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第十三話 仮想世界の恋人たち(前編)

「俺と付き合ってください!」

 俺は手を出した。手が震えている。それはそうだ。

 こんな事をするなんて思ってもみなかった。いつも斜に構えて、何だかんだ理由をつけて結局は何もしない。そんな事を繰り返してきた。

 でも、彼女を一目見た時、衝撃が走った。そんな日常を打ち破ってくれるような、そんな気がしたからだ。

 体裁とかどうでもいい。俺は今、思いの丈をぶつける。

 それで駄目なら仕方がない。ここで何も言わなかったら一生後悔して、あの日常を過ごしていく事になるんだ。そんなのはごめんだ。

「‥‥‥‥」

 手を伸ばした俺を見てる遠野さんは、顔を曇らせている。

 駄目か‥‥やっぱり駄目なのか‥‥。

「付き合うってどこに?」

「え?」

 多分、分かってて言ってる。

 まさか、そんな典型的な言い方でかわしてくるなんて。

「ゴメン‥‥」

 ここは男らしく去ろう。そう思ってたんだけど、後ろを向いた途端、遠野さんに腕を掴まれた。

 遠野さんの体温を感じる。温かい‥‥多分、優しい人だ。

「何処に行くの?」

「え?」

「何処かに付き合ってほしいんじゃなかったの?」

「‥‥えっと‥‥」

 まさかこの現代に、そんな事を言ってくるとは‥‥まさか試されてるのだろうか?

 真面目に説明した瞬間に、そんな事は最初から分かってた‥‥みたいな事を言ってくる‥‥何て事はしないはずだ。

「付き合うというのは‥‥その‥‥遠野さんとお付き合いをしたいという‥‥」

「? 同じ事を言ってるけど?」

「あ、そうだよね‥‥はは」

 どう言えばいいんだ? もっとストレートでないと駄目なのか?

 色々と考えるけど、それも顔が赤くなるような言葉。口に出すのは至難の業かと。

「付き合う用事がないなら、私はもう帰る」

 手を離されて、俺は遠野さんの背中を見つめる。水色の薄手のコートがよく似合っている‥‥などと観察してる暇はない。

「違うんだ! その‥‥遠野さん‥‥君が‥‥好きなんだ!」

「‥‥‥‥」

 遠野さんは立ち止まって振り向いた。それからもの凄い早さで戻ってきた。

「それはあなたが私を好きだって事よね?」

 遠野さんも同じ言葉を繰り返している。

「そ、そうだよ」

「‥‥‥‥」

 彼女は首を傾げている。

「聞くけど、どの辺が?」

「私の何処が好きだと思うの?」

「‥‥‥‥」

「あなたと私、今まで接点がまるでない。話したのも今が初めて、当然、何を考え、どうしたいのかなどどいう細部を知る由もない」

「‥‥それは‥‥」

 彼女の何を好きだと思ったんだ? 考えろ‥‥そしてそれを言葉にするんだ。

「か‥‥可愛いな‥‥って思って‥‥」

「それは外見の話よね」

「‥‥‥‥」

「その人がその人らしいというのは、何もしなくても最初からもっていたもの‥‥それが好きだと言うなら、今まで人生の中で得てきたものはどうでもいいという事‥‥そんな‥‥そんな‥‥あれ‥‥前にこんな事を‥‥言った事があるような‥‥」

