儀な呼び方はしない。

 だから呼び捨て‥‥名前だけを?‥‥ユズリハ‥‥駄目だ。恐れ多くて口から出てこない。

 勇気を出せ。最初だけだ。一回言ってしまえば、それが普通になる。

 観覧車はもう四分の一を移動している。終わってしまえばもう二人だけのこの空間はなくなる。

「ユズ‥‥」

「聞きたいんだけど‥‥」

 俺の勇気の一言は、遠野さんの言葉で上書きされた。

「何?」

「私とあなたはほとんど面識がない、それなのにあなたは私が好きで付き合いたいと言った? その根拠は何?」

「‥‥‥‥」

 彼女が身を乗り出してきたので、すぐ近くに彼女の真顔がある。そして聞いてると赤面してくるような事を言ってくる。

「‥‥‥‥」

 俺は何をどう言えば良いか必死に考えた。美人だから? 可愛いから? 考えた末に浮かんでくるのは、当り障りのない事ばかり。違う。そういう事じゃない。

 が、途中で力が抜けた。

「俺は確かにユ‥‥遠野さんの事を知らない。でも、それは君を好きなならない理由にはならない」

「‥‥どうして?」

「俺にも良く分からないけど‥‥その人の事を知ってる事と、好きになる事は別なんじゃないかな。相手の事を事前に知ってたら、そこの部分が好きとかは分かるのかもしれないけど、パズルのように自分に全てが合致するような人は結局いない気がするんだ」

「‥‥‥‥」

「俺は遠野さんが好きだ。でもそれがどの辺かは分からないし、君が言うように君が生きてきて努力して得てきたものが何かも知らない。でも知らないから、知らない者どうしが歩み寄って、そこから互いが好きになっていくんだと思う。だから‥‥」

 俺は遠野さんの両手を取った。

「何も知らない今のこの段階でも、こんなに君の事が好きなんだ。これからどんどん知っていけばもっともっと好きになっていくに違いないんだ。だから‥‥」

「‥‥‥‥」

 俺は何回、好きと言ってるんだ? 言ってる途中で恥ずかしくなって顔が真っ赤になってきた。

 もうすぐ観覧車は真上に到着する、そこからはもう降りていくだけだ。

 彼女の口が開く。

「‥‥自由に人を好きになった結果、不幸になる人がいる。それは最初から相手の事を知っていれば避けられた事なんじゃないの?」

「‥‥‥‥」

 また難しい事を聞いてきた。でも俺は彼女のそんな少し変わっている所も好きなんだ。

「最初から結末の分かってる事なんて、やったって意味がないじゃないか。映画と一緒だよ。先のことは分からない。だから一生懸命に相手の事を想像して、一生懸命に思っていくから、思ってもみなかった幸せになったりするんだと‥‥はは、俺って偉そうな事、言ってるな‥‥」

「‥‥‥‥そう‥‥か‥‥」

 遠野さんは考えてる。なんだか納得したような、そうでもないような微妙な顔をしてる。

「ありがとう」

「‥‥‥‥」

 遠野さんに強く手を握り返された。

 意外に力が強い。

「良く分かった。何かあなたにお礼をしたい。私はどうしたらいい?」

「それは‥‥」

 今こそ、あれを言うべき。

「じゃあ、お互いに名前で呼ぶ事にして欲しいんだど‥‥呼び捨てで」

「‥‥そんな事でいいの?‥‥じゃあ、トシオ」

 彼女は全く恥じらう事をしない。

 全く‥‥何て人なんだ。

「何?‥‥ユ‥‥ユズリハ」

「これでいいのトシオ?」

「‥‥‥‥」

 俺は首を大きく上下に揺らす。

「あとはないの?」

「‥‥‥‥」

 どうやら彼女はまだ俺のお願いを聞いてくれるらしい。

 どうする? あと何かあるか? 

 趣味とか教えてもらうとか‥‥いや、それはあとから聞ける。

 こうなったら‥‥。

「‥‥‥‥」

 大きく深呼吸する。それと同時に観覧車は最高到達点に。

「‥‥‥‥ユズリハ‥‥キスしよう」

「‥‥‥‥」

 少しだけ彼女は目を細めた気がしたが、それは俺の気のせいだったのか

「‥‥‥‥」

「‥‥‥‥」

 俺と彼女の顔が近づく。なぜか彼女は目を見開いたまま、気まずいので俺が目を瞑る。

 あと数十センチ‥‥数センチ‥‥頭が真っ白になってくる。意識が遠のいてきて‥‥。

「‥‥‥‥」

 それと同時に俺は持っていたバッグを開く。そうしなければならい強い思いがそうさせる。そうして中からナイフを取り出した。

 なぜそんな事をしているのか分からない。

 それが自然な事で、抗う気持ちが全くおこらない。

 そして手に持ったナイフを彼女に突き立てた。

「‥‥‥‥」

 何だこれ?‥‥そんな事をしていいと思ってるのか?

 大好きな彼女に‥‥。

 唇に触れるその瞬間、俺の意識はそこで消えた。




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