「‥‥‥‥」

 遠野さんは、ハッとした顔になる。それから何も言わずに走って行ってしまった。

「‥‥何なんだ‥‥」

 俺は一人取り残された。

 一体、そうしてしまったんだろう。何か傷つける事を言ってしまったんだろうか。

 とにかく一世一代の告白は失敗したようだ。

 このままここにいても仕方がないので、屋上から出ようとしたけど、戸を締めた時に、鍵を持っていない事に気が付く。このままだと勝手に入った事になってしまう。

 小心者の俺は慌ててその場から逃げた。多分、もう二度と屋上に出る事はないだろう。

 外に出れるのは遠野さんだけのようだから。

 こうして俺の初恋は撃沈した。




「人生の中で生きてきた過程で得たものが、その人になっていく‥‥」

 リシャンはその言葉を繰り返す。

 前に確かに何処かで言った事があるが、それが何処か思い出せない。

 特に緊迫した時でもなかった気もするが‥‥。

「‥‥‥‥」

 リシャンは頭を押さえて校門の鉄柵に寄りかかる。

 =どうしたんですか?=

「‥‥別に」

 校門を出て並木道に出た。

「何か前にも同じ事を言ったなって思って」

 =言ったんじゃないですか? 記憶障害は現実にあるリシャンの身体の不調が原因です。治療は続けていますが、時間がかかります。完治すればそのうち思い出す事でしょう。無理に考える事でもありませんよ=

「まあね‥‥」

 クロウにはそう言ったものの、色々な事が引っかかっている。

 ただ普通に生活しているつもりが、ふとしたきっかけで知らない光景が頭の中に沸き起こってくることが多々あった。

 想像以上に様々な事を忘れているのではないか? それはとても重要な事なのではないのだろうか?‥‥リシャンはそう思う事で、常になく消極的になっていた。

 管理局は先日、リアル世界でテロリストの一人を拘束した。容疑者の自供で、この地域に歪みの原因となるプログラムを仕込んだとの事だった。小物だった事もあり、大した用件でもなかったが、リシャンのリハビリの一環として、その原因の特定を任務として指示されていた。

 いまだにそれが解明出来ていないのも、リシャンがそのような状況であった事が要因になっている。

 =気長にいきましょう。今は回復が最優先です=

「‥‥‥‥そうは言ってもね」

 =それより、どうするのですか?=

「何が?」

 =先ほどの男子生徒の事ですよ。あなたに告白してきました=

「ああ‥‥やっぱりそういう事」

 クロウと情報のやり取りをする為に、人目につかない場所という事で屋上に上がったが、認識阻害をしていたにも関わらず、それを超えて近づいてきた彼を、リシャンは最初はテロリストの残した罠の一環だと考えた。が、用心しながらも、話を聞いているうちに、何の関係もないただのAIである事が分かり、途端に興味がなくなった。

 彼の話では自分の事が好きだという事だったが、同じクラスメイトどいうだけで、全く話もした事のない者を、なぜ好きだと言うのか、全く理解出来ずにいた。

「‥‥‥‥」

 彼を追い払う為に話した言葉が、なぜか心に突き刺ささっていた。

「もしかしたら、リハビリに役立つかもしれない」

 =どういう事です?=

「ふふ‥‥リハビリが終わるまで、ちょっと暇潰しにからかってみようかなって」

 =ほどほどにしてくださいよ。あまり騒ぎを大きくすると、それが歪みの元になって、そこをテロリストに付け入られるかもしれませんし。大体、いつもあなたは‥‥=

 クロウは途中で言葉を止めた。

 =まあ、いいですけどね。ちゃんと任務の事も忘れないでくださいよ=

「了解」

 リシャンは笑って少しだけ歩幅を広くする。

「‥‥‥‥」

 学校から駅までの直線の道。同じ制服を着た女子生徒達が、楽しそうに話しながら歩いている。男子だけ、女子だけのグループもいれば、手を繋いでいるカップルもいる。リシャンはそんな光景を微笑ましく眺める。

 彼らは人間ではなく、ただのAIだ。思考プロセスで行動しているに過ぎない。テロリストはそんな日常が繰り広げられているこの世界を偽物‥‥と呼んでいる。確かに現実の世界とここは、ほど遠い。リアルでは婚姻は統合政府の指定によって決められた相手としか出来ない。それは環境汚染による人口減少で衰退しつつある人類を、効果的に維持する為には必要な事なのだ。

 リアルのテロリスト達は、そんな事情を鑑みる事なく、政府による一元管理を否定してくる。

 だがここは仮想世界だ。現実社会では失われた自由恋愛も、ここでは普通に行われている。その結果、結婚しても離婚したり、家族という最小単位が不幸な結末になったりしている。それは無駄の連続で、非合理的すぎるが、リシャンの心の奥には、なぜかそれだけではない、何か‥‥が、小さく突き刺さっていた。

 それが気になって仕方がなかった。

 理由を知る為にも、恋愛という心理を直接聞く必要がある。

 リシャンが下した合理的な判断の理由はそこにあった。

「‥‥で、さっきの男子生徒のデータは?」

 =‥‥日高俊夫‥‥身長171センチ、体重62キロ。リシャンの所属するクラスの、左斜め後方に座席があります。成績は中の中。運動はそれほど得意ではありません。家庭は四人家族で、構成は、父、母。本人、妹‥‥の四人。父親はサラリーマンで、特に高い役職にあるわけでもなく、母親もパートに出て、年収は平均値の範囲です。趣味は見当たりません=

「‥‥‥‥」

 リシャンはあごに手を当てて考えこむ。

「‥‥平均的な‥‥そう、平均的な高校二年男子ね」

 =不服ですか?=

「ふふ‥‥平均だからこそいいんじゃない。サンプルとして最適って事で」

 =なるほど=

 駅までついたが、ロータリー内にあるベンチに腰を下ろした。丁度、植え込みの木が日陰になり、体感を感じる設定にしているリシャン的には丁度良い。

 生徒達が次々と階段を登っていく。その姿をしばらく見ていたリシャンはフ‥‥と、笑って足元を見つめた。

 =具体的にはどうするつもりです?=

「そうね‥‥」

 足元に鳩が寄ってきた。ベンチの背もたれにとまっているクロウに気が付くと、バタバタと逃げていった。

「日高俊夫は今、何処にいるの?」

 =現在地は、ここから近くの公園です。学校から真っ直ぐそこに向かい、動いてはいません=

「‥‥では、傷心の彼を励ましに行きますか‥‥ははは‥‥あは‥‥」

 リシャンは笑いながら鳩の群を散らして今来た道を戻った。





「ふう‥‥」

 俊夫は公園のベンチに腰を下ろして、もう五度目のため息をついていた。

「‥‥全く、格好悪いよな」

 勢いで告白してしまった事を猛烈に後悔していた。

 明日からどうやって顔を合わせればいいのか分からない。

 告って断られた‥‥などという噂が立った日には、クラスで居場所がなくなってしまう。

「それでも‥‥まあ‥‥」

 何も言わないままだったら、それはそれで後悔しただろう。

 やらない後悔より、やった後悔。これからその経験を糧にしていけばいい‥‥。そう心の中で転嫁させると、落ち込んでいた心がスっと晴れた。

「‥‥帰るか」

 勢いよく立ち上がる。カバン振り上げて肩にかけたその時。

 “ヒダカトシオ”

「‥‥‥‥?」

 後ろから名前を呼ばれて振り向く。

「げ!‥‥遠野さん?」

「げ?」

 心の整理がついた矢先に、その心を曇らせた原因が現れ、俊夫は喉から変な声が出てしまった。

「‥‥な‥‥何かな?‥‥遠野さん」

「‥‥‥‥」

 遠野楪は睨みながら急接近してきた。

 明らかに怒っている顔だ。

「日高俊夫‥‥お前は、私を好きと言った。今でもそれは違いないな?」

「は‥‥はい」

「では、付き合ってほしいという言葉は、愛の告白という意味で間違いないな?」

「あ‥‥愛ぃ?」

 それは、あまりにもストレート過ぎる表現だ。

「えっと‥‥そうです、その通りです!」

「そうか‥‥」

 遠野楪はそこでニコと笑った。

「だが、まだ私は、お前の事を知らないし、お前も私の事を知らない。これからその辺の所を構築していこうと思うが、どうかな?」

「え‥‥それって‥‥」

 すぐには彼女の言っている意味が分からなかった。

「これからよろしくお願いします。‥‥俊夫君」

 ユズリハが手を出してきた。

「はい! 喜んで!」

 俊夫がその手をぎゅっと掴むと、ユズリハは笑顔を見せた。

「い‥‥」

「い?」

 手を掴んだまま、俊夫は下を向く。

「い‥‥やったぁ!」

 空に拳を突き上げて大声で喜びの声を上げると、それを見ていたユズリハは首を傾げた。



